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金持ちの青年の場合
谷口神父の = ビフォー アンド アフター =
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ローマの中心にカンポ・ディ・フィオーリという美しい広場がある
その真ん中にジョルダノ・ブルーノの銅像が立っている
なぜこの写真がこのブログを飾っているのかは最後までお読み頂ければわかります
わたしは、聖書の中にある人物の物語を読むと、なぜか、その人がその後どうなったか気になってならない。
例えば、放蕩息子のたとえ話の場合はどうか。放蕩息子の兄が野良での一日の労働を終えて帰ってくると、家の中から音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、一人の僕(しもべ)を呼んで、これはいったい何事かと尋ねると、僕は「弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。」と言った。兄は怒って家に入ろうとはしなかった。父親が出て来てなだめたが、兄は頑なに心を閉ざした。
父親は仕方なく兄を残して家の中に戻っていった。日が暮れた。召使はいつも通り門を閉めた。夕闇が迫り、寒さと飢えと孤独が忍びよってきた。ここまでが「ビフォー」。そして「アフター」。その後、兄はどうなったか?
私の想像では、にわとりが鳴いて夜が明けると、召使は門を開けた。しかし、そこに兄の姿はなかった。放蕩者の弟が遠い国で父の財産をばらまいて遊び惚けていた間、父のもとで忠実に勤勉に働いていた兄は、二度と父の家に戻ってくることはなかった。これが私のイメージする残酷な「アフター」だ。
さて、今日取り上げる「ビフォー アンド アフター」物語は、有名な「金持ちの青年」のエピソードだ。
この話にはマタイ、マルコ、ルカの3つのバージョンがあるが、どれもほとんど大差ない。そこで、他のバージョンも参照しながら、一番古いと目されているマルコの福音書をベースに考えてみよう。
イエスが旅に出ようとされると、一人の青年が走り寄って、ひざまずいて尋ねた。「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」イエスは言われた。「殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、奪い取るな、父母を敬えという掟をあなたは知っているはずだ。」
すると彼は、「先生、そういうことはみな、子供の時から守ってきました」と言った。
イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。それから、わたしに従いなさい。」
その人はこの言葉に気を落とし、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」と言われた。しかし、イエスは加えて「人間にはできないことも、神にはできる」とも言われた。
イエスは彼を見つめ、慈しんで「行って持っている物を売り払い、それから、わたしに従いなさい。」と言われた。(この「慈しんで」はマルコだけにある。)
ちなみに、「わたしに従いなさい。」は3人の福音史家がそろって記している。これは、イエスがガリレア湖のほとりで最初の弟子たちをリクルートした時の「私に従いなさい。(人間をとる漁師にしよう。)」と言われた時の言葉と同じだ。違いはガリラヤの漁師たちの場合は、網を打っている彼らにイエスの側から声をかけたのだが、金持ちの青年の場合は、イエスが旅立とうとしている矢先に彼の方から走り寄って、ひざまずいて「善い先生、永遠の命を受け継ぐには、何をすればよいでしょうか。」と言ったくだりだ。彼は旅立とうとする先生にぜひとも弟子として付いて行きたかったのだ。イエスもその彼を慈しみと愛をこめて見つめ、「私に従いなさい。」と招かれたのだ。イエスはすでに無学で貧しい労働者を選んで弟子にしていた。しかし、自分の教会を託したペトロの船が、厳しい歴史の荒波を人類の終末まで無事渡り切るには、彼らだけでは心もとないと思われていたかもしれない。
そこへ現れたこの青年は、すでに選んだ弟子たちのグループを補強するための格好の弟子としてイエスの目に映ったはずだ。「私に従いなさい。」と言われたときの慈しみと愛のこもった眼差しがそれを如実に語っている。
この青年は、他の弟子たちに欠けていた資質を豊かに持ち合わせた全く対照的なタイプだった。都会に住むピッカピカのファリサイ人で、学問があり、ギリシャ語も話し、律法を忠実に守る頭脳明晰な金持ちのエリートで、彼一人でも他の使徒たちの力量をこえる優れた13番目の弟子となるには、まさにぴったりだった。
最初の弟子たちはもともと貧しい漁師たちで、何の困難もなく網も船も父親も捨てて、ただちにイエスに付き従うことが出来た。しかし、この金持ちの青年は、期待を込めて善い先生イエスに走り寄り、熱い思いで是非とも弟子になりたいと望んだのに、イエスの出した一つの条件ー持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさいーがどうしても受け入れられなかった。彼はお金の神=マンモンの神=「悪魔」に魂を握られていたのだ。だから後ろ髪を引かれつつも、悲しみながら去っていくしかなかった。
ここまでがビフォーだが、私の好奇心は、この金持ちの青年がイエスのもとを悲しみながら立ち去ったあと(アフター)どう身を処したかという一点に集中する。
この青年は、もともと他のファリサイ人とはひと味ちがっていた。違っていなければ、イエスこそ従うべき善い先生であると感じ、ぜひイエスの弟子になりたいと願ったりしなかったに違いない。それなのに、最後のぎりぎりのところで、イエスの出した弟子の条件を彼はどうしても飲めず、イエスに従いきれなかった自分に躓いた。
日本語のものの言い方に、「可愛さ余って憎さ百倍」というのがあるが、彼は立派なファリサイ人だから、イエスに付いていけない以上は、自分と同じ他のファリサイ派の人々の群れにのめりこんでいって、そこで彼は自分の能力の限りをつくすことになる。ファリサイ派の人々は早い時期からイエスが自分たちと全く違う価値観を持っていることを本能的に見抜いていた。そして、イエスを亡き者にするために度々難問をふきかけ、イエスの言葉尻を捉えて罠に陥れようとしつこく付きまとっていたことは、聖書の随所に見受けられる。しかも、彼らはいつもイエスの返り討ちにあってギャフンと言わされ、忌々しい思いで引き下がるしかなかった。しかし、それも神の定めた時が来るまでのことで、最後にはローマの総督にイエスを訴え、その手を借りてイエスを十字架に架け殺すことに成功する。
ファリサイ派や律法学士とユダヤ人の王は、ひとまずイエスを亡き者にすることに成功した。ところが、イエスの弟子たちはキリストが復活したと言い広め、それを信じた民衆は改心して洗礼を受け、キリスト教徒の数は急激に増えていった。それを見たユダヤ人の指導者たちは、キリスト教徒たちの迫害に狂奔する。そして、その急先鋒に立ったのがサウルというファリサイ人だった。その間の消息は聖書に詳しく記されている。使徒言行録9章のくだりを少し辿ってみよう。
サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。
ところが、サウロがダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。
「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」サウロは起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。
ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主は「アナニア」に言われた。「立ってユダの家にいるサウロという名の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」
しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。」
そこで、アナニアは出かけて行ってサウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、主イエスはあなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、サウロは元どおり見えるようになり、洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。
サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。これを聞いた人々は皆、非常に驚いて言った。「あれは、エルサレムでこの名を呼び求める者たちを滅ぼしていた男ではないか。また、ここへやって来たのも、彼らを縛り上げ、祭司長たちのところへ連行するためではなかったか。」しかし、サウロはますます力を得て、イエスがメシアであることを論証し、ダマスコに住んでいるユダヤ人をうろたえさせた。
画家カラバッジョの描いたパウロの回心
聖書の記述は「アナニアは出かけて行ってサウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、主イエスはあなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、サウロは元どおり見えるようになり、洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。」と実ににあっさりと流しているが、そこに含まれた内容は実に重大なものがある。アナニアはサウロの上に手を置いたとあるが、これは秘跡を行う時に司教や司祭が度々用いる動作だ。すると盲人になったサウロに目を再びひらく奇跡が行われた。同時に心の目も開いたのだ。そして彼は改心して洗礼を受けた。もちろん全身水に沈み、古い罪の奴隷の身に死に、新し復活の命を帯びて生まれ変わり自ら立ち上がったのだ。額に水をチョロリと流す自然宗教化したキリスト教の形だけの洗礼はまだ全く知られていなかった頃の話だ。このとき、どうしてもイエスに従うことができなかったあの金持ちの青年について、イエスが「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」しかし、「人間にはできないことも、神にはできる」言われたイエスの言葉が見事に成就したのだ。
実は、わたしがまだ国際金融マンをしていたころ-つまり今から半世紀も前に-今述べているようなことがすでにわたしの心にひらめいていたのだ。私はあの金持ちの青年は、実は後の使徒パウロであったと確信するようになっていた。私はそのことを、ある老人ホームの施設長をしていた親友のシスターにポロリと漏らしたことがあった。彼女は賢明でバランスの取れた信仰の人だったから、「あまり突飛なことを言うと教会から睨まれるから気を付けたほうがいい」と言い、私はその忠告を守ってその後は誰にも言わず心に秘めていた。しかし、彼女もコロナの前に他界した。私ももう85歳の老人になった。いまさら叩かれても、異端視されてもどうってことはない。自分の心に湧いた確信をどこかに書いて残しておきたいと思うようになり、今こうして書いている。
その確信とは、「聖書の金持ちの青年は、後の使徒パウロであった。パウロは回心してキリストの弟子になる前に、すでにイエスに出会っていた。」というものだ。わたしはこの話をどこかで読んだわけではない。また誰かから聞いたわけでもない。自分の心の中に湧き上がったわたしのオリジナリティだと信じて疑わない。
共同訳聖書では、4つの福音書の合計が212ページに及ぶ。福音史家一人平均50ページの計算になる。ルカの福音書を書いた同じ著者は使徒言行録にパウロの言行について実に多くの事を記しているが、それは59ページにも及ぶ。それにパウロ自身が書いた書簡102ページを加えると合計161ページになる。従って、聖書におけるパウロ関連記録は量的に4つの福音書に迫るものがある。それに比べればペトロ自身が書いて聖書に収録された書簡はたった8ページにすぎず、使徒言行録においてもペトロへの言及は少ないから、聖書の中でのパウロの存在感は圧倒的だ。
カトリック教会の信仰の2大源泉は聖書と聖伝(文字に書かれていない聖なる伝承)だと言われる。聖書におけるパウロの存在はかくも絶大だと言うことは、パウロが教会の信仰の源泉として極めて重要だと言うことを意味する。そして、あの金持ちの青年が後のパウロであったとすれば、イエスは彼が悲しみながら自分の「私に従いなさい」の招きを断って去っていった青年をそのままに捨て置くことはどうしてもおできにならなかったに違いない。彼は生前のイエスに最初に会った時から「異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたし(イエス)が選んだ器」だったのだ。
イエスは、愛する青年サウロに初めて会ったとき、彼を13番目の弟子としてリクルートしようとして果たせなかった。あの時イエスは無念の思いを込めて「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通るほうがまだ易しい。」と言われたが、「しかし、人間にはできないことも、神にはできる」とも言われた。これは実に予言的で意味深長だ。あの時、金持青年サウロにはできなかったことでも、神が望まれたから、ダマスコの門前で後の同じ青年パウロを光で打って改心させ、ペトロと並んで教会の2大柱の一つにすることがお出来になったのだ。キリストは慈しみをこめて招いたのに去っていった青年のことを決して忘れず、ダマスコでの回心を通して彼の心を捉え、ご自分の思いを遂げて最大の使徒として用いられたのだ。
余談だが、福音史家ヨハネーイエスの弟子の中で最も年若く、半ばお手盛りでイエスに最も愛された弟子と自称しているヨハネーより、もしかしたらイエスはこの金持ちの青年(後のパウロ)のほうををより深く愛されたのではなかったかと思う。
もちろん、これら全ては私の妄想に過ぎない、と言われればそれまでだ。私はローマのグレゴリア-ナ大学でリチェンチア(ライセンス=神学校教授資格)として教義神学を専攻したが、聖書学の専門家ではない。専門家から激しい批判と反論を受けても私には対抗する力がない。しかし、私の中では、あの金持ちの青年は後のパウロその人だった、という強い確信を消すことが出来ない。
ローマの町の中心にカンポ・ディ・フィオーリ(花の畑)という名の美しい広場があるが、その真ん中にジョルダーノ・ブルーノの記念碑が立っている。
カンポ・ディ・フィオーリ広場の中心に立つブルーノの像
ジョルダーノ・ブルーノは宇宙論者であり数学者であったが、地球という惑星が宇宙の中心であるとする当時のカトリックの教義を否定し、中心など存在しないと言った。そのため、彼は投獄され、裁判にかけられ、上の銅像が立つ場所で火刑に処されて死んだ。現代でも、宗教裁判や魔女狩りの体質が教会に皆無とは言えないから恐ろしい。
炎に消えた異端者、ブルーノ。彼の最後のセリフは「宣告を受ける私よりも、宣告を下すお前たちの方が、真理の前に恐れ慄いている」だったと言われている。