(まさか本当に明智がやるとは?半分は戯れであったが。 それにしても自尊心の高い教養人とはかくも脆いものなのか、わしにはわからぬ)
この男、羽柴秀吉は戦地の備中から遠く離れた姫路の城にいる
信長が討たれた翌々日の夜明け前には、京都からの定期便が明智の謀反と信長の死を秀吉に伝えた
(信長様さえわしの情報網には気づかなかったであろうな、毎日わしのもとに京、大坂の最新情報が届いているとはな)
(信長様も明智も、わしの罠に見事にかかって哀れなことよ、それにしても黒田官兵衛は恐ろしい男だ、気を許してはならぬ男だ
この頃の信長様は気がおかしくなったとしか思えぬ、あまりにも日々時々の躁鬱が激しすぎる
わしには今は良い巡りになっているが、その裏面が明智に向いてしまった、辛抱強い明智でも我慢の限界に来たはずだ
信長様が徳川様と明智の絆を疑い、皆の前で打ち据えたとき、わしは蘭丸に言った
「信長様の醜態を徳川様にさらして良いのか? そなたがやらずしてどうするか!」と
蘭丸め主君の前だとて思いきり明智を打ち据えた、あの時の苦痛と屈辱に耐えて顔を歪めた明智の顔は見物であつた
あれで明智は蘭丸に殺意を持った、もちろんそれを止めずに薄ら笑いを浮かべていた信長様にも恨みを持った筈だ
それでわしは明智にお節介をやいてやった「佐久間様の事もあるからただちに信長様に詫びを入れなされ、信長様の決断は早うござる
その前に森蘭丸殿に異心が無いことを伝えるべきかと、蘭丸殿の口一つで信長様の心が動くらしい、手土産の一つもお渡しなされよ」と
明智がわしの言うとおりに動くわけは無い、反対に蘭丸と信長様に対する怒りと恨みと不信感が増長したはずだ
そこでわしは仕上げにかかった。 「明智様、信長様は明智様と徳川様が親しい間柄であることに疑念を抱いておられるようでござる
近頃の信長様はなぜか疑い深くなられた、故に安土城のように高い山の上に大きな城を築いたのです
明智様は我ら家臣の中でもっとも上様のご信任が厚うござる、われらはみな遠方にて敵と戦っておりますが
明智様は安土とは琵琶の海で向かい合った坂本城と京に近い亀山城をいただいております、上様の信頼厚き証しでござる
上様は兵のほとんどを我らに預けて、御自身はわずかな旗本の小部隊を周囲に置くだけで万一の時は籠城して明智様と美濃、尾張の軍を待つ
しかもただちに上様をお守りできるのは明智様の万の軍勢だけでござる
明智様そのことを幸運と思し召しくだされ、ゆめゆめ忘れてはなりませんぞ
もしも、もしもでござるよ 上様から明智様を遠ざけるようなお下知がされたなら、それは信頼が薄れたときと思し召されよ
それは佐久間様と同じ道をたどる前触れやもしれませぬからなぁ
あっ!いやいや失言でござる、お忘れ召されよ、根も葉もない戯れ言でござる」
あの時は明智は真顔になり青ざめておった、思い返せば心当たりがいくつもあったからな、わしが疑念に火をつけてやったのよ
それから後は全て官兵衛に任せた、すると奴は翌日にはわしにこう言った
「殿、信長様が備中にお出ましなされますぞ、明智を引き連れて」
「官兵衛よ、考えたものよのう、それでそなたは信長様がここまでまいられると思うか? どうじゃ?わしと賭けをいたそう
わしは来られぬ方に賭ける」
「殿!賭けになりませぬ、拙者もおなじでござるからなぁ」
「されば京からの定期便を一日二回に増やしてつたえるよう手立てをいたせ」
そしてわれらが思った通り信長様も明智もわしの所にはこなかった
もしあのまま手を打たず明智が追放されたなら次はわしの番だ、天下が信長様に入れば入るほど身内で固めようとする
天下太平になれば、わしなど真っ先に切り捨てられるであろう、そうなる前に先手を打つておかねばの、まず最初の目的はうまくいった、これからが勝負だ)