草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

共産党の票をあてにするような政党は消滅した方がいい!

2019年04月19日 | 政局

議会制民主主義は選挙が絶対である。当選するためにはどことでも組むという野合に走りがちだ。とくに支持率が心もとない立憲民主党や国民民主党は、共産党頼みである。野党が結束しなければ、選挙にならないのである▼そこで下手な動きをするのである。国民民主党の玉木雄一郎代表が去る18日、共産党の元衆議院議員で、今回は無所属で共産党推薦の宮本岳志候補の選挙事務所に顔を出した。宮本候補は衆議院大阪12区の補欠選挙に立候補したもので、玉木代表はお忍びでの激励ということで、反自民の野党共闘の一角を担うことをアピールしたかったのだろう。支持母体の旧同盟系労組は、反共が原則であるため、そうした不可解な行動にならざるを得なかったのだと思う▼共産党を名乗る限り、革命を目指していることは明らかである。宮本顕治の時代には「敵の出方論」の立場から、過激な行動を取るかどうかは、相手の対応次第だとの立場であった。不破哲三の今の路線では、それが撤回されたかのような印象を与えているが、共産党自体が秘密のベールに包まれており、幹部が選挙で選出されることもなく、その点では秘密のベールに包まれたままである。前衛党であることも否定しておらず、党名を変えるまでは断じて信用することはできない。今の日本の議会政治が漂流しているのは、与野党ともそんな共産党に気兼ねするからだ。選挙を優先するのではなく、自らの政策で勝負すべきなのである。

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天照大神に習って「人に成る」大切さ説いた森田康之助!

2019年04月19日 | 思想家

森田康之助の『日本思想のかたち』のなかに「人と成るといふこと」といった章がある。森田は「人が人として生を享けたというだけで、人が人と成ったとはいはないのである」と述べるとともに、「成る」ということの意味を解明しようとした▼そこで本居宣長の『古事記』の冒頭部分の解釈を引用するのである。「天地の初めて発(おこ)りしとき、高天原に成りませる神のみ名は」の「成り」に関して、宣長は「なると云ふことに三つの別あり、一つには無かりし物の生(な)り出るを云ふ。二つには此の物のかはりて彼の物に変化(なる)を云ふ。三つには作事の成終るを云」と説いている▼それを森田は「生成であり、変化であり、物事の完成を意味する言葉である」と簡潔に要約し、「人と成る」というのは「人間としての人格を完成するということにほかならない」と主張したのである。日々「人に成る」ためには努力が求められているのだ。子に対して親になるというのは「自己を完成すること」が前提なのである▼今の世の中は森田の願いに反して、どこを見ても「ならず者」ばかりである。それなりの地位を与えられても、努力して「人に成る」ことを怠っているのである、政治家や官僚が堕落したのは、その精神が失われてしまったからである。天照大神にしても「日の神としてみずからを完成せしめられた」のであり、その「みしわざ」に習って、私たちも研鑽を重ねなければならないのである。

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