5年半をかけて大天守保存修理工事が終わり、新生・姫路城(白鷺城)が姿を現したのが2016年の春。その一年前、NHK大河ドラマ「黒田官兵衛」が放映され、官兵衛の生まれ故郷である姫路や播磨地域が一気に注目を集めるようになり、翌年の姫路城再生オープンへと繋がった。見事に仕組まれたメディア、地域熱、そして再生への流れが功を奏し、姫路城は連日行列が続いた。
「軍師 官兵衛」さんのお陰で、姫路城に関心をもった方たちも多いことだろう。私もその一人である。訪れた際に、城内で戦国時代の歴史ヒストリアとは少し異質な石碑を見つけた。石碑には「陸軍省 中村重遠大佐」と刻まれていた。
後で調べてみると、姫路城が存続しているのは、この中村大佐のお陰のようである。1878年、神戸清一郎が姫路城を手放すにあたり、中村重遠陸軍大佐が、陸軍卿 山県有朋に姫路城の存続を申し出たことによって存続することになったという秘話ヒストリアである。
(資料には、1871年に神戸清一郎氏が姫路藩の姫路城競売により23円50銭で落札したと記されてあった。)
1346年、赤松貞範が姫山に砦を築いたのが姫路城のはじまりのようである。そして大河ドラマ「軍師 官兵衛」にあったように1567年に黒田孝高(官兵衛)が家督を継ぎ、1580年に官兵衛は秀吉に姫路城を献じた。
築城から670年の時を刻んだ姫路城。これからさらに歴史はどう刻まれていくのだろう。なにも変わらなく、平安の世のシンボルとして後世に残っていくことが誰もの願いである。
この記事は、2016年掲載したものに少し加筆した。
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