在職中の最後の務めになった高等部の校外学習に同行し奈良 東大寺に行った。
個人的に興味をもつ「金剛力士像」を拝顔できるとあって職務でありながらも旅気分だった。
ここ最近は金剛力士像の魅力にはまっている。その時代の木像彫刻を如実に現しているからだ。長い年月、風雨や陽にさらされたり、火災で焼失したりで修復されていてもその損失具合が観れるのは歴史の証になる。その中でも東大寺・南大門の金剛力士像は、火事等で焼失し修復や造替えを繰り返し今に残されてきている。
堂内安置ではなく風雨にさらされる門内安置としては唯一、国宝指定を受けている像である。
通常の金剛力士像は二体とも正面を向いているが、南大門の二体は向きあっている。これも珍しいとされている。それは、風雨の被害がこうむるのを避けるため力士像同士が対面しあうよう安置され南側は閉鎖し保護されているわけである。
そして、魅力はなんと言っても大きさと迫力ある造形美。各地随所にある金剛力士像の中でも古くなったものもあるが、それはそれで歴史の時を読み取ることができるので好きである。
金剛力士像は厳つい顔が特徴的である。常に二体一対で安置されている。口を開けているのが「阿形像」で口を一文字に結んでいるのが「吽形像」。世界の始まりと終わりを表しているとされている。
「阿(あ)」が始まりで「吽(うん)」が終わりでる。これは、サンスクリット語が「ア」という音で始まり「ン」という音で終わるためとのことらしい。
こんな厳つい顔から"あ・うんの呼吸"が生まれたとは想像し難い。喋らなくても通じる思いを共有できるのは、日本文化、慣習の中で育まれたものなのかもしれない。世界に比類なき日本の凄さなんだろう。
個人的に興味をもつ「金剛力士像」を拝顔できるとあって職務でありながらも旅気分だった。
ここ最近は金剛力士像の魅力にはまっている。その時代の木像彫刻を如実に現しているからだ。長い年月、風雨や陽にさらされたり、火災で焼失したりで修復されていてもその損失具合が観れるのは歴史の証になる。その中でも東大寺・南大門の金剛力士像は、火事等で焼失し修復や造替えを繰り返し今に残されてきている。
堂内安置ではなく風雨にさらされる門内安置としては唯一、国宝指定を受けている像である。
通常の金剛力士像は二体とも正面を向いているが、南大門の二体は向きあっている。これも珍しいとされている。それは、風雨の被害がこうむるのを避けるため力士像同士が対面しあうよう安置され南側は閉鎖し保護されているわけである。
そして、魅力はなんと言っても大きさと迫力ある造形美。各地随所にある金剛力士像の中でも古くなったものもあるが、それはそれで歴史の時を読み取ることができるので好きである。
金剛力士像は厳つい顔が特徴的である。常に二体一対で安置されている。口を開けているのが「阿形像」で口を一文字に結んでいるのが「吽形像」。世界の始まりと終わりを表しているとされている。
「阿(あ)」が始まりで「吽(うん)」が終わりでる。これは、サンスクリット語が「ア」という音で始まり「ン」という音で終わるためとのことらしい。
こんな厳つい顔から"あ・うんの呼吸"が生まれたとは想像し難い。喋らなくても通じる思いを共有できるのは、日本文化、慣習の中で育まれたものなのかもしれない。世界に比類なき日本の凄さなんだろう。
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