一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

56     秋の暮貧の一葉新札に

2010年11月05日 | 

 

2004年11月、5000円札になんと樋口一葉が登場した。

 

樋口一葉は貧しさの中、肺結核でこの世を去った。若干24才だった。

一葉の登場を喜ぶべきか、悲しむべきか?・・・・・・


私が一葉ならば「止めて下さい。冗談じゃあないわ。死人に口なしと思って、人を馬鹿にしないで」と叫ぶかもしれない。
 

一万円の福沢諭吉、五千円の樋口一葉、千円の野口英世が、お札に登場する人物だが、今までの紙幣登場人物の内、明治以前の人物は、武内宿禰、聖徳太子と二宮尊徳三人のみ。もう少し、江戸以前から選んだらどうか。

三傑の信長1万円、秀吉5千円、家康千円なんて面白いじゃあないか。
その他にも、三蹟、三名君など色々ある
 

明治の多くの文学者の中から、漱石の次に一葉がどうして選ばれたのか。

何か基本的な選定基準があって決定されるのだろうか?・・・いや、どうも一貫性がないというか、いい加減に決めているように思われる。

 

こうなって来ると例えばだが、ノーベル賞を貰った「大江健三郎」氏なども将来の候補の一人かもしれない、などとつまらない推測をしてしまう。

 

お陰で私は、お金とは?経済とは?あまり考えたくないことを、考えさせられたのである。

 

今、お金はコインや紙幣を飛び越えて、パソコンやインターネットを行き来し、人々を翻弄している。

 

バブルの頃、野村証券の利益が、東芝を上回った、というような記事を読んだ時、世の中はおかしい、と思った。

広い敷地に工場を建て、10万人規模の労働によって成り立つ電気機器の会社が、ビルとパソコンと少しの社員だけの野村証券に負けてしまうなんて・・・・

今のようなマネーゲームの横行が許されているようでは、日本は危ない、人類は危ない。

 


コメント (6)
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