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WYD-② 歓迎パーティーと共同告白式(集団懺悔)
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サンパウロ空港に着いたのは夜だった。バスは市内には入らず郊外のベッドタウンの或る教会に横付けした。
教会には2時間も前から現地の新求道共同体の兄弟たちが遅れた我々を辛抱強く待ち受けていた。
今夜、自分の家を開放して見ず知らずの我々を泊めてくださる人たちだ。
地元の司教さんの歓迎の挨拶があって、
たっぷり時間をかけて70人余りの今夜の引き取り先の家庭への割り振りがあって、
それから歓迎パーティーの遅い夕食があった。
心のこもった豊かな食事だった 果物は豊富で手造りのデザートも美味しかった
お料理は全て共同体のお母さんたちの心のこもった手作りだった。
明らかに日系ブラジル人とわかる顔もあった。
夜が明けると、一同は教会に集まり、共同告白式(赦しの秘跡)に与かる。キコは様々な集まりや巡礼の最初に、必ずこの式をするよう指導する。何故か?それは、わたしたちが神の前に集う時、一人一人が自分の罪の赦しを受けて清められることなく、罪を抱えたまま世俗の精神を持ち込んだとしても、決して望ましい霊的成果が期待できないことをよく知っているからだ。
教会前の道を隔てて向い側にはイタリアンピザ屋さんのお店が 教会に三々五々集まる兄弟たち
ホームステイ先の家庭の柔らかいベッドで休んだ一同はこれから赦しの秘跡を受ける
聖堂の左手奥にはこの教会の共同体の歌い手たちがそれぞれの楽器を持って支援に集まっている
ギター、ボンギ、タンバリンは定番、
それにヴァイオリン、フルート、クラリネット、パイプオルガン、ハープなどが加わることもある
聖書の朗読があって、司祭のお説教があって、導入のお祈りが終り、司祭たちが互いに3-4メートル離れた場所を選んで立ち、歌手の一人がギターに合わせて歌い始めると、個人的告白に入る。
信者の告白を聴く前に、司祭同士が罪を告白して、互いに赦しを与え合う。それはそうだろう、罪をいっぱい抱え込んだ司祭が告白を聞くなんて、自己矛盾ではないか。
信者は心に定めた司祭に近づき、みんなの見ている前で立ったまま罪の告白をする。司祭は助言の言葉を与え、償いを命じる。信者は司祭の前に跪き、司祭から罪の赦しを受け、司祭に手を取られて立ち上がる。BGMのようにギターに合わせた歌声がうまく掻き消してくれるので、告白の内容も司祭の勧めの言葉も周りに座っている信者には聞き取れないようにうまくできている。
司祭はどんな罪の告白を聞いても驚かない。 聞いた内容は一人の胸にしまって墓場まで持っていく。
相応しい助言をして、償いを命じ、赦しを与える。 おや、こんな小さな坊やまで? 罪がなんだか分かるのかな?
ひとあたり告白が終ると、司式司祭はみんなを「平和の挨拶」に招き、一同は周りの兄弟たちと互いに抱擁し合って「主の平和」と言いながら挨拶をする。
この大切な式が終ると、教会の中の空気が心なしか軽やかになり、光に満ちたように感じられるから不思議なものだ。心の準備は出来上がった。みんなの心も一つになった。いざ、「巡礼」へ向けて出発だ!
そうだ、これはただ「世界青年大会」と言うイヴェントに参加するだけのものではない。ましてや、教会から補助金を貰える割安海外旅行、楽な観光旅行に行けてラッキーと言う類の上っ滑りなものではではなおさらない。それは、苦労して旅費の全額を自前で工面して、神様の前に自分の進路を見極める魂の遍歴、真剣な祈りと識別の、けっこう肉体的にもキツイ巡礼の旅なのだ!
(つづく)