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草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

上級国民の役者のくせに反体制を気取る佐藤浩市を嗤う!

2019年05月15日 | 世相

佐藤浩市の一言が物議を醸しているが、反体制を口にするなどというのは、まさしく喜劇である。役者のくせにそれも理解できないのだろうか。年齢が50代であれば、とっくの昔に学生運動は終わっている。その後に生まれた者が、体制とか反体制とか話題にするのは、おこがましい話なのである▼ポーズとして反体制がかっこいいと思ったのは、せいぜい60代半ばから上である。その下の世代の意識はそうではなかった。親が役者だからといって、それを継ぐことしかできなかった者が、偉そうなことを言うべきではないのである▼宮本顕治が死んでからの日本共産党も、変質してしまった。不破哲三は構造改革派で、革命家ではない。今の日本のどこにも反体制勢力などいない。過激派と呼ばれた中核派だって、かつての面影はどこにもない。そんななかで、すでに消滅した空気なるものに忖度して、くだらないことを口走って、それでネットが炎上したのだから、あまりにも愚かである。安倍首相をこきおろすにしても、難病にかかっているのを持ち出して、それで笑いものにするのは、人間として最低である▼役者が反体制に近かったのは、と呼ばれた時代である。今の世の中においては、それこそスターであり、庶民には考えられない暮らしをしている上級国民だ。そんな手合いが反体制であるわけないのである。

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米中貿易戦争がエスカレートすれば世界経済は破局へ!

2019年05月15日 | 経済

アメリカも中共も自国のことを優先して、大国としての責任を果そうとしていない。これでは国際秩序は崩壊し、世界経済は破局を迎えることになるだろう。アメリカファーストを掲げるトランプと覇権国家を目指す習近平は、貿易戦争をエスカレートさせている。争いはときとして予測を超えた事態を生み出すことになる。お互いに歯止めが効かなくなってしまうからだ。最終的にはどこに向かうか、誰にも予測が付かない▼昭和30年に尾高朝雄は『法の窮極にあるもの』を世に問うた。とくに尾高は第7章の「国際法の窮極に在るもの」で、目指すべき国際社会の姿を思い描いた。先の大戦の反省を踏まえて「世界経済の指導中枢を設け、すべての国家間の生産や配給の計画を鳥瞰的に樹立」し、「弱小国家の生活もひとしく人間の人間らしい生活の水準に近づいていくこと」を説いたのである。それは大国のヘゲモニーを否定したのではなかった。それを一応認めつつも「世界全体の配分の公正を図るという最も大きな責任」を果すことを主張したのである▼グローバリストは国家の存在自体を否定しているが、それは間違った考えである。「各国家を法の前に平等な主権国家として取りあつかうという国際民主主義の建前を堅持する」ことが求められており、我が国はその立場から、アメリカや中共を説得すべきなのである。

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中国の台湾侵攻と我が国への浸透工作を許してはならない!

2019年05月14日 | 安全保障

与野党を問わず、日本の政治家は平和ボケである。産経新聞の13日付のネット版が、台湾の与党頼清徳前行政院長のインタビューを掲載した。そこでは台湾が危機に直面していることを訴えていたが、それ以上に「中国は日本に対しても浸透工作を行っているため、日本との協力体制をしっかりと構築する。国際社会と協力し、中国の民主化も促していきたい」と述べたことは衝撃的であった▼台湾が人的交流の拡大などによって、中国の影響力が高まっているのは分かるが、日本も深刻だというのだ。だからこそ「中国は日本に対しても浸透工作を行っているため、日本との協力体制をしっかりと構築する。国際社会と協力し、中国の民主化も促していきたい」と述べたのである。台湾の政治指導者が日本を心配してくれているのだ▼台湾にもしものことがあれば、東アジアで我が国は孤立する。アメリカと一緒になって台湾を守り抜かなければ、日本の安全は風前の灯なのである。全体主義国家は平気で人々の自由を奪う。現在のウイグルの人口は約1千万弱だといわれる。驚くなかれ、その3分の1が収容所にぶちこまれているのだという。台湾の人々が抵抗しているのは、第二のウイグルやチベットになりたくないからである。それは明日の我が国の姿なのである。台湾を死守しなければ、我が国はウイグルやチベットと同じ運命を辿ることになるのである。

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日本人の内発的な力の有無が試されるのが令和の御代だ!

2019年05月14日 | 思想家

明治から令和の御代の今日まで、我が国は外圧によって変化を強いられた。欧米列強の侵略に対抗するには、富国強兵を選択する以外になく、開化に全力を傾注するしかなかった。それは今も変わらず、グローバリズムと呼ばれるようになっただけなのである。そこで問題になってくるのは、我が国の開化なるものは、内発的ではなく外発的だということだ▼夏目漱石は明治44年8月に和歌山県で行った「現代日本の開化」という講演会で、そのことを取り上げて論じている。「現代日本が置かれたる特殊の状況によって吾々の開化が機械的に変化を余儀なくされるためにただ上皮を滑って行き、また滑るまいと思って踏張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか憐れと言わんか、誠に言語道断の窮状に陥ったものであります」▼西洋と肩を並べようと必死に努力するほど「路傍に呻吟」することになるのだ。未だに我が国の学問は「西洋の新しい説などを生噛りにして法螺を吹く」のが主流なのである。とくに文科系の学者にいたっては、語学力が全てであり、西洋の思想家の著書を邦訳することが最大の仕事なのである。自分の頭で考えるような学者は、それこそ柳田國男や西田幾多郎などほんのわずかである。そろそろ追いつけ追い越せではなく、日本人の内発的な力の有無が試されるときではないだろうか。

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安倍首相は高支持率の今こそ衆参同時選挙で憲法改正を!

2019年05月13日 | 政局

もはや野党の「アベガ―」では、倒閣など夢のまた夢なのである。日本経済新聞とテレビ東京が10日から12日にかけて行った世論調査の数字では、安倍内閣の支持率が55%となった。3月下旬のときよりも、7ポイントもアップした。これだけ高水準であれば、安倍首相は衆参同時選挙を決断し、憲法改正にまっしぐらに突き進むべきだ。「平成」が終り「令和」の御代を迎えたことで、国民の意識が変わったのである。まともな政策論争をせず、「モリカケ」を追及することしかできない野党の体たらくを、国民は許さないのである▼今回が千載一遇のチャンスであり、安倍首相が救国の政治家であるならば、ここで勝負に出るべきだろう。自民党の国会議員の多くは、憲法改正などどうでもいいと思っている。連立政権を組んでいる公明党の意向も無視できない。仮令そうであっても、安倍首相はリーダーシップを発揮すべきなのである▼福田恆存が「当用憲法」と呼んだのは、さしあたって用いられるだけの、急場しのぎであったからだ。それに手を付けずにきたのは、政治の怠慢以外の何物でもない。運命の女神を味方に付けるためにも、少しは荒っぽくても、安倍首相は果敢に挑戦すべきだ。尻込みしてそれができないようであれば、真の意味で祖国を取り戻すために、私たちは安倍首相と自民党に見切りをつけるしかないのである。

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自らの死をもって国民に警鐘を鳴らした沼山光洋氏を悼む!

2019年05月12日 | 祖国日本を救う運動

靖国神社近くの路上で昨日自決された沼山光洋氏とは、お会いしたこともなければ、その名前さえも存じ上げなかった。令和の御代になっても、押し付け憲法を改正できず、日本の国柄を取り戻せない現状を憂いて、自らの命を捧げたのではないかと思う。ご冥福をお祈りしたい▼靖国会の事務局長をされたということで、そのホームページを読ませてもらうと「靖国神社国家護持・国家祭祀」「天皇陛下御親拝」「自主憲法制定、主権在君、天皇陛下国家元首」「極東軍事裁判の否定および所謂『戦犯』と汚名を着せられた忠霊の名誉回復」「真の主権回復」というスローガンが並んでいた▼沼山氏の死について、田母神俊雄氏は「彼は日本国民の愛国心が足りなくて天皇陛下の靖国御親拝の環境が整わないことは天皇陛下に申し訳ないといつも言っていた。彼は命を懸けて国民に警鐘を鳴らしてくれた。立派な侍だった」とツィートしている▼靖国神社の敷地内でなく道路で、しかも人目に付きにくい時間帯を選んだのは、日本民族の危機を憂いて、昭和44年2月11日に国会議事堂前で焼身自殺をした江藤小三郎と同じであった。三島由紀夫は江藤の死を「一人の青年がテレビの前でもなく、観客の前でもなく、暗い工事場の陰で焼身自殺した。そこには、実に厳粛なファクトがあり、責任があつた」と評価し、自らも昭和45年11月25日の義挙に及んだのだ。江藤の「神命により不生不滅の生を得む」とした「覚醒書」の精神は、今でもなお日本人の心に息づいているのである。

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選挙に勝つため自分の歌を忘れた立憲民主と国民民主!

2019年05月11日 | 選挙

いくら自民党であっても、絶対ではないわけだから、対抗する野党に頑張ってもらいたいという気がしないでもないが、立憲民主党や国民民主党はあまりにもいい加減である。共産党や社民党に擦り寄って、一体何をしたいのだろう▼国政選挙で勝つためには、反自民でまとまるしか能がないのだろう。我が敬愛する花田清輝は『乱世をいかに生きるか』に収録された「小心翼々」で、ただただ野合するしかない者たちをこきおろした。サント・ブーヴの言葉を引用して、無原則な統一戦線の危うさを問題視したのである▼「大声をあげると微妙なバランスがやぶれて、さっそく、なだれをうって崩壊しはじめる鉱山の坑道やアルプスの危険な道路のように、もしも人々が本当のことを大声でしゃべりだしたなら、社会というやつは、一瞬といえども持ちこたえることができず、たちまち大音響を発して根底からひっくりかえってしまうにちがいない」▼昔統一戦線と呼ばれていたことは、今では反自民の選挙協力である。参議院選挙が近づくにつれて、立憲民主党や国民民主党は、共産党や社民党に足並みを揃えつつある。政策的なことをお互いが論じれば、まとまることは難しい。それを避けるには、棚上げにするしかない。下手なことを口にすれば、一変で選挙協力は空中分解をする。本音を口にできないわけだから、国民から支持されるわけはないのである。

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日本の左翼とリベラルは科学とは無縁なカルト信者だ!

2019年05月10日 | 思想家

シーラカンスのようなイデオロギーが未だに力を持っているのは、科学とは無縁な信仰であるからだろう。その典型が特定アジアへの日本の左翼やリベラルの媚びへつらいである。今もなおその前提になっているのは、中共や北朝鮮が民衆に支持されているという幻想である▼団塊の世代などは、70歳を過ぎようとしているにもかかわらず、そこから一歩も抜け出せないでいる。中共によるウイグルやチベットでの民族殺戮、北朝鮮の核武装について、面と向かって批判することができないのは、カルト信者特有の思い込みがあるからだろう。労働者の権力を口にしながらも、両国とも一党独裁の全体主義国家なのである▼エイモント・バドラーの『ハイエク自由のラディカリズムと現代』(鹿島信吾・清水元訳)で、カール・ポッパーの「科学的方法の本質的同一性を主張する信頼すべき理論」に関して、分かりやすく解説していた。「すべての科学は予測と検証の過程である。予測と検証の過程とはつまり、仮設として提出された理論が精密に検討され、足りない点が発見されれば退けられる、ということをさす」▼社会科学が科学として成立するかどうかは、それを踏まえているかどうかなのである。マルクス主義はキリスト教の終末論に根ざした信仰でしかなく、それを日本共産党が「科学的社会主義」と名付けるのは、あまりにもおこがましいことなのである。

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滋賀県にきて大津の予科練にいた若き日の父を思う!

2019年05月09日 | 祖国日本を救う運動

今滋賀県の草津のホテルに滞在している。近くの大津の予科練にいたといわれる父のことを考えると、涙がこみあげてならない。出撃ならず、会津に帰ってきた父は、一年間は何もできず、釣りばかりしていたという▼その父は36歳でこの世を去った。酒の飲み過ぎであった。いくら普通の暮らしをしようとしても、極限を生きた者の悲しみから、抜け出すことができなかったのだ。まだ幼かった私は、父の予科練時代の話を聞くことはできなかった。どこで何をしていたかは、まったく分からない。かすかに記憶に残っているのは、琵琶湖の近くにいたということと、飛行帽と刀をもって、夏の暑いなか、東海道を帰ってきたというだけである。年齢から推測すると、甲飛12期生か甲飛13生であった可能性が強い▼予科練に入学を許されても、飛行機乗りになるのは難しかった、とも語っていた。その難関を突破して、赤トンボでの訓練が終わり、いよいよ特攻に飛び立つ寸前でに敗戦になったのである。新米であっても、海面すれすれに飛べばよいと指導されたのだった▼予科練の若者の死をせせら笑う人たちがいる。彼らが飛び立っていく姿を何度も目の当たりにした父は、自分も後に続こうとした。祖国を守りぬこうとした使命感を、誰が笑うことができるだろう。

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「一人の例外もなく不寛容な」進歩派批判した福田恆存!

2019年05月08日 | 思想家

未だに日本のジャーナリズムを支配している進歩派は、あまりにも偽善的である。通り一遍の「平和」「博愛」などの万人受けする言葉を並べ立てて、世の中を動かせると思い込んでいる。これは昨日、今日始まったことではない。戦後の言論空間はほぼ進歩派の独壇場であった。その影響が未だに残っているのだ▼多勢に無勢であることを知りながら、あえて言論で立ち向かったのが保守派論客の福田恆存であった。『日本を思ふ』に収録された「進歩主義の自己欺瞞」は、進歩派の痛いところを突いている。進歩について福田は「最も良き場合においてさへ、それ自身に固有の必要悪を伴ふと同時に、最も悪しき場合においてさへ、それ自身に固有の必然善を伴ふ」と書いた。リアリストならではの見方である▼福田によれば、進歩派は「人間の本質が二律背反であること」に目を向けず、他の意見に耳を傾けることができないのである。だからこそ「一人の例外もなく不寛容」なのであり、お高くとまっているのだ。朝日新聞の論調のように「自分だけが日本の、世界の未来を見とほしてをり、万人が自分についてくるべきだと確信して」おり、少しでも逆らう者がいれば「ネトウヨ」と罵倒するのである。言論活動を活発化するためにも、戦後の長きにわたって自分たちの春を謳歌してきた者たちに、私たちは引導を渡すべきときなのである。

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