陰暦十月を神無月(かんなづき)という(今年の新暦では11月6日から)
日本の神様が、全て出雲に行ってしまうので「神の留守」などともいう。
本来は、醸成月(かみなんづき)神嘗月(かんなめづき)神な月(かみなづき)雷無月(かみなしづき)などと言われていたものを、中世の頃に神無しとの字を宛てたのが始まりのようである。出雲だけは「神在月」という。
つまり,この話は出雲の御師が、出雲の都合のいいように考え出した法螺話なのである。
そして、法螺が誠になって、正式に暦に採用されたのも面白いが、その後、出雲を除く日本全国の神様が留守では困るので、留守番をする神様(恵比寿神)もちゃんと考えられたそうである。こういう日本人の遊び心に、私は敬服してしまう。実に楽しいではないか。
この句、「神様がいないのに、神主さんが一度に百台の車にお祓いをしている。安全祈願の御利益は大丈夫か?」という作者の声がするが、実際には、留守番の神様を手配したようなので、御安心下さい、直文様。