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神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

光秀謀反の本能寺なーんちゃって⑯

2021年02月21日 18時53分21秒 | 光秀の本能寺
『徳川に叛意あり、織田領に攻め込むらしい』という情報は瞬く間に織田信忠の耳にも入った
織田宗家に緊張が走った、徳川軍団の結束力の固さはだれもが知っている
兵数は少なくとも家康の為には命を投げ打って戦う家臣ばかりである
これは信長のカリスマ性で尾張の郡代から日本国半分までに拡大した寄り合い所帯の織田家とは違う
今、織田信忠に従っている信長以来の家臣や与力大名の中で信忠のために忠義を果たしそうな者は柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉ら子飼いだ
だがこの時点で信忠の判断は間違っていた
秀吉は信長から信頼され身を粉にして働いた、百姓の出など気にもせず秀吉の能力を大いに引き出してここまで引き上げてくれた信長だった
だからこそ殴られても蹴られてもついて行ったのだ、それは強さへの憧れでもあった、秀吉は信長に惚れていたのだ
だがその大恩人の子だと言うだけで、信忠にも信長同様に犬馬の労を尽くそうなどとは考えていない
秀吉にとって重要なのは自分をぎゃふんとも言わせない強さだ、それが出来ない者など誰であれ従う気などない、だから今の世で秀吉は最強と思っている

そんな秀吉が、自分に従っていると思っていることが信忠の甘さであった、たしかに武田勝頼を攻め滅ぼした時の総大将だった
だがそれは信長の威光のもとに徳川家康も滝川一益も数多の10万の味方が一気に攻め込んだから出来たことだ
今、信忠が号令を出して10万の大軍は動くのか? すでに弟の織田信雄が徳川に走った、信孝も素直に信忠に従うだろうか
信雄が居なくなったために、信孝にも信忠に代わって織田家の統領になるチャンスが巡ってきたのだ
伊勢の信雄を、信忠の命令で攻めたと信忠は思っただろうが、信孝はライバルを一人減らすために戦ったに過ぎない
信孝は織田3兄弟の仲では一番の野心家だった、いずれは信忠に代わって天下に号令したいと思っている
だが現状は尾張50万石の大名でしかない、これではどうにもならぬ、滝川か柴田の宿老を味方に引き込むのが良いと思っている
しかし柴田勝家は頑固な保守派で、織田信忠を主君と仰いでいてぶれそうにない
一方の滝川は関東から命からがら逃げて来てその威信は地に落ち、信忠から北伊勢を安堵されたが30万石にも満たない
こんなとき信孝が言葉巧みに誘えば、孤立している滝川は感激して従う気がする
そんなおりチャンスがやってきた,徳川家康が織田との開戦を決意したという情報である
信孝の尾張国と、家康の三河は隣同士、川一つ隔てて向かい合っている
過去にも今川義元と織田信長が戦った激戦場である、信孝はただちに信忠のもとに使いを走らせて滝川を与力として徳川に備える旨を話した
信忠は「国境を厳重にして備えよ、但し攻められぬ限り戦を始めてはならぬ」と念を押して許した
滝川は信孝の与力として兵2000を引き連れて長島から軍船で伊勢湾を渡って知多に至り警備した
信孝は阿久比に1000、安城に2000を送り、自らは刈谷に3000で入った
一方、家康は織田信雄の所在が岡崎城にある事を誰にとでもなく公言した
これを聞いて信孝はいきり立った、「こんどこそ信雄の息の根を止めてやる
徳川にもわしの強さを知らしめてやる」と

3月に入ってもいっこうに徳川勢が攻め込んでくる様子がない、そのうち北陸で上杉景勝軍が攻勢に出たと知らせが入った
上杉も徳川も、去年の内に気が許せない北条との間に和議が成立し、徳川家の姫と北条の嫡子、北条氏直の婚儀が成立して親戚となった
そのため甲州、上州、上野はいったん平和が訪れたのである、背後の心配がなくなった上杉が混乱する織田を攻めるのは必至だった
そして飛騨と越中魚津城から8000の上杉軍が直江兼続に引きいられて富山城に攻め込んだ
主力は常願寺川を二手に分かれて富山城を包囲した、そして城の西を開けて攻め立てたので城方は数日で城を捨てて能登の佐久間勢を目指し落ちた
ところが城の西の呉羽山には上杉方の飛騨勢が待ち構えていて、逃げて来た佐々勢を襲ったからたまらない
大将の佐々成政は神通川に遮られてあえなく討ち死にしてしまった
これを聞いた柴田勝家は、能登の佐久間盛政の軍を氷見に、加賀の前田利家の軍を高岡に配置して上杉に備えさせた
上杉は先代の神将と呼ばれた上杉謙信公が、侵略戦争を好まなかったために領土を広げることなく
戦いに明け暮れたすえに亡くなり、景勝の代で織田に滅ぼされそうになった
それを踏まえて軍師参謀の直江兼続は上杉景勝に今後は拡大戦略を進めるべきだと進言した
「攻撃こそ最大の防御なり」と
「越後春日山は雪深く半年近く動くこともママならず、それだけ関東や畿内の諸将に遅れをとります
やはり越後からは冬でも雪が無いか少ないところに拠点を持つべきで、信濃が足がかりとなりましょう
川中島~大岡~麻績~仁科の南、小岩嶽、小倉辺りまでは確実に押さえるべき、あわよくば深志をとれば上々
そうなれば真田と連携して一大拠点となりましょう」
「そこまで行けば天下も狙えるか?」
「殿、そこまででござるよ我らは、天下を狙うには人材(人)が足りませぬ,越後は広すぎて国人がまとまらず此度の新発田のように
狭い了見で他国に利用される輩が多すぎます、残念ながら越後からは天下を狙えませぬ、いずれ我らは天下取りの手伝いをすることになりましょう
それは織田ではありませぬ、目下のところ北条、徳川のいずれかが一番天下に近いかとそこでかっこたる地位を得るために
より多くの織田領をとるがよろしいかと、天下はいよいよまとまりかけておりまする、どこと手を組むかにかかっております」
「うむ 上杉には天下は取れぬか」
「いかにも」
「無念じゃのう」
「謙信公の遺志でもでもござりまする、われらは天下の副将軍として天下人を支える役割かと」
「では織田を相手に暴れるとしよう」

織田の北陸軍、柴田勝家を悩ませるもう一つの事件が、今度は若狭方面でも起こったのである