<柳橋>
きょうの東京ぶらりカメラの旅は、山手線秋葉原で総武線に乗り換えて一つ目浅草橋で下車する、江戸通りを靖国通り方面に向かう、①<11:27>
神田川にかかる駅名にもなる浅草橋にでる、②<11:28>
その浅草橋から両岸をみる、屋形船が繋がれている、③<11:28>
その橋を渡ったところで橋名を撮る、④<11:29>
神田川右岸を行く、⑤<11:30>
屋形船の向こうに柳橋がみえる、⑥<11:32>
神田川の一番下流の橋、柳橋である、右手には船宿小松屋、創業1881年<明治14年>大川<今の隅田川>
や、東京湾に屋形船を出す、老舗である。⑦<11:34>
その左岸に位置するは親戚の佃煮やの小松屋さんである、⑧<11:34>
柳橋撮る、⑨<11:36>
柳橋の由緒書⑩<11:39>
正岡子規の句碑と彫金、花街として風情を感じるのでここに記す。⑪<11:39>
「春の夜や 女見送る 柳橋」 「贅沢な 人の涼みや柳橋」
和服姿の美人が橋をわたる、⑫<11:45>
橋には花街ゆかりの「簪(かんざし)」のレリーフが並べて設置されている。⑬<11:47>
左岸の袂に佃煮やの小松屋さん、⑭<11:48>
小松屋さんの御主人にお話を伺う、昭和36年の写真を見せてもらった、交通要衝のこの地屋形船が行き交い、旦那衆や芸者衆で賑わったという、市丸姐さんの写真もありました。
お土産の佃煮を求めて話をおわる。⑮<11:55>
*神田川の河口は大川、隅田川につながり、両国橋が架かる、渡り終えたところにどじょうやさんがあり、そちらの柳川丼と生ビールをいただいて昼食とした。
昼食後は近くの薬研掘不動院を散策する。
まだ新橋の写真定例会の時間まで間があるので、日本道路指標の基点、日本橋に寄った。
きょうは昔からの有名な橋を渡り、撮って来たのですがしんがりの新橋、新橋と謂うからには橋があったのではと、長く新橋に勤めていた割にはうっかり・・・、していた。
*本日のOB会写真くらぶの互選では、みなさんに応援していただいた「花火・幾何学文様」が1位に、また「水紋と朱葉柿」は5位に入りました、ご報告申しあげます。
<いわどの山荘主人>
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きょうの東京ぶらりカメラの旅は、山手線秋葉原で総武線に乗り換えて一つ目浅草橋で下車する、江戸通りを靖国通り方面に向かう、①<11:27>
神田川にかかる駅名にもなる浅草橋にでる、②<11:28>
その浅草橋から両岸をみる、屋形船が繋がれている、③<11:28>
その橋を渡ったところで橋名を撮る、④<11:29>
神田川右岸を行く、⑤<11:30>
屋形船の向こうに柳橋がみえる、⑥<11:32>
神田川の一番下流の橋、柳橋である、右手には船宿小松屋、創業1881年<明治14年>大川<今の隅田川>
や、東京湾に屋形船を出す、老舗である。⑦<11:34>
その左岸に位置するは親戚の佃煮やの小松屋さんである、⑧<11:34>
柳橋撮る、⑨<11:36>
柳橋の由緒書⑩<11:39>
正岡子規の句碑と彫金、花街として風情を感じるのでここに記す。⑪<11:39>
「春の夜や 女見送る 柳橋」 「贅沢な 人の涼みや柳橋」
和服姿の美人が橋をわたる、⑫<11:45>
橋には花街ゆかりの「簪(かんざし)」のレリーフが並べて設置されている。⑬<11:47>
左岸の袂に佃煮やの小松屋さん、⑭<11:48>
小松屋さんの御主人にお話を伺う、昭和36年の写真を見せてもらった、交通要衝のこの地屋形船が行き交い、旦那衆や芸者衆で賑わったという、市丸姐さんの写真もありました。
お土産の佃煮を求めて話をおわる。⑮<11:55>
*神田川の河口は大川、隅田川につながり、両国橋が架かる、渡り終えたところにどじょうやさんがあり、そちらの柳川丼と生ビールをいただいて昼食とした。
昼食後は近くの薬研掘不動院を散策する。
まだ新橋の写真定例会の時間まで間があるので、日本道路指標の基点、日本橋に寄った。
きょうは昔からの有名な橋を渡り、撮って来たのですがしんがりの新橋、新橋と謂うからには橋があったのではと、長く新橋に勤めていた割にはうっかり・・・、していた。
*本日のOB会写真くらぶの互選では、みなさんに応援していただいた「花火・幾何学文様」が1位に、また「水紋と朱葉柿」は5位に入りました、ご報告申しあげます。
<いわどの山荘主人>
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