一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

309   喉越しの清水に神の宿りたる    

2011年07月17日 | 

(のどごしのしみずにかみのやどりたる)

 

喉を通ってゆく清水に神の存在を感じたという。

 

百五十億年前、この世に宇宙が生まれ、銀河系・太陽・地球が生まれ、酸素・水が生まれ、微生物・魚・爬虫類・哺乳類が生まれ、現代の人間へと進化してきた。その延長線上に一度の途切れもなく、私たちが今存在している。それは正に奇跡である。

 

日本には、「八百万(やおろず)の神」という言葉があるが、自然界のあらゆるものに神の存在を感じて日本人は生きてきたのであり、「八百万の神」の存在を内包するのが俳句であるともいえる。

 

野辺に咲く花に、日差しや風に、見えるもの、聞こえるものなど、自然界の全てに奇跡を感じ、神の存在を感じるのは、日本人として当然のことだ。まして、暑さに疲れた体に染み透る山の清水ともなれば。

  

ヤブカンゾウ(藪萓草)

 

コメント (2)
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