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 光秀謀反の本能寺 なーんちゃって①

2021年02月07日 19時04分43秒 | 光秀の本能寺
いよいよ今夜、明智光秀の堪忍袋の緒が切れて織田信長を討つ!

明智光秀の部隊が本能寺を襲ったとき、織田信長の嫡子織田信忠は近くの妙覚寺に500の手勢を率いて居た
間もなく光秀軍の一部隊が本能寺の信長を、数千の兵で襲って屋敷内に攻め込み,火の手も上がって絶望的だとの報せが入った
信長を守る家臣は100にも及ばぬ事は信忠もわかっている、それでも父、更にこの国をなから手中に収めた天下人を見捨ててよいものか、信忠は苦悩した
自分もまた500の兵では数千の明智勢に万に一つも勝算はない
だが父を見捨てて臆病者、不幸者と末代まで言われるのも恥だ、そんな揺れる心を見透かしたのか
「残念ながら本能寺は焼け落ち救援はなりますまい、まずは堅固な二条御所にお移りください」重臣が促した
もはや四の五の考えている段階ではなかった、信忠は凡そ200名の兵に守られて二条御所へと向かった
「たとえ二条御所でも持ちこたえることは出来ますまい、ここはいずこかに落ち延び、お味方と合力されて仇討ちをするべきです」という重臣も現れた
大坂には四国の長宗我部を攻めるための織田軍団が凡そ2万駐留しているはずだ
京に滞在していた徳川家康も信長との宴席を終えて堺に向かったと聞いている
きわどいところであった

越前北の庄城には織田家の老臣柴田勝家がいる、岐阜、尾張は信忠の拠点だ急を聞いて家臣が駆けつけるであろう
信忠は重臣の前田玄以を呼び、嫡男三法師を委ねて岐阜まで無事送り届けるようにと申し渡した
一緒に居た信長の弟、織田長益(有楽)が「玄以だけでは心許ない、わしも共に参る、その方が三法師殿も心強いであろう」と言った
有楽が逃げ腰なのが見て取れたから信忠は呆れながらも「叔父上についていただければ百人力です、よろしく頼みます」
「任せておけ」と長益は胸を張った
「間違いなく援軍を出すよう岐阜に戻ってお伝えくだされ」

近江、琵琶湖畔の信長の居城安土城は堅固な守りで味方が馳せ参じるまでの間、持ちこたえることが出来るだろう
そこは猛将蒲生氏郷が守っている、さらに近くの長浜城は羽柴秀吉の居城があり留守の兵が居るはずだ、残兵を結集すれば3000位にはなりそうだ
今も急を聞いた武士たちが信忠の元に集まりだした、中には本能寺を逃れた兵も居るようだ
安土城を目指すべきと考えた、だが近江は光秀の領地にも近い、果たして今は兵数が少ないここも明智方が襲っているかもしれない
「ここは南に落ち延びて奈良へと進むのが良いのでは」と別の家臣が言った
「だが奈良には明智配下の筒井が待ち伏せているやもしれん」
「大坂のお味方との連絡もつきやすいでしょうし、奈良で合流されたなら立て直しも容易でしょう、光秀の軍は全軍でも1万数千です」
「いずれにせよ伝令を大坂、安土、柴田、羽柴、信雄(北畠信意)、信孝に走らせよ、我らはこれより安土を目指して進むぞ」
「殿、我らに兵300お与えくだされ、二条御所に籠もり殿がおられるように敵を欺き、時を稼ぐのでその間に出来るだけ遠くへ」
そう言ったのは重臣の斉藤利治と村井貞勝父子だった、利治はマムシと言われた美濃の覇者、斎藤道三の末子
道三の娘、濃姫が信長に嫁いだ時、共に織田家にやってきたのだった、以後織田家の武将として信忠に仕えた猛将である
村井貞勝はかって信長に京都を任された奉行であった
「長男共々ここで討ち死にの覚悟である、次男だけは殿をお守りするよう申しつけました」と言った
信忠はこれらの忠義の武士に痛く心をうたれた、一人一人固く手を握り感謝を述べ立ち去った、
二条御所に残った300は一人残らず討ち死にして信忠の逃走を助けた
信忠に従った兵は、凡そ1500に膨れあがっていた、だが光秀と本隊は都の南に本陣を構えて次の手を打っていた
兵3500を二条御所にまわして信忠も討ち取る構えである、本能寺からの兵も1000程応援にまわした
それでも二条御所の300の信忠軍は奮戦して1時間以上時を稼いだのであった
光秀は安土城に兵を向かわせた、自らは未だ合流しない親戚の細川、与力の筒井に向けて催促の手紙を書いた