■ 1970年 ( 22 歳の時 )
録音スタジオ ( 麻布十番一丁目 ) に就職し社会人として第一歩を踏み出しました。 仕事の内容は、音楽、テレビ CM、ドラマ、アニメ、映画などのダビング ( 仕上げ ) をする会社です。
作業内容は、映画 ( 本編 ) の場合を例にすると ・・・ ラッシュ ( ダビング作業用のフィルム ) を、映写係が映写室から映写機でスタジオ内のスクリーンに映します。 コントロール室では
フィルムに同期 をさせた台詞や効果音のシネコーダー ( 16mm 磁気テープ ) が連動してスタートし、スタジオでは、録音助手がフィルムにマーキングしてあるポイントで 6mm テープで
ポン出し ( タイミング出し ) で音楽や効果音を適宜足していきます。 コントロール室で作業している人数、制作、助監督、効果、スクリプター、編集、マネージャーなども入れると、総勢 15 名程がシンクロで作業をします。 今の様にコンピュータ・ミックスではありませんから、誰かがちょっとでも間違ったら最初からやり直しです (笑)。
最終的にミキサー ( 録音技師 ) によって音量・音質・バランスなどの調整 ( 調整卓は沖電気、モニターは ALTEC LANSING A7 ) が行われ、ミックス・ダウンされた完成音が、同期しているシネコーダー ( 35mm 磁気テープ ( WESTREX LRA-1551 )) で録音されます。 そして、光学録音 ( オプチカル録音 ( RCA PM80 )) までが、我が社
録音スタジオ の仕事です。 その後、現像所 ( 東洋現像所 ( 現 IMAGICA ) など ) を経て試写会が行われ映画が完成します。
1970 年頃のダビング・スタジオ
90 分くらいの映画の場合フィルム長は 2,400m 位あり、一度では映写機に掛かりませんのでダビング作業も 8 巻位に分けて仕上げられます。 そのため、フィルム時代の映画を映画館で見ていると、巻の終わりに画面右上に
丸い印 ( パンチ ) が出ます。 映写技師はそれを確認すると、もう一台の映写機をスタートさせ、同時にシャッターを切り替えます。 空いた映写機には次の巻をスタンバイします。 一本の映画はこの様に上映されています。 【 映写技師 】 昔はフィルムが可燃性 ( セルロイド? ) だったので資格がいりました。
同年頃の
音楽録音スタジオです
■ ”
大蔵映画 ” をご存じでしょうか ?。 成人映画の制作会社です。
日本で初めて成人映画 ( ピンク映画 ) を作成した会社です ( 後発に日活ロマンポルノ )。 大蔵映画の社長
大蔵貢氏の実弟で副社長の
近江敏郎 さんは ( 歌手、作曲家のイメージが強いと思います ) 大蔵映画では監督 ( 脚本 ) もやっていました。 成人映画と言えば
小川欽也 監督が有名ですね。
山本晋也 監督も忘れてはいけません。
その
大蔵映画 の仕上げを、何と ‼ 何と ‼ 我が
録音スタジオ でやっていたのです。 ダビング作業当日は男性社員が映写室に鈴生りになります ( 部外者はスタジオ内に入れないため映写室に集合する )。 アフレコから完成まで入れ代わり立ち代わり見に来ます。
大蔵映画 の仕事が入ると映写係を希望者する者多かったとか (笑)・・・。
2006 年まで、福岡市には
福岡オークラ劇場 Ⅰ・福岡オークラ劇場 Ⅱ と直営館がありました。 現在、映画館上映の成人映画はどうなっているのか知りませんが、当時の映画産業は低迷の時代でしたから、映画館自体が廃業に追い込まれていました。 今は成人映画は専らレンタルビデオ屋で借りて観る時代なのでしょうか ?。 '70 ~ '80 年代の成人映画の名作は相当数 DVD になっている様です。