わが国には、五節句というのがある。
1、人日(一月七日)、
2、上巳(じょうし)の(桃の)節句(三月三日)、
3、端午の節句(五月五日)、
4、七夕(しちせき)の節句(七月七日)、
5、重陽の節句(九月九日)がある。
なんとなく、数字に関係が深いようですね。
特に重陽の節句は、最も縁起の良い九が重なる日として「重陽」と名付けられた。江戸時代には、五節句の中では、最も公的な性質を備えた行事となり、武家では菊の花を酒にひたして飲み祝い、民間では粟御飯を食べたとされる。
さてこの句、重陽の節句の日に、わずかに残る歴史のある石畳を、作者は歩いている。近くでは箱根の旧東海道などを思い出す。
時代の推移と共に、忘れられてゆく多くのものへの作者の思い、例えば郷愁や淋しさや嘆きなどがあるのかもしれない。
作者の、そして古人の石畳を踏む音とともに、そういう作者の声なき声が、聞こえてくる。
尚、私見であるが、節句は旧暦(太陰太陽暦)で行わなければならない。今年の重陽の節句は、10月16日である。
明治以降、あらゆる行事が西洋にならい太陽暦で行うようになった。しかし、これは日本人として恥である、と私は思う。
太陰太陽暦を忘れてはならない。