本来、「柵」は、①木や竹で杭を打ち、横にも渡し、水を堰きとめたものを言う。水流を変えるための人工的なものだ。②転じて牧場などの地上の柵(さく)となり、③更に転じて、人に絡みつき身動きを不自由にするやっかいなものを「しがらみ」と言うようになった。
この句の場合は、③の「しがらみ」のこと。
政治家には有権者や正義。公務員には賄賂。会社員には上司、子には親・・・人は多くのしがらみに纏わりつかれ生活している。寒い冬も暑い夏も、つまり人にとって不快なもの、ないほうが嬉しいものも、全てしがらみであるとも言える
さて、作者は、その「しがらみ」を少しづつ解いて落ち葉を掃くという。落葉は、堆積して腐葉土となり、地に帰る。大地に絡みついた落ち葉を剥がすように掃いているのかもしれないが、そういう意味ではなかろう。
作者の頭の中に浮かぶ様々な想念、つまり煩悩を捨てつつ落葉掃きに集中しているのだ。
禅宗では、座禅によって無我の境地を得るというが、掃除などの作務も重要な修行だ。
まさに作者は、落葉掃きによって、悟りの境地に入ろうとしている。