草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

日本国民を守るために対外諜報機関の設置を!

2015年02月20日 | 安全保障

昨日の衆議院予算委員会で安倍首相は、自民党の小池百合子氏への答弁のなかで、CIAのような対外諜報機関の必要性を認めた。研究課題とすることも約束した。日本の対外諜報期間は昭和20年8月15日で活動を停止したのではなく、昭和40年代までは継続していたのではないか。身分を隠して情報収集をするわけだから、その時点で御役目御免になるはずがない。しかし、平成に入ればもはやその現地在留者も姿を消してしまい、日本は無防備状態になってしまったのではないか。世界は今もなお暴力がまかり通っている。そんななかで日本が生きていくには、対外諜報組織は不可欠である。ただ、そのためには政治も成熟しなくてはならない。時の権力者の思いのままに利用されるのでは、混乱が生じるだけであり、継続性が保たれない。ここはやはり日本の国体を守るという原点に返るべきだろう。天皇を中心にした日本の歴史と伝統を守り育てるという価値観が、まずは国民に共有されなくてはならない。誰から何を守ろうとするのか。その柱がしっかりしていなければならないからだ。さらに、そのスタートにあたっても隠密裏に行われるべきだ。スタッフは多くの能力が求められる。語学だけではなく判断力も大事だし、武器の使用にも熟練していなくてはならない。平和ボケした日本人もようやく目が覚めつつある。国家として身構えることなくして、日本国民は生き残れないのである。やるべきことは全てしなくてはならない。後悔先に立たずであってはならないのである。  

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米国の在留邦人ら2千人の朝日への提訴を断固支持する!

2015年02月19日 | マスコミ評

朝日新聞を始めとするマスコミが、日本や日本人を貶めてきた責任は、きちんと償わせなくてはならない。戦後の日本が敗戦国であったために、いわれなき誹謗中傷を受けてきた。その最たるものが、いわゆる「従軍慰安婦」の問題であった。進歩派を装い、特定アジアに加担した朝日新聞は、日本軍は韓国の婦女子を強制連行したかのようなでっち上げの記事を載せ、それによって日本や日本人は、世界中からあらぬ批判を受けることになったのである。その結果、米国では慰安婦像が建てられ、在留邦人が差別にさらされ、精神的な苦痛を負ったのである。これにはもはや我慢ができないというので、カリフォルニア州グレンでール市近隣に住む作家や僧侶ら3人と国内の大学教授ら計約2千人が昨日、朝日新聞を東京地裁に提訴し、米国の主要新聞への謝罪広告と、米国の在留邦人一人当たり100万円の慰謝料を求めている。やりたい邦題であった日本のマスコミに責任を取らせようとするのは、至極当然なことである。報道を捏造してマッチポンプをやらかしたにもかかわらず、朝日新聞は簡単な訂正だけで済ませようとしている。そんなことが許されてよいわけがない。今回の場合は一般の日本国民が立ち上がったのである。その提訴を支持する輪がネットではどんどん広がっている。マスコミを監視批判してきたのはネットであった。真っ向勝負で朝日新聞を追い詰めなくてはならない。日本を敵視する中共や韓国の代弁をするマスコミには、法的に勝負するしかないのである。

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英語教育よりも国語教育の充実こそが急務だ!

2015年02月18日 | 社会風刺

翻訳書を読んで思想家が生まれる時代がやってくる。吉本隆明のその言葉が忘れられない。日本は国を挙げて英語教育に取り組むそうだが、ちょっとばかりずれているのではないか。多くの日本人は会話程度で十分なのであり、それは欧米人と接触が増えれば、おのずと達者になってくるのである。しかも、自動翻訳によって同時通訳が可能になり、英語と日本語を耳で聞くことができるようになれば、誰だって流暢に英語を操れるようになる。日本語の文法すら理解できない日本人が、英語の文法に頭を悩ますというのは愚の骨頂である。それよりも国語教育を徹底すべきだ。世界の言語で、古代から現代までほぼ共通しているのは、日本語位ではないだろうか。古典であっても、声を出して何回も読めば意味が伝わってくる。日本語の読み書きにこそ力を入れるべきだろう。英語のレベルにしても、日本語のレベルにまでは到達可能だといわれる。ベースにあるのはやはり日本語なのである。日本の文化も歴史も知らずに、ヘラヘラと英語をしゃべれるのが偉いのだろうか。日本の学者の大半は外国の思想家の翻訳で飯を食っている。それはあまりにも異常である。思考する言語が日本語であれば、それを用いて自らの思想世界を切り拓くべきである。グローバリズムの最たるものが英語帝国主義である。それに抗せずして、どうして日本の国柄を守ることができよう。日本人が英語のスペルを競い合うような時代が来れば、もう日本はお終いである。

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日韓スワップ協定の終了は日本の国家意思の表明だ!

2015年02月17日 | 政局

安倍首相の政策を全面的に支持しているわけではないが、国家意思を明確に示すという点では、戦後初めてではないだろうか。日韓スワップ協定に終えることになった理由として、日本側が産経新聞のソウル支局長の問題を指摘したのは立派であり、無法なことをする韓国に対しては、毅然たる態度を取るべきなのである。海外での邦人救出に自衛隊があたるのも当然である。その点についても一歩踏み出した意味は大きい。我が国は他国からの不当な要求には、断じて屈してはならないのである。これまでの自民党政権であれば、「ご無理ごもっとも」で平身低頭したはずだ。しかし、その繰り返しでは特定アジアの国々をつけあがらせるだけだ。先の大東亜戦争は瑕疵がなかったとは言えないが、アジア解放のきっかけになったことは確かである。親日的な国として知られるインドでは、日本軍と一緒に戦ったインド国民軍の人たちを、支配者として復帰してきたイギリスが軍事裁判で有罪とした。これに対して反発するインドの人たちはデモ隊となってイギリス軍と衝突し、第一次裁判の段階で百数十人の死者が出た。入江隆則も『衰亡か再生か 岐路に立つ日本』でそのことを取り上げている。過去の歴史の見直しも含めて、国家として日本は再生しなくてはならない。国家意思はその一里塚なのである。安倍首相の勇気は高く評価されるべきだろう。

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移民を大量に入れるのは日本に内戦の危機をもたらす!

2015年02月16日 | 国際問題

異質な民族が仲良く暮らすことができるのだろうか。我が国も一度はその夢に賭けたことがあった。大東亜共栄圏の構想である。欧米との関係を断っても、アジアが一つになれば、日本はやっていける。その理想を掲げたのである。しかし、それはかなわぬ夢でしかなかった移民を大量に入れるというのは、その過ちを繰り返すことではないか。人々が国境を越えて自由に往来できる。それは人類にとって理想の姿でもあるが、必然的に文明の衝突をもたらす。イスラムの人々がヨーロッパに働きに行って孤立してしまっている。ISISが附け込むのはそこなのである。世界の国々が人的な交流を通して争いのない世界をつくらなくてはならないが、その一方では文明の衝突を回避する手立ても講じなくてはならない。経済合理性にもとづいて、人口減少だから外国から人を連れてくる。そんな単純なことではないのである。曽野綾子が産経新聞に掲載されたコラムで、アパルトヘイトを容認する発言をした。曽野は「20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」と書いたのである。早速、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使から抗議をされたが、一緒に仲良くなどというのは夢物語でしかない。しかも、曽野が言うまでもなく、それぞれに分かれて生活をしているのが現状だ。ちょっとしたきっかけで内戦になる危険性があり、安易に移民に依存すれば、安心安全な日本は失われてしまうのである。

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経済学の限界を論ぜずしてアベノミクスを論じるなかれ!

2015年02月15日 | 思想家

西部邁の『ソシオ・エコノミクス』を読んで、正統派経済学の限界というものを再確認した。西部はレヴィ・ストロースが「未開と文明の構造的差異を、光学機械と熱力学機械との対比によって隠喩したことがある」のを紹介しながら、正統派経済学の異様さを指摘した。「未開は、ちょうど摩擦のない世界での時計仕掛けのように、出発点において与えられたエネルギーにもとづいて、同じ円周の上をとめどなく回りつづける。あらゆる歯車は寸分の違いもなくかみ合い、秒を刻む音を除けば、世界は静かである。未開の神と儀式は、このように精妙に組みたてられた冷たい社会になくてはならない文化的機構である。他方、文明はといえば、それはちょうど、蒸気機関がボイラーとコンデンサーとの温度差によってエネルギーをふき出しすようなものだという。それは、有限な資源を費消しながら、けたましく走り続ける厚い社会である。科学の知識とヒエラルキーの組織とにおける発達は、このような機構によって時間と空間を支配するのに必須のものである」。それとのアナロジーからすれば、正統派経済学は「静態的均衡に対応するものにとどまるという意味で、理性的個人の持つ近代的装いにもかかわらず、未開のように冷たく静かである」というのだ。全面的に否定するのではないが、「社会科学の場合、前意識的な習慣や信念の力をかりて知覚し感じとり思考するのでなければ、この複雑に移り行く経験世界についてとても推論できるわけがない」と結論付けたのだった。保守主義者西部邁の誕生である。

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家庭と男女の結婚の意義を説いた福田恆存!

2015年02月14日 | 思想家

NHKのラジオだったと思うが、聞くに耐えない議論をしていたのには驚いた。結婚という制度を批判し、明治以降からできたもので、意味がないようなことを言っていた。これにはビックリしてしまった。それはあくまでも法律として整備されただけであって、結婚というのは大昔からあった。男女が結びつくというのは、性を媒介にした自然の営みであり、それを制度としてつくりあげたのがキリスト教などの信仰であった。近代になって注目されるようになった自我よりも、もっと根源的な何かなのである。個人同士が理解できるとか、自由であるとかの幻想は、感傷的な次元の問題でしかない。男女が合体して生命を誕生させ、それを育て、その後に世を去るという宿命のなかにしか、継続する愛は存在しないのである。男女が対になった家庭の重要性も、もっと再認識されるべきだろう。福田恆存が『私の幸福論』で述べている言葉は傾聴に値する。「家庭がそれ自体で目的たりうるということは、いったいどういうことを意味するか。いうまでもなく、人間は社会的動物です。その社会生活や集団生活の最小単位が家庭であります。そして、この最小ということは、もっとも純粋ということなのです。家庭は社会生活の最小ばかりではない。さらに人間の生の基本形態であります。私たちは家庭においてはじめて、完全な生の在りかたを実現できるのです。社会において、あるいは職場においてはじめて、たんなる部分でしかない私たちも、家庭において一個の完結せる人格たりうる」。断片化された現代人は、家庭での絆を強固にしながら、社会と付き合うしかないのであり、その前提が結婚なのである。

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安倍首相の大改革が米国のためであってはならない!

2015年02月13日 | 思想家

日本の政治は難しい局面に立たされているのであり、その厳しさを訴えることが先ではないか。安倍首相は昨日の施政方針演説で「戦後以来の大改革」と大見えを切ったが、そんな単純なことでいいのだろうか。尾高朝雄は国際社会が、国家とは違った原理で働いていることを見抜いていた。国家の内部であれば、公平な配分を行うために、それなりの秩序の変更もありうる。しかし、国際社会は平和を重んじるあまり、秩序の変更を認めたがらないのである。国際社会の配分の不平等を容認すれば、混乱が起きるのは必至であり、それが大問題なのである。グローバリズムが現在の国家間の力関係をそのままにして、それに応じて恩恵を受けるのであれば、日本のような国家は貧乏くじを引かされる。世界の経済の円滑な運行を妨げないとしても、それによって日本という国家の主権が制約されてはならない。農協や電力の改革にしても、アメリカの要求のままであれば、日本国民の前途は暗いものになってしまう。困難な綱渡りであることを安倍首相は口にすべきである。アメリカの譲歩がなければ、日本は滅亡の危機にさらされるのである。尾高は「国際社会の秩序を正義の線に沿うて維持して行くためには、国家を単位とする国際政治と国境を超えた世界経済との調和を図る外に考えられる適策はないといわなければならないのである」と書いているが、安倍首相はその言葉を噛みしめるべきではないだろうか。

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相も変わらず翼賛体制を憂う自称「著名な言論人」を嗤う!

2015年02月12日 | マスコミ評

日本が侵略やテロの危機に、さらには経済的にも大きな試練の目に立たされているのだから、国民が一致しようとするのは当然のことだ。それを「今の日本は翼賛体制の第二段階」とか主張するのは、日本の戦後サヨクの特徴である。会田雄次が嘆いていたように、その原因は「アメリカのピューリタン風建前民主主義と社会主義という日本の伝統的精神風土と全くそぐわないものを何の反省もなく受け入れた」(『たどり来し道』)からなのである。その二つの勢力が対立や結託しながら、戦後の日本の言論空間を支配してきた。全面講和運動、反安保騒動を繰り広げてきた背景には、常にそうした背景があった。そのスローガンはいつも「戦争がおこる、いやファシズムになる、帝国主義の手先になる」であり、一体私たちは何度聞かされたことだろう。会田に言わせると「途方もなく愚劣な運動」が日本中を荒れ狂ったのである。相も変わらず、そんな人騒がせなことをしている連中が、まだまだいるのだから驚きだ。自らを「著名な言論人」を名乗っているあたりが滑稽である。所詮はテレビやラジオに出たことがあるというだけで、自分たちを別格扱いしていい気になっている。不安を煽りたてているのが「日刊ゲンダイ」となれば、もはや漫談のレベルである。日本ほど言論の自由な国はない。一国の総理大臣を公然と罵倒することも許され、天皇陛下だってその例外ではない。お隣りの中共や韓国はそうではない。日本人でありながら日本を憎む自称「著名な言論人」は、かつての進歩的文化人の縮小再生産でしかないのである。

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「神聖を求める心」が保たれて来たのは天皇陛下のおかげだ!

2015年02月11日 | 思想家

今日は建国記念の日。神武天皇が橿原の宮にて御即位された日である。「建国をしのび国を愛する心を養う日」として昭和41年に定められた。天皇陛下を中心にしてまとまってきたのが日本の国体であった。それがが日本人のアイデンティティとなってきたのである。葦津珍彦が『近代民主主義の終末』で述べているように、「人間は、誰もが神聖なものを求めている。高貴なるものを求めている。それは、人間が神聖ではなく、崇高でなく、心中にいつも罪とけがれのさけがたい存在であることを深く知っているから」だ。そして、葦津に言わせると「日本では、遠く悠久の古代から祓いが行われ、祭りが行われて、民族の中にこの『神聖を求める心』が保たれて来た」のであり、その代表的な存在が陛下であらせられるのである。陛下がおられたからこそ、日本人の間に「神聖を求める心」が代々受け継がれることになったのだ。しかも、祭り主としての陛下は「常に御精進なさり、神に接近すべく努力されるばかりでなく、天下万民に対してもいろいろと進言することをもとめられる御方なのである」からこそ尊いのである。昭和天皇の「日々のこのわが行く道を正さんと かくれたる人の声をもとむる」との御製を紹介している。先の戦争で天皇陛下の名のもとに死ぬことができたのは「神聖を求める心」が日本人に脈打っていたからだ。それは同時に、人間としての謙虚さであり、他者を思いやる心であった。和を尊んできたのも日本の国体を抜きには語れない。建国記念の日は、それに思いをいたす祝祭日でなければならいのである。

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