これは、面白いですね。 2023 / 07 / 29 付、アメリカンリーグ ( ア・リーグ ) 東地区の順位表です。 何が面白いかって ? 全チーム勝ち越しです。 なんとなく、ヤンキースの順位を知りたくて、見てみると ‼ あれ ? 最下位なのに勝ち越してる ?? 、それで気づいたんです。 ヤンキースは背番号から名前を消すなんて、プライドの高い事をしていますねぇ。
これは、面白いですね。 2023 / 07 / 29 付、アメリカンリーグ ( ア・リーグ ) 東地区の順位表です。 何が面白いかって ? 全チーム勝ち越しです。 なんとなく、ヤンキースの順位を知りたくて、見てみると ‼ あれ ? 最下位なのに勝ち越してる ?? 、それで気づいたんです。 ヤンキースは背番号から名前を消すなんて、プライドの高い事をしていますねぇ。
これから再開局をする OM に向けて ・・・ 。 再開局をしようと思ったら、コールサインが他の誰かに割り当てられていて、元のコールサインが取れなかった OM が少なからずいらっしゃるのではないかと思います。 自分のコールサインが再割り当てになってないかどうか ( 空いているか ) は 総務省無線局等情報検索 でチェック出来ます。 もし空いてたとしても、前の局が免許切れになってから、六か月間は前の局に権利が残っており、なんと、すぐには取り戻せないようです。 例えば、免許切れから五か月後に前の局から再申請があればアウトです。 こうなれば新しいコールサインで再開局するしかありません。
先日、私の先輩が再開局をしようとしました。 旧コールサインは空いていたので、再開局申請をしたところ前の局の免許切れから六か月経っていないとの理由で、旧コールサインを取り戻す事が出来ませんでした ( 上述の通り )。 取り合えず OM は新しいコールサインを取得しました。 そして、六か月が過ぎるのを待つ事にしたのです。 現在はめでたく旧コールサインを取り戻しておられます。 おめでとうございます。 手続きとしては指定事項変更 ( 呼出符号の変更 )。 従って免許状の有効期限などは新しいコールサインの範囲内になるようです。
私は 6 エリアで二つのコールサインを持っています ( 勿論生きているのは一つです )。 どうしてかと言うと、1980 年代は一度切れたコールサインは再使用出来なくなっており、旧コールサイン ( JA6FGC ) を希望したのですが、空いているにもかかわらず受理されなかったのです。 そこで得たコールサインが JL6USD でした。 総務省に 「 コールサインは有限資源なので有効活用するためにも、旧コールサインを再割り当てすべきだ 」 との意見書を出したが、叶いませんでした。 しかし、その数年後、手の平を返したように、旧コールサインが空いていれば再割り当てをする旨お達しがありました。 数年後にはコールサインが枯渇してしまう事にやっと気付いたのでしょう(笑)。 如何に泥縄式行政かが計り知れます。
それで、JL6USD を捨て旧コールサインの JA6FGC を取り戻したのです。 しかし、いずれは JL6USD に再割り当ての順番が回ってきます。 JL6USD では、長い期間に亘って非常にアクティブに QRV していましたので、色々な所にコールサインの登録をしています。 DXCC , QRZ.cm , eQSL , LoTW 、様々なデータがネット上にも落ちています ( コンテストの結果とか )。 もし、新しい JL6USD 局が HF / DX QSO にアクティブに QRV すると、困る事が沢山あると思い JL6USD をもう一度取り戻し、再割り当てが JL6USD を通り過ぎてから、再び JA6FGC を取り戻そうと決めました。 まだ再割り当ては JF6 を進行中です。 この進み具合では JL6USD を通り過ぎる前に、自分が三途の川を渡ってしまいそうです。
半透明のポリカーボネイト板に包まれた、大きな明るい倉庫。 コンジットパイプで造られた棚にアルミパイプが無数に整然と並んでいる。 パイプで組んだ階段で半二階にもまた整理された、無数のアルミパイプがある。 社長は、東大卒? の 話好き。 そして、大の開発好きで今まで無数のユニークな製品を生み出してきた。 和歌山のミニマルチアンテナ さんに訪れた時の印象です。 団地住まいの時はアパマンシリーズを愛用していました。 現在使用しているアンテナもミニマルチから購入しました。 エレメント 6m ブーム 2m の 4 エレで、14,18,21,24,28 MHz の 5 バンドをカバー、各バンドで 2 エレとして働きます ( 小さいけど重いです )。
その時も 「 給電の所にフェライトビーズを 2個嚙ませている理由、このアンテナは 28 MHz の CW 帯だけがどうしても SWR を落とす事が出来なかった。 フロント利得も 4dB ぐらいしか取れてない、相当長い間研究してきたがここいらで我慢してもらうしかない 」。 同じ型番でも初期のものと後期のものを比べてみるとエレメントの配列が違うものがある。
社長が兎に角、突き詰めるタイプなので、毎日が研究と言う感じでした。 楽しそうでした。 その時は、そんなお年を召していらっしゃるなんて思えないほど、元気でした。 どうして廃業なのでしょうか。 「 もう少し頑張って 」 とは言え、気力体力、いろいろ考えての結論が廃業ですから、残念ですけど、仕方がないですね。
■ 正月の三が日、年賀のご挨拶で会社回りをしていたら、R 商店のお爺ちゃん社長に 「 まぁ、上がって一杯飲んでいかんね 」 と言われたのですが、「 私、車で来ていますので失礼します 」 とお断りしたのです。 「 なぁ~んば言いよっと、博多の警察は三が日は取り締まりせんけん大丈夫 」 これって本当 ⁉。
■ ゴルフでの失敗談、笑い話は 以前書きました が、もう一つ思い出した事があります。 コースデビューは志摩シーサイドカンツリークラブです。 パー 4 打ち下ろしの 1 番ホール、多分グリーンに着いた時点で 8 打ぐらい打ってたと思います。 グリーンも 3 パットぐらいしたところで、私をゴルフに誘った友人が、ボールを取って 「 ハイ、OK 」 と投げてよこしたのです。 初めての事で何の事か分からず、私は 何としてもカランコロンとホールに入れたかった ので、なんでこんな事するんと思いました。 しかし、友人のこの処置は後に正しかった事が分かります。 最終的には 180 までは数えていましたが以降、7番アイアンとパターを持って走り回った記憶しかありません。 お気付きのとおりパートナーやキャディーさんに大迷惑をかけてしまいました。 「ハイ、OK」としたのは彼が真っ先に私のゴルフの下手さに気付いていたからだと思います。 私はこの時のゴルフで体重が 4kg 落ちました ( 本当です )。
■ 大学1年生の夏休み、ホテルのプールサイドでバンドをやる事になりました。 楽器とかアンプが揃わないので、バイト代の前借と言う事で 10万円を貰いました。 レパートリーは、ほぼビートルズです。 同時期タイガースやテンプターズなど GS 全盛期でしたが、GS をレパートリーに入れる事はありませんでした。 自宅練習では 「 平凡 」 や 「 明星 」 に綴じ込んであるビートルズのコードはでたらめでしたので、レコードから喧嘩しながら音どりしていました ( 私はドラムですから見ていただけですけど )。 女子高生が 10 名ぐらい親衛隊みたいに毎日聞きに来るのです。 どうも、お目当てはギターの N 君です。 しかし、彼は女性には全く興味を示さずギターの練習に没頭し、彼女らを相手にしません。 私だったら遠慮なくお相手しますけど。 世の中はうまく行きませんね。
■ 私だって高校時代もてた事があるのです。 ある日、長いスカートの女子高生が私のところに来て、「 ちょっと顔ば貸してくれんね 」 と言うので、のこのこ付いていきました。 大通りに面したスタンドだけの小さい喫茶店でした。 一番奥のカウンターに座っている女性が周りに 3 名を立たせて従えています。 なんかやばい雰囲気です。 奥のカウンターの女性が 「 あんた私と付き合ってくれんね 」 と告白されてしまいました。 その時どう答えたか記憶に残っていませんが、デートとかしてないので、結果的には付き合わなかったのでしょう。 後から聞いた話では、彼女は KB 女子高の番長だったらしい。 付き合ったら意外と面白かったかも知れない。
■ トヨグライド、ホンダマチック、日産マチック ・・・ 懐かしい。
■ 溺れかけて九死に一生を得た K 君。 K 君は金づちなのに、ウィンドサーフィンを毎週末にやっていました。 「 楽しいよ 」 と言うので一回見に行った事があります。 結構沖まで出ています。 その時は K 君が金づちなんて思いもしませんでした。 ある日、友人達とその家族で ( K 君は独身 ) 海水浴に行きました。 その時です K 君が溺れているのを N 君が見つけて勇敢にも速攻で助けに行きました。 相当長い事溺れていた様で、殆ど血色もなく人工呼吸をしても、やばい状況でしたが、救急車を呼ぼうとした時、彼は意識を取り戻し周りは安堵しました。 泣いている人もいました。 その時の彼の話を聞いていると、気を失いかけた時 「 お花畑が自分の周り一面に広がっているのが見えた 」 と言います。 恐らく彼は死の淵に立っていたに違いありません。 その後、事ある毎に N 君は 「 命の恩人だ 」 と話していました。 今は両名とも天国にいます。
■ テレビ朝日の 「 刑事 7人 ( 毎週水曜 よる 9:00~ )」 7月 19日放送分で、主演の 東山紀之 さんの横顔の長いシーンがありました。 照明の関係で 東山紀之 さんが 三重顎 である事がハッキリ分かりました。 ひどい照明ですね。 下から当てれば消せたポイントがあったかも知れません。 撮影や録音に比べて照明は上手い下手が出やすいプロの職業だと思っています。 そう言えば 「 必殺シリーズ 」 の照明は衝撃的でした。 最近の CM で 「 ん~? 」 と思ったのが、有村架純さんの横顔の長いカットです。 具体的には言えませんが、自分の顔の欠点をさらけ出す様で、嫌だったと思います ( そのせいかどうか分かりませんが、短命な CM でした )。 タレントさんの中には撮影の方向をカメラマンに指定する人もいます ( 左前からだけにして下さいとか )。
■ 福岡市の老舗のデパートで 岩田屋 と言うのがあります。 随分前の話ですが、憂歌団の 「 胸が痛い 」 と言う曲が CM に使われました。 「 胸が痛い 」 は憂歌団にとっては比較的ポップな曲です。 時を同じくして天神西通りのバケーションと言うライブハウスに憂歌団が来たのです。 私も行きましたが店内は若い女性ばっかりです。 彼女らが知っているのは恐らく 「 胸が痛い 」 だけです。 「 お前らは憂歌団がどんなバンドか知っているのか! 」 と叫びたくなりました。 所詮若い女性に憂歌団の癖の強いブルースなんて分かる訳もない。 もしライブ前に予習してそれでもなお、聴きに来た女性がいたとしたら、私は前言を撤回します。 お友達になれるかも ・・・ 。
■ 野球の話です。 ツウストライク・ワンボール と言っていましたが、米国に合わせて ボール を先に言う様になりました。 私はどうしても馴染めませんし、なんか気持ち悪いのです。 気になってどうしてだろうと考えていたら、私だけに通用する ⁉ 理由がわかりました。 どちらから先に言っても 七五調 なんですが、ツウストライク・ワンボール の場合 ( ストライクを先に言う場合 ) は、七音・五音でおさまり ( 着地 ) がいいのです。 逆の場合は 五音・七音 でおさまりが悪く、あと五音 欲しくなります。 俳句とか演歌の歌詞の場合と同じ様にです。 例えば ワンボール・ツウストライク・ワンアウト とくるならば 五・七・五 でキッチリおさまります。 これは日本人 ( 私だけ? ) 特有の感覚なんだと思いますが、現場は慣れるまで大変だったと思います ( 知らんけど )。 ある意味日本のプロ野球の歴史を変えた訳ですからね。
■ 私が小さい時に読んだ漫画には、こんなものがありました。 少年画報、少年マガジン、少年サンデー、少年、ちょっと後発で、少年ジャンプなどです。 ところで今、フリ-ハンドで書けるキャラクターはありますか ?。 ドラえもんは数え歌がありましたから、今の子はほぼ全員書けると思います。 私達の時代は、鉄腕アトム、鉄人 28 号 他ではないでしょうか。 私は、鉄人 28 号や手塚治虫先生のヒョウタンツギが得意です。 先日、孫と水風船を作った時に書いてみました。 平面に書くよりリアル感がありますね。 横山光輝先生よりも上手いかも、なんてありえないが、60 年以上も前の漫画キャラクターをいまだに覚えているなんて素晴らしい ( でしょ )。
ゴルフではよく 「 ナイス・ショット 」 と言います。 昔、「 ナイス・ショット 」 は間違いで 「 グッド・ショット 」 が正しいと誰かに聞いた事があります。 つまり、ネイティブは 「 ナイス・ショット 」 とは言わないと言う事です。 当時はすごく気になっていたのですが、ゴルフをやめてから数十年が経っており、その事をすっかり忘れていました。 最近ゴルフ番組をよく見る様になり 「 ナイス・ショット 」 が再び気になりだしたのです。 そこで、ナイスとグッドの違いをネットで調べてみました。 ナイスは、何かの基準と比べるのではなく、自分がそう思う良いイメージを表します。 グッドは、度合いを比較する基準があり、明らかにそれ以上のレベルであることを表します。 「 ナイス 」 は 「 心地良い、感じが良いなど、感覚的な面で良いこと 」 を言い、「 グッド 」 は 「 評価が高い、善良など、性質的な面で良いこと 」 を言う、とあります。 どうやら昔聞いた 「 グッド・ショット 」 が正しい と言うのは本当だった ( ナイス・ショットは和製英語らしい )。 ゴルフは海外から伝わったスポーツなのに、どうして 「 ナイス 」 になったのでしょうか ?。
「 あるもの 」 に対して情報通を名乗るなら、せめてウィキペディアに載っている情報ぐらいは最低限の知識なのではないでしょうか。 私の音楽仲間は、エリッククラプトンをはじめとする昔のブルース・ロック系の音楽が好きです 。 私はそれにプラスして、ブラック・ミュージックも好きです 。
数十年前、東京 ➡ 福岡便の飛行機の中で後ろの席の 「 ステッペンウルフ のボーカルって誰だったっけ 」 「 ん~誰だっけな~ 」 と会話が聞こえてきました。 答えが出そうもなかったので、余計なお世話だと思いましたが振り返えって 「 ジョン・ケイじゃないですか 」と口を挟んだんです。 すると、その人が私を尊敬するような目で、ここにも俺たちみたな仲間がいた ・・・ しかもジョン・ケイを知っているなんて、ちょっとただ者じゃないぞっと、ぐっと距離を縮めて来ました。 余計な事を言ってしまったため、もしこの後、ロック談議を仕掛けて来ないか心配になりました。 そうです、ジョン・ケイはたまたまバンドでステッペンウルフのボーン・トゥ・ビー・ワイルドを演奏していたから知っていただけなのです。 この後、成り行きによっては失態をさらけ出す事にもなりかねません。 幸い話はそこまでで事なきを得ました。 【 教訓 】 たまたま ( 偶然 ) 知っていたからと言って知識をひけらかすと大怪我をするかもしれない。
私の尊敬する人がいます。 G 氏です。 ブラック・ミュージックに関しての知識で言えば、福岡西中洲で Soul Bar GOODIE'S を営む G 氏に勝てる人はいないでしょう。 全国的にも有名な人です。 私も、好きな音楽はブラック・ミュージックであるけれど、私の知識など、G 氏にとってみれば、ほんの入り口にしか過ぎないと思われます。 私の場合は単なるライトなブラック・ミュージックのファン程度でしょう。
私は、「 あるもの ( 例えば音楽 ) 」 に対して突出的な知識や技術 ( 演奏など ) を持っていて、専門の雑誌にコラムを持っていたり、FM 放送でパーソナリティーを務めたり、書籍を出版したりイベントを企画したりと、それを生業としている一部の人々に憧れを持っています。 所謂、本物のプロフェッショナルと言われる人たちです。 ミュージシャンもしかり極一部の人間しかそれだけで飯を食えていません。 私は全てに於いて中途半端な人生を送って来ました。 もしもタイムマシンで過去に戻れたとして ・・・ 私 「 将来、何かのプロフェッショナルを目指したいんですけど 」 占い師 「 ん~ 何かのプロフェッショナルになっているあなたの姿が見えません 」。
■ JARL NEWS に綴じ込んである、局名録掲載申込書によると、「 空中線電力の掲載については、制度改正により無線局免許状に記載されないことになり、写しによる確認ができないことから、会員局名録への掲載をおこなわないことになりました 」 とあります。 総務省無線局等情報検索 で確認が出来るのでそのハードコピー 添付でもいいような気がします。 ひょっとしてこのサイトからも空中線電力の記載が消えるとか ?。
■ 1972 年頃の話ですから時効成立と言う事にしておいてください。 FT-101 系は約 10 万台売れた様です。 発売年のハム人口は 18 万局、JARL 会員が 54,000 局でした。 後にも先にもこの記録は破れないと思われます。 実はハムだけに売れた訳ではありません。 A3A が出せるトランシーバーとして CB にも絶大なる人気がありました。 パネルにも 11m BAND が堂々と刻印されていました。 当時の 11m BAND をワッチすると EU が強力に入感していて、ある日、不覚にも PTT を押してしまったのです。 イタリアの局でした。 相手のコールサインは忘れましたが、自分は JV と名乗りました。 QSL が欲しいと先方が言うので借りていた私書箱の番号を教えると、ものの数日で立派な QSL が届きました。 終活にあたり身辺整理をしておりますが、その QSL はまだ発見出来ておりません。
■ MLB ではストライクゾーンを CG で表示しています。 球審に取ってかなりのプレッシャーでしょう。 しかし、見事なまでに判定を間違う事はありません ( たまに炎上する程の誤審がありますけど )。 日本の球審はここまで正確に判定出来るでしょうか。 裁判所などは合議制でしかも時間をたっぷり掛けているにも係わらず誤審 ( 冤罪 ) があります。 球審はストライク、ボールの判定以外にも即時判断しなければならないのです。 しかも、プレーヤーと観客の視線を浴びながらの判定ですから、強靭なメンタルを持っていないと出来ない職業だと思います。 俺がルールだ ! とね。
■ 年を取って来ると、バースデーケーキのロウソクの本数も増えていきます。 そうなると一度で吹き消す事が出来ず、二回目にチャレンジするために大きく深呼吸をすると、前に消したロウソクからの煙を思いっきり吸い込んでむせた事はありませんか ?。 あるあるですよね。
■ 我が無線の歴史。 開局から一年目で上京したためにアパート暮らし、いきなり HF は QRT 状態となるが、まだ TR-1000 でローカルと夜な夜なラグチューが出来たので、ホームシックにはならなかった。 結婚後再び QRT となるも、子供から手が離れるまでは、妻の顔色を伺いながら、小さいアンテナで QRV し、送られてくる少ない QSL を眺める事で取り合えず満足とする。 子供の手が離れる頃から、もう妻や子供の事なんて頭になく無線にフルスイングとなる ! 。 これだけ寝食を忘れて仕事をすれば、相当出世が出来ただろうねと同僚からからかわれる。 QSL も海外から毎回 100 枚ほど届き、それに伴い DXCC も徐々に増えて行った。 開局当時の目標が DXCC だったので一応目標達成した事になる。 ところが DXCC も 200,250,300 となって来ると、今度はオナーロールが欲しくなる。
DXCC も落ち着いて来ると、パイルアップに飛び込んで 599TU で終わる QSO に疑問を抱くようになる。 昔は名前、QTH、リグの紹介、天気だ、気温だとラバースタンプではあるけれど、一応話らしきものをしていたではないか。 今は殆どレポート交換だけで逃げて行きます ( JAにラグチューのスキルがないのが原因ですが )。 と言って今更 7MHz で国内 QSO をする気になれません。 私の知っている 7MHz ではなくなっているし、環境、ルールなど一変している感じで飛び込めません。 いったいアマチュア無線って結局何だったのだろうか ?。 昔の友人は無線を止めており 羨ましい 限りです。 私もきっぱりと無線を止められたなら、こんなくだらない事で悩む事もなかったでしょう。
結局、開局 1 年目 ( 1965 ) の思い出が全てを解決してくれます。 アンテナの立っている家にアポなしで訪問しても OM は歓迎してくれた。 OM の夢の様なシャックが忘れられない。 この頃はアマチュア無線の専用機はなく、米軍の払い下げの機器や自作機でシャックが構成されていました。 とても自分の手に届くものはなく、大人の世界でした。 ある日アンカバで QRV したらすぐに捕まって説教を食らいました。 CQ 誌の新局速報版の進み具合から、自分のコールサインを予想して QRV したのでした。 どうしてばれたんだろうか、未だに分かりません。 実際に割り当てられたコールサインは JA6FGC だったのですが、どう計算間違いしたのか JA6FGM で QRV ( CW で ) していました。 そうです、この頃を超えるワクワク感はありません!一番です。 期待に胸膨らんでいたんです。
■ 終活中ではあります。 一応 IC-7610 はもう手元にありません。 HF に QRV するにはなんと、FT-101E、TS-830S、IC-740 のいずれのリグから QRV します。 随分先祖返りをしているでしょう !。 あれ ? リグの数増えてない ?。 今は仮の姿で、これらも一通り遊んだらオークション行きです。 いずれは全ての機器やガラクタを処分して、最終的にはスッキリと R-4C、T-4XC に落ち着きたいと思っています。 DRAKE 好きなんです。 SSB なら COLLINS、CW なら DRAKE とは思いませんか ?。
■ 何十年も昔の話です。 ご存じ 「 洗濯屋のケンちゃん 」 が当時どうして、今で言うトレンド入りをしちゃったのか分かりません。 青姦のシーンがあり、その場所が何処なのかを検証していく番組がありました 「 タモリ俱楽部 」 です。 今や地上波ではコンプライアンス違反になる番組でしょうね。 それこそ今の時代だったら Google マップ とか ドローン で検証すれば風景から特定できたかも知れません。 しかし、当時はアナログで、全員が草むらに繰り出し、草をかき分け何か裏付けとなる物的証拠を探すというものです。 今で言う「 あたおか 」 の番組ですね。 ミニスカポリス とか ギルガメッシュ ( カメラは出来るだけ下から ) この類の番組です。
■ クラブに入会したいと思う切っ掛けのひとつが、統一カードに印刷されているクラブのロゴが格好いいい、自分もあのロゴを QSL に印刷して拍を付けたい。 なんて事もあるでしょう。 クラブの入会手続きが厳しいほどハイクラスと言えるかもしれませんが、そのため排他的で閉塞感に陥る事もあるでしょう。 二名のクラブメンバーからの推薦で会議に諮り反対者がいない事を条件に入会が叶うなんて厳しいクラブ ( 超有名な DX クラブなど ) もありながら、事務局の OM に貴クラブに入会したいと意思表示をするだけで入会出来るクラブもあります ( 地域クラブなどが多い )
逆にクラブのロゴがダサいと、どんな有名なクラブだろうと気乗りがしないものです。 ライオンだか猫だかはたまた犬なのか、そんなロゴもありますね。 以前にも書きましたが、私は QCWA のロゴがすきでした。 ハム歴 25 年と言うのが入会資格でしたが、今や全員に資格があるものと思われます。 クリッパートン DX クラブとか、NCDXC、SCDXC、等々に入会している日本人もいらっしゃるようですが羨ましい限りです。 私は現在 JARL QRP クラブと A1 クラブに属していますが、会費もないし、自分はなんの行動もしていませんので、退会しようと思っています。 唯一クラブとは言えない、ローカルの 4 人で 「 4 人会 」 と言うのがありまして、コロナで活動が制限されていますが、飲み会をやっています。 以前は ATB48 と言うグループだったんですよ(笑)。 幹事が予約を入れる時 「 ATB48 でお願いします 」 と言うと 「 はっ? 」 と二度聞きされるので、恥ずかしいと言う事で、現在は 「 4 人会 」 と称しています。 ところで、「 ちょい悪おやじの会 」 は健全でしょうか ?。
■ 古い話でごめんなさい。 東北楽天ゴールデン・イーグルスのユニフォームが決まった時、「 えっ 」 と思った人がいたはずです。 早稲田カラーに丸被りじゃないか。 あの色は早稲田カラーなんだから他のチームは使ってはいけないんじゃなかろうかと思うのです。 しかも球団ロゴ、帽子についているロゴが、最初はカタカナの 「 モ 」 に見えたし、最近では 「 毛 」 に見えてしょうがない。 勿論 Eagles の E に羽が生えたデザインである事は了解していますが ・・・ 。
■ バブルの頃、博多 ( 福岡 ) には多くのディスコがありました。 親不孝通りの途中から左折すると、そこはマリアストリートと言われ、大小のディスコが存在しました。 イマジン、マリアクラブ、近辺にはマハラジャ福岡、天神にはラジオシティーなど。 ある日私たちは 4 人でマリアクラブに行きました。 なんとドレスコードがあって、ジーンズでは入場できないと言う。 と、その時、彼がジーンズを脱ぎ始め、「 ジーンズ穿いてなきゃいいんだろ 」 と言ったのです ( お前は一休さんか ) 。 一瞬、黒服に動揺が見られたが、通る訳もなく 「 お客さん勘弁してください 」 と追い帰された。 二回目からは失敗はしない。 地下一階と二階がありまして、私たちは地下二階です。 ここは大人の世界、R&B、Soul など洋楽専門で踊りもワンランク上です。 地下一階はアン・ルイスの六本木心中などの J-POP もかかります。 若者の世界です。
さて、イマジンを借り切って結婚披露宴をやったバンドマンがいます。 友人なので参加しました。 新郎新婦が両親や兄弟などを紹介するコーナーです。 新婦の番です 「 え~ あそこが立っているのが私の父です 」 と言ったのです。 大爆笑となりました。 正解は 「 あそこに・・・ 」 なんですが爆笑の中では訂正も効かず、現在でも語り草 ( ネタ ) になっています。 この時が一番盛り上がったのではないでしょうか (笑)。 奥さん GOOD JOB !。
今日のライオンズ戦は、前半一度は逆転されたものの、5 回表に柳田の適時打などで逆転に成功、以降毎回得点で、結果は 9:3 と安心して観戦できました。 ところで責任投手 ( 勝利投手 ) はどの様にして決まるかは一応知っているつもりです。 しかし、今日のケースはあまりにも理不尽です。 石川投手が可哀そうに思います。 先発の石川投手は 95 球を投げ、ホークスが 4:3 とリードしていた 5 回裏、あと一人で勝利投手の権利を得るところだったのですが、ランナーを二人だしてしまい、なんと 4 回と 2/3 で降板と言う厳しい采配に ・・・ 次の田浦投手が 1/3 を 2 球で抑えてチェンジ、田浦投手はこの 2 球で降板です。 その後はホークスが順調に加点をして一回も同点、リードされることなく 9:3 で試合終了となり、田浦投手はたった 2 球で白星を掴んだのです。 石川投手は続投したかったでしょう ( せめて 100 球までは )。
実は先日も似たような事がありました。 マイネロが継投で登板し、1 回を投げ同点に追いつかれたが、次の回に味方が点を取り、勝利投手になっています。 つまり 5 回 ( 以上 ) を投げて勝利投手の権利を持っていても、その後の展開では権利が消えてしまいます ( 俺の努力は何だったんだ )。 そんな訳で投手の 「 勝敗 」 は運、不運もあり額面通りには受け取れないと言う事です。 先発投手が完投を目標とする時代から分業制に変わった現在では、こんな事象は結構 「 あるある 」 と言う事を再認識しています。 防御率が投手の成績 ( 優劣 ) で一番確かなものかも知れません。
昔、巨人の江川が選手時代 「 自分が 0 点に抑えても味方が点を取ってくれなくては勝利投手にはなれない 」 と言っていました。 江川は防御率がよかったため、味方が 3 点とったらもう負けはないと、江川本人も野手も思っていたとか ( 昔は先発したら完投するのが当たり前だったから )。 しかも江川が投げると試合が早く終わるので、野手は Welcome だったそうです。 早々と何処に飲みに行こうか相談していたんだって (笑)。