草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

消費税増税ありきの民主党執行部に自民党は与するなかれ!

2012年06月21日 | 政局

 小沢一郎が新党を結成するとか言っているようだが、本当に民主党を割る勇気があるかとなると、はなはだ疑問である。いつもの脅しで、現在の民主党執行部に揺さぶりをかけているだけだろう。小沢グループとしては、消費税増税阻止を掲げているが、どこまでそれを貫けるかが見ものである。結局は小沢の立場をつくるための茶番だろう。怒りを覚えるのは、今の政治は政局が中心で、東日本大震災の復興など、どこ吹く風であることだ。とくに、福島第一原発事故の対応などは、後手後手に回っている。マスコミも、民主党内のコップのなかの争いばかりを報道して、一番大事な問題がかすんでしまっている。そこまで民主党が混乱しているのに、解散・総選挙に追い込めない自民党も情けない。ここにきて自民党が、野田佳彦首相に塩を送るようなことは、断じて慎むべきだろう。とくに気をつけるべきは、財務省主導のシナリオに与することである。自民党がもう一つ支持率がアップしないのは、野党としての気概に欠けるからだろう。政治というのはあくまでも数の力であり、局面を切り拓くためには、何でもありだとしても、そこにだって限度がある。消費税増税ありきの野田に協力することで、統治能力なき民主党政権を支えるのは愚の骨頂だ。安易に手を差し伸べれば、国民を裏切ることになりかねない。政権奪還を目指す野党党首として、谷垣禎一の真価が問われるのは、まさしく今なのである。

 
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失業者を連想させるパチンコを手厳しく批判した花田清輝!

2012年06月20日 | 思想家

 薄汚れたサヨクと違って、以前は乗り越えるべき左翼がたくさんいた。その代表格が花田清輝であった。戦争中は中野正剛の東方会に属していた。戦後は共産党に入ったかと思うと、すぐに除名されるなど、破天荒な人生であった。しかし、その文章の切れ味は相当なもので、そんじょそこらの物書きなどは、足元にも及ばなかった。その花田が「パチンコ・ルネッサンス」なる一文を残している。まず冒頭の文章からして、生理的にパチンコ嫌いであることを表明している。「昼となく夜となく、街中いたるところで、ガチャン、ガチャン、ガラ・ガラとやられたのでは、せっかくの詩情も、霧散霧消してしまう」。そして、パチンコが誕生したのは、昭和始めの名古屋であり、それに興じていたのは子供であったことに言及している。昭和32年頃に大人の遊びになってきたので、左翼の理論家として黙っておれず、あえて警鐘を乱打したのだ。花田が許せなかったのは、敗戦で意気消沈した機械メーカーが、パチンコをつくったことであり、わずかにうさばらしを試みている、無数の失業者の存在を連想させるからであった。よほど腹に据えかねたのか、自動玉入れ器を開発した学生に向かって「どうか諸君の創意を、もっとマシなもののために発揮してくれたまえ」と苦言を呈している。パチンコ経営の在日に媚を売ってばかりいる現在のサヨクとは、天と地ほどの開きがある。敵とすべき左翼にも、見上げた人物がいたのである。


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米国からの汚染地図を拒否したのはやっぱり官邸であった!

2012年06月20日 | 災害

 原発事故対応で、どれだけ民主党政権が犯罪的であったか、それを裏付ける事実が次々と発覚している。しかも、それを命じたのが官邸だというのだから、とんでもない連中である。米国から提供の申し入れがあった汚染地図(放射性物質)を公表しなかった件についても、いつもの通り民主党政権は、役人の責任にしようとしていた。しかし、真相は違っていた。その汚染地図を官邸が受け付けなかったために、自民党の衆議院議員小野寺五典の事務所にまで、米国大使館から「事故直後、官邸が受け付けないので、何とかして欲しい」との要請があったことが明らかになったからだ。菅直人を始めとする官邸は、事故を小さく見せるために、国民に知らせまいとしたのだった。スピーディにしても、「公表するな」と横槍を入れたのは、当時の官房長官であった枝野幸男だったといわれる。それを裏付けるかのように、官邸の命令によって、昨年の3月16日からは、スピーディの担当が文部科学省から内閣府の原子力安全委員会に移された。それらの結果何が起きたかというと、被曝しなくてもよかった人たちまで、被曝させてしまったのである。許せないのは菅である、国民は全てお見通しなのに、脱原発を叫ぶことで、政治的な立場を失うまいと必死である。自分がしでかしたことを一番知っている菅が、まさかそれを忘れたとでもいうのだろうか。

 
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土地神や穀物の祭壇から追われ流浪の民となった避難者!

2012年06月19日 | 思想家

 人間などというのは、ちっぽけな存在なのに、全てを支配できると思うのが、大きな勘違いなのである。神の姿に似せて創造されたために、人間に全権が委任されたというのが、キリスト教だ。だからこそ傲慢なのである。しかし、日本人の信仰はそうではない。自然界には、私たちの手に負えない力が働いており、八百万の神に手を合わせてしまうのは、それらのことを直感的に、日本人は理解しているからだろう。多くの日本人と違って、人間の力を過信し、未来はバラ色だというのが、キリスト教の影響を受けたサヨクである。原子力発電によって死の灰まみれになるというので、一応脱原発のポーズはとっていても、技術の進歩に関しては、楽観論者なのである。これに対して、あくまでも悲観論者で、脱原発どlころか、反近代であるのが保守民族派なのであり、日本のかけがえのない自然が破壊されたわけだから、激怒するのがあたりまえだ。よく引き合いに出される社稷という言葉にしても、土地神の「社」と、穀物の神を祀る祭壇の「稷」からなっている。原発事故で避難した人たちは、土地神や穀物の神を祀る祭壇から追われて、流浪の民となってしまったのだ。経済合理性だけで物事を決めるのではなく、危機の時代だからこそ、農本主義の原点に立ち返るべきだろう。そして、食住の場を奪った政治に立ち向かうのは、保守民族派として当然のことなのである。

 
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自民党は野田首相の無節操無原則に安易に与するな!

2012年06月19日 | 政局

 野田佳彦首相を始めとする現在の民主党執行部は、明らかに自民党や公明党に軸足を移し、党内の「小沢、鳩山、菅」系とは一線を画しつつある。櫻田淳は今日の産経新聞の「正論」で、そうした野田の軌道修正を持ち上げ、「日本政治の停滞を克服していく上では、建設的な意義があろう」と論評している。もちろん、櫻田とて手放しで支持しているわけではない。その前提として「野田首相が早々に衆議院解散・総選挙に踏み切ることである」と主張している。国民の審判を受けた上で、安定した政治勢力が誕生することを待望しているのだ。しかし、それは甘過ぎはしないか。すぐにでも野田首相がその前提を呑めばいいが、あくまでも希望的観測でしかない。このままズルズル引っ張る可能性が高いのだ。そして、かりに実現したとしても、危惧されのは、日本の政治がオール与党化することだ。東日本の深刻な原発被害を、これまで以上に隠蔽する可能性すらある。さらに、政治を安定させることばかりにこだわると、消費税増税も、TPP交渉参加も全てOKということになりはしないか。野田首相は、できもしないことを並べ立てた鳩山元首相、菅前首相よりはましだとしても、無節操無原則であれば、これまた困るのは国民ではなかろうか。野党である自民党は、まずは民主党政権の問題点を厳しく追及すべきであり、安易に手を差し伸べるべきではない。


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戦後の封印された民族的衝動を噴出させんとした右の潮流!

2012年06月18日 | 思想家

 日米安保を即刻破棄しろとはいわないが、米国の言いなりではなく、真のパートナーを目指すべきだ。石原慎太郎が核にこだわるのも、国家の主権を回復したいからだろう。フランスのドゴールが核兵器を手にしたのは、超大国の核独占が許せなかったからだろう。松島基地での航空ショーを見学したときに、航空自衛隊の隊員から聞いた言葉が忘れられない。「いくらこちらが腕がよくても、兵器は向こうが上ですからね。空中戦をやれば負けですよ」と悔しがっていた。大東亜戦争に敗北したことで、日本は米国に骨抜きにされたのである。原発にしても、長い期間にわたって日本は開発することを禁止され、米国の中古品を買わされた。その結果があのざまなのである。70年安保前後には、60年安保のときと違って、ようやく保守民族派がナショナリズムの担い手となった。早稲田を中心にした日本学生同盟は、安保条約の克服をスローガンに掲げた。よりラディカルな日本学生会議は、沖縄返還闘争に日の丸を掲げて闘った。新右翼の一水会などは、現在でも米軍基地の撤去を求めている。右であろうと、左であろうとも、戦後の封印されたナショナリズムを解き放そうとした者たちを、正当に評価するのが私の立場なのである。それで誤解されようとも、私は抗弁するつもりはない。銃殺刑になった北一輝や青年将校も、権力者にとっては「アカの手先」であったわけだから。

 
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60年安保が高揚したのは民族的衝動の噴出があったからだ!

2012年06月18日 | 思想家

 先週の金曜日に日比谷公園の近くで仕事の打ち合わせをしていたら、そこで「黙祷をささげに行かないか」と誘われた。あいにく時間が合わなかったので、その追悼集会には参加できなかったが、1960年のその日、全学連主流派が国会構内に乱入して機動隊と激しく衝突し、そのときに樺美智子さんが、衆議院南口通用門近くで死亡したのだった。私は60年安保闘争を高く評価する。すでに1956年のスターリン批判によって、マルクス主義の権威は地に落ちており、日本人のナショナリズムの高揚が背景にあったからだ。桶谷秀昭も「この年の晩春初夏にかけての戦後空前の大規模な反体制運動、それは60年反安保闘争と呼ばれてゐるが、その迅速に生起した、混沌を蔵する運動の大衆的表現には、議会制民主主義を守れ、とか、平和を守れとかいふスロオガンに収まりきれない、言葉にならない民族的衝動の噴出が感ぜられた。その衝動は新条約批准を強行した為政者に向けられたのみならず、戦後を主導してきた反体制組織そのものに向かって噴出した」(『昭和精神史・戦後編』)と書いているように、できるだけ穏便にすまそうとしていた社会党、共産党、総評系のデモ隊に対して、全学連主流派は、力でもって新たな空間を切り拓こうとしたのだ。それは同時に、アメリカの従属下から脱却し、国の主権を回復せんとする闘いでもあった。そこで敗れた清水幾太郎が、保守民族派に転向したのも、当然の帰結であった。今と違って、新左翼がナショナリズムをリードした時代であったのだ。

 
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眠れぬ6月の夜に 5首

2012年06月18日 | 短歌

酒あおり放哉の句をつぶやけり風に吹かれし身一つかな/

忘却眠れぬ夜のなせる技ゲヘナの火に身をあぶりたり/

通り魔が駆け抜けてゆく街角に裸電球明々として/

身にあまる命なりけりもてあまし目はらんらんと輝いている/

啄木も勇も泣きし深き闇命の灯ゆらめいている/

  
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使命感なきインテリはお笑い芸人と大同小異だ!

2012年06月17日 | 思想家

 今の日本をリードしているのが、テレビに出ているお笑い芸人だというのは、背筋がぞっとする。だからこそ、親が生活保護の不正受給を受けている仲間を、必死に弁護したりするのだろう。電波を私物化して、そこまでするのは、まったくもって異常である。それと比べると、日本のインテリは元気がないし、出る幕がなくなっている。ポストモダンだとか言って、わけのわからないことに夢中になって、目の前で起きていることに対して、物を言うだけのパワーがなくなっているのだ。昭和36年に行われた国民文化研究会での講演で、小林秀雄がインテリの使命について論じている。山鹿素行の思想を取り上げて、汗水流して働かない武士は、インテリであったとし、「インテリというのは責任を持った階級、特権階級なんです。もしこの責任を果たすのがいやなら、百姓になれ、といいうわけです。それで、その責任とは、学問をする責任なのです。人生をいかに生くべきかということを他人に教えたり、自分で体得する責任があるわけです」。昨今のインテリときたらば、そうした使命感とは無縁になっており、学問のための学問に終始している。それでは駄目だというのが、小林なのである。私はそれを古臭い議論だとは思わない。体を動かさず、労働にいそしまない階級には、それ相応の社会的な責任が付き物なのである。それを自らに課さなければ、お笑い芸人の言論と大差はないのである。

 
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私生活を暴かれ政治家失格の烙印押された小沢一郎!

2012年06月16日 | 政局

 小沢一郎は過去の人であり、攻撃する意味すらない。さらに、夫婦の間のことをとやかく言うのも、私にはできない。世界中どこを探しても、円満な夫婦などというのは、皆無に近い。私が小沢に失望したのは、保守の精神が微塵もないことだ。前尾繁三郎の言葉を借りるならば「伝統の上に創造を、秩序の上に進歩を求めること」(『政の心』)なのである。つまり、守るべきものがまずあって、それを保存するために、変革するのである。小沢の場合は、一に変革、二に変革であった。それでは本末転倒で、かえって混乱を引き起こしただけだ。塩野七生がどこかで書いていたように、その剛腕によって、日本の議会政治を揺るがぬものにして欲しかった。それに全力投球していれば、いくら汚職の疑いがかかったとしても、優れた指導者として、小沢は歴史に名をとどめることになったろう。しかし、それはかなわぬ夢でしかなかった。夫婦の仲まで暴かれ、国民の多くから笑いものにされるにいたっては、政治どころの話ではない。まるで道化者ではなかろうか。これ以上小沢は、晩節を汚すべきではない。まだ惜しむ人がいるうちに、政界を去るべきだろう。勝負はほぼ決まったわけだから、無駄な抵抗はあまりにも惨めだ。最終的な政治家の価値は、出処進退で決まるといわれる。小沢はとっくの昔に終わった人なのだから、明日にでも、潔く身を引くべきなのである。

 
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