先日、大阪梅田の阪急古書のまちのお店に木蘭(もくれん)と思わしき墨画の掛軸があった。その右上には「朝飮木蘭之墜露兮 夕餐秋菊之落英」という賛(漢詩)が書かれていた。ちょっとした驚きの出会いだった。
同じ人物が絵も賛も描いている。この木蘭と漢詩だけでちょっと大げさかもしれないが、戦国時代の楚の政治家で詩人として名を馳せた「屈原」の話につながる。
中国では花を君子と呼ぶことがあり、昔から四君子と呼ばれる花がある。
「蘭」「菊」「梅」「竹」。
この4つの花を文人・詩人に例えて表現する場合が多々ある。
蘭は「屈原(くつげん)」、菊は「陶淵明(とうえんめい)」、梅は「林和靖(りんなせい)」、竹は「蘇東坡(そとうば)」と言われている。それぞれ中国の歴史上有名な詩人である。
その屈原が書いた「離騒(りそう)」という詩は、屈原の代表作である。離騒では、屈原がありもしない事で追放され、失意のあまり投身を決意するまでの心境を夢幻的にしたためた詩である。その一節が・・・
朝飮木蘭之墜露兮 夕餐秋菊之落英
苟余情其信以練要兮 長頷亦何傷
「朝に木蘭(もくれん)から落ちる露を飲み、夕べには香しい秋菊の花びらを食事としてとる」。そして「私は、ただ君主と国のために仕えて来たし、ただ国を守りたいがために身も心も高潔に修養を積んだのにどうして分かってくれないのか」という清らかな心情を表している。
屈原は心情を表現する場合、「蘭」や「菊」などの花で描写することがよくある。とくに「蘭」は精神性の高い高貴な花として頻繁に詩に登場している。紀元前の話がいまも脈々と流れつながっている。墨画に賛を添え屈原に倣ってその時の心情を表現するのに四君子は今もよき題材となっている。
その一遍が、古書のまちで出会った軸である。残念ながら写真におさめることはできなかったが、どなたが描いたものかは知らないが、屈原の心情を想いながら描かれた作品だと推察した。かなりの値がついていた。ジャストルッキングで堪能させていただいた。
リポート/ 渡邉雄二
写真/ 「木蘭」フリー画像を転載
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