川ちゃん農園だより 樹齢700年といわれる黄大銀杏と坂東十番札所岩殿観音本堂

農家の遊休土地をお借りしてはじめたものです。カメラも趣味ですので四季の移り変わりを記録して行きたいと思います。
  

川ちゃん農園だより 終の住処

2011-11-18 20:48:11 | デジカメコーナー

老人大学OB会解散にあたり、OB会校友会誌より最終稿の依頼に接した、原稿の一部をここに思い出の作品とともに転稿する。                          


      青森ねぶた祭り


                                 <1999.8.5>

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「終の住処」


わたしはこの里山の地を終の住処に決めた。この周辺の写真を撮りながら野菜作りとともに終わりたい。東京新橋に勤めて、西武線ひばりが丘に所帯を持ち、以後大手町、足立、浦和、新潟、八王子、春日部、仙台、最後は又新橋とサラリーマン生活40年あちこちと歩いてきた。行き着いたこの家をあの浅間山荘に雰囲気が似ているところから岩殿山荘と称している。ブログ名も岩殿山荘主人と名乗る。遊休田を借りて野菜を作りながら、四季折々の出来事を写真取材し、拙い文ではあるがエッセイ風にまとめて「川ちゃん農園だより」としてブログに投稿している、それが生きがいにもなっている。


 


   秩父夜祭<2001.12.3>


 


老人大学の思い出は、古文書講座で習ったことがやがてわたしの田舎で眠っていた百姓の土地取引や五人組の様子が古文書の解読によって理解出来たことである。江戸時代寛政、文化、文政のころ、西暦では1800年前後の事柄が直に触れられたこと、それが縁でわが家の祖先の活躍のあとが知れたこと、大学院のレポートでは「古文書解読によるわが祖先への想い・・川ちゃん家の成り立ち」を編むことができた。ここで最も古い古文書を紹介する。享保2年(1717)徳川八代将軍吉宗のころ、志ち物入置申畑手形之事、これが内容は上畑、中畑合せ五畝一五歩を質に入れ、当酉極月(1717)十二月暮れも押し詰まって諸支払方不罷成、金子七両借用したとある、期間は酉(とり)(1717)十二月より未(ひつじ)(1727)十二月の十年間、年季来たりなば、三割の利息のうち一割は作徳即ち報酬、二割が利息とある。農家(百姓)を維持していくのが如何に大変さが解るというもの、一例を述べたがこの先祖があるからこそ、今日の私があるのだと思うと感慨深いものがある。<了>


 <いわどの山荘主人><o:p></o:p>

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