:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 「金持ちの青年の場合」 谷口神父の = ビフォー アンド アフター =

2025-03-16 00:00:01 | ★ 特種ニュース

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金持ちの青年の場合

谷口神父の = ビフォー アンド アフター =

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ローマの中心にカンポ・ディ・フィオーリという美しい広場がある

その真ん中にジョルダノ・ブルーノの銅像が立っている

 なぜこの写真がこのブログを飾っているのかは最後までお読み頂ければわかります

 

 わたしは、聖書の中にある人物の物語を読むと、なぜか、その人がその後どうなったか気になってならない。

 例えば、放蕩息子のたとえ話の場合はどうか。放蕩息子の兄が野良での一日の労働を終えて帰ってくると、家の中から音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、一人の僕(しもべ)を呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、僕は「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。」と言った。兄は怒って家に入ろうとはしなかった。父親が出て来てなだめたが、兄は頑なに心を閉ざした。

 父親は仕方なく兄を残して家の中に戻っていった。日が暮れた。召使はいつも通り門を閉めた。夕闇が迫り、寒さと飢えと孤独が忍びよってきた。ここまでが「ビフォー」。そして「アフター」。その後、兄はどうなったか?

 私の想像では、にわとりが鳴いて夜が明けると、召使は門を開けた。しかし、そこに兄の姿はなかった。放蕩者の弟が遠い国で父の財産をばらまいて遊び惚けていた間、父のもとで忠実に勤勉に働いていた兄は、二度と父の家に戻ってくることはなかった。これが私のイメージする残酷な「アフター」だ。

 

さて、今日取り上げる「ビフォー アンド アフター」物語は、有名な「金持ちの青年」のエピソードだ。

 この話にはマタイ、マルコ、ルカの3つのバージョンがあるが、どれもほとんど大差ない。そこで、他のバージョンも参照しながら、一番古いと目されているマルコの福音書をベースに考えてみよう。

 イエスが旅に出ようとされると、一人の青年が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬えという掟をあなたは知っているはずだ。」

 すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。

 イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。それから、わたしに従いなさい。」

 その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」と言われた。しかし、イエスは加えて「人間にはできないことも、神にはできる」とも言われた。

 

 イエスは彼を見つめ、慈しんで「行って持っている物を売り払い、それから、わたしに従いなさい。」と言われた。(この「慈しんで」はマルコだけにある。)

 ちなみに、「わたしに従いなさい。」は3人の福音史家がそろって記している。これは、イエスがガリレア湖のほとりで最初の弟子たちをリクルートした時の「私に従いなさい。(人間をとる漁師にしよう。)」と言われた時の言葉と同じだ。違いはガリラヤの漁師たちの場合は、網を打っている彼らにイエスの側から声をかけたのだが、金持ちの青年の場合は、イエスが旅立とうとしている矢先に彼の方から走り寄って、ひざまずいて「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」と言ったくだりだ。彼は旅立とうとする先生にぜひとも弟子として付いて行きたかったのだ。イエスもその彼を慈しみと愛をこめて見つめ、「私に従いなさい。」と招かれたのだ。イエスはすでに無学で貧しい労働者を選んで弟子にしていた。しかし、自分の教会を託したペトロの船が、厳しい歴史の荒波を人類の終末まで無事渡り切るには、彼らだけでは心もとないと思われていたかもしれない。

 そこへ現れたこの青年は、すでに選んだ弟子たちのグループを補強するための格好の弟子としてイエスの目に映ったはずだ。「私に従いなさい。」と言われたときの慈しみと愛のこもった眼差しがそれを如実に語っている。

 この青年は、他の弟子たちに欠けていた資質を豊かに持ち合わせた全く対照的なタイプだった。都会に住むピッカピカのファリサイ人で、学問があり、ギリシャ語も話し、律法を忠実に守る頭脳明晰な金持ちのエリートで、彼一人でも他の使徒たちの力量をこえる優れた13番目の弟子となるには、まさにぴったりだった。

 最初の弟子たちはもともと貧しい漁師たちで、何の困難もなく網も船も父親も捨てて、ただちにイエスに付き従うことが出来た。しかし、この金持ちの青年は、期待を込めて善い先生イエスに走り寄り、熱い思いで是非とも弟子になりたいと望んだのに、イエスの出した一つの条件ー持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさいーがどうしても受け入れられなかった。彼はお金の神=マンモンの神=「悪魔」に魂を握られていたのだ。だから後ろ髪を引かれつつも、悲しみながら去っていくしかなかった。

 ここまでがビフォーだが、私の好奇心は、この金持ちの青年がイエスのもとを悲しみながら立ち去ったあと(アフター)どう身を処したかという一点に集中する。

 この青年は、もともと他のファリサイ人とはひと味ちがっていた。違っていなければ、イエスこそ従うべき善い先生であると感じ、ぜひイエスの弟子になりたいと願ったりしなかったに違いない。それなのに、最後のぎりぎりのところで、イエスの出した弟子の条件を彼はどうしても飲めず、イエスに従いきれなかった自分に躓いた。

 日本語のものの言い方に、「可愛さ余って憎さ百倍」というのがあるが、彼は立派なファリサイ人だから、イエスに付いていけない以上は、自分と同じ他のファリサイ派の人々の群れにのめりこんでいって、そこで彼は自分の能力の限りをつくすことになる。ファリサイ派の人々は早い時期からイエスが自分たちと全く違う価値観を持っていることを本能的に見抜いていた。そして、イエスを亡き者にするために度々難問をふきかけ、イエスの言葉尻を捉えて罠に陥れようとしつこく付きまとっていたことは、聖書の随所に見受けられる。しかも、彼らはいつもイエスの返り討ちにあってギャフンと言わされ、忌々しい思いで引き下がるしかなかった。しかし、それも神の定めた時が来るまでのことで、最後にはローマの総督にイエスを訴え、その手を借りてイエスを十字架に架け殺すことに成功する。

 ファリサイ派や律法学士とユダヤ人の王は、ひとまずイエスを亡き者にすることに成功した。ところが、イエスの弟子たちはキリストが復活したと言い広め、それを信じた民衆は改心して洗礼を受け、キリスト教徒の数は急激に増えていった。それを見たユダヤ人の指導者たちは、キリスト教徒たちの迫害に狂奔する。そして、その急先鋒に立ったのがサウルというファリサイ人だった。その間の消息は聖書に詳しく記されている。使徒言行録9章のくだりを少し辿ってみよう。

 

サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。

 ところが、サウロがダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。

 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」サウロは起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。

 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主は「アナニア」に言われた。「立ってユダの家にいるサウロという名の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」

 しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」

 そこで、アナニアは出かけて行ってサウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、主イエスはあなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、サウロは元どおり見えるようになり、洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。

 サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。

 

画家カラバッジョの描いたパウロの回心

 

 聖書の記述は「アナニアは出かけて行ってサウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、主イエスはあなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、サウロは元どおり見えるようになり、洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。」と実ににあっさりと流しているが、そこに含まれた内容は実に重大なものがある。アナニアはサウロの上に手を置いたとあるが、これは秘跡を行う時に司教や司祭が度々用いる動作だ。すると盲人になったサウロに目を再びひらく奇跡が行われた。同時に心の目開いたのだ。そして彼は改心して洗礼を受けた。もちろん全身水に沈み、古い罪の奴隷の身に死に、新し復活の命を帯びて生まれ変わり自ら立ち上がったのだ。額に水をチョロリと流す自然宗教化したキリスト教の形だけの洗礼はまだ全く知られていなかった頃の話だ。このとき、どうしてもイエスに従うことができなかったあの金持ちの青年について、イエスが財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」しかし、「人間にはできないことも、神にはできる」言われたイエスの言葉が見事に成就したのだ。

 実は、わたしがまだ国際金融マンをしていたころ-つまり今から半世紀も前に-今述べているようなことがすでにわたしの心にひらめいていたのだ。私はあの金持ちの青年は、実は後の使徒パウロであったと確信するようになっていた。私はそのことを、ある老人ホームの施設長をしていた親友のシスターにポロリと漏らしたことがあった。彼女は賢明でバランスの取れた信仰の人だったから、「あまり突飛なことを言うと教会から睨まれるから気を付けたほうがいい」と言い、私はその忠告を守ってその後は誰にも言わず心に秘めていた。しかし、彼女もコロナの前に他界した。私ももう85歳の老人になった。いまさら叩かれても、異端視されてもどうってことはない。自分の心に湧いた確信をどこかに書いて残しておきたいと思うようになり、今こうして書いている。

 その確信とは、「聖書の金持ちの青年は、後の使徒パウロであった。パウロは回心してキリストの弟子になる前に、すでにイエスに出会っていた。」というものだ。わたしはこの話をどこかで読んだわけではない。また誰かから聞いたわけでもない。自分の心の中に湧き上がったわたしのオリジナリティだと信じて疑わない。

 共同訳聖書では、4つの福音書の合計が212ページに及ぶ。福音史家一人平均50ページの計算になる。ルカの福音書を書いた同じ著者は使徒言行録にパウロの言行について実に多くの事を記しているが、それは59ページにも及ぶ。それにパウロ自身が書いた書簡102ページを加えると合計161ページになる。従って、聖書におけるパウロ関連記録は量的に4つの福音書に迫るものがある。それに比べればペトロ自身が書いて聖書に収録された書簡はたった8ページにすぎず、使徒言行録においてもペトロへの言及は少ないから、聖書の中でのパウロの存在感は圧倒的だ。

 カトリック教会の信仰の2大源泉は聖書と聖伝(文字に書かれていない聖なる伝承)だと言われる。聖書におけるパウロの存在はかくも絶大だと言うことは、パウロが教会の信仰の源泉として極めて重要だと言うことを意味する。そして、あの金持ちの青年が後のパウロであったとすれば、イエスは彼が悲しみながら自分の「私に従いなさい」の招きを断って去っていった青年をそのままに捨て置くことはどうしてもおできにならなかったに違いない。彼は生前のイエスに最初に会った時から「異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたし(イエス)が選んだ器」だったのだ。

 イエスは、愛する青年サウロに初めて会ったとき、彼を13番目の弟子としてリクルートしようとして果たせなかった。あの時イエスは無念の思いを込めて「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」と言われたが、「しかし、人間にはできないことも、神にはできる」とも言われた。これは実に予言的で意味深長だ。あの時、金持青年サウロにはできなかったことでも、神が望まれたから、ダマスコの門前で後の同じ青年パウロを光で打って改心させ、ペトロと並んで教会の2大柱の一つにすることがお出来になったのだ。キリストは慈しみをこめて招いたのに去っていった青年のことを決して忘れず、ダマスコでの回心を通して彼の心を捉え、ご自分の思いを遂げて最大の使徒として用いられたのだ。

 余談だが、福音史家ヨハネーイエスの弟子の中で最も年若く、半ばお手盛りでイエスに最も愛された弟子と自称しているヨハネーより、もしかしたらイエスはこの金持ちの青年(後のパウロ)のほうををより深く愛されたのではなかったかと思う。

 

 もちろん、これら全ては私の妄想に過ぎない、と言われればそれまでだ。私はローマのグレゴリア-ナ大学でリチェンチア(ライセンス=神学校教授資格)として教義神学を専攻したが、聖書学の専門家ではない。専門家から激しい批判と反論を受けても私には対抗する力がない。しかし、私の中では、あの金持ちの青年は後のパウロその人だった、という強い確信を消すことが出来ない。

 ローマの町の中心にカンポ・ディ・フィオーリ(花の畑)という名の美しい広場があるが、その真ん中にジョルダーノ・ブルーノの記念碑が立っている

 

カンポ・ディ・フィオーリ広場の中心に立つブルーノの像

 

 ジョルダーノ・ブルーノは宇宙論者であり数学者であったが、地球という惑星が宇宙の中心であるとする当時のカトリックの教義を否定し、中心など存在しないと言った。そのため、彼は投獄され、裁判にかけられ、上の銅像が立つ場所で火刑に処されて死んだ。現代でも、宗教裁判や魔女狩りの体質が教会に皆無とは言えないから恐ろしい。

 炎に消えた異端者、ブルーノ。彼の最後のセリフは「宣告を受ける私よりも、宣告を下すお前たちの方が、真理の前に恐れ慄いている」だったと言われている。

 

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★ 一冊の本:ヘルマンホイヴェルス著「神への道」

2025-02-12 00:00:01 | ★ ホイヴェルス師

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一冊の本

ヘルマン・ホイヴェルス著「神への道」

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ヘルマン・ホイヴェルス師

 

 私の手元に古びた一冊の小さな本があります。その題は「神への道」。著者はヘルマン・ホイヴェルス神父。書かれたのは1946年クリスマスです。

 もう探しても見つからないだろうと思いつつアマゾンの古書で検索したら、あった! 定価 380円 の本に 50倍 近い 18,081円 の高値がついていて驚かされました。

 わたしは18歳の時にホイヴェルス師にめぐり逢い、その後、師が亡くなられるまで教えを受けたのですが、そのわたしも今年12月に師の亡くなられた86歳に達します。しかし、「神への道」を久々に紐といて、今なおその境地にはるかに及んでいないことに限りない畏敬の念を禁じえません。

 余計な解説は野暮というものです。ご一緒に師の言葉を味わいたいと思います。その本はこう始まります。

 

人間は神を探求する

 草木が暗い地中から太陽に向かって伸びようとするように、人間は神を追い求める。あたかも草木が日光に浴して始めて成長し、葉や花をつけ、実を結ぶように、人間も神の御許にあって初めて花を開き実を結ぶ。草木が力の限り、なんとかして日光を求めるように、人間も神を見出すまで、これを探求せずにはいられない。植物がこうして太陽を見出せば、いつもたゆまず枝葉や花を太陽の方に向けるように、人間も怠らず心を神の方にたかめねばならない。ただそうしてこそ、人間は成長し成熟するものだからである。

 

秘められた神

 ところが神は、秘められた神である。世界中を尋ねまわっても、どこにも肉眼では神を見ることはできない。人間の耳では神のささやきは聞こえないように、神はその被造物の多彩で多音な物事のかげに、静かに秘められている。鋭敏な触手をもった人間の心をもってしても、これを捉えて、神が見つかったと歓声をあげるわけにはいかない。神はわれわれ人間とは全く別種のものだからである。

 しかし神はご自身の存在をわれわれに知らせるために無数の使者を、われわれに遣わし給う。神の力によって創造された天も地も、そこにあるあらゆる自然美も神を宣示している。これらの使者を感得するには、ただ目をひらき、耳でよく聞き、心を静めればそれで足りるのである。秘められた神の使者に注目することがわれわれ人間の真の意義である。一生の間、神は秘められたままであっても、われわれは神を見出すまで探求してやまなければならない。神はどこかに現れ給うのである。そして神を見出した後も、神を探求すればするほど、ますます多くのものが神について見出されるのである。

 

 このように始まった師の「神への道」の「あとがき」に、師は記しておられます。

 「本書は、大学生(注)を中心にして行った講義から生まれたものであります。10年の間、紀尾井町の上智の森に集まった学生たちは、「神」「世界」「人間」という人間の永遠の問題を取り扱って研究したのであります。若い人たちは、それぞれ自分の立場をもってこの集まりにやってきました。求める心をもって(何を求めるのか自分ではわからなくても)、疑う心をもって(何を疑うのかさえよく知らなくても)、時には反感をもって(何に反感を抱くのかさえ明確でなくても)、あるいはプラトンのように、世界宇宙に対する存在そのものに対する驚きを抱いて、そしてみな次第に真理の光を浴びて、人生のなぞを解き悟り、さらに真理の光の不思議な温かさまでも心に覚えるようになりました。かれらは、理性から信仰へ、信仰から愛へと進みました。・・・若い人で求める心のない人は、ひとりもいないと思います。彼らもいずれ真理の光を浴びるように!求める心があれば、心を満たすものがあるはずです。太陽が地球を照らすように、神は人の心を照らし給うものです。光をもとめよ!ニューマンの歌ったように、

 

Lead, kindly light, amid the encircling groom!

導き給え なつかしき光よ 周囲の暗闇の中より!

 

 この本が書かれたちょうど10年後、わたしもこの勉強会で学びはじめました。その年、この会に「紀尾井会」という名がつけられました。わたしはその紀尾井会の揺り篭で育ち、今日のわたしがあるのです。

 わたしの魂の師、ヘルマン・ホイヴェルス神父の第41回目の「偲ぶ会」から、私はその主宰の任を引き継ぎました。コロナの危機の間も一度も休むことなく続けることが出来たのは、神様の特別なご配慮のお陰ーほとんど奇跡ーであったと感謝しています。

 今年も師のご命日には第48回目の「偲ぶ会」を開けることを喜びに思っています。今年の6月9日は月曜日です例年通り午後3時から四谷の主婦会館「プラザエフ」で開かれます。ホイヴェルス師の面影を知っている人は年々少なっていますが、ここ数年、師の生前のお姿に接したことのない世代がこの「偲ぶ会」に増えてきました。四谷の聖イグナチオ教会の初代主任司祭、生涯に3000人以上の驚異的な数の日本人に洗礼を授けた聖なる司祭の遺徳を偲び、その教えに学ぶ人たちが、今後ますます増えていくことを祈りつつ・・・。

(注):当時は東大や早稲田や中央や慶応、そしてお茶の水の学生が多く、上智の学生は少数派だった。

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★「書いてはいけない」 = タブー、または「忖度」(そんたく)の世界=

2025-01-25 00:00:01 | ★ 特種ニュース

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「書いてはいけない」

タブー、または「忖度」(そんたく)の世界

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 私は親しい友人に数冊の本を勧められて読んだ。その一冊が森永卓郎著「書いてはいけない」だった。森永氏によれば、絶対に書いてはいけないものとして、ジャニーズによる性的虐待の問題と、財務省の政策批判や不祥事報道、そして、御巣鷹山に墜落した日航123便の真相報道の3つが挙げられている。これらは、カトリックの神父である私にとって、特別に関心度の高い問題ではなかったので、いずれも通り一遍の興味を惹くにとどまっていた。しかし、それらは深いところで私の関心事と根が繋がっていた。

 「まず、ジャニーズだが、私はそれが事務所とジャニー氏が週刊文春を名誉棄損で訴えた裁判でジャニーズ側が全面的に敗訴し、性加害を主要な部分で真実とした高裁判決、および上告を棄却した最高裁判決に関して、TBSが全く報道しなかった事実を挙げている。」

 「TBSだけではない。どこの新聞も、どのテレビ局も、文春を名誉棄損で訴えたジャニーズ側の敗訴の事実を大きく報じたところはなかったようだ。」

 「それは、もし報道すれば必ず面倒な報復を受けるからだ。ジャーナリストなら、業界から締め出しを食って仕事が出来なくされてしまう。ジャニーズ事務所から恩恵を受けていた報道機関が忖度(そんたく)したのだ。マスコミは事務所怖さに見て見ぬふりをしてきたのではないか。」

 森永氏が次に取り上げたのが財務省のカルト集団化だ。マスコミが財務省の政策批判や不祥事報道に踏み込んだ後には、必ずと言っていいほど、税務調査が入っているそうだ。

 「事実、2000年代に入ると、国税当局は一斉に新聞各社に税務調査を展開した。2007年から2009にかけても、朝日、読売、毎日、そして共同通信に大規模調査が入り、申告漏れや所得隠しが明らかになっている。この時期には、マスコミは政権への対決姿勢を明確にし、官僚不祥事を次々に報道していた。これの調査はその〝報復〟ではないかと指摘された。」

 「税務調査による報復は、新聞やテレビだけではなく、週刊誌にも向けられてきた。「財務省のスキャンダルをやった週刊誌の版元の出版社もことごとく税務調査で嫌がらせを受けてます。」それどころか、フリーのジャーナリストの中にも、財務官僚にスキャンダルを手掛けた後に、税務調査を受けたという人が結構いたという。」

 税務調査を恐れているのは大手出版社も同じだ。「財務真理教」(森永卓郎の暴露本)の出版を拒絶した大手出版社の編集長は、「担当としてはやりたかったのだが、経営トップの判断で却下された。今の出版不況の中で、税務調査に入られたら、会社の経営そのものが立ち行かなくなる。会社を守るために断念せざるを得なかった。」「日本のメディアでは、財務省批判は絶対のタブーだ。それは財務省が独裁者だからだ。」などなど。

 3番目は、御巣鷹山に墜落した日航123便のジャンボ機墜落の真相についてだ。私はそのジャンボ機がしりもち着陸をして後部隔壁を損傷し、ボーイング社がずさんな修理をした結果、金属疲労で修理箇所が破裂し、尾翼の油圧システムを吹き飛ばしたためという公式説明を鵜呑みしていたが、それは巨大な嘘で、真相は驚天動地の日本政府が転覆するほどの信じられないような話で、にわかには信じ難いことではあるが、世の中にはそんな信じられないことが本当にあることを知っている私は、もしかしたらこちらこそ真相ではないかと心が動いている。(これは、機会があったら深堀りしてみたい問題だが、今はこの程度にとどめる。)

 私が生まれる2年前の1937年中国の北部で起きた盧溝橋事件は、中国革命軍の攻撃に端を発したという公式発表を当時の日本人は皆信じさせられたが、今では日中戦争に突入するための口実を作るための関東軍の自作自演であったことは常識になっている。しかし、当時の日本人はみな中国人の仕業だと信じていたのも事実だ。

 1963年のケネディー大統領の暗殺事件が、オズワルドの単独犯罪であることを信ずる人は少ないだろう。背後にアメリカの暗黒部分を支配する巨悪の犯罪が匂う。トランプ新大統領はこの度ケネディー元大統領暗殺事件のすべての機密文書の公開を命じる大統領令に署名したが、果たして新しい真相が明らかになるか、興味を持っている。

 ベトナム戦争の最中、1964年に米軍の北爆の口実になったトンキン湾事件もアメリカの自作自演だったことは今では証明されている。

同時多発テロ

 2001年のニューヨークの世界貿易センターコンプレックスを崩壊させた9.11いわゆる同時多発テロだが、10人余りのアルカイダのテロリストの手で4機の旅客機を組織的にハイジャックできるものではないことは、頭を冷やして冷静に考えれば、それが不可能であることはだれの目にも明らかなはずだ。それなのに、同時多発テロとして幕引きが行われて、今もって真相は隠されたままだ。

 私はフリーの放浪神父生活を余儀なくされていた時、グアム島のチャランパゴ教会の主任司祭をしていた友人のS神父に頼まれて、彼の帰国休暇中留守番神父を引き受けたことがあった。羽田-グアムの往復キップだけ用意してくれるならと、休暇気分で留守番神父を引き受けた。ところが、実直な信徒会長さんは、毎月規定の司祭のお手当を出してくれた。江戸っ子は宵越しの金を使わないとばかりに、そのお手当を一部は実弾射撃場でいろんなピストルやライフルや自動小銃をぶっ放して硝煙の臭いを嗅ぐのと、大部分はセスナ機の操縦練習で全部使い果たした。

 もともと国際金融業の激しいストレスから逃れるためにラジコン飛行機を作って飛ばすことを気晴らしにしていた私は、教官の隣の操縦席に座ってグアムの空を鳥のように飛びまわった。頭上を舞う点のように小さなラジコン機の姿勢を見上げながら操縦するよりも実機に乗り込んで操縦桿を握るほうがははるかに簡単だった。離陸してしまえば路上を車で走るより遥かに自由な爽快感に浸った。呑み込みが早いと教官におだてられながら、一番難しい着陸もこなすところまで上達した。セスナ機の巡航速度は時速180-200キロ。着陸時は減速して70-80キロだから道を行く車の速さと変わらない。

 しかし、ハイジャックされた大型ジェット旅客機はそうはいかない。着陸速度はフラップを下ろしエンジンを失速ぎりぎりまで絞っても250キロあたりだが、世界貿易センタービルに突っ込んだ時のボーイング757型と767型機はほぼ巡航速度の時速900キロだったから、素人が教習所のプロペラ機で私の10倍以上の飛行時間練習したとしても、死を目前にした極度の恐怖と興奮状態の中で、初めて見るコックピットの無数の計器類を前にして、手動でビルに正確の突っ込むなんて人間にできることではない。

 何しろ、時速900キロの機体が目標の5キロ手前で進入角度をたった1度違えただけで100メートル近く目標を逸れる。それを20秒以内に超正確に微調整しないとあっという間に目標を外して飛び抜けてしまうのだ。現に、私の中学からの友人に日航のロッキードトライスターの機長を長く務めたのがいるが、ベテランの彼でも地上からの誘導アシストなしにはそんな曲芸は全く不可能だと断言した。そして、その言葉がヒントになった。

 つまり、ワールドトレードセンターコンプレックス(WTC)のいずれかのビルの屋上に、国際空港にあるのと同じ全天候全自動の着陸誘導装置をあらかじめ設置して、飛行機の側も操縦桿から手を放し、全自動操縦に切り替えてその誘導に委ねなければ一発勝負で貿易センタービルに正確に突っ込むことは全く不可能なのだ。恐らく、ツインタワーからわずかな時差で静かに崩壊したWTC第7ビルあたりに着陸誘導装置が設置されていたとしか考えられない。

 また、これだけの大事件の場合、普通は徹底した現場検証が終わるまで長期間現状保全が行われるはずなのに、なぜか数日を待たずに中国籍の貨物船がニューヨーク港に接岸し、大型ダンプで次々に運ばれてくる鉄骨の残骸を実に手際よく中国の溶鉱炉に運んで行ったことをどう説明する?一体誰がそんなことを計画し、あらかじめ手配することが出来たのだろう。考えれば考えるほど謎に満ちている。恐らく着陸誘導装置も瓦礫の鉄くずと一緒に証拠隠滅のため中国に持ち去って溶かしてしまったに違いない。すべては前もって綿密に計画されていたことでなければならない。

 そんなことは素人の神父でも簡単に推理できるのに、大手のマスコミ、報道関は一切沈黙して書かないのはなぜか。それは書いたら最後、見えない力が働いて2度と報道分野で仕事ができないようにされてしまうからだ。下手すると真相に迫り報道しようとする者は不審死を遂げて消されてしまうかもしれないのだ。

 ところで、私は何のためにこんなことを書いているのだろうか。それは、世界断突の暖簾(のれん)を誇る巨大宗教、カトリックの世界にも「書いてはいけない」タブーや「忖度(そんたく)」が隠然として存在していることを書きたかったからだ。

 今日の日本でも、カトリクの司祭による性的虐待を訴えてその司祭の属するカトリックの「神言会」という修道会を相手取って起こした女性信者の裁判が進行中だが、不思議なことに大手のマスコミは一斉に沈黙・無視を貫いている。また、そのほかにも破門をちらつかせて公然と信徒を脅した司教を相手取って起こされた「パワハラ」裁判についても、新聞もテレビも週刊誌も腰が引けて何も報道しない。世俗国家でもあるバチカン市国の何を恐れて忖度し沈黙を貫いているのかは知らないが、なぜかカトリックの恥部にメスを入れようとしないマスコミに不信感を抱くのは私だけではあるまい。

 ジャニーズの事件があったばかりだか、今、フジテレビの女性アナの「性上納接待疑惑」で世間は騒がしい。2000年の伝統を誇るカトリック教会も歴史的に古い恥部である聖職者による稚児虐待(ペドフィリア)や女性への性的虐待に本気でメスを入れる自浄作業に誠実に取り組まなければ、ここ半世紀の慢性的教勢凋落のV字回復はとても期待できない。現に、アメリカのボストン大司教区は、無数のペドフィリア裁判で軒並み敗訴して、その膨大な慰謝料の支払いで教区財政は破綻し、ついに大司教館の土地と建物を売却せざるを得ないところまで追い詰められたばかりだ。

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特ダネニュース!

私のユーチューブチャンネルを開局しました!始めたばっかりです。

表題は「バンカー、そして神父」です。

見るためにはユーチューブで 谷口幸紀 と検索してください。それだけですぐ見つかります。試しに3個上げましたが、どんどん増やしていきます。初めは固いですが、すぐ慣れて、もっと上手に、自然に、なるでしょう。

 

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★ キリスト教の洗礼について(その-1)

2024-12-23 00:00:01 | ★ 神学的考察

 

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キリスト教の洗礼について(その-1)

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 いま85歳の私が中学2年生で洗礼を受けたとき、担任のクノール神父さんは私に一本の灯のともったろうそくを手渡して、「ともれる灯(ともしび)を受けなさい。主イエス・キリストが来られるとき、喜んで主を迎えることが出来るように、いつも光の子として歩みなさい。」という意味の言葉を言われたことになっている。ことになっている、とはずいぶん無責任に聞こえるかもしれないが、10人ほどの同級生に流れ作業で繰り返される言葉の深い意味をその場でしっかり悟れるはずはなかった。

 洗礼そのものがただの儀式に過ぎなかった。受洗後は、日曜日のミサの時に赤く長いスカートをはき、白いケープを着て赤い幅広のカラーをつけたピエロのようなスタイルで祭壇に奉仕し、ウイーン少年合唱団よろしくラテン語の合唱などもやったが、それ以外は、洗礼の前にも、後にも、自分の生活はまわりの生徒たちと何も違わなかった。

 中・高はミッションスクールの男子校だからまわりに女子学生はいなかったが、思春期の色欲は健全にもすこぶる旺盛だった。上智大学でイエズス会の志願者だった間は猫をかぶっていたが、会を飛び出した後は、解き放たれた若駒のように全力で疾走し、ほとんどの学生が就職活動でおとなしくなる大学の4年に学生会の議長選挙に立候補して、当選後は上智大全学生の頂点に君臨し、書記と称してきれいな女子学生の大根足を壇上に並べたりもした。議長の立場を武器にせっかくナンパに成功しそうになっても、「僕はいつか神父になるかもしれないので結婚はしない」とポロリと本音を吐くと、彼女らはみな身をひるがえして去っていき、間もなく「お見合いして結婚することになりました。」と言って東大や慶応のお坊ちゃまを紹介された。女性とは薄情な現実主義者だ、という確信がそのとき植え付けられた。中には、それなら私も、とばかりにシスターになったのもいないわけではなかったが、要するに私は振られ上手だったと言える。

 話を元に戻せば、私は神父さんから額(ひたい)にチョロリと水を注がれた洗礼の前も後も、意識も生活態度も全く変わらないごく普通の多感な若者にすぎなかった。洗礼は主観的には私の本質を何も変えなかった。洗礼が人間の生き方の根底を覆すほど重大なことだということは、ずっと後になってやっと気が付いた。

 

手に入る画像の中でイエスの全身がヨルダン川の水に沈むのを比較的忠実に再現しているのはこれだろうか

本当は洗礼者ヨハネも左の岸辺にではなく、イエスと一緒に水に入っているはずだが・・・

 

 そもそも、洗礼式の本来の形が、全身水に沈む「浸しの洗礼」であることに注意が向いたのも、1965年前後、カトリック教会の歴史上2度しか起きなかった180度の大転換点に当たる第2バチカン公会議の後だった。

 聖書によれば、確かにナザレのイエスはヨルダン川に入り、全身頭までしっかり水に沈んで、洗礼者聖ヨハネから「罪の許しを得させる悔い改めの洗礼」を受けたとある。それは、私が受けた教会の建物の中で額にチョロリと水を流してもらう「注ぎの洗礼」とは、形も意味も全く別ものであることを知らなかった。また、その洗礼の本質が回心に伴う「罪の赦し」であることも意識していなかった。そもそも、洗礼を受けたときの私は、自分が赦しを受けなければならない罪人であるという自覚すらほとんどなかった。洗礼はただ、キリスト教会への入信式にすぎず、それ以後は信者として未信者と区別されるだけのことだった。

 

イエスの洗礼

洗礼が額にチョロリと水を注ぐだけのものとしてイメージされるようになったのは、おそらく4世紀頃からではなかったか

 

 話をがらりと変えよう。魚は鰓(えら)で水中の酸素をとって生きている。だから水から揚げるとすぐ死んでしまう。反対に、猿や人間は肺呼吸して空気中の酸素を吸って生きているから、水に15分も沈められれば溺れて死んでしまう。

 その意味で、人が水に沈むことは昔から「死」を象徴している。つまり、洗礼で頭まで水に沈むと言うことは、「お前は溺死した」ということを意味していた。何に死んだのか。古い人間に生きる罪人-に死に、古い人間の屍(しかばね)とともにすべての罪を水中に残して、キリストの復活の命を身にまとった新しい光の子に生まれ変わって水から立ち上がり、聖なる人として信仰の光の中で新たな命を生き始めることを象徴しているのだった。

 だから、肉体の目には満員電車の中のサラリーマンは皆同じビジネススーツに身を包んだ同じ人間に見えるが、霊的な目で透視すればクリスチャンとノングリスチャンとの間には人間とチンパンジーほどの違いがあるはずなのだ。

 知れば愕然とするほど大きなこの霊的変化を、洗礼は人間にもたらしたはずだった。頭まで水に沈む「浸しの洗礼」を受けた人なら、その宗教儀式が象徴する重大な意味、即ち、人は洗礼とともにキリストの死と復活に与るという事実を説明してもらったかもしれないが、「注ぎの洗礼」を受けた人も、授けた人も、その重大な信仰の神秘をほとんど意識していなかったのではないか、と今にしてわたしは疑う。

 少なくとも、中学二年生の私はもちろんのこと、恐らく私に洗礼を授けたクノール神父さんもそんなこと深く考えてはいなかったのではないか。洗礼の前と後で何も変わらなかったのはそのためだった。そして、日本でカトリックの洗礼を受けた人達も、みなほとんどは同じだったに違いない。

 つまり、洗礼を受ける前の私は神道や仏教を信じていた自然宗教の人たちと同じだったし、洗礼を受けた後も自然宗教の信者たちと変わらないレベルの宗教心を生きていたにすぎない。それはただ自然宗教の仏教バージョン神道バージョンから、同じ自然宗教のキリスト教バージョンに外面的な装いが変わっただけだった。バージョンは違っても自然宗教はあくまで自然宗教だ。煎じ詰めればどれもこれも「ご利益宗教」であることに変わりはない。

 ところで、マタイの福音書には10人の乙女たちのたとえ話がある(25.1-13)。賢い五人は灯火(ともしび)と一緒に油を入れた壺に持っていた。愚かな五人は灯火はもっていたが、油を用意していなかった。

 この話が洗礼を受けたとき私が持たされた火の灯ったローソクと関係があることに、私は長い間気が付かなかった。それはそうだろう、2000年前のともし火と現代のローソクは、目的は同じでも全くの別物だからだ。

 キリストの時代のともし火は油の入った陶器のランプが普通で、一度燈心の火を消してしまったら、もう一度火をつけるのは容易ではなかった。シュッ!と擦れば簡単に火が付くマッチは19世紀以降のものだから、キリストの時代には火の点ったランプを用意したら、実際に使う本番までずっと点したままにするしかない。だから、万一それを必要とするタイミングが遅れる場合に備えて、別の壺に予備の油を用意しておく必要があったのだ。

 聖書のともし火の話を、現代の注ぎの洗礼の時のように、安価なパラフィンのローソクにガスライターで火をつけたり消したり自在にできる現代の感覚で読んだら、意味を取り違えることになる。

 洗礼のとき、水に沈んで罪にまみれた古い人間の屍を水中に残し、キリストの復活にあずかる新しい人間として水から立ち上がった受洗者は、真新しい白衣を着せられる。それは、受洗者がすべての罪を赦されて新しい人間に生まれ変わり、聖なるものとなったことを象徴する。端的に言えば、人は洗礼を受けた時、みな罪を知らぬ聖人になったことになる。そして、この白い衣服は復活後に天国の宴に連なるときに着る晴れ着を意味する。だから、洗礼を受けたすぐ後に死ねば、人はみな聖人として天国に直行すること疑いなしだった。

 ところが、普通は洗礼後もしばらくこの世で生きていかなければならない。この浮世の生活を生きるということは、いやでも日々罪にまみれることになる。嘘をつかない人はいないだろう。性欲にまみれ、淫らな思いにふけり異性に近づくこともあるだろう。傲慢や嫉妬や憎悪に駆られ、物欲に溺れ、金銭に執着しその奴隷にもなるだろう。だから、人はみな日々初心に帰り回心の業に励まなければならない。そのためにカトリック教には「懺悔」とか「告解」とか「赦しの秘跡」などという便利なものがある。神父のところに行って自分の罪を正直に告白すれば全て許され、洗礼の時にいただいた白い衣は、罪によごれて汚くなっても再び元の純白に戻ることが出来る。懺悔は第二、第三・・・の洗礼のようなものだ。人はこうして死ぬまで絶えず「回心」を繰り返しながら天国に入るにふさわしい聖人の境地に近づくことになっている。これこそ超自然宗教であるキリスト教の生きざまであるはずだ。超自然宗教である真のキリスト教は、一切の現世利益(りやく)を売らないことになっているが、その代わりに死からの復活と永遠の命を確約する。

 ところが現実はどうか。人はとどまることも後戻りすることもできない回心の旅路を一直線に自分の終末である死に向かって進むことなく、四季がめぐる様に同じ場所でぐるぐる回るマンネリズムの惰眠に落ちていないだろうか。前者が超自然宗教の救済への道で、後者は自然宗教の始めも終わりもない迷妄の中を堂々巡りする道なのだ。

 色々脱線したが、今改めて、私たちはキリスト教の洗礼の本当の意味を再発見し、生活を再点検し、回心と深くリンクしたキリスト者本来の生き方を考えなおす必要がありそうだ。回心は洗礼の前に緒についていなければならなかった重大事だが、後、先は構わない。今からでも遅くはない。死が突然襲い掛かってくるまでに、まだ「回心」の油を買いに行くしばしの暇はあるのだから。今ならまだ間に合う。これを終活と言わないで、何が終活だろうか。

  あと一つ寝るとクリスマスイヴ!あなたの今年のクリスマスと去年のクリスマスは同じですか?同じならヤバイ!来年のクリスマスこそは洗礼の回心の実を結ぶクリスマスになりますように!

メリークリスマス!

(つづく)

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★ 政治と宗教と金(そのー2)

2024-11-09 00:00:01 | ★ 政治と宗教

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政治宗教(そのー2)

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 トランプがあっけなく大統領選で勝利した。

 

トランプ大統領

 日本のテレビコメンテーターたちは一斉にトランプ氏とハリス氏を比較し、ハリスの敗因分析とトランプ勝因の分析に弁舌をふるっている。まだまだ新事実が現れるとは思うが、今日時点での感想を述べてみたい。

 私はトランプが正義や環境や福祉などどうでもよく、お金の神様の論理で動いて勝ったのだと思っている。

 

     

テイラースウィフト        イーロンマスク

 ハリス氏への支持を表明したテイラー・スイフトのようなセレブな歌手よりも、共和党支持者に登録したものから抽選で毎日一人の当選者に100万ドル(1億5000万円)を贈るというイーロン・マスクの約束のほうが、集票には比較にならない絶大な効果があった。宝くじでも競馬でも競輪でも当たるためにはまず金を払って券を買わなければならない。しかし民主党から共和党に鞍替え登録するのに金を払う必要があるとは思えない。射幸心からというか、単純に金銭欲から100万ドルに目がくらんで、自分の政治的信念を曲げて共和党に鞍替えした人間が続出したとしても不思議ではない。激戦区の票が1パーセント動くだけでも選挙の勝敗が逆転しかねない場面もあっただろう。金以外のものには一切反応しなかった貧しい無数の無関心層の「死に票」が、イーロン・マスクがチラつかせた虚妄の大金=イエローミラージュ(黄金色の蜃気楼)=に魅了されて突然目を覚まし、雲霞の如く投票所に殺到したのがトランプを勝利に導いた最大の要因ではなかったかと私は思う。今回の選挙の投票率が以外に高かったことがそれを示唆していないだろうか。

 マスクの金で大統領に返り咲いた独裁者トランプの「意思」は、今や合衆国の「法」となり、自分で自分の犯罪、すなわち、口止め料支払い(最高136年)、機密文書(最高450年)、選挙関連(最高55年)などで延べ禁錮700年の重罪に自らのお手盛りで恩赦を宣言するだろう。

 マスクはマスクで自分の金でトランプを勝たせてやった見返りに、アメリカの国を動かす影の実権を必ず握るに違いない。トランプはただ、壇上でこぶしを握って軽くツイストを踊り、虚空を指さしながら気分よく木偶人形を演じていればそれでいいのだ。彼にはもともと教養も、信念も、哲学も、まして信仰もない。

 キリスト教の最高の奥義は「神は父と子と聖霊の三位一体の神である」の一語に尽きる。他には八百万の神々がいる。ヤーベの神を拝むユダヤ教やアラーの神を礼拝するイスラム(回教)のような旧約のアブラハムの信仰に由来する一神教もあるが、キリスト教の「三位一体の神」だけが人類にご自分の内面的神秘を啓示された超自然宗教の神だ。

 ところで、私はリーマンブラザーズで高給を食(は)んでいたころに悟ったことが一つある。それは、この地上にも侮りがたい「三位一体の神」が存在するということだ。その具体的姿はウオールストリート(金融)とペンタゴン(軍事)とホワイトハウス(政治)の強固な三位一体だ。そしてそれを回しているのはお金の神様(マンモン)だ。

 

ピーターピーターソン

 当時、リーマンの中枢にいた会長のピーター・ピーターソン=学者然としたストイックな彼=は、ニクソン大統領のときの商務長官だった(後にソニーの社外重役にもなった)。その側にはドクター・シュレッシンジャーがいたが、彼はペンタゴンの国防長官だった。そしてピーターソンが日本に来るときには元ホワイトハウスのアジア・太平洋担当大統領補佐官を務めた男がぴったり付いていた。事ほど左様に地上の三位一体の中では、まるで血液のように一握りの男たちが地上の三位の神の間を絶えず循環しているのを目の当たりにした。その多くがユダヤ人だった。

 ローマ皇帝のように、ナポレオンのように、ヒットラーのように、今やトランプがアメリカ帝国のトップの座に就いた。

 日本の裏金議員が自民党の公認を得られず、無所属で立って当選すると、禊(みそぎ)が終わったと開き直って党員に復帰して大きな顔をするなどは、大統領選に勝ったとたんに禊はすんだとして自分の犯したすべての罪を自分で恩赦するのに比べれば可愛いものだ。

 兵庫県の斎藤知事が不信任案を突き付けられて失職しても、懲りずにまた知事選に立候補して、もし17日の選挙で当選すれば、知事に返り咲いて禊は済んだと開き直るだろうけど、この世で最強の神であるお金の神(マンモン)の化身のようなイーロン・マスクの手を借りてアメリカの大統領に返り咲いたトランプの厚顔無恥さに比べれば幼稚園児のように可愛らしく見える。

 それにしても、日本がアメリカから遠いためか、マスクの100万ドルプレゼントの衝撃ニュースの日から締め切りの11月5日までに、抽選で誰かに100万ドルが支払われたという話はまだ伝わってきていない。本当に100万ドルを手にした人が一人でもいたら、その強運の人は喜びのあまりはしゃいで触れ回っているニュースがどこからか聞こえてきてもよさそうなものだが、一体どうなっているのか?

 それとも、アメリカは日本よりも物騒な国だから、受け取った人はうっかり漏らしたら、すぐに狙われて悪くすれば殺されるかもしれないと怯えて、襲われないように警戒して沈黙しているのだろうか。そして、ひょっとしたら、イーロン・マスクは、受け取った人がいてもどうせ誰も口外しないだろうと見越して、初めから15人の当選者に1500万ドル(22億5千万円)を払う気などまったく無く、結局誰にも一銭も払わずに知らぬ顔を決めこんでいるのではないだろうか。

 もしそうなら、マスクは前代未聞の大噓つき、大詐欺師ではないか。それでいて、この見せ金の大嘘が選挙の勝敗を決定するほど絶大な効果を生んだのだ。人間がお金にどれだけ弱いかは、国際金融業の裏の裏まで見てきた私には嫌というほどよくわかる。わずかなお金のために少女が体を売る。まじめなサラリーマンが自社の企業秘密を売る。公務員が個人情報のリストを売る。政治家が法を犯して裏金を私物化する。ただの見せ金とは知らず、無数の人が目に$マークを浮かべてトランプの名を書くために投票時になだれ込んだのか。

 お金の神(太古の昔から「マンモンの神」と呼ばれた)はこの世で最も力のある神で、全ての自然宗教の背後に潜んで人類を奴隷化している。それに対抗できる神、マンモンよりも強い神はキリスト教の「三位一体の神」だけであり、また、そうでなければならない。

 しかし、地上の三位一体は全く侮り難い恐るべき神の化身だ。そもそも、人類誕生の最初の瞬間に人祖のアダムとエヴァをだまして天地万物の創造主である本物の三位一体の神に対する不従順を彼らの心に吹き込み、死を招き寄せ、失楽園の不幸に人類を陥れた蛇(悪魔)が背後に潜んでいるからだ。本物の三位一体の神と偽物の三位一体の神(蛇)との第一ラウンドは後者の側に軍配が上がった。しかし、第二ラウンドでは第二のアダム(キリスト)と第二のエバ(マリア)の本物の神への従順によって偽物が打ち破られた。しかし、偽物はそれで引き下がったわけではない。第三ラウンドはキリストの死と復活の勝利の直後からすべての人の魂を舞台にすでに始まっており、今まさに継続中だ。

 アメリカの政治と経済と軍事の三位一体の中枢に食い込んだイーロンマスクは、今までの民間の錬金術では物足りず、ホワイトハウスの、つまり、この世の覇権国家の中枢に寄生して、民間とはけた違いの政商というビジネス(練金術)で私腹を肥やし、富の王国を築くだろう。政治と軍需産業と戦争ほど儲かるビジネスはないのだから。

 ヒトラーが総統となったナチスの第三帝国の最大の犯罪、600万人のユダヤ人をガス室で殺し焼却したホロコースト、を効果的に止める力を持っていたのは、10億以上の信者を抱えた宗教大国の長、当時のローマ教皇ピオ12世だと言われているが、彼はその力を有効に発揮しなかったことで歴史に咎められている。その結果、ユダヤ人たちのホロコーストに対する恨みと鬱憤は今、見当違いにも矛先を変えて罪のないパレスチナ人に向けて吐き出されているように見受けられる。現在、ウクライナとガザの問題について最も期待される仲裁者は、トランプではなく、本物の三位一体の神の地上の代理人、バチカン市国の国家元首フランシスコ教皇その人ではないかと思うが、イスラエルの犯罪を前にして彼はピオ12世と同じ轍を踏もうとしているのだろうか。トランプの再選は第3次世界大戦の幕開けを告げることにならないことを祈るばかりだ。唯一の超自然宗教の地上の代理人である教皇フランシスコの動静が注目される。

 「だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなた方は神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)

 人は本物の三位一体の神と偽物の三位一体の神の両方とうまくやっていくことはできない。だから私はウオールストリートからバチカンに寝返った。トランプの本当のライバルはハリスではなくフランシスコ教皇でなければならない。これから歴史があと何千年続くか、何億年続くか、或いはあっけなく次の世界大戦で人類が終末を迎えるかだれも知らないが、最後に勝つのは父と子と聖霊の三位一体の神であることだけは間違いない。

 

後楽園でミサをしたフランシスコ教皇

 フランシスコ教皇は5日、歴代教皇の中で初めて私の母校ローマのグレゴリアーナ大学で講義をした。バチカンニュースは「教皇、ローマのグレゴリアン大学で講話」という記事を発表したがそれは下をクリックすると読める。

https://www.vaticannews.va/ja/pope/news/2024-11/il-papa-visita-universita-gregoriana-lectio-magistralis.html

(おわり)

 

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★政治と宗教・宗教と金(そのー1)

2024-10-30 00:00:01 | ★ 政治と宗教

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政治宗教宗教

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 イエス・キリストは「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」(マタイ22:21)と言って、「神」(天地万物の創造主)と「皇帝」(地上の覇権)とを峻別し、両者を混同したり、両者のなれ合いを許したりすることを厳しく禁じられた。

 

        

 石破    イエス・キリスト   トランプ

 神を差し置いて、皇帝を神格化して崇拝したりすることを神は決してお許しにならなかったし、宗教と世俗の覇権がウイン・ウインの蜜月関係に入ることを厳しく禁じられた。

 また、「だれも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなた方は神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)とも言われた。

 イエスは神と富を両対極に置き、神を拝むものは富を塵・芥(あくた)と見做すべきであるとする一方で、富を礼賛しその奴隷になるものは神を冒涜するものとして厳しく退けられた。また、神と富の両方にうまく折り合いをつけて、両者からうまい汁を吸おうとする心根を断罪される。財宝、富、金(かね)、は文明黎明の太古の時代からマンモンと呼ばれた偶像の神であり、その本性は悪魔の化身であることは明白な事実だ。

 イエスの教えは最初の300年余りは改心して福音を信じたこころ貧しい信者たちによってほぼ純粋に守られたのではないかと思われるが、そのためにローマ皇帝は帝国の底辺生きる貧しい庶民の間で急速に広がるキリスト教を警戒した。もはや自分を神として認めないだろう。税金を納めなくなるかもしれない。敵に寝返るのでは、などと恐れて、その迫害に狂奔したが、イエスを信じる者たちは、復活を信じ、殉教の死を恐れず、かえって燎原の火のごとく急速に広がっていった。

 

    

     安倍   コンスタンチン大帝 フランシスコ教皇

 力でキリスト教をねじ伏せ撲滅することに失敗した皇帝は、手のひらを返して、キリスト教を懐柔し取り込み、支配する策に転じた。自ら率先してキリスト教に改宗して洗礼を受け、キリスト教を帝国の国教扱いにして保護し、今まで拝んできた神々の神殿を壊し、その跡に教会堂を建て市民に十字架の礼拝を求めた。今まで皇帝を生き神様として拝み、皇帝の信じるギリシャ・ローマの神々を礼拝していた市民は、よらば大樹の陰とばかり、大挙して教会になだれ込んできた。

 しかし、皇帝はキリスト教を取り込み手なずけるための方便として洗礼を受け改宗したふりをしただけで、キリストが求めた「回心」などどうでもよかった。また、風見鶏のローマ帝国の市民たちも、「回心」など何のことやら全く理解しないで、自然宗教(ご利益宗教)のメンタリティーのまま形だけ洗礼を受け、名前だけキリスト教徒になったが、彼らの心はもとの偶像崇拝のまま変わるところがなかった。

 そんな中で、純粋のキリスト教を忠実に生きようとした少数派は、砂漠の隠遁者になるか、壁をめぐらした修道院の中に集団で立て籠るしかなかった。そして、キリスト教的ローマ帝国はご利益主義の「自然宗教キリスト派」ともいうべき宗教文化に染まっていった。

 この状態は中世を通して続き、近世、現代に至るまで、いわゆる「キリスト教」の主流であり続けた。

 日本人に身近な仏教や神道はもとより、世界のいずれの自然宗教も、皇帝に象徴される各時代の世俗的権力、政治社会的覇者と常に強く結託して、共に富=お金=マンモンの神=悪魔の崇拝に走った。

 キリスト教も「自然宗教キリスト派」として、コンスタンチン大帝によるローマ帝国のキリスト教化以来、中世の神聖ローマ帝国、現代のキリスト教民主同盟などの形で聖俗一体化の歴史を歩んできた。

 19世紀まで長く神聖ローマ帝国を引き継いできたドイツでは、2018年までキリスト教民主同盟(CDU)が政権与党だったし、同党は今も存続しているのではないか。

 アラブ系の国家では回教の最高指導者が大統領の上に立ち政治と宗教の両面を支配していることはよく知られている。

 日本は1945年の敗戦まで護国神社などの国家神道が日本の国教だったし、今でも保守自民党議員は靖国神社に参拝している。しかし、古く遣唐使の時代には護国寺、国分寺などとして仏教が為政者の宗教だった。

 イタリアの場合は40年前のヴィッラ・マダーラ協約までローマカトリックが国教だった。バチカンは1924年の独立国家となったが、ローマ教皇という世界的大宗教のトップを国家元首に戴く世に類例を見ない完全な政教一致の特殊な国家として、イエスキリストが唾棄した「神の国」「世俗の国」の融合した姿を取っている。事実、バチカン市国は国連に加盟こそしていないが、立派にオブザーバーとしての地位を占めている。では、プロテスタントは聖俗完全に分離しているだろうか。

 アメリカ大統領の就任式には、新しい大統領はキリスト教の聖書に手を置いて宣誓するが、これはプロテスタントの信仰に基づくものだろう。カトリック信者のJ. F. ケネディーもその聖書に手を置いて誓った。バラク・フセイン・オバマ大統領は名前から回教徒と誤解する人もいるが、彼はプロテスタントのキリスト教徒として聖書に誓った。もしも本物の回教徒やモルモン教徒がアメリカの大統領になったら、その人物は合衆国憲法に則ってキリスト教の聖書に手を置いて宣誓するのだろうか。

 11月の米大統領選で、キリスト教右派の福音派が揺れている。トランプ前大統領への熱狂的な支持を表明するキリスト教愛国主義の信者らが増える一方、伝統的な信者の中にはトランプ氏に不道徳な行いが多いとして全面支持すべきか迷う人たちもいるなど、亀裂が生じている。

 「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に」と言った2000年前のキリストの言葉は、今日的な意味での政教分離の先がけだが、4世紀初頭にローマ皇帝のコンスタンチン大帝とキリスト教会が結婚して蜜月関係に入って以来、今日の独立国家、小さいながら精鋭の軍隊まで持ったバチカン市国に至るまで、イエス・キリストの教えは裏切られっぱなしになっているのではないか。

 これこそまさに政教分離の「超自然宗教」であったはずのキリスト教が、政教一致の「自然宗教した姿以外の何物でもないと思うがいかがなものか。

 日本では、公明党という政治団体が、日蓮正宗に基づく創価学会と一心同体の宗教政党であることは有名だ。事ほど左様に、世界中どこでも宗教(聖)地上の覇権(俗)との融合一致の誘惑には抗しがたい強烈な蜜の味がするらしい。

 宗教と政治家の関係を個人レベルで見れば、日本では麻生太郎がカトリック信者だということを知っている人がどれぐらいいるだろうか。私は麻生太郎がカトリック信者と言われるとき、トランプがキリスト教信者と言われるときと同じ違和感を覚えるが、それは私だけのことだろうか。

 そういえば新しい総理の石破茂はプロテスタントだそうだ。 安倍晋三は統一教会の信者ではないとしても、その関係はまさに「内縁の妻」とも言うべき親密さではなかったか。それに比べれば、私が個人的にも知っていた社会党(後の社民党)の衆議院議長になった土井たか子や、その周辺の河上民雄とその秘書などは、プロテスタントの信仰をまじめに生きた真のキリスト者であったことが懐かしく思い出される。

さて、この後は「宗教と金」の関係について書いて話を結ぶべきなのだが、一回のブログとしては長くなりすぎるのでここで区切り、続きは次回に譲ることにしよう。

【付記】

「政治と金」問題で国民の信を問う形になった今回の衆院選は与党連合の過半数割れに終わった。国民が「自民党=金=統一教会」の泥沼政治に鉄槌を下した形に終わった。これで日本は変わるのか?

(つづく)

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★ 福音書の中の自然宗教的要素

2024-10-22 00:00:01 | ★ 神学的考察

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福音書の中の自然宗教的要素

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キリストの写真 

聖骸布に残されたキリスト本人の顔

 

 また、変なことを言う、などと思わないでください。最初に断っておきますが、キリスト教 が天地万物の創造主であり、自然を超越して永遠に存在しておられる唯一の神を信じる「超自然宗教」であることは言うまでもありません。

 それは、疑いもなく真実であり、もちろん私自身もそれを固く信じています。

 しかし、福音書を読んでいると、おや?ここには自然宗教のことが書かれているのではないか、と思わせる箇所があちこちに顔をのぞかせているのが気がかりです。

 早速一つの例を引きましょう。

 マタイの福音書の20章には、「ヤコブとヨハネの母の願い」というくだりがあります。

 「そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。イエスが、『何が望みか』と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人はあなたの左に座れるとおっしゃってください。」・・・すると、「他の十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた。」

 これって、今の衆議院選挙の時期に実にふさわしいテーマではありませんか。誰が王座に着くか?つまり誰が総理大臣の地位に登るかは、代議士たちの最大の関心事だったでしょう。今回は、結果的に石破がなりましたが、決まる直前までは、高市がなるか?小泉になるか?自分にとって今だれ誰に擦り寄っていくのが一番の得策か、と皆真剣に考えていたに違いありません。

 お目当ての候補が総理、総裁になった暁には、自分もきっと大臣の要職につけるだろう、しかし外れたまた当分は冷や飯喰らいと、皆が地位と権力と金の欲にまみれて必死で皮算用していたに違いありません。 

 イエス・キリストの弟子たちも、似たような野心に駆られてイエスの後についていただろうことは、出しゃばりの母親に抜け駆けをされた他の十人の者が皆「これを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた」と言うくだりから見え見えです。

 昔風に言えば右大臣、左大臣。今風には幹事長、政調会長、外務大臣、財務大臣、防衛大臣、等々。誰もがいいポストを求めてせめぎ合っているのです。

 そこへ、息子の出世を願って母親が出てくるあたりは、ママゴンと言うか、マザコンと言うか、世の中は今も昔も全く変わりありません。そして、それに腹を立てたということは、ほかの10人の弟子たちも五十歩百歩の同じ穴のムジナであることを白状しているようなものです。

 このような話から、超自然宗教の創始者であるキリストに召し出されたのに、付き従った12人の弟子たちは皆、多かれ少なかれイエス・キリストをこの世の権力者、覇者としてのメシアになるべき人だと当て込んで、ひたすら世俗的な野心と下心で付き従っていたに違いないことが透けて見えます。これこそ現生ご利益をあてにした自然宗教的メンタリティーでなくて何でしょうか。

 

イエスが5つのパンと2匹の魚を5000人に食べさせた奇跡

 

 イエスが5000人の群衆に5つのパンと2匹の魚を分けて皆を満足させた奇跡譚の後でも、イエスは「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。」(ヨハネ6、26)と図星の言葉を吐かれましたが、これなども、イエスの人気が現生ご利益求める群衆心理から生まれたものであることを鋭く見抜いておられたことを物語っています。

 続いて浮かんでくるのが、次の場面です。(マルコ8.31-37)

「イエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。」

 と聖書にあります。それはそうでしょう、ペトロがイエスをいさめるのは無理もありません。なぜって、我が主イエスには、これから立派にメシアとしての華々しいキャリアーを上り詰めて権力の座に着いてもらわねば、付き従った甲斐がない。その暁には、自分も相応の地位に就き、偉くなって多くの利権に与るはずではないか。その主が長老、祭司長、律法学者たちから排斥され、多くの苦しみを受けて殺されてしまうなんてとんでもない話です。イエスには是非とも有力者たちから全面的支持を集めて頂点に上り詰めてもらわなければならない。あてにしたご利益がふいになるなんて考えたくもない、というのが弟子たちの本音です。 

 だから、イエスをいさめたペトロにしてみれば、当前のことを言ったまでのことではなかったでしょうか。

 それなのに、イエスはペトロを叱って「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」と一蹴して言われた。「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。」と。しかし、この言葉は当時の弟子たちの理解力をはるかに超えていたのです。

 ここに、イエスの説く魂の救いの道としての 超自然宗教 と、現世利益を求める弟子たちの思惑の 自然宗教 との決定的すれ違いが歴然と現れています。

 そう考えると、イエスが振り返って弟子たちを見ながら、ペトロを叱って『サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。』」と言われたくだりは、ペトロの 自然宗教 的な考え方を厳しく咎められた言葉として理解することができます。

 さらに決定的なのは、夜のゲッセマネの園で繰り広げっれたイエスの捕縛劇の場面でしょう(マルコ14.43-50)。

 

接吻でイエスを売ったユダ

 

 さて、イエスがまだ話しておられると、十二人の一人であるユダが進み寄って来た。祭司長、律法学者、長老たちの遣わした群衆も、剣や棒を持って一緒に来た。イエスを裏切ろうとしていたユダは、「わたしが接吻するのが、その人だ。捕まえて、逃がさないように連れて行け」と、前もって合図を決めていた。ユダはやって来るとすぐに、イエスに近寄り、「先生」と言って接吻した。人々は、イエスに手をかけて捕らえた。

 それを見た弟子たちは皆、イエスの道連れになって十字架に架けられてはたまらないと、イエスを見捨てて蜘蛛の子を散らすように逃げてしまいました。

 彼らは、夢と野望を抱いて3年間イエスと寝食を共にしましたが、イエスがあっけなく捕らえられ、犯罪者として十字架に処刑され悲惨な死を遂げたのを見て、自分たちの期待が当て外れに終わったことを悟り、失意に打ちひしがれて故郷のガリレアに帰り、みんな元の貧しい漁師の生活に戻ってしまったのです。

 すべてはとんだ当て外れに終わってしまった。逃げ遅れて捕まり、巻き添えを喰らって一緒に十字架につけられる危険を辛くも逃れて生き延びたことをせめてもの幸いと、胸をなでおろしたことでしょう。まさに一巻の終わりです。歴史には、無数の新興宗教の教祖が現れ、弟子を集め、しばらく大衆を惹きつけ、やがてまた消え去り、忘れられていきました。イエスの宗教もその一つとして教祖イエスの大失敗の死で終わり、消滅するはずではなかったでしょうか。

 それにしても、もし本当にこれで話が終わりだったとしたら、キリスト教が超自然宗教として確立され、2000年余りの歴史の荒波に耐えて、いま現在、世界の大宗教として実在している事実をどう説明すればいいのでしょうか。一体何があったのでしょうか。この問いに答えを出さなければ、今の世にまだキリスト教が生きながらえている事実をどう理解すればいいのからないではありませんか。

(つづく)

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★ 聖人の死に方について(そのー3)

2024-09-23 00:00:01 | ★ 神学的考察

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聖人の死に方について(そのー3)

ー映画「セントオブウーマン」(夢の香り)に触発されてー

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 野良犬のように自由な国際放浪生活にすっかり慣れていた私は、いつの間にか日本全国に羊を抱える広域牧者にもなっていた。

 昨年神奈川県のホームで洗礼を授けた老人が亡くなられ、その遺骨が岩国市のお姉さんの家に帰ってきたのを機会に、追悼ミサを捧げるために神戸から出向くといった具合だ。

 岩国まで行けば、元米軍兵士で、半世紀たった今もベトナム戦争のPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩まされている親友に会わなければならない。聖書のたとえ話ではないが、神戸中央教会のおとなしい99匹の羊をおいて、一匹の迷える子羊を追わなければ私は本物の善き牧者にはなれない、というプロの神父の本能のなせる業だ。

 間もなく90歳の大台に乗ろうという彼は、今も20トン積みの大型トラックの現役運転手をしている。年齢からいえば実に無謀な話で、このままいけばいつか運転中に事故って死ぬと私は恐れるが、彼にしてみれば、無心にハンドルを握っている時だけPTSDの嵐から逃れられる救いの時間なのだ。彼には無意識のうちにそういう死を願望している気配がある。私はといえば、仕事を終えた彼と温泉に入り背中を流しあう以外に、なすすべを知らない。私のキリスト教の話など、彼の恐ろしい記憶の前には羽毛よりも軽いのかもしれないのだ。

 時には彼の助手席に乗ることもあるが、たいていは彼が走り回っている日中は常宿の会社社長(いや、今や会長)夫妻の家でパソコンに向かうのが私のパターンなのだが、今回は朝から会長夫人と二人だけになり、「たまには映画でもいかが?」と誘われて、居間の特大の液晶画面に映し出された映画が「セントオブウーマン」(直訳すれば「女の香り」)だった。

 

 

 この映画、彼女のお勧めの一本だけあって、私の心に深く突き刺さり、万年故障気味の私の涙腺からは涙があふれ出たが、その感動の内容をうまく伝えるのは私の能力を超えているので、インターネットからの引用に任せることにしよう。

 孤独な盲目の退役軍人と心優しい青年の心の交流を描き、アル・パチーノがアカデミー主演男優賞に輝いたヒューマンドラマ。「カッコーの巣の上で」の脚本家ボー・ゴールドマンが自身の経験を加えて脚色、「ビバリーヒルズ・コップ」のマーティン・ブレスト監督がメガホンをとった。

【あらすじ】

アメリカボストンにある全寮制名門高校に奨学金で入学した苦学生チャーリーは、裕福な家庭の子息ばかりの級友たちとの齟齬を感じつつも無難に学校生活を過ごしていた。感謝祭の週末、クリスマスに故郷オレゴンへ帰るための旅費を稼ぐためチャーリーはアルバイトに出ることになっていた。そのアルバイトとは姪一家の休暇旅行への同伴を拒否する盲目の退役軍人フランク・スレード中佐の世話をすること。とてつもなく気難しく、周囲の誰をも拒絶し、離れで一人生活する毒舌家でエキセントリックなフランクにチャーリーは困惑するが、報酬の割の良さと中佐の姪カレンの熱心な懇願もあり、引き受けることにする。

感謝祭の前日、チャーリーは同級生のハヴァマイヤーたちによる校長の愛車ジャガー・XJSに対するイタズラの準備に遭遇。生徒たちのイタズラに激怒した校長から犯人たちの名前を明かすなら超一流大学(ハーバード)への推薦、断れば退学の二者択一を迫られ、感謝祭休暇後の回答を要求される。チャーリーは同級生を売りハーバードへ進学するか、黙秘して退学するかで苦悩しながら休暇に入ることになった。

中佐はそんなチャーリーをニューヨークに強引に連れ出し、アストリアホテルに泊まり、“計画”の手助けをしろ、という。チャーリーはニューヨークで、中佐の突拍子もない豪遊に付き合わされるはめになる。高級レストランで食事をし、スーツも新調し、美しい女性(ドナ)とティーラウンジで見事にタンゴのステップを披露したかと思うと、夜は高級娼婦を抱く。だがチャーリーは、共に過ごすうちに中佐の人間的な魅力とその裏にある孤独を知り、徐々に信頼と友情を育んでいく。

旅行の終りが迫ったころ、中佐は絶望に突き動かされて、“計画”―拳銃での自殺―を実行しようとするが、チャーリーは必死に中佐を引き止め、思いとどまらせる。ふたりは心通わせた実感を胸に帰途につくことができた。

しかし、休暇開けのチャーリーには、校長の諮問による公開懲戒委員会の試練が待っていた。チャーリーは、全校生徒の前で校長の追及によって窮地に立たされるが、そこに中佐が現れ、チャーリーの「保護者」として彼の高潔さを主張する大演説を打ち、見事にチャーリーを救うのだった。満場の拍手の中、中佐はチャーリーを引き連れ会場を後にする。

再び人生に希望を見いだした中佐と、これから人生に踏み出すチャーリーのふたりは、また新しい日常を歩み始めるのだった。

 

         

チャーリー役のクリス・オドネル   ドナ役のガブリエル・アンウオー 

 私はこの映画を見終えて、ふと、清水の女次郎長さんのことを思い出した。美しい清水教会の建物を守ろうとして捨て身で声を上げた彼女のひたむきな姿が、若いチャーリーの不利益を恐れず、真実と魂の純粋さを守ろうとする姿勢と重なって見えたからだ。

 

 外国人宣教師の残した業績は負の遺産だから教会の建物も含めて歴史から消し去れなければならない、というような無茶苦茶なインカルチュレーション(キリスト教の土着化)のイデオロギーが背景にあるのかどうかは知らないが、信者さんたちや地元の住民の反対を無視して、美しい教会の取り壊しに走る教会の姿勢に異を唱えた信者を「破門も辞さない」と大勢の信者たちの面前で威嚇し、鬱状態に追い込んだ高位聖職者を相手取って、パワハラ訴訟が始まったことを、彼女の支援者から送られてきた小さな朝日新聞の記事と傍聴者の一人が描いた法廷のスケッチが告げていた。

 

朝日新聞の記事

 

 同時に80人以上の面前で発せられた「破門を考えている」という言葉を聞いた信者たちの誰一人として、その事実を法廷で証言する勇気を持った人が現れないという危機的な状況も伝わってきた。

 それはそうだろう、巻き添えを喰らって「破門」されたら、信者生命に対する死刑宣言にも等しい。信頼していた親しい信者さんたちが一斉に彼女に背を向けて去っていったのも無理はない。「2000年前、イエス・キリストが十字架の上で惨(むご)たらしい最期を遂げたときも、主から愛し抜かれた弟子たちは皆同じ運命になることを恐れて散々(ちりぢり)に逃げ去ってしまったではないか。」と女次郎長さんは彼らの裏切りを赦している。

 

  

 32人の傍聴者の一人が描いたスケッチ        傍聴の支援者  原告 その弁護士

 

 聖人たちは皆、キリストと同じように遺棄と孤独を体験する運命にあるのだろうか。

 世俗の裁判の勝敗は金(かね)次第の面もある。金に糸目をつけず、優秀な弁護士団を揃えて受けて立つ教会側が勝つことも多い。しかし、証言台に立つ勇気を持った証人が現れなくても、「破門」をちらつかせたパワハラ発言を目撃した人が100人近くも存在する事実を否定できるものではない。神様の目から見て明らかな不義がまかり通った事実だけは、世に広く知られ語り継がれなければならないと思う。

 映画「セントオブウーマン」の主人公チャーリーが、自分の良心の声に忠実であろうとしたために、あわや名門校退学処分の判決を受けようとしたとき、スレード中佐が父親代わりに現れて高潔なチャーリーを救ったように、キリストとその天の御父は清水の女次郎長さんの魂を救い上げ、復活の栄光のうちに聖人として迎えてくださるに違いないと私は信じて疑わない。

* * * * *

清水教会問題に関する私の過去のブログもご参照ください(下のタイトルをクリックすると飛べます):

★ 清水の女次郎長がまた吠えた

★ 清水の女次郎長さんの地味な運動を知ってください - :〔続〕ウサギの日記 (goo.ne.jp)

★ 【号外】「清水の女次郎長」さんが久しぶりにつぶやいた

★ 《清水の女次郎長さんがまた動き出したようです》

 

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★ コメントの世界

2024-09-10 00:00:01 | ★ 神学的考察

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コメントの世界

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 長年ブログを書いていると、いろいろなことが見えてくるものです。

 

谷口幸紀神父2020-01-13・jpg-2_1248.JPG

 

 最近つくづく思うことは、ブログを書いているのは私ですが、それを支えているのは読者のみなさまだということです。読んでくださる皆さんがいるから、また次を書く元気が湧いてくるのです。

 今どれぐらいの数の人が読んでくださっているのか、私の書くどんなことに興味を示してくださっているかは、自分のブログの「編集画面」を開けば、そこにリアルタイムで反映されています。

 編集画面の項目の中でも、私が特に注目して毎朝チェックしているのは、「アクセス解析」「コメント管理」です。

「アクセス解析」の中には、「過去の日別ランキング」があって、前日までの一週間の日別ランキングが出ています。

 例えば、昨日(2024.09.08)現在、グーグルの無料ブログ編集サイトを使って日本語でブログを書いている人は全国に3,190,231人、何と3百万人以上もいます。そして、私の場合、ブログを更新した当日はその3百万人のうち2104位(8月20日)、3585位(8月3日)、2962位(7月13日)、1755位(6月27日)、1449位(5月4日)と、だいたい1000位台から3000位台の間で推移しています。そして、ブログを書き始めてからの「トータルアクセス数」は 1,897,244回と、200万回の大台に近づきつつあります。

 また、今までに書いてきたブログの中で、過去のどのテーマのどのブログが今改めて読者の注目を惹きつけて読まれているかも特定できるようになっています。

 目立たないけど意外と面白いのが、「コメント欄」です。私のブログには、コメントを度々くださる方もおられれば、一回限りの方もおられますが、ほぼ全員がイニシャルやペンネームの匿名の方です。多くが好意的で建設的なコメントですが、中には、書き手はもしかして「悪魔」本人か?と疑いたくなるような棘のある悪意に満ちた悍(おぞ)ましコメントが届くこともあります。そんな場合、読者を不快にさせないためにブログのオーナーの意思で敢えて公開しません。

 中には稀に、ちょっと面映ゆくなるような、手放しの賛辞や励ましの言葉をいただくこともあります。そのような身に余るコメントは公開しないで、自分だけがいただいて記憶にとどめたいという衝動と、さりげなく公開するだけにとどめず、コメント者への私の気持ちも込めて「こんな勿体ないコメントをいただきました」と敢えてブログ本文でお披露目したい衝動との間で心が揺れ動くこともあります。

 今回の「聖人の死に方について」(そのー2)に対して戴いた(GM)というイニシャルの匿名の方からのコメントなどは、その後者の典型で、コメント欄を見落とされた方にもあらためて知っていただきたくて、積極的に本文の中で開示することにしました。以下はその引用です。

 

【コメント】 公開中 

 ★ 聖人の死に方について(そのー2)

2024/08/24 22:58:03

(MG)

 キリスト教2千年の歴史は、生きてる時にボロクソ言われていた人ほど聖人だということを教えてくれています。その筆頭は言うまでもなくイエスです。アシジのフランシスコなんて人も今でこそ大聖人ですが、生きてた時はどうだったのか、鳥に説教してる姿を見たらたいていの人はひきますから、実際はかなり変人扱いされていたのではないかと思います。逆に、生きてる時に聖人君子と崇められていた人ほど俗物であったりします。

 最近で言えばフランスのピエール神父、ラルシュのジャン・バニエ、イエズス会のマルコ・ルプニク神父。フランシスコ教皇は、画家としてはキコよりもルプニクの方を高く買っていたのではないでしょうか。それが今やイエズス会を追放される身とは・・・人を見る目のなさも含めて今の教皇さんはとても欠点が多く、これまたボロクソ言われる人です。

 信者の手を引っ叩いてみたり、同性愛者に対する差別的な発言をしてみたり、説教は10分でいいと言ってみたり(笑)でも、わたしはそんな人間的な教皇さんが好きですし、あれこれ批判される人だからこそむしろ信用できるような気がします。

 キコさんもまた異端だのなんだのって散々言われ続けてきた人です。特に日本では、かつてはその名を出すことすらはばかれるほどアンタッチャブルな存在だったということを今の若い人たちは知らないと思います。(もっとも、今の教会に若い人などいやしませんけど・・・)

 それと、谷口幸紀神父様という方。日本の教会でこのお方ほどこき下ろされた司祭もいないと思います。でも、最初に言いましたようにボロクソ言われる人ほど聖人です。キコさんのような老い方もありかもしれませんが、谷口神父様にはこれからもますますお元気で、変わらず教会に波風を立てていただきたいと思っております。わたしたちは心から神父様をお慕い申し上げております。神父様を置いて、誰のところに行きましょうか!

 

(影の声):  舞台の「お能」のように重く長大なブログの合間に、こんな「狂言」のように短かく軽いブログも許されるでしょうか?

 

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★ 聖人の死に方について(そのー2)

2024-08-20 00:00:01 | ★ 神学的考察

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聖人の死に方について(そのー2)

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 この6月、私は8年ぶりにイタリアでキコと1週間時空を共有した。再会した彼はコロナ期を挟んで見る影もなく変わっていた。

 彼は聖職者ではないが独身で、同じく独身のカルメンという女性と、マリオ神父の三人で一貫して共同生活を続けてきた。キコより年上だったカルメンの死後、その後継者として若いアスンシオンというスペイン人の女性が新たにチームに加わったのだが、今回目にした彼の様子は、2016年に東日本大震災、津波、原発事故の5周年に当たって彼が作曲した「罪のない人々の苦しみ」と題するシンフォニーのツアーを組んで一緒に精力的に活動した頃の彼とはすっかり様子が変わっていた。

 まず、足元がおぼつかなく、アスンシオンの肩に手を置いてゆっくり歩く。

 かつての彼は、1週間ほどの集いの間、毎日、朝から最後まで出ずっぱりで集会を引っ張っていたが、今は一日のプログラムのうち3-4時間を皆と共にして、後は弟子たちに任せて部屋に退いて休む。

 かつては自ら壇上でギターをかき鳴らし、渋い張りのある声で歌って集会を盛り上げていたが、今は時々人の弾くギターに合わせて脇に座ったままマイクに向かって歌うのみ。

 かつては、立って話し始めれば一時間でも雄弁に力強く聴衆を魅了していたが、今は演壇の後ろの高い椅子に浅く腰かけて、渡された原稿を淡々と読む。そのかたわらにはアスンシオンが常に付き添って、原稿のページをめくる。私は彼が何を読んでいるのか気になった。分かったことは、過去50年間、何百という集会で原稿なしに火を吐くような言葉で語った彼のはなしのすべてが録音され、文字に起こされ、整理・保存されていたことだ。今回の集いでは、弟子たちがその中から予定のプログラムにふさわしい内容のものを選び出し、それをキコに読ませているようだ。だから、キコの話には違いないが二番煎じで以前の迫力がないことも納得がいく。

かつて自分が話した内容を淡々と読むキコ

 集会が短い休憩に入ると、ファンの若い神父たちがキコを目指して押し寄せ、握手を求めスマホでツーショットを撮ろうとひしめくが、私も交じって挨拶をしに近づいた。しかし、キコの隣にいるマリオ神父はすぐに私と気付き声をかけてくれたが、キコは目が合っても私が誰かわからない様子だった。

 大勢の中ではそれもありか・・・と思って、一計を案じ、彼が100メートルと離れていない宿舎から車で会場に来て降り立ったところを捕えて声をかけ挨拶した。他に人の群れは無い。しかし、福島やサントリーホールのコンサートツアーで一緒に忙しく働いた私をじっと見つめても、目の前の私が誰か思い出せない風だった。とっさに、ああ、認知症が始まったな、と思った。

 

車から降りたキコは私の肩に軽く手を置いたが

私が誰であるかは思い出せていないようだった

 

 衰えで彼の出番が減った集いの日々、弟子たちは主人公不在のプログラムを仕切って生き生きと活動していた。キコの面前では控えて自分を抑えていた彼らだが、今は自身が主役の座について自由に伸び伸びと振る舞っている。話が弾むと軽い冗談を飛ばして会衆を沸かせるなど、キコの目が光っているときには考えられないような情景が展開する。

 それを見て、ああ、これでいいのだ、と私は内心深く納得した。このまま進めば、表われ方は違っても、彼もイエスキリストやアシジの聖フランシスコのように、惨めな最後を迎えるだろうと胸をなでおろした。キリストの場合のような十字架の上の凄惨な拷問死でなくても、アシジの聖フランシスコのような病気でぼろぼろになった孤独な死でなくても、現代風の、ある意味で最も残酷な、老いて痴呆で人の世話に頼らなければ生きられない物体のように処理されていくのでちょうどいい。それが本物の聖人の現代風の末路だ、と思って、私は妙に納得した。

 

ヘッドホーンをつけてたばこを手に集いの進行を見守るキコ

 

 キリストは復活し、その復活祭は世界で永久に祝われ続ける。アシジのフランシスコも、生前からキリストの再臨ではないかと噂され、死後間もなく大聖堂が建ち、今も大勢の巡礼が集まっている。キコも一旦はひっそりと痴呆で死んだ後、きっと第二バチカン公会議後の特別な聖人として高く評価され末永く顕彰されるに違いない。

 私は正直なところ、キコのパートナーのカルメンとマリオ神父にはあまり興味がなかった。キコが太陽なら、カルメンもマリオもその太陽の光を反射する惑星ぐらいにしか思っていなかった。だから、キコが聖人かどうかには関心があるが、カルメンやマリオのことはとりあえずどうでもよかった。

 ところが、現実には、キコより先に死んだカルメンについて、今バチカンで列聖調査が順調に進んでいるという。もしかしたら、キコに先立って、まず同志のカルメンが聖人として顕彰される日がそう遠くないのかもしれない。もしそれが現実のことになれば、当然キコも聖人に、それもアシジのフランシスコ並みの8百年ぶりの大聖人として顕彰されることになるかもしれない。そうなれば、20歳の時の私が密かに願った「どうか聖人に巡り合わせてください」という祈りが成就することになる。

 16世紀に書かれた伝記「画家・彫刻家・建築家列伝」にも名が残っておりアシジのフランシスコのバジリカに巨大なフレスコ画の連作を残したジオットや、聖ヨハネ・パウロ2世が福者の位に挙げたフラアンジェリコや、ルネサンス期のミケランジェロ、「万能の人」レオナルド・ダ・ヴィンチなどの芸術的巨匠の系譜にキコが属することは疑いないが、彼の重要性はそれにとどまらない。

 

キコはあらゆるところに壁画を描く 私の後ろもそのひとつ  ローマの神学校の聖堂の壁画は 

ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂の最後の審判よりも大きい

 

 コンスタンチン大帝がキリスト教をローマ帝国の国教扱いにしたことの最大の弊害は、イエスの説いた純粋キリスト教の中に、当時の地中海世界を支配していた自然宗教の要素が大量に流入する結果を招いたことだった。当時のローマ帝国の自然宗教と言えば、第一義的にはギリシャ・ローマの神話の神々だが、その本質はすべて偶像崇拝であり、その行き着くところはお金の神様=マンモンの神への隷属だった。

 生前のナザレのイエスは「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返せ」とか、「人は神と金に兼ね仕えることはできない」とか厳しく言って、キリスト教と自然宗教が全く相容れないものであることを強調したが、コンスタンチン大帝のキリスト教公認は、ローマ帝国の急速なキリスト教化には貢献したが、その弊害も大きかった。

 それは、急速な帝国のキリスト教化の結果、ラディカルな改心を伴わない自然宗教のメンタリティーのままの大衆が教会に大量にになだれ込んでくることを許したからだ。以来、教会は皇帝に神のご加護を保証し皇帝はその軍隊で教会を守る相思相愛の蜜月関係に入ることになる。そして、その陰で、キリストが命を懸けて残した遺言、「神のものは神に、皇帝のものは皇帝に返せ」や、「人は神と金に兼ね仕えることはできない」は空文化され、キリストの教えは骨抜きになってしまったのだ。名ばかりの信者たちの多くは、口では神の名を唱えながら、心では自然宗教の神、お金の神様=マンモンの偶像崇拝のまま残った。

 もちろん、それを善(よし)としない少数派もいた。あるものは世俗化した教会に見切りをつけ砂漠の隠遁者となった。聖ベネディクトに代表されるような囲いの中に大修道院を経営し、世俗を絶って祈りと労働の生活の中でキリストの回心と福音の教えを生きようとするものも現れた。しかし、そこにも大土地経営と小作人制度のもとで自然宗教の神=マンモンの影響は容赦なく忍び込んできた。そして、大修道院長は世俗の封建領主と変わらぬ富と権力を手に入れた。

 そこにアシジの聖フランシスコが彗星のように現れ、托鉢乞食僧団の新しい清貧運動を始めた。この世の富と財産に拠り所を求めず、神の摂理だけに信頼を置き、マンモンの神ときっぱりと決別してキリストの説いた「超自然宗教」の理想に生きる「小さい兄弟会」の革命を断行した。しかし、「小さい兄弟会」が予想を超えて発展し肥大化するにつれて、悪魔はそこにも巧妙に忍び入り、個人の「清貧」の誓いと僧団=修道会組織=の「集団的な富の蓄積」(マンモンの神への従属)を巧みに両立させる新たな自然宗教化をやってのけた。

 悪いジョークに「全知の神様にもご存知ないことが3つある。(その1)清貧のフランシスコ会の全財産がいくらあるか。(その2)世界中に女子修道会がいくつあるか。(女は3人寄ると修道会を作りたがる、を茶化したもの)。(その3)〇X〇X。」(この3番目の 〇X〇X は、例えば「イエズス会の神父が何を考えているか、神様も知らない」など、状況によっていろいろに言われるが、1位のフランシスコ会の座は揺るがない。) 

 もしキコが私の見込み通りの歴史に名を残す大聖人だとすれば、それは彼が絵画・建築・音楽などの分野にわたるルネサンス期の巨匠のような存在であるからだけではなく、キリスト教の信仰の歴史に名を残す偉大な宗教改革者としてでなければならない。

 それは、コンスタンチン大帝のキリスト教の国教化の弊害として生じたキリスト教の自然宗教化に歯止めをかけ、キリスト教を再びイエスの教え通りの純粋な初代教会の信仰へ復帰することに先鞭をつけた最初の大改革者としてだ。

 キコの試みが可能になったのは、もちろんコンスタンチン体制の逆改革を意味する第2バチカン公会議と聖ヨハネ・パウロ2世教皇のお陰だった。キコは、コンスタンチン体制下で徹底した「回心」を経験しないまま自然宗教的キリスト教を生きてきた信者たちに、初代教会にあった求道者共同体の回心の「道」を、洗礼の前か後かを問わず徹底的に歩む機会を提供した。そして、そのキコに聖ヨハネ・パウロ2世教皇は強いて「新求道期間の道」の「規約」を作らせたが、その第4条「物質的財産」第1項には「新求道期間の道は教区において無償奉仕するカトリック養成の道程である以上、固有の財産を所有しない。」と高らかに謳っている。

 その意味するところは何か。それは、コンスタンチン体制下では、ベネディクト会の戒律を手本として設立されたすべての修道会、そして、アシジの聖フランシスコの托鉢僧団の系譜に連なる後代のすべての修道会で、各修道者が個人としては清貧の誓願を立てて無所有を約束するが、彼の属する修道会は土地・建物の不動産のみならず、あらゆる動産と巨万の富を所有し、清貧を約束したはずの修道者が組織の富と安定の恩恵を豊かに享受するというからくりの上に安寧をむさぼるという欺瞞の構造から抜け出せず、結果的に他の自然宗教と同じ体質に堕し、キリストの「だれも、二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方と親しんで他方を軽んじるか、どちらかである。あなた方は神と富とに仕えることはできない。」(マタイ6:24)という戒めに背き続けてきた。ここで言う富とはもちろんマンモンの神、自然宗教の偶像=「お金」のことである。

 キコはコンスタンチン体制以降のキリスト教の根底的矛盾、「キリスト教の自然宗教化」という決定的な欺瞞にメスを入れた最初の聖人だと私は思う。それがどういうことを意味するか、私の痛みを伴った個人的経験に基づいて簡単に説明しよう。

 満50歳を迎えようとしていた私が神学生として東京の大神学校に入ることを許されず、最後の望みをつないでローマに送られたのが、聖ヨハネ・パウロ2世教皇によって設立されたばかりの新しいローマ教区立神学校だった。私が54歳で司祭になって高松に錦を飾った頃には、私が学んだローマの新しい神学校の7番目の姉妹校が高松教区立としてすでに誕生していた。しかし、まだ自前の建物はなく、毎年家賃分ほどの赤字を垂れ流していた。設立者の深堀司教の時代はまだ何とか赤字の補填がなされていたが、綱渡り状態だった。そこで、私は銀行マン時代の経験を駆使して、一億円余りの寄付を集め、神学校の建物を建て、赤字を消し、「道」の規約第4条1項に従って神学校の土地と建物をそっくり司教様に寄付した。

 ところが、設立者の司教が引退すると、後任の司教はそんな神学校はいらないと言い出した。そして、お前たちが建てた神学校は司教のもの(教区の財産)だから、お前たちは出ていけ、と言い渡された。私たちはもちろん黙って退去した。これが新求道期間の道は固有の財産を持たない、という規定が具体的に意味するところである。その神学校がその後に辿った数奇な運命については、すでにたっぷりブログに書いたので、それを読んでいただきたい。 

 言いたいことは、キコは教会にコンスタンチン体制以前のキリストの教えの本来の姿、「回心して福音を信じなさい」の原点に戻る道を開いた最初の聖人として歴史に名を残すに違いない、と言うことだ。

 教会は2000年の歴史を通して無数の修道会を産み出し、それぞれ時代の要請に応えて栄枯盛衰を繰り返してきた。しかし、キコの組織としての無所有という実験を思いついて敢行した者は今まで一人もいなかった。アシジのフランシスコはそれを夢見たかもしれないが、それをフランシスコ会運動の基礎にしっかりと据えることには見事に失敗し、その結果、変質した会から捨てられ惨めな失敗者として死んでいった。

 これからの歴史が見物だ。キコの後に同じ実験を試みる勇気あるカリスマが、そして組織が、続くかどうか、是非とも楽しみに見極めたいものだ。とにかく、この一点だけでも、キコが教会の歴史の中でも例外的に偉大な聖人として記憶される値打ちがあると私は考える。

 私は、今回のブログの冒頭に書いたキコとの再会から得た印象によって、彼が本物の聖人にふさわしい惨めな人生の終わり方に向かって突き進んでいる印象を強くした。そのキコに私はぜひともホイヴェルス師の言葉を贈りたい。

 

                                      在りし日のホイヴェルス神父

 

 大げさに言えば、キコはコンスタンチン大帝と並んで、教会の2000年の歴史を3分割する決定的な2つの転機の一つとなる可能性を秘めていると言いたい。即ち、キリストからコンスタンチン大帝までの300年余りは、超自然宗教としてのキリスト教がその純粋性を保って花開いた時代。コンスタンチン大帝からキコまでの1700年間はキリスト教の自然宗教化が支配的であった時代。そしてキコから後のこれからの時代は、自然宗教化したキリスト教が他の自然宗教とともに次第に滅び行き、キコが試みた超自然宗教としてのキリスト教再興につながる部分だけが辛くも生き延びる可能性を秘めた時代という区分である。

 私は、キコの最も円熟した時期に彼の近くで親しく接する機会を得たことを神様に感謝したいと思う。彼と私が同じ1939年生まれ、というのも偶然ではないような気がする。とにかく、彼よりちょっとでも長生きして、彼の最後をこの目で見届けたいものだと思う。

 彼は、教会史に残る特別な聖人だろう。因みに、コンスタンチン大帝もカトリックの教会では聖人として認められているらしい。

薔薇.jpg

 

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