草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

アメリカには世界全体の配分の公平を図る責任がある!

2015年02月10日 | 国際問題

テロリストやそれを支援する国家が主張するのは、現状の変更であり、それによってメリットを受けることである。平和が保たれるには秩序の安定が前提であったとしても、あるべき姿は公平な安定にもとづくものでなければならない。公平さを重視する側は、当然のごとく秩序の変革を求めるのである。それを正面から論じたのが尾高晴雄であった。戦後間もない昭和30年に出した『法の究極に在るもの』で取り上た。尾高は国際連合がその憲章において、現状変更に関する文言がないことに関しては、一定の理解は示している。「現状変更の可能性を正式に認めることによって紛糾をかもすよりも、現状をそのままにして置いて、平和の確立に全力を注ぐ方が急務であるという、きわめて現実的な考慮がそこに働いているとするならば、国際法の過去の受難史に鑑みて、その態度にも充分な理由があるといわなければならない」。しかし、尾高は「国際関係の配分が不公平であってよいのでは決してない」と主張する。平等の権利は国内のみのとどまらず、国際的にも認められるべき価値であるからだ。とくに、尾高がこだわったのは国際経済における大国の役割であった。今のアメリカは世界の経済を自分たちの思いのままに操ろうとしているが、それへの警告も含まれている。アメリカを名指ししてはいないが「その国家の経済上のヘゲモニイには、与えられた条件の下にできるだけ世界全体の配分の公正を図るという最も大きな責任がともなわなければならない」と書いた。「国家を単位とする国際政治と国境を越えた世界経済との調和」という尾高の問題提起を踏まえなければ、世界は戦争とテロがより深刻になるのであり、ここは英知を集めて打開策を講じなくてはならないのである。

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安倍談話は戦後の言論空間を打ち破る第一歩にすべきだ!

2015年02月09日 | マスコミ評

戦後70年の安倍首相の談話をめぐって、マスコミは足を引っ張ることしか考えていない。彼らの頭にあるのは中共や韓国であり、そこからの批判を異常に恐れている。いやそれを口実にして、戦後の言論空間を守り抜こうとしているのだ。しかし、本当にそれでよいのだろうか。江藤淳が指摘していたように、戦後の日本は言葉すらも奪われたのである。大東亜戦争ではなく、大平洋戦争と呼ぶことを強いられ、それによって自分たちの物語も否定されてしまったのだ。『自由と禁忌』のなかで江藤の切実な叫びを我々は思い起こすべきではないだろうか。言葉が使えなくなることは、地理や歴史も縁遠くなることであった。それは「言葉につながるふるさと」の喪失でもあったからだ。「たしかに『日本』も『ふるさと』も、そこにあるといえばあるともいえる。しかし、今や誰もが、作家でさえも、自分がそれを所有しているという切実な感覚を持ち得なくなっているのである」「この国土も郷土も、自分のものであってしかも自分のものではない。その国土と郷土が形成する地理的空間に堆積する歴史的時間もまた自分のものであってしかも自分のものではあり得ない。なぜなら、経験が奪い取られたとき、その経験を成立させて来た空間も同時に奪い取られてしまったから」。今予定されている安倍談話は、そこから抜け出るための、第一歩でなければならないのである。

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ISISの日本人殺害で賢明な判断を下した日本国民!

2015年02月08日 | マスコミ評

政府が渡航をしないように呼び掛けている海外の危険な地域に渡航した場合に、テロや事件に巻き込まれた責任は本人にある。そう考えている国民が圧倒的であり、それが一般の常識ではないだろうか。読売新聞が6日から7日にかけて行った全国世論調査で明らかになったもので、予想された通りの結果であった。マスコミ関係者がいかに抗弁しようとも、国民は健全な判断を下したのである。国家の使命を帯びて危険な地域に派遣されるのと違って、自ら飛び込んで行った今回の件などは、日本という国家に大変な迷惑をかけた。しかも、殺害された二人は、ジャーナリストの下請けのような仕事をして、それで金を稼いでいた。テレビ朝日などは取材費を払っていたとみられる。自分たちは行かずに、彼らを利用した手前、後ろめたさもあって、二人を英雄にしたかったのではないだろうか。グローバル化が進み、日本も否応なくテロの標的になる可能性がある。国家が国民の生命を守る責任があるのは確かだが、その一方で国民の良識が求められる。マスコミの異常な加熱報道は目に余る。安倍首相憎しだけで、全てをそこに結び付けようとしている。後藤健二さんが死地に赴く覚悟を宣言し、そのための保険も入っていたことは、それなりの覚悟があったからだろう。かつての大陸浪人が志半ばで倒れたのと重なってならない。違うのは平成の世にはネット動画でさらし者になるということだ。テロリストに捕まったらお終いなのである。 

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保守派言論の根本はコモンセンスであり「トピカ」だ!

2015年02月07日 | 思想家

ブログのアクセス数が300万を突破した。声なき声の一つとして、保守派の立場を主張してきたことが、一定程度評価されたのではないかと思う。刻々と変わりいく状況のなかで、どこの党派にも属さず言論戦を挑むことは、ある意味で無謀であるかも知れない。地方に暮らすというハンディは拭い切れない。それでも、読んでくれる人たちがいるのは、日本人のなかにコモンセンスがあるからだろう。一つのイデオロギーで物事を判断するのではなく、バランス感覚や倫理的な物の見方を重視する。おのずとそれで結論が見えてくるのである。中村雄二郎は『死と生のレッスン』において、ヴィーコの「トピカ」について「各人がそれぞれの言語学的記憶を駆使し、それを組み合わせることによって具体的な問題を解決するための方法」と書いている。さらに、その説明にあたっては、アルベルトゥス・マグネスの「記憶というものは、現在の振舞いや未来への賢明な期待をめざして過去の物事を想起するために使われるときには、賢慮になる」との言葉を紹介しながら、「記憶それ自体はまだ魂の感性的部分にとどまっているが、想起の働きは魂の知的部分に属するというわけである。したがって、現代的に言いなおせば、賢慮とは、各人が記憶の底から浮かび上がらせたさまざまな知識を、実践のために全人格的に統合したものだということになる」と解説している。コモンセンスこそが問題解決の根本だというのだ。イデオロギーに束縛されて、物が見えなくなっている時代にあっては、謙虚な姿勢を過去から学ぶべきなのである。

 

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マスコミにそそのかされシリアに渡航寸前だった大学生!

2015年02月06日 | マスコミ評

後藤健二さんを英雄にしようとする人たちがいる。それはテレビや新聞などのマスコミだが、後藤さんと個人的に付き合いがあったからだろう。後藤さんのような人がいなければ、真実は報道されないと言うにいたっては、あいた口がふさがらない。だったらば自分が行けばいいのである。それもしないで何を主張したいのだろう。早速、愚かな大学生が現れて、シリアへの渡航寸前であったことが明らかになった。NHKが報道したもので、能天気な意見に触発されたのだろう。その大学生はイスラム過激派のISISとメールでやり取りし、ノコノコ出かけて行く算段をしていたのだから、手がつけられない。ISISの関係者から取材をしようとの目論見もあったようだ。しかし、許せないのは間違った情報をたれ流し、日本政府がちょっかいを出さなければ、日本人は何もされなかった、と曲解しているマスコミである。後藤さんとてあの世で後悔をしているに違いない。テロとの戦いは、勝つか負けるかである。まさしく戦争なのである。やったらやり返すしかないのである。憲法の制約がある日本としては、触らぬ神に祟りなしだ。危険な地域に足を踏み入れれば、命がいくつあっても足りない。巻き込まれれば、日本政府が乗り出すことになり、大変な迷惑をかける。現実を直視せず、間違った情報を鵜呑みにすれば、とんでもない結果になる。ためらいもなくISISにメールしたのは、能天気なマスコミの言葉を信じたからだろう。彼らがどんなことを口にしたかは、後日、徹底的に検証されるべきだろう。無責任にもほどがある。

 

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テロリストに迎合したマスコミと冷静な判断をしたネット言論!

2015年02月05日 | ネットの世界

そもそも日本のマスコミはいい加減なのである。テレビ朝日の報道ステーションに対して、外務省が訂正を要求をしている。安倍首相の中東訪問や、エジプトでの政策スピーチが、外務省の意に反して行われたかのように報じられたからだ。安倍首相の暴走によって、結果的に日本人二人が殺害された。そうした印象操作をしたのは明らかであり、あまりにも酷過ぎた。テロリストを利することにもなりかねないので、外務省も抗議をすることになったのだろう。外務省がそこまで反撃できたのは、ネットで安倍首相擁護の声が上がったからだ。報道ステーションは早い段階から問題視され、多くの書き込みがあった。声なき声が日本国民を結束させ、テロリストに身構えることになったのである。日本のマスコミは押し並べて、ジャーナリストであれば何でも許される、と勘違いしている。さらに、反権力を装うのが正義だとも。今回もまたそのスタンスで国民をミスリードしようとした。しかし、ネットは違っていた。インテリでもない、学者でもない者たちの方が、冷静な判断をして安倍首相をバックアップした。「ネトウヨ」とか「安倍信者」とか罵倒されながらも、テロリストの代弁者を許さなかった。ネットでの意見は玉石混淆ではあっても、大筋において日本国民の声を代弁している。テロリストは日本が毅然とした対応したことで、身代金要求の誘拐が無駄であることを思い知ったはずだ。いかなる脅迫や暴力にも屈せず、いざとなれば結束するのが日本国民なのである。

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ISISの宣伝に利用された安倍批判の官邸前デモ!

2015年02月04日 | 安全保障

わずか百人か二百人の官邸前のデモを持ち上げたのは誰だったか。結局それはISISの宣伝材料に使われた。マスコミは後藤健二さんの救出を求めての動きであるかのように伝えたが、何のことはない、安倍政権を批判する一連のデモの延長でしかなかった。ISISに向けてのメッセージはなく、安倍首相を悪者にして溜飲を下げただけなのである。二人の日本人が殺害されたことを憤っているのではない。戦後日本の言論空間は常識を逸していた。徹底した自虐史観を教え込まれたおかげで、日本人のアイデンティティーを失い、自らの生存についても、他国を頼りにするようになった。ようやく戦後70年にしてそれから脱却しつつあるが、マスコミには未だに根強く残っている。若い世代を中心にしたネットが反撃して、かろうじてバランスが取られているのが実情だ。1991年のソ連の崩壊以降、日本のサヨクが最後の砦としたのは憲法9条である。本来の革命政党であれば、全人民総武装でなければならない。あえて平和勢力を名乗ることで、生き残りを策したのである。安倍首相はアメリカなどとは一線を画し、後方支援も行わないことを表明している。あくまでも人道支援に限定をしている。ISISはそれを承知していながら難癖を付けてきたのだ。それにしても、日本のマスコミとサヨクは、日本と日本人をどこまで貶めれば気がすむのだろう。

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大量殺戮を招来した知識人を批判した永井陽之助!

2015年02月03日 | 思想家

永井陽之助を読む直すべきではないか。とくに、彼が昭和60年に東京工業大学で行った最終講義は、多くの示唆を与えてくれる。「20世紀と共に生きて」と題するもので、永井は「知のグノーシス主義」として、パズルを解くようにして世界を解釈する者たちを痛切に批判した。彼らがもたらした悲劇を、リアリスト永井は直視した。20世紀は大量殺戮の時代であったからだ。「ヨーロッパ内戦といわれる第一次大戦で約1300万人、第二次大戦で5000万人、さらにスターリン、ヒトラー、毛沢東からクメール・ルージュにいたる政治体制下の、ラーゲリや強制収容所の生き地獄で傷つき死んでいった政治の犠牲者は、すくなく見積っても、億の単位に達することはほぼ確実である。故周恩来首相がかたったと伝えられるように、中国の文化大革命の犠牲者だけでも、日中戦争の犠牲者の数をはるかに上まわるといわれている」。イデオロギーが人々を大量殺戮に駆り立てたのであり、その最たるものがマルクス主義であった。イスラム過激派もその範疇に属するのはいうまでもない。これに対して、永井が示した処方箋は傾聴に値する。「われわれは、よりよい状態を夢見て、この地上に楽園を創りだそうとするまえに、より悪しき状態におちこむことを回避し、現実を少しでもより耐えやすいものにするには、何をなすべきか、また何をなすべきではないかを真剣に考えるべきときなのである」。保守主義の原点がそこにはあるのを、我々は再確認すべきだろう。


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テロに屈すればかえって日本がターゲットに!

2015年02月02日 | 安全保障

ISISによって後藤健二さんが殺害された。そのショッキングな映像がネットで流れた。早速、それに飛び付いたのがテレビである。ISISの宣伝をして、その犯行声明の全文を朗読した局まであった。一体どちらの立場に立っているのだろう。そして、相も変わらぬ日本政府批判である。ボタンの掛け違えとか、不手際とか重箱の隅をつつくのに必死である。今問題にすべきは、そうしたテロリストに情報を流したマスコミ関係者がいなかったどうかだ。直接メールでやり取りしていた記者のなかには、不心得者がいたとしても、不思議ではない。公安や警備はその点にも目を光らせるべきだろう。日本にはきちんとしはスパイ防止法がない。スパイはやりたい放題なのである。残忍この上もないテロリストをまともな集団であるかのように報道し、日本政府を槍玉に挙げる。まさしくテロリストの思う壺である。さらに、お花畑では日本国民の安全は守れない。テロに立ち向かう勇気もなければ、日本はもっと深刻な目に遭うだろう。しかし、マスコミとは違ってネット言論は立派であった。首相官邸前で騒ぎ立てるのではなく、冷静に対応したからだ。不幸な結果になったのは、最初から殺害を予告していたテロリストのせいであり、暴力や脅迫に屈っしてしまえば、かえって日本がターゲットになるだけなのである。

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所得の分配に重点を置くピケティの思想は昔からあった!

2015年02月01日 | 経済

トマ・ピケティの『21世紀の資本論』については機会をみて精緻な分析をしてみたいが、経済成長よりも所得の分配に重点を置く経済政策は、何も新しいことではない。それを無視してかかると、社会は大変なしっぺ返しを受けるからだ。吉川洋は『構造改革と日本経済』において、戦後の日本でも論争になったことを紹介している。昭和34年には経済学者の中山伊知郎と都留重人の間で、所得倍増をめぐっての応酬があった。推進派の中山に対して、都留は経済成長が進めば、格差が深刻になると批判したのである。「日本の経済は今までどおり独占的大企業を強め、中小企業の企業主や労働者をしぼりあげる方向に進んでいくだろう。生産性のおそい農業も、おのずから取残されていくだろう」(朝日ジャーナル昭和34年7月19日号)と主張したのである。しかし、その予測ははずれた。経済成長によって日本は、世界に例のない平等な社会につくりあげたのである。ピケティに言わせると、それは第二次世界大戦で日本の旧体制が崩壊したために、新たな勢力の台頭の場となったからであり、経済成長の果実とは言えないかも知れない。そうであっても最低2パーセントの成長を達成しなくては、富は行き渡らないのではないだろうか。停滞は所得の再分配すら難しくするからだ。吉川もそこで指摘しているように、日本が豊かになったからこそ、平均寿命が世界一になったのである。さらに、日本社会特有の共助の意識が、政治の分野で働いたことも否めず、アメリカやヨーロッパ社会を見るような価値尺度ではなく、新たな視点が大事になってきているのではないか。ピケティはそれを議論する素材を提供してくれたわけだから。

 

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