つれづれなるままに

日々の思いついたことやエッセイを綴る

躰道部の演武披露

2010年05月16日 | 躰道
               躰道部の女子団体法形演武(東京国際大学)

東京国際大学の昼休みを利用して躰道部はクラブ紹介の演武会を開催していた。
キャンパスの広場に畳を敷いて躰道の実技と法形を披露していた。
一般の学生たちは周りを囲むように躰道の演武を見ていた。

演武のプログラムは、
まず躰道の基本となる運身動作から入り、旋技、運技、変技、捻技、転技を披露。
次に試割板を利用して、躰道の技がどのように目標に当てていくのかを説明。
乱戦攻防では、主演の一人が脇役の5名に対して攻防を展開するもの。
動いている途中で、見学中の学生が笛を吹くと同時に技を出して目標の試割板を割っていくもの。
躰道の多角的な実技がよく分かり、拍手が沸き起こっていた。
最後は女子部員による団体法形が華麗に演じられた。
多くの学生たちに躰道をアッピールできたことであろう。

(5月16日記)
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全日本躰道選手権大会

2010年05月15日 | 躰道
             第2回全日本躰道選手権大会パンフレット

全日本躰道選手権大会は、第1回は昭和42年11月19日に町田市民体育館で開催された。雨が降る寒い日であったが、試合会場は熱気に溢れていた。
歴史に残る第一回選手権大会。
作家・作詞家として活躍していた川内康範氏は、躰道の模範演武を披露した。
「月光仮面」の原作者であり、テレビドラマで祝嶺正献最高師範との交流が始まった。
開会式の席上において、川内康範氏に段位授与式が実施された。

第2回全日本選手権大会からは、千駄ヶ谷駅前の東京体育館に会場を移して毎年開催されてきた。
第2回大会のパンフレットの表紙の写真は5枚とも国際商科大学の躰道部員をモデルに撮影したもの。
辻内健、新村篤、和田誠、田中弘幸、岡本勇、原透、池内和彦のメンバーだった。

(5月15日記)
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第一回全日本躰道選手権大会パンフレット

2010年05月14日 | 躰道
                 第一回全日本躰道選手権大会パンフレット

このパンフレットは躰道にとっては貴重な資料である。
1967年(昭和42年)11月19日に初めて躰道の第1回全日本選手権大会が開催された時のもの。
表紙の写真は、祝嶺正献最高師範が国際商科大学(現東京国際大学)の第1期生躰道部員をモデルに撮影したもの。
上部が池内和彦(現躰道八段範士)、下部にいるのが原透君である。
素晴らしいシャッターチャンスで捉えている。
この写真は、大会ポスターや演武会等の資料にも掲載された。

躰道には5つの基本技がある。
旋技、運技、変技、捻技、転技の基本五技である。
(運技)は躰軸が演武軸に平行な状態にあり、前進後退の運動を行なう。ただし、躰心の軌跡はつねに同一水平面上を移動することなく、上前方、下前方、または、下後方、上後方へ階段状の昇降運動を行なう。

■写真「運体飛燕突き」説明(上方)
 地面を強く蹴って、飛燕の如く飛び上がり、逃げようとする相手の身体目掛けて、落下すると同時に鋭い突きを加える。

(5月14日記)
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東京スカイツリー(5月)

2010年05月13日 | 日記
                  東京スカイツリー(10年5月)

建設中の東京スカイツリーの見学はゴールデンウイーク中かなりの人が集まったようだ。
現在の高さは368mで、第一展望台のところまで積みあげられてきた。

建設中の見学はまた一味違った感覚である。
完成したら高さは634mとなりそれまでである。
今は、高いスカイツリーを見学するスカイバス観光に人気があるようだ。
二階建てのバスで天井が無くオープンとなっているので、東京スカイツリーがどこからでも良く見える。バスで移動しているのでいろいろの方角から見物できるところがいいようだ。

大塚駅近辺の空蝉橋の跨線橋から写真を撮った。
先月よりか高くなっているのがよく分かる。
東京スカイツリーの竣工は来年12月。開業は再来年の春とのこと。
新しい名所である東京スカイツリーの建設状況に注目している。

(5月13日記)
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秋山郷(8) 長野県栄村・屋敷(里山風景)

2010年05月12日 | 日記
                  秋山郷の里山・屋敷(栄村)

秋山郷の屋敷は、山田重幸さんの実家のあるところ。
5年前までは山田重幸さんのお父さんが一人で住んでいたが、亡くなってからは誰も住んでいない。
山田重幸さんは、家の高台にカメラを設置して、埼玉の家にいても実家の管理状況が分かるように設定している。

屋敷の旅館秀清館には、温泉の内風呂と露天風呂がある。昔から平家の隠し湯とか弘法の封じ湯などと言われてきた温泉。目の前を中津川の清流が流れ、秋には燃える紅葉を見ながらの露天風呂が爽快。足湯はちょっと熱いくらい。長く入れていると慣れてくる。全身が温かくなってきて肩の凝りもほぐれるよう。

山田寿章さんが里山風景として油彩を描いたそのままの景色が眼前にありました。
四季折々の変化を表す秋山郷の屋敷。
秋の紅葉シーズンは全山錦秋の彩りで目の保養として楽しめるところです。

(5月12日記)
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秋山郷(7) わさび採り

2010年05月11日 | 日記
                   山の斜面を利用したわさび田

秋山郷の屋敷の山の斜面に山田重幸さんの家のわさび田がある。
山田重幸さん、白鳥勝彦さんの3人でわさび採りに行った。
その場所まで行くのが大変であった。
山の斜面の道が無い場所を一歩一歩進んでいく。
足を滑らせたら谷底の中津川まで落ちてしまうので命がけであった。

わさび田は上から流れてくる水のところに斜面になっていた。
わさびの根を採りにいくつもりが、その時はわさびの花が咲いていたので茎から採ることにした。
山田重幸さんは慣れているからどんどん摘んでいく。

斜めのところなので、まず足場を確保することが一番で安定したところでわさびの花を少しづつ摘んでいく。
ハンカチを結んで袋を作り、その中にわさびの花を入れていく。
いっぱい摘んだわさびの花を束ねて片手に持ち今来たところを帰っていく。
行きは両手を使用できたが、帰りは片手に摘んだわさびの花を持っているので、反対側の片手で身体を確保しながらゆっくりと進んでいく。
足元と身体のバランスを崩さないように慎重に一歩一歩進んで行く。
片道500m以上あるところの山の行程は無事に帰ってきたところで安堵した。
大変難儀をしたわさび花採りは、とても怖い思いもしたが、帰ってきてから食卓のときの話が盛り上がり楽しい思い出となった。

(5月11日記)
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秋山郷(6) 蕗のとう

2010年05月10日 | 日記
                      蕗のとう

秋山郷を車で移動している時に、白鳥智佐子さんが「あっ 蕗のとう!」と歓声をあげた。
車を止めて、道端に顔を出して黄色の花を咲かせている蕗のとうを見た。
思わずカメラを取り出して蕗のとうを撮影した。

その後もたくさんの蕗のとうが道の両脇や山道に芽を出しているのを見た。
皆で蕗のとうの山菜採りに一生懸命にトライした。
ビニール袋と紙の袋にいっぱいになるまでの収穫であった。

水洗いした蕗のとうは、味噌とみりん、砂糖、醤油の調味料を混ぜて食べると美味しい。
また、味噌汁の具としても使用できる。
蕗のとうの収穫は食卓を賑わせるとともに、貴重な体験となった。

(5月10日記)
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秋山郷(5) 秋山郷民俗資料館

2010年05月09日 | 名所
                 秋山郷民俗資料館創設者の山田みやさん

秋山郷の屋敷には秋山郷民俗資料館がある。
山田重幸さんの家のすぐそばになる。
何回も訪問をしたことがある。
ここの息子の山田寿章さんは画家であり、秋山郷の里山風景を描いていて、時々東京の銀座などで個展を開催している。案内が来るので個展には必ず訪れていろいろお話を伺う。このブログでも紹介をしたことがある。

山田重幸さんの案内で今回も尋ねて行った。
寿章さんは留守であったが、母親の山田みやさん(82歳)が資料館を管理していた。
資料館を訪れる観光客も次から次へと来館してきた。

入口には次のように案内の解説文が掲示してあった。
『夫婦で作り上げた秋山郷の民俗資料館はこうして誕生した』
昭和48年4月民俗資料は郷土にあってこそ意義があると確信して夫婦で集めた。
民具、風習物など数百点を部屋の中に所狭しと並べてきました。
吾が家を秋山郷民俗資料館として開放するようになりました。
秋山郷の人々が長い間かかって造り上げたその一つ一つの生活の知恵には潤いを忘れた現代の人々をひきつける何か大きな魅力を秘めております。
山国で秘境だ奥信濃といっても秋山郷は平家の落人の里とも呼ばれ、冬は陸の孤島にもなるところです。
私達夫婦は、今この地で生活しその残された民具、風習、信仰を昔の人々が暮らした創意と工夫を見るにつけ、いかに貧困に耐えて来た当時の人々が苦労と我慢強さがひとしおうかがわれます。
この秋山郷の歴史と文化を今迄支えてきてくれた祖先の努力を秋山郷に住む私共が秋山人の心の源流を探り、滅びてゆく、忘れかけた遺産を大切に守り後の世の子供に伝えたいと思い資料館として始めました。
昭和48年7月開館

私達は囲炉裏の部屋でお茶と山菜の煮物や漬物をご馳走になりながら、山田みやさんから昔の話を聞かせてもらった。
子供が生まれるときは女の衆が協力をして出産の手伝いをしたようだ。とり親となった女の人は、実の母親と同じようにその生まれた子供が大きくなるまで強い絆で結ばれている。
山田みやさんは、話をしながらでも周りの人達のことを気遣いお茶を入れたり山菜を盛り付けたり立ったり座ったりしており、とても元気な秘訣がそのようなところにあると考えてしまった。

(5月9日記)
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秋山郷(4) のよさの里

2010年05月08日 | 名所
               のよさの里の分家と本家をつなぐ通路

切明温泉から上野原温泉に行く。
上野原温泉には、鈴木牧之にちなんで建てられた宿舎「のよさの里」がある。
宿には、当時の秋山郷の暮らしと文化を再現した施設があり、宿本家の「牧之の宿」と七戸の分家は400メートルの廊下で繋がっている。
分家はそれぞれ独立し離れているため、周囲を気にせずに過ごすことが出来る。
11年前に躰道壮年倶楽部のメンバーと秋の紅葉シーズンに秋山郷にきて、この宿舎に泊まったことがある。その時同行した演歌歌手の嶋あきらさんと橘みどりさんの色紙が宿本家の居間に掲示してあった。

宿本家のところからは目の前に雄大な鳥甲山が見える。
残雪があり山の頂には白い雪に覆われていた。

鈴木牧之が、59歳の時に秋山郷を訪れ、この地の生活や文化に感動し貴重な民俗資料「秋山紀行」と「北越雪譜」を発行した。秋山の美しい自然と山村の習俗を全国に伝えた。

(5月8日記)
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秋山郷(2) 見玉不動尊七段の滝

2010年05月06日 | 名所
                    見玉不動尊の七段の滝

秋山郷の入口は、津南町。
山間に入る手前に見玉不動尊がある。
土産屋の横を通り、山門を過ぎると長い石段が続いている。
その横には「延命の水」と明記された水が飲める場所がある。
石段の横には豊富な水量を流れる七段の滝がある。
爽やかな水しぶきが体にあたり気持ちがいい。
苗場山の雪解け水が川に流れている。
上方から落ちてくる水には勢いがある。
岩により水路が分かれているところもまた合流するなど見ていても飽きない。
その滝が、七段に続いているとことから七段の滝と呼ばれている。

(5月6日記)
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秋山郷(1) その歴史と場所

2010年05月05日 | 名所
                   秋山郷のポスター

ゴールデンウィークを利用して、秋山郷の山田重幸さんの実家を白鳥勝彦さんご夫妻を案内して訪れた。
平家の落人の里といい伝えられる秋山郷は、新潟県津南町(越後秋山郷)と新潟県栄村(信州秋山郷)にまたがる信濃川の支流である中津川上流に点在する集落群の総称。
雄大な自然のふところにいだかれたまさに“秘境の地”で昔ながらの生活様式が色濃く残る地域。四季を通じて美しい風景が広がるところです。
冬の期間は、豪雪地域で生活も大変であるが、新緑の春、温暖爽やかな夏、全山紅葉に彩る秋は素晴らしく、訪れる人々に感動を与えてくれる。

古代の香りの残る山里の地として知られている。
温泉の白い湯煙と緑豊かな中津川のせせらぎが迎えてくれる。
かつて越後の文人・鈴木牧之(すずきぼくし)をして、再び命の洗濯に来たいと言わしめた秋山郷。

津南町の見玉不動尊を過ぎると山間の道へと入っていく。
中津川を左に見ながら進み、前倉橋を渡ると今度は右側に川を見る。
前倉橋を入れた紅葉の時期は絶景の写真撮影のポイントとなる。
大赤沢は伝統工芸の木工展示販売所があり、5分ほど行くと蛇淵の滝がある。
小赤沢から長野県に入る。赤湯の温泉「楽養館」がある。
屋敷、上野原、和山、切明にも温泉がある。
秋山郷は、鳥甲山(2038m)と苗場山(2145m)に挟まれた場所まで続く。
その先は奥志賀、志賀高原へと続くルートがある。

(5月5日記)
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立石の「母の愛」の碑

2010年05月04日 | 日記
                立石「母の愛」の碑

京成立石駅から奥戸街道を行くと中川に架かる本奥戸橋がある。
その橋の西詰の角に立石郵便局が建っている。
郵便局の前にさつきの赤い花に囲まれて石の碑があった。
石が立ててあるから立石なのかと解釈したが、土地が立石であった。

立石「母の愛」の碑
人間の知・徳・体の諸能力の調和的発展の基本は
家庭及び万人就学の小学校での基礎陶冶にあり
その方法は直観・自発活動・作業と学習の結合に基づく
ペスタロッチ
と記述してある。
日本文の上部には、英語で書かれてある。

(5月4日記)
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赤上正夫さんについて

2010年05月03日 | 友人
                    赤上正夫さん(本多劇場にて)

新国劇については生き字引と称されている赤上正夫さんは92歳である。
今でも好きなテニスは練習に通っているとのこと。
長年新国劇の愛好者として戦前から観劇を続けている。
昭和62年9月に新国劇が看板を下ろした後、その精神を継承していこうと若手の劇団員達が笠原章氏を代表として劇団若獅子を設立させた。
その劇団若獅子も創立22年を経過して、毎年定期公演を継続上演している。

赤上正夫さんは、劇団若獅子公演には陰ながら協力をしている。
公演がある日は会場に行って、客対応の案内役を買って出ている。
劇団若獅子の名前入りの赤い半纏を着て会場入口で案内役をしている。

赤上正夫さんに新国劇と劇団若獅子の芝居はどのくらい観劇していますか?と質問をしたら、「観劇していない芝居は一つもないよ」と笑顔で答えた。
カメラも愛用していて、舞台の写真もたくさん撮影をしている。
島田正吾、辰巳柳太郎、緒形拳などの往年の大スターの舞台写真を貰ったことがある。
貴重な資料となっている。

今では赤上正夫さんのような人は少なくなってしまった。

(5月3日記)
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歌舞伎座で閉場式

2010年05月02日 | 芸能
 閉場される歌舞伎座の前で撮影する人たち

(スポーツニッポンより)
老朽化のため建て替えられる東京・銀座の歌舞伎座で30日、最後の公演となる「閉場式」が行われた。
松竹の大谷信義会長のあいさつに続き、市川団十郎(63)、尾上菊五郎(67)、松本幸四郎(67)、中村勘三郎(54)ら人気俳優8人が舞踊「都風流」を披露した。
坂東玉三郎(60)ら女形5人は「京鹿子娘道成寺」の“競演”で別れを惜しんだ。

記念の口上は中村芝翫(82)、中村富十郎(80)、坂田藤十郎(78)の人間国宝3人が行った。
半世紀以上にわたり舞台に立った芝翫は「わが家のような場所。
悲しさと、新しくなることへの喜びがごちゃまぜになっています」と話した。

最後は歌舞伎俳優約200人が舞台に勢ぞろいして手締め。
1951年から59年にわたって親しまれた歌舞伎の殿堂は、にぎやかに幕を閉じた。
新劇場は13年春にオープンする予定。

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