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曽野綾子さんと 私
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作家 曽野綾子
曽野綾子さんが2月28日に亡くなったというニュースを耳にして以来、何かもやもやするものを胸に抱えて時間を過ごしてきた。
過去に私は曽野さんと何度か会っていた。有名女流作家と無名の田舎司祭との出会いではあったが、その都度それなりの手応えがあって、今振り返って、あれはいったい何だったのかと総括したい衝動に駆られる。
曽野さんとのコンタクトは、たいていは親しい共通の友人を介してか、彼女の秘書を通してで、直接彼女に電話できる距離に私はいなかった。
当時私は、四国の高松で深堀司教が開いた神学校の建物の建設で忙しかった。取りあえず1億円が必要だった。私は秘書に曽野さんとのアポをお願いしたら、曽野さんからの返事として、わざわざ東京まで来なくても、自分が高松まで行くからその時のお会いしましょう、という話になった。
彼女は障害者を聖地イスラエルに連れて行く巡礼を何度も企画していた。そして、過去の巡礼経験者の総会を毎年、あちこちところを変えて開いているとのことだった。それが、その年はたまたま高松のリーガロイヤルホテルで開かれることになっていたのだ。
招かれた日に行ってみると、広いホールに丸テーブルがいくつも置かれていて、私はメインテーブルと思われる席に案内された。定刻に現れた彼女は、なんと、私の隣の席についた。曽野さんからは「この人は神父様で・・・」と紹介されて、いきなり挨拶と食前の祈りを頼まれた。不意打ちにいささか面食らったが、ははん、曽野さん私の力量を試しているな、と悟って、敢えて紋切型ではない即興のお祈りでしっかり話を締めくくった。多分彼女の期待に背かず及第点をもらったと思う。
あとは、予定通りのスケジュールでことが進み、食事のあいだ中は親しく二人だけの話もたっぷりできた。その中で彼女からの話題の一つとして、彼女の聖地巡礼団の同伴司祭を引き継いでくれないかという提案があった。今までの神父さんはもうご高齢で、そろそろ交代してもらおうと考えている、と言うのである。以前の私なら快諾したかもしれない。しかし、私は自分の小さな教会の世話と教区会計主任の仕事で手いっぱいの上、神学校問題も抱えていたので、丁重にご辞退申し上げた。内心では彼女の巡礼団の同伴司祭になれば、彼女と接する機会もぐっと増え、いろいろと面白いこともあるだろうという未練はあったのだが・・・。
慈善事業家 曽野綾子
その後、私は教皇ベネディクト16世の手でローマに移植された高松の神学校に付き添ってローマに移り住んだ。数年後のある日、東京の友人から「六本木男声合唱団」の一員としてローマに行って聖ペトロ大聖堂で歌うことになったから、ぜひ聴きに来るようにと招かれた。同合唱団は二人の元総理経験者も団員に含むセレブなグループで、友人はその中では最年少格だった。
コンサートの日、見上げるような円天井の下、バチカン大聖堂の大理石の床にコツコツとヒールの音を響かせながら一人のご婦人が歩み寄ってきた。「神父さま~!」という親しげな明るい声の主は曽野綾子さんだった。全く想定外の鉢合わせだったが、彼女は私のことを忘れていなかった。彼女はたまたま合唱団団長の作曲家三枝成彰氏の同行者して来ていたのだった。
ひとしきり歌うと「六男」(ろくだん)—と団員は自分たちを呼ぶ― の一行は団長と食事に流れていったが、曽野さんはそのグループを抜けて私ともう一人の知人と三人で別行動をとり、狭い路地のコージーなレストランに入ってワインを傾けた。そんなときの彼女は実に気さくな女性だった。
今、彼女の訃報から1か月、曽野綾子という女性はどういう人だったのかと問い返している。カトリック信者の著名人という意味では、「沈黙」の著者の遠藤周作や、政治家の麻生太郎や、映画「寅さん」の渥美清などが頭に浮かぶが、そういえば石破首相もクリスチャンだし、トランプもプーチンもゼレンスキーもヨーロッパのほとんどの政治家がクリスチャンだ。
彼女は聖心女子大の先輩として上皇后美智子さまとお親しい仲だった。しかし、同じ曽野さんは、戦後A級戦犯として巣鴨プリズンに収監された笹川良一とも親交があり、その没後は「競艇」(全国モータボート競走会連合会)の財団法人日本船舶振興会—現在の「日本財団」—の会長を引き受けたりしている。
ギャンブル会のドン 笹川良一
また、議会を解散して軍事クーデターで独裁者となったペルーのアルベルト・フジモリ大統領が失脚して日本に亡命した時は、私的に彼をかくまったりした。そのフジモリは1996年の在ペルー日本大使公邸占拠事件のとき、投降したゲリラを全員射殺した容疑で殺人罪に問われている人物だ。
殺人容疑者 アルベルト・フジモリ大統領
曽野綾子さんとの関係を総括すると、私は寄付で集めた資金を海外の福祉、医療、教育などの分野に多額の支援をしてきた彼女に、高松の神学校のためにも力になってもらいたくて近づいたが、その目的は達せられなかった。彼女は特にカトリックの修道女たちの活動に積極的資金援助を行ってきたが、その対象はもっぱら社会活動に対する支援で、聖職者を養成する神学校のような純宗教的活動は彼女の支援の対象になりにくかったからかもしれない。
他方では、彼女の障碍者聖地巡礼団の同伴司祭の仕事は、私にとっては有名作家と二人三脚を組む魅力的な仕事ではあった。しかし、私が追求する純宗教な活動とくらべれば、半ばツアーコンパニオンのようなサービスで、本命の司祭職の範疇から逸れるように思われて、私の心が動かなかった。
曽野綾子と「競艇」ギャンブルのドン笹川良一や、ペルーの独裁者アルベルト・フジモリ大統領の関係は、芋づる式に政界のフィクサー児玉誉士夫や岸信介や統一教会(勝共連合)の教祖文鮮明など右翼の大物と繋がっていて、なんとも胡散臭い。日本の文壇では、彼女のアンチテーゼのようなノーベル文学賞に輝く大江健三郎のほうが私の肌にはぴったりくる。
ノーベル文学賞作家 大江健三郎
大江健三郎は、頭蓋骨異常で重度の知的障害を持って生まれた長男の光を授かった時、一瞬その死を願って葛藤するが、原爆の広島に巡礼した後、息子と共生する道を選び、その成長を見守る。4歳になっても人間の言語を話さなかった光君が、鳥の声に反応するのでレコードで鳥の声を一年間聞かせたら、軽井沢の森を二人で散歩していてふとクイナが鳴いたとき、突然「クイナです」と人間の言葉を発した。耳を疑ったが、祈るような思いで待つうち、もう一度鳴いたとき光君はまた「クイナです」と言った。それから光君の中にモーツアルトの再来を思わせるような音楽的才能が開花して、後に作曲家になる。成長して父親よりも大きくなった息子の鈍重な体を見ながら、復活したら光にはギリシャ彫刻のような均整の取れた美しいからだがその魂には相応しいという意味の言葉を残しているが、一見無神論者のような大江に、並みのキリスト者には期待できないほどの神への信仰と永生の希望を私は垣間見る。私はそのような信仰を曽野綾子や遠藤周作の小説の中に感じ取れない。
他方、曽野綾子が組織した海外法人宣教者活動援助後援会(JOMAS)では、彼女はどんなに危険な貧困のへき地であっても、支援した海外の事業を几帳面に訪問してまわり、渡したお金が目的のために正しく使われたことを自分の目で確かめ、かつ励まして歩く姿に、私は感動を覚えた。また、クリスチャンの立場からか、靖国神社に代わる国立追悼施設建設に賛成するなどの姿勢には共感を抱いた。さらに、「目くら」や「びっこ」などの言葉をうっかり用いた作家が、反差別運動家によってつるし上げられ金をむしられるのを見て、「そんなことを言っていたら日本語が貧しくなる!」とピシャリと一喝した姿に、カッコイイと胸がすく思いがした。
とは言え、カトリック作家と呼ばれる曽野綾子が、どこかでディープステートと深くつるんでいるのではないかという疑惑が拭い去れないところに、カトリック神父になったわたしとはどうしても相容れないものを動物的本能で感じる。遠藤周作がカトリック作家と呼ばれ、麻生太郎がカトリック政治家と呼ばれるときも同じ胡散臭い気分になった。その点、瘋癲(フーテン)の寅さんの渥美清がカトリック信者であると知る人ぞ知ることに、爽やかさを感じる。
ひょうきんで繊細で照れ屋の寅さんを演じる渥美清と裏腹な、彼の人間嫌いかと思わせる人目を避けた謎めいた私生活のはざまに、渥美清の人間愛に満ちた信仰がにじみ出ているのではなかったか。
映画俳優 渥美清