Last Chance Cafe  master JL6USD

これから起こる出来事の全てが Last Chance だと思って生活している後期高齢者のブログ

うつみ宮土理 さんの事 

2015-05-11 19:42:00 | ノンジャンル

 今日は、無線の話題ではありません。 私の前職の話です。 

 1976年~1977年、うつみ宮土理 さん が 33 才、私が 28 才頃 NET テレビ ( 現 テレビ朝日 ) で郵政省 ( 現 総務省 ) 提供の 「 は~い!前略 」 と言う番組の制作スタッフとして、一年程ご一緒した事があります ( 調度、「 うつみみどり 」 から 「 うつみ宮土理 」 に改名した頃です )。

 因みに NET は日本教育テレビと言い、唯一 民間の 「 教育番組専門放送局 」 だったのです。 1977年、テレビ朝日になって初めて念願の一般免許の放送局となりました。 これにより 「 11PM 」 を模倣した ( 笑 ) 「 23 時ショー ( 後に 「 トゥナイト 」 ) 」 などの柔らかい番組が放送出来る様になります。 チャラいディレクター連中は大喜び ! でしたね(笑)。

 下の写真はうつみさんと行った北海道ロケ、十勝の牧場でのスナップです ( 十勝ワインは美味しかったなぁ~ ) 。 この時は札幌と 2 本撮りでしたが、残念ながら、札幌時計台は改修中でした ( 印象としては思ったより小さいなでした )。

 右から ・・・ カメラ助手、カメラマン、ディレクター、うつみ宮土理さん、ゲスト ( 牧場主の奥さん )、ヘッドホンをしているのが私、うつみ宮土理さんのマネージャー の順。

 

 全国を各地を回っていました。 まだ、16 mm フィルムの時代で、音声も ナグラ という録音機 ( スイス製 ) で収録し、ダビングでは映像と音声の同期を取っていた頃です。 

 ロケバスで早朝、うつみ宮土理さんのマンションにお迎えに行きます。 彼女のマンションには、愛川欽也さんがいらっしゃいました。 結婚前 ( 略奪婚 ) だったのですが FOCUSFRIDAY などの写真週刊誌もない時代ですから世間に知れる事はなかった ? のでしょう。 そんな事は、他のネット上で詳しいですから、今更、穿り返す事もありません。 

 うつみ宮土理さんは、結構お茶目な部分があります。 ロケの時は、地元の人の接待を受ける事が良くあります。 出雲ロケ ( 島根県 ) では、うつみ宮土理さんがお蕎麦が好きと言う事で、蕎麦の接待を受けました。 この時 「 この子達はお腹が空いてるんですよ~いっぱい食べてね~ 」 と言って沢山食べさせてくれるのですが、本人は何故かセーブして少ししか食べないんです。 スタッフは、これが今日の夕食だと思っているので、腹いっぱい食べます。

 実は、彼女は、この先の予定を知っていたんです。 このあと、3 件の お蕎麦攻め に合う事をです。 2 件目でも 「 この子達はお腹が空いてるんですよ~いっぱい食べてね~ 」 ですよ。 お招き頂いた方に失礼に当たると言う事で頑張ります。 3 件目、4 件目、も同じ蕎麦です。 デジャヴと言うよりプレイバックですね。 最終的には、お腹は死ぬほどパンパンになりましたね (笑) 。 出雲の蕎麦は美味しかったですけど ・・・ 。

 スタッフが接待スケジュールを知っていたら、最初からセーブしていたでしょう。 知らせない事で、スタッフは毎回大食いをさせられるはめになるのです。 接待を受ける側として変に遠慮した態度は先方に失礼ですから、「 喜んで 」 と言う事になるのです。

 うつみさんは大した策略家です ( マネージャーは勿論知っていましたね )。 結果的にスタッフが体を張ってうつみさんの立場をを守ったって事でしょうか。

 4 件の接待が終わり、やっと開放されるかと思いきや、ホテルに帰ると地元の方より、サイン用色紙が 100 枚も届いていて、疲れた身体で、せっせとサイン書きです。 我々はホテルに着くと寝るだけなのに、つくづくタレントさんは大変だな~と思いましたね。 少々お手伝いをしました。 えっ? 代筆をしたのかって?。 色紙に判子を押すのを手伝っただけです。

 ロケ先では、忙しい合い間をぬって、スタッフの留守家族に葉書を出してくれたりしていました。 勿論、私の家族にも ・・・ 。 素晴らしい。 

 愛川欽也さんが亡くなって、このところ うつみ宮土理 さんを TV でよく見るので、昔の事を思い出してしまいました。 愛川欽也さんのご冥福をお祈りします。 合掌 

コメント