60 年代は、弁論部と言うのが盛んで、早稲田の政経、中央の法科なんて特に活発だったのではないでしょうか。 この時代、学生にも学生なりの主張があり多くの大学に弁論部が存在しました。 自分の主張をし相手の意見も聞きつつ論破してしまう。 公開討論会などで技術を磨いていた訳です。 お蔭で早稲田の政経からは数え切れないほどの政治家、また総理大臣も八人ほど排出しています。 残念がら 80 年代は低迷します。 最近は若干盛り返して来ている様ですが、昔の迫力はないでしょう。 学生には差し当たり悩みが無いですからね。
ところで岸田総理 ( 早稲田大学 ) ですが、三回目のワクチン接種のテレビでの呼びかけに、相変わらずの能面顔で 「 ご検討ください 」 と言っている。 他の青学の先生は三回目私も打ってますと映像でアピールしているのにも関わらず、総理は 「 ご検討ください 」 と他人事です。「 ご検討ください 」 のんきなものです。
検討はしましたけどどうもね。 止めときます。 なんてこんなんでいいの ?、何かあった時の逃げですか?と思わせる。 どうして、「 自分のため家族のため三回目を打ちましょう 」 と何故、肯定的な発言が出来ないのでしょうか、これでは検討するだけで接種にはあまり繋がらない様な気がします。 これでは公開討論会に負けますね。 絶対「 打ってね 」 とどうして強く訴えないのでしょうか ?。 もちろん打ちたくても打てない人が一部にいらっしゃることは承知しています。
あの頃の弁論部は覇気があった。 表情、身ぶり手ぶりで訴えていた。 岸田総理も選挙戦では、声を大にしてそうするのでしょうね。 総理になったら記者会見は相変わらず官僚が作った紙切れを読むだけになってしまった。 しかも無表情、本人はクールとでも勘違いしているのではないか。
ウクライナに物を送る時も、「 何々を送った 」 だけの報告だけではなく戦争に対しては声を大にして能面を崩して非難の言葉を力説すべきでしょう。
表情の無い口から発せられる淡々としたメリハリのない言葉では、何が重要か重要でないのか判断できない。 国会でも重要な事は大きな声で主張 ( 身振り手振りまでは無理なら仕方がないが ) して貰いたいものです。
皆とろ~んと居眠りしている様な覇気のない国会 ・・・ 質問者だけがひとり身振り手振りで大声を出しています。
岸田総理が答弁に立ちました。 答弁原稿を読みます。 なんとまぁ、続けて、次の質問の答えの頭を読んでしまい ・・・ 「 あっこれは次の質問 」 でしたねだって。 集中力もなければ何もない。 こんな国会答弁必要ですかメールのやり取りで済んでしまう様なシステムです。 もう次の選挙の事に頭が行っていて国会どころじゃないよ、てなところでしょう。
以前から自分の言葉で話すべきと言われ続けていますが、日本の政治家の多くは自身には何の考えもなく党利党則に従い賛成に手をあげる数合わせの駒なのです。 国会では数合わせの駒である事に気付いていても高給取りのサラリーマン政治家ですから、おいしくて止められません。 100 万円貰って地元に帰れば 「 先生、先生 」 と気分良くすごせます。 領収書のいらないお金で接待です。 ならばこのままで何の問題もあるものか。 お金を使って当選さえすれば、高給取り、さらに各種の特権が与えられます。
選挙だけにお金を使い当選させすれば高給取りのサラリーマン政治家の誕生です。 余計な事を言わない様に気を付ければ、決められた年数は安泰に暮らせます。 いい商売ですね。 タレントでも芸人でも、お声が掛かればタレント・芸人捨てて即立候補です。 政治を知らなくても、広告塔で顔を見せるだけでいいんです、国会では寝てても大丈夫ですから。
辛辣な事を書きましたが、国会は質問者以外はお通夜みたいだし総理は一生懸命 「 紙 」 を読んでいる。 なんと予定調和の猿芝居であろうか !。
【 検討するの意味 】 詳しい状況を調べたり考えたりすること。 是非を判断すべき対象として扱う事。 提案や要望にたいして 「 ひとまず受け付けた 」 「 議題として持ち帰る 」 と言った意味で 「 検討する 」 の語が用いられる事がある。ただし 「 聞くだけは聞くけど実行はしないつもりだ 」 というニュアンスがはなから含まれている事がある。
この解説を読むと今回テーマにしている、「検討ください」の岸田発言には納得がいかないし、誤った語句を使ったように感じる。 官僚しっかりせい。 学生時代公開討論会などで鍛えられた強者はいないのか、高給取りのサラリーマンで甘んじるな !。 政治家の右腕であると自覚をもって、もっと頭を使え日本国のために ・・・ と分かった様な顔をして偉そうな事をのたまわっております (謝)。