一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

60 小春日や手持ち無沙汰の女郎蜘蛛    豊春

2010年11月09日 | 

 立冬も過ぎ、春のような日和を「小春・小春日」という。

冬なのに、わざわざ「春」という字を使わなくとも、と思うのだが、確かに冬の季語なのだ。

 

以前「如月小春」というペンネームの作家がいたが、彼女はそこのところが分かっていなかったのかもしれない。「小春」と名付けるなら、旧暦の10月・神無月の生まれでなければならない。つまり、「神無月小春」が正しい。

彼女、才媛だったが44歳で急逝してしまった。

 

さて、やわらかい小春の日差しの中で、手のない女郎蜘蛛が、手持ち無沙汰だという。句会でこの句を見た時、つい吹き出してしまった。 

女郎蜘蛛は、「晩秋の女王」ともいえるメスの蜘蛛で、黄色と灰青色の腹、糸いぼの前の赤い模様と、黄と黒の縞模様の脚ですぐに見分けられる。オスはとても小さく細く、色も地味で見逃してしまいがちだ。 

一般に蜘蛛は、巣を作ってしまえば、ただじっとしていることが多い。喰われた虫の残骸が網に残っていることはままあるのだが。気の短い私などは、わざわざ蝶などの虫を捕えて網に投げ掛け、食べる様子を観察したくなってしまう。 

つまり、現実に手持ち無沙汰なのは、庭の木に張られた女郎蜘蛛の巣に、虫の掛かるのをじっと待っている作者自身ではないのか・・・・・

 

現代人にとって、一見無意味に思えるそういうゆったりとした時間こそが、貴重なのである。


コメント (2)
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