きのう先祖の墓がある田舎の寺、菩提寺で義姉の77日の追善法要が営なわれた。僧侶の読経のあと焼香し、すでに納骨が済まされているのでお墓に線香とお花を手向けた、これで忌明けとなる。檀家が良いのか回りの墓地が新しくなり、それぞれの石碑石塔が並んでいる。古い石碑石塔が無くなっていく、歴史に彩られた先祖の石碑にみる感が薄れていく、わが墓地も例外ではない。この菩提寺は歴史があり、江戸の初期から400年を経ているという。奉巡拝百寺参り供養塔の裏には、江戸文政年間、文政八年乙酉(1825)11月吉日、松雲山長光寺十一世瑞應和尚、願主長谷川〇治享時五十五歳とある。現在の僧侶が十八代であるからこの石碑が建立されてから187年、その間8代に亘っていることから、1代平均23.4年、それ以前10代つづいているわけだから234年、合わせると421年になる。わたしの先祖川嶌定六爺さんが活躍していたのも寛政から文化・文政のころ<1800年前後>である、そのころのお寺が焼失してしまい、過去帳などは残されていないが、石碑には川嶌定六とあり、物置の蔵から出てきた古文書には土地取引の様子が窺がえた。お寺の歴史とわが先祖の思いを一つにした。<いわどの山荘主人>
<菩提寺 12:02>
<奉巡拝百寺参り供養塔 12:03>
<石碑歴史 12:03>
<お斎 13:06>