一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

62 木枯や沖の白波微動せず    多可

2010年11月11日 | 

昨日は、久し振りに強風が吹いた。追い風か向い風かで、テニスボールのスピードや落下点が随分違う。空振りが目立った。木枯(こがらし)2号かな?

 

さて、俳句をやっていると、必ず歳時記を開く。

ある時、木枯という言葉に出会う。「木を枯らす風のことか」風という字を使わずに風を言う。

うまい言葉を考えついたものだと、いにしえの人に私は感心する。歳時記には、そんな「うまい言葉」が実に沢山ある。

 

監獄に入る時、「一冊だけ好きな本を持って行っていい」と言われた時、さて、何を持って行くか。

「普通の本ならすぐ飽きてしまうが、歳時記は、飽きなくてよい」ということを、誰かが言っていた。秋元不死男だったかもしれない。

 

さて、「俳句は写真だ」と思う。映画でもビデオでもない。ある瞬間を切り取った写真である。

 

この句、木枯によって海が荒れているのだが、どんなにビデオカメラを回しても、沖の白波はかすかにさえ動いていない、と言う。そこが面白い。

 

 

 

コメント (2)
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