新しい元号がいよいよ今日発表になるが、今の日本の政治を考えるにあたっては、佐藤誠三郎の『「死の跳躍」を越えて―西洋の衝撃と日本―』の解題で、北岡伸一が述べている言葉が的を射ている▼北岡は、そこに収録されている幕末維新に関する論文に触れながら、「著者が分析の対象とした徳川日本は、権力の合理化が頂点に達し、権力に対する挑戦者が消滅した社会であった。そこで、権力の合理化は停止してしまった。政治システムは、とくに有能な指導者を必要としないほど安定していたが、大きな挑戦に対してはまったく無力であった」との見方に共感しただった。また、北岡は「野党の無力化のもとで、自民党政治が停滞し、大きな政治的な課題を解決する能力を失いつつある現代」と重ね合わせたのである▼新しい元号になっても、その課題は残されている。もはや自民党政治は耐用年数を過ぎており、それに取って代わる政治勢力が待望されているのだ。今の段階では私たちの視界に入ってきてはいないが、大きな姿を現すまでには、幾多の激動を経験することになるはずだ。ただ一つ言えることは、それは既成の価値の転倒であり、下克上の様相を呈するということだ。すでに一部ではその胎動が始まっている。賢しらな者たちではなく、世に疎んじられ、無知蒙昧と呼ばれる者たちこそが、新しい時代を切り拓くのである。
応援のクリックをお願いいたします