一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

1150  湯の町の路地は寂れて蜜柑売る    薪

2014年01月29日 | 

(ゆのまちの ろじはさびれて みかんうる)

  実際、日本中の町が、特に旧商店街が寂れている。原因は、郊外に続々と上場企業の大規模店舗ができているからだ。駐車場が広く、品揃いが豊富で、かつ値段が安いから、周辺の町からも人々が集まり、大盛況だ。

反対に、駅前商店街は閑散として客が来ないから、小売店は閉店に追い込まれている。いわゆるシャッター通りである。旧商店街の活性化に成功している例も報告されてはいるが、たぶん焼け石に水、時代の流れには逆らえない。

 温泉街も同様で、老舗旅館が次々と大手に買収されている。買収されるのはまだ良い方で、小旅館はそのまま空き家になって朽ちかけている。

 そんな路地に無人の200円蜜柑がビニールに入れられて売られている。ところが、聞くところによると、夕方回収に行ったら、コイン入れに全くお金がなくて、蜜柑も無くなっていることもしばしばらしい。

路地が寂れて、人の心も寂れている。うー、さびー。

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