:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ ホイヴェルス神父、第41回追悼ミサの顛末

2018-07-13 00:41:43 | ★ ホイヴェルス師

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ホイヴェルス神父、第41回追悼ミサの顛末

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

私が「悲しいお知らせ」などというブログを書いたもので、その後、事態を深刻に受け止めた人達からの心配の問い合わせや、さまざまな意見が寄せられてきましたが、他にもブログに書きたいことがあったりして、そのままになっていました。

ところが、「結局あの追悼ミサは行われたのか?」という質問を複数受けて、やはり私には経過と結果の報告をする義務があると気付いて、ここに書く次第です。

結論から言うと、ホイヴェルス神父様の第41回目の追悼ミサは無事行われました。

しかし、そこに至る過程はスリルとサスペンスに満ちていました。追悼ミサの日の直前に予約していた聖イグナチオ教会のチャペルと集会室の使用許可が突然取り消され、代わりの会場探しと会場変更の連絡などで大混乱になりました。

代わりの場所を求めて、向かいの双葉女学校にチャペルの使用を打診したところ、幸い貸していただけることになって、ホッと胸をなでおろしました。しかし、翌日正式の申し込み手続きに足を運んだら、昨日は一旦許可したが、やはり貸せないことになった、という話に、がっくり肩を落としました。

仕方なくその足で隣の主婦会館に行ったら、「何人ぐらいの集まりですか」と尋ねられました。まだ出席申し込みの葉書が集まり始めたばかりで、手元に20枚余りがあったので、多分30人から40人だと思うというと、教室型に並べて45人までは入れる部屋が空いている、ということで、すぐ飛びつきました。

ところが、翌日から3枚、2枚、4枚、3枚、1枚・・・と、毎日のように出席の葉書が舞い込み、あっという間に部屋の限界の45人を突破しました。そして、出席の申し込みが60名を超えた段階で、私は主婦会館も使えないと諦め、絶望して計画中止を考え始めていた矢先、2度あることは3度あるとはよく言ったもので、まるで首つり人の足を引っ張るような残酷さで、主婦会館から電話が入り、「まことに申し訳ないが、お貸しするはずだった部屋が使えなくなりました」と言われたときには、「言われなくてもわかってる!どうせ入りきれないのだから!」と怒鳴り返す気力もなく、頭の中は真っ白。もう踏んだり蹴ったりの最悪のどん底でした。

イグナチオ教会も、双葉女学校も、主婦会館も、どれもそろって、いったんはOKが出た後で駄目になる。これは一体どんな悪魔のいたずらか?神様、あなたはホイヴェルス神父様の追悼ミサをもうお望みではないのですか、と恨めしく、天を仰いでしばし茫然としていました。しかし、電話の向こうでまだ何かしきりに話しているではありませんか。気を取り直して、耳を傾けてみると、「隣の部屋の借主がカラオケをやることが分かった。これでは予定の部屋をお貸しできなくなりました。誠に申し訳ないが、代わりの部屋を用意しますので、どうかそちらに移っていただけないだろうか」と、あくまでも恐縮して低姿勢で頼んでいる。しかも「ご希望よりも広い部屋になって申し訳ないが、こちらの都合ですから部屋代は最初の部屋と同じで結構ですから・・・」という話だった。

実は、この段階で出席申し込みの葉書は72枚。もとの部屋はとても無理だったのに、新しい部屋は80名でも入れる広さというから驚きです。まさに逆転ホームランの大奇跡を見る思いでした。

我に返った私は、「神様、あなたさんざん心配させておいて、最後まで粋な計らいを隠しておられましたね!全く人が悪い!」と目いっぱい文句を言って悪態をつきました。

 

【教訓】神様は今回もまた私の信仰を試された。神様は、「み旨に適うよいことが人間の思いで潰されることを決してお許しにならない」、と信じるように私に諭されたのでした。

以上、ごく表面的な事柄のスリリングな展開を辿りました。話は一旦ここで切って、次回に、追悼ミサや交流の中身、そして今後の展望と課題について書きたいと思っています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ 悲しいお知らせ

2018-05-29 00:19:09 | ★ ホイヴェルス師

~~~~~~~~

悲しいお知らせ

~~~~~~~~

 去る5月21日、私は《「ごあいさつ」―ホイヴェルス師第41回目追悼ミサへのお招き―》という題のブログをアップしました。すると、間髪を入れず同じ5月21日付でイグナチオ教会の主任司祭から、以下のような文面のお手紙を頂戴しました。

谷口幸紀神父様                        2018年5月21日

+主の平安 

 先日いただいたホイヴェルス神父様41回目追悼ミサの件のお手紙を拝見しました。

 長年にわたり、ホイヴェルス神父様のために、追悼ミサに係わっていただき誠にありがとうございます。

 私は、今年4月からイエズス会の人事異動により佐々木良晴神父に代わり、麹町教会の主任司祭に就任いたしました。諸事情がよく分からず、教会の諸活動について検討を進めているところです。

 本件のホイヴェルス神父様の追悼ミサについてですが、信徒の高齢化や神父様時代の方々が少なくなったことなど諸事情を鑑み、今後の在り方を関係者と話し合った結果、麹町教会ではホイヴェルス神父様の追悼ミサを今後行わないことに致しました。

 連絡が遅れて申し訳ありませんでした。

 ホイヴェルス神父様は初代の主任司祭であり、麹町教会内外の方々に大変慕われておられました。これからも、どうぞ神父様のためにお祈りください。

麹町聖イグナチオ教会 主任司祭

英隆一郎、S.J.

 私は、昨年6月9日の追悼ミサのあと、それまでの追悼ミサの責任者と一緒に今年分の申し込み手続きをして、同17日付けで教会印を押した正式の聖堂・ホール使用許可書を受け取っていました。それが、この手紙によって開催直前に突然取り消されてしまいました。

 しかし、現主任神父様といえば、36回目か37回目かのホイヴェルス師の追悼ミサを司式され、私が共同司式し、茶話会では和やかにご一緒した間柄でしたから、今回の突然の教会施設使用禁止が神父様の本意ではないことは私には明白です。よほどの苦しい事情がおありなのだろうと察して、黙って引き下がります。

 それにしても、この追悼ミサへの参加を呼び掛けた最初の手紙は4月17日付で発送され、着任後の新主任司祭宛てにも送られているので、その内容は1か月以上前にすでに目に触れていたはずですが、その後も何ら問題なく時間が経過していたのに、私が21日の昼頃にブログをアップしたまさにその21日付で、上の使用禁止の手紙が書かれたのは、ただの偶然の一致だったのか、それともブログに触発された何らかの強い力が外部から働いたのか、それは闇の中です。

 

 それはとにかく、2年前から心の中で温め、1年前に皆さんに祝福され一任されてスタートして以来、構想を練り、準備を進めてきた私にとっては、まさに晴天の霹靂でした。

 すでに、私の手元には予想をはるかに超える枚数の出席希望の葉書が集まっており、欠席の葉書も、「残念ながら今年は都合がつかず欠席するが、来年は必ず出席する」とか、「老齢で(あるいは、遠隔地のため)、参加は叶わないが心を合わせて祈っています、ホイヴェルス神父様の追悼ミサを継続してくださってありがとうございます」、というものがほとんどでした。それらの期待を一身に背負って、私は、今さら引くに引けない窮地に立たされ、あと10日でどうしろというのかと、天を仰いで途方に暮れた次第です。 

 とりあえず、代わりの場所をもとめ、聖イグナチオ教会の向かいの双葉女学校のチャペルを打診したところ、幸い事情を聴いて快く受け入れられ、翌日に正式の使用申し込み用紙に記入して提出するようにという親切な言葉に、ホッと胸をなでおろしました。

 ところが、翌日受付を訪れると、窓口の方が、申し訳なさそうに、「昨日は申し出を一旦はお受けしたが、今日になって上から不許可の指示があったのでお貸しできなくなりました」という話でした。「院長様に会ってお話したい」と言っても「今、来客中で会わせられない」と言う事でした。私の落胆ぶりをお察しください。

 6月9日の当日まで、もう時間がありません。それまでに然るべき場所に必要なスペースを確保できなければ、ホイヴェルス師の41回目の追悼ミサは中止に追い込まれます。

 私は天を仰いでホイヴェルス師に祈りました。もし、あなたのお心に叶うことなら、どうか場所が見つかる奇跡を起こして下さい。お望みでなければ、場所を与えないで下さい、と。

 

 今の段階ではっきりしていることは、「来る6月9日のホイヴェルス師のミサは、師の思い出の詰まった聖イグナチオ教会では開かれない」と言う事です。

 しかし、もし天国のホイヴェルス師が望まれるなら、きっとふさわしい場所が奇跡的に見つかるに違いないと、私はまだ最後の希望を捨てていません。とは言え、経済的理由から、ザベリオ聖堂や双葉のチャペルのような広い場所が確保できるとは到底思えません。せめて、いま出席の意思を明らかにしている人数だけは収容できる広さを念頭に、場所探しを続けています。

 従って、追加で参加を希望される方を全員受け入れられるかどうかまでは自信がありません。それで、これから参加したいと思われる方には、是非前もってメールでお申し込み頂きたいと思います。可能な限りお受けしますが、溢れて混乱する事態を避けるために、止むを得ずお断りする場合もあり得ますので、あらかじめご了承ください。その代り、来年は必ずご案内いたします。

 尚、追加でお入りいただける方には、折り返しメールで会場とその詳細をお知らせいたします。今のところ、場所としては同じ四谷界隈を考えています。

以上、取り急ぎお知らせまで。

お申し込み・お問い合わせ先メールアドレス: john.taniguchi@nifty.com谷口幸紀)

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ ごあいさつ -ホイヴェルス師第41回目追悼ミサー

2018-05-21 14:19:31 | ★ ホイヴェルス師

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ご あ い さ つ

- ホイヴェルス師第41回目追悼ミサへのお招き ー

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

人が亡くなってから、40年間もの長きにわたって、その故人を忍んで毎年大勢の人が集り、祈り、思い出を語りあうと言うような話を、私はかつて聞いたことがない。

東京オリンピックの年=1964年=に、教皇パウロ6世がインドのボンベイ(今はムンバイと呼ぶ)に来られ、世界聖体大会を開かれた機会に、ホイヴェルス師と私はボンベイに旅をした。このペン画は、かつて彼の地で教鞭をとっておられた師が教え子たちに会われた様子を、私がスケッチしたもの。

私は一昨日(5月19日)ホイヴェルス師の追悼ミサにかつて参加したことのある人たちの名簿を頼りに、次のような手紙を郵送した:

ご あ い さ つ

 このたび、不肖わたくしが師と仰ぐホイヴェルス神父様の追悼ミサの事務方をお引き受けするに至った経緯は、先のお手紙で詳しく記した通りです。

 18才で神戸の六甲学院からイエズス会の志願者として上京し、当時の学生寮「上智会館」で後に東京補佐司教になられた森一弘神学生とたまたま同室になり、一緒に毎朝ホイヴェルス神父様のミサ答えをするようになったのが師との最初の出会いでした。

その後、森兄はカルメル会へ移られ、私は3年目に広島の修練院に送られましたが、半年もしないうちに「私はこのまま修道者になるべきか、もっと世間を知った上ではいけないのか」という迷いに入り、ホイヴェルス師に手紙で正直に打ち明けました。

すると、神父様は、私のためにわざわざ広島までおいでになり、修練院の墓地の丘を二人で散歩しながら、こんこんと諭されました。それは、「お前は将来のイエズス会にとって必要な人間だから、決して早まってやめてはいけない」という有難いお言葉でした。しかし、わたしは愚かにも従順することができず、一年目に修練院を飛び出して東京に舞い戻りました。

神父様はそんな私を見捨てず、当時の都電通りを挟んでイグナチオ教会の向かいの、主婦会館の裏の河野宅に四畳半の下宿を借りて待っておられ、そこに住んで毎朝神父様のミサ答えをするように、と言われました。

その後、国際金融業で世界を渡り歩き、放蕩の限りを尽くした私が、ローマで勉強して、今このように曲りなりにもカトリックの司祭として奉仕することができるまでに至ったのは、全てホイヴェルス神父様の愛の賜物です。

直近の10年間のローマでの任務を終えて日本に帰って来たのを機会に、残された人生を神父様への恩返しに捧げつくしたいと思っています。

具体的には:

①    毎年の記念ミサを継続し、

②    ホイヴェルス師の偉大な「信仰の遺産」を、師を知らない世代の人々に受け渡すため、年間を通して様々な広報活動を行い、

③    今のうちに師の生前の面影を知る人々の証言を集め、

④    絶版になって久しい師の著作を復刻出版し、

⑤    師の遺徳を顕彰し、― もし神様がお望みなら ― 師の 「列福運動」 を立ち上げたい、

などの具体的な目標を掲げて進めてまいりたいと思っています。

 そのためには、思いを同じくする協力者を募り、幅広い連帯の輪を広げ、共同作業をしていく必要があります。

今すでに78歳のわたしに、神様があとどれだけの時間を下さるか分かりませんが、理解ある人々の協力を得て、出来るところまでやってみたいと思っています。ただし、無理は避け、一歩、一歩、出来ることから始め、志を継ぐ人々に受け渡していければ幸いです。

 6月9日(土曜日)、イグナチオ教会でお目にかかれるのを楽しみにしています。

谷口幸紀拝

同封の二枚目には:

ホイヴェルス神父様 41回目の追悼ミサについて

去る4月17日付のお手紙ですでに趣旨はご案内申し上げましたが、日時が近づいてまいりましたので、あらためてお便りを差し上げます。

準備のため、あらかじめおよその参加者の人数が把握できればと思います。

1.      ご出欠のご意向は

  〇 通信費と時間の節約のため、もしe-メールをなさる方は下記のアドレスまで。(以後、ご連絡はメールでさせていただきます。)

  〇 e-メールをなさらない方は、恐れ入りますが同封のハガキに62円切手を貼ってお出しください。

2.      ホイヴェルス神父様との繋がり、思い出、感想、もしあればご提案など・・・

    メールの方は何なりとご自由にお書きくだい。ハガキのかたは余白をご利用ください。

 

ホイヴェルス神父様41回目の追悼ミサ

日 時: 6月9日(土曜日)   3時00分~4時00分(ミサ)  4時05分~5時30分 (茶話会)

場 所: 四谷聖イグナチオ教会      ミサ(ザべリオ聖堂)  茶話会(テレジアホール)

司 式: 谷口 幸紀 神父

お返事・お問い合わせ:    e‐メール 〈john.taniguchi@nifty.com

今回のブログは、あの偉大なホイヴェルス師を直接知らない世代の人々に、この新しい動きをお知らせし、心惹かれた方、好奇心に駆られた方を、上の追悼ミサと小さな集いにお誘いするのが目的です。前もってのお申し込みは不要です。都心の交通至便のイグナチオ教会に、フラリと気軽にお運びください。お待ち申し上げます。

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする