室町時代に活躍した禅僧であり水墨画家の雪舟が造ったとされる庭がいくつかある。
その中でもっとも知られているのが東福寺塔頭の芬陀院(ふんだいん)の庭園。
雪舟庭園(本来の名称/鶴亀の庭)として公開されている。
芬陀院は、鎌倉時代後期に当時の関白一条内経により創建された寺院。
室町時代に入り、当時の当主、一条兼良より亀の画の依頼を受けた雪舟は、
画ではなく石組により小さな亀島を主体とした庭園を造った。
それが「雪舟の庭園」の誕生である。
その誕生の秘話として、造った夜にその亀が手足を動かし庭を這っていた。
大きな石を亀島の甲に乗せたところ亀は動かなくなり、
現在の形のような亀島が完成したという逸話が伝わっている。
一条兼良から御礼に、と雪舟に芬陀院を譲ろうとしたが、その拝領を断り、
雪舟は画を学ぶために中国の明へ渡った。
その後、時代の変遷の中で荒廃し、現在の庭園は昭和年代に作庭家の重森三玲により復元された。
また茶室、図南亭(となんてい)の丸窓から眺める方丈の東庭は重森三玲の作庭。
苔と石の配置による庭園で、「鶴亀の庭」の石組に啓発され造ったとされている。
雪舟の技法である色を排除し墨の濃淡で表現する水墨画は後世に大きな影響をもたらした。 特に雪舟の画の中で、仏教の重要なシーンを活写した「慧可断臂図(えかだんぴず)」は
禅僧 雪舟ならではの最高傑作である。見るたびに何かが覚醒される。
方丈には、昭憲皇太后の父、一条忠香が描いた竹のお軸が掛けてある。