:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ プロの常識を180度ひっくり返す キコの革命的作曲法 〔一部増補版〕

2016-01-17 06:51:07 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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プロの常識を180度ひっくり返す

キコの革命的作曲手法

〔一部増補版〕

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いつものことで今さら驚きはしないが、また突然キコから連絡が入った。「1月2日と3日にマドリッド郊外でシンフォニーの練習をする。指揮者のトーマス・ハヌスも、オーケストラもコーラスも呼んである。5月の日本ツアーの話もあるからお前も必ず来るように」。

大晦日のマドリッドの夜景

道中何が起こるかわからないので、安全の為に12月31日に発つことにした。大晦日の成田空港は信じられないほど閑散としていた。朝の9時過ぎだと言うのに、出国手続きのホールはがらんとしていて、一人も並んでいないブースが3つほどあった。若い感じのいい女性出入国管理官を選ぶ自由があって、一瞬も待つことなしにパスポートコントロールを通過できたのは初めての体験だった。

夕方マドリッド空港に出迎えてくれた若い家族の家に4泊お世話になることとなる。小さな4人の子供を抱えて、夫のダニーは3日前に仕事を首になり、正月を失業者として迎える。赤の他人を泊めている場合でもなかろうと思うのに、精一杯のもてなしをしてくれた。時差で眠いのを我慢して大晦日のカウントダウンにつき合った。元旦0:00時には誰彼えらばず抱擁とキスが交わされた。

 

ダニー一家とダニーの両親とともに大晦日の夕食 小さい女の子が二人 椅子の中に沈んでいるの見えますか?

元旦は一日マドリッド観光をした。キコの家は、いまは共同体の集いの場所として解放されている。

キコの家の入り口でパチリ ガラスに後ろの家が映って 中は真鍮のプレートだけが映っていた 元旦は休みで中に入れなかった

マドリッドのカテドラルはゴシック様式だ

その正面の祭壇のある内陣のステンドグラスと壁画はキコの作品だ

脇祭壇の壁画もキコのもの 石の逗子の中にはキコの聖母子の油絵が収められている 

 街角でクリスタルガラスカップに水を入れた楽器で演奏する大道芸人がいた 濡らした指先でコップの縁をこすると 澄んだ和音が響きだす 誰でもできますよ 私はわりに上手い 大音響が出せる ただし ガラスは薄手のクリスタルに限るからご注意あれ

日暮れにキコの設計した教会に入った

内部はユダヤ教の会堂にもなく、回教のモスクにもない、かといって従来の教会とは明らかに違う

全く清潔感に満ちた荘厳で静逸な空間だった

正月2日の朝マドリッドは小雨の生暖かい日だった

郊外の練習場で虹が立った 私は幸運の印として縁起を担ぐ

日本ツアーの結団式と言ったら大げさに過ぎる。日程の発表とツアー参加希望者の確認があり、それに向けたリハーサルも実にあっさりと終わった。

つまり、今回の全員召集の主目的は、日本ツアーではなく、どうやら新曲の誕生にあるらしいことが見えてきた。

私は、日本で演奏されるシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」が彼自身の作曲によるオリジナル作品であることを一度も疑ったことはない。絶対に嘘をつかない彼が「これは私が作曲した」と公言しているからだ。

しかし、世の政治家の自叙伝は、大概が金で雇われたシャドウライターの書いたものと相場は決まっているし、有名教授の学術論文だって、可哀想な無名の研究者の果実のパクリだったりする御時世だ。美術アカデミーを卒業した画家のキコが、絵画、壁画を描くのも、巨大な建築設計に挑戦するのもいいだろう。それらは所詮造形芸術の世界の話だから。

しかし、音楽は別の次元だ。彼は二十代からギターをつま弾き、歌っていたことが知られている。180曲ほどの歌曲を作曲し、それが世界中の150万人ほどの信奉者の間で日々歌われるようになったのも事実だが、メロディーとリズムは彼が弾き語りして披露するのを皆が競って録音し、世界中で再生され伝搬しているというのが実情だ。彼には自分が作曲して歌った曲を、五線紙に採譜する意思がないことだけは確かだ。

彼はコンセルバトワール(音大)で指揮法も作曲法も勉強したことがない。だとすれば、オーケストラ曲の指揮者用の総楽譜を書くことも読むこともできないはずの彼が、どうやってシンフォニーを作曲できるのかと疑う人がいても、その人を責めるわけにはいかない。彼が常識人である限り、その疑いは正当であり、私の確信は、実は狂信と呼ばれるに相応しい。

私はシンフォニーの日本ツアーのマネジャーをしながら、その類の懐疑心を抱く冷たい皮肉な評論家の無言の圧力を前にして、確信をもってその眞正性を説明し切ることが出来ない弱みを常に隠し持っていた。

それが、今回のたった二日余りの練習を見るうちに、キコの作曲手法のオリジナリティーとその有効性に対する揺るぎない確信を得ることが出来たので、どうしても報告しないではいられない衝動に駆られ、こうしてローマの深夜にノートパソコンに向かってブログを書いている。

モーツアルトであれ、ベートーベンであれ、バッハであれ、はたまた現代の名だたる作曲の巨匠であっても、交響曲を作曲する過程はおよその流れが決まっている。作曲者の心に、そして頭蓋骨の中に、一つの曲想が響き渡るところまではドビュッシーだって、マーラーだって、キコだって同じだろう。しかし、その後の手順がまるで異なるのを、私は今回驚きをもって知った。キコ以外の全ての作曲家は: 

①   一人籠って新しい五線紙の前に座り、自分の曲想に沿って、各楽器のパーツのメロディーとリズムを黙々と楽譜に書いていく。時には何日も徹夜で孤独に作業することもあるだろう。そして、すべてのパート譜を完成すると、指揮者用の総楽譜に統合する。

②   手書きの楽譜は楽譜出版社に持ち込まれ、印刷されて楽譜として完成する。

③   印刷された楽譜を前に、指揮者がオーケストラに向かって指揮棒を振るとき、初めてシンフォニーは音となって命を吹き込まれる。あくまで楽譜が先で、演奏が最後なのだ。

ところが、キコの場合は、その手順が全く逆の流れになっている。

 

①   先ずオーケストラとコーラスと指揮者が一堂に呼び集められる。

②   シンフォニーは彼の頭の中で既に完成し、鳴り響いているのだろう。作曲者のキコは、その部分々々を口ずさみながら各楽器に口移しに与えていく。メロディーもリズムも、最初に彼自身の口から音として出てくるのだ。まずバイオリンに向かって、「ラララ、リーララ、ピッピッピッ、リロロ、リーロロ、リーロロロー」と歌うと、コンサートマスターはすかさず「ラララ、リーララ、ピッピッピ、リロロ、リーロロ、リーロロロー」と鸚鵡返しに弾いて見せる。 

キコの思いが正確に再現されると、他のバイオリニストはそれに倣って一斉に「ラララ、リーララ・・・・」と奏和し、彼は満足げに先に進む。しかし、バイオリンの中の一人でも「ラララ、リーララ、ピッピロピー、リロロ、リーロロ、リロリロロー」と弾くと、彼は耳敏く聴き咎め「駄目ー!ダメ、ダメ、そうじゃない!「ラララ、リーララ、ピッピッピ、リロロ、リーロロ、リーロロロー」だ。はい、始めからもう一度!とすぐダメ出しが飛んでくる。

バイオリン全員がきれいに揃ってそのパッセージをマスターすると、順次ビオラ、チェロ、コントラバスへと進んでいく。そして、フルート、オーボエ、トランペット、ホルン、とまるで親鳥が雛に消化した餌を口移しするように与えていく。初めは、これ一体ナーニ?と思ったものが、楽器が増えハーモニーが加わるにつれて、シンフォニーの姿が見えてくる。パーカッションやハープなどは後の方になる。ハープのきらびやかな音の粒の隅々にまでキコの息吹が浸透する。「そこはもっと華やかに、高音まで長く掻き上げる!ポロン、ポロン、ポロポロリロリン!そうだ!」。オーケストラのメンバーは皆、大概一発でキコの口移しを正確に再生する。指がもつれてもたつくような者は一人も呼ばれてはいない。(私のフルートはオーディションで一発アウトだ!)

こうして8小節~10数小節ごとに前に進んでいく。

③   将棋でも囲碁でも、プロ級になれば、今終えたばかりの対局の展開は一手狂わず棋譜に再現できるものだ。キコのオーケストラも現役のプロまたはセミプロの集合体だから、「休憩!」の声がかかると、最後に弾いた自分のパートのメロディーをせっせと採譜することに余念がない。

④   合宿が終わる頃には、すべてのパーツ譜が集められ、指揮者用の総楽譜にまとめられて完成している。その楽譜を前にして、トーマスはキコからバトンタッチして、いつでも本番で指揮することが出来るという仕組みだ。

だが、そこまでは全てキコが一人で行ったことを、私は今回初めて自分の目で確かめた。過去の偉大な作曲家にとって最大の仕事であった、羽ペンをインク壺に差し込み、差し込み、ランプの明かりのもとでせっせと楽譜を書く孤独な作業は、キコには全く無縁の世界の出来事だ。それは、キコにとっては職人任せの下等な仕事に過ぎないとさえ言いたげだ。キコにとって作曲とは第一義的に生きた演奏のことであって、楽譜に書くのは後からついてくる付帯物に過ぎない。だから、「この楽譜はモーツアルトの直筆か、弟子の加筆か」、などの「筆跡考証」はキコの場合全く意味をなさないことにもなる。キコは「作曲するが楽譜は書かない」からだ。

新曲はフルオーケストラで4楽章立てらしい。二日間で一つの楽章がほぼ完成した。このスピードで行くと、正味2日の合宿を4回重ねれば、新しい4楽章もののシンフォニーは延べ8日間で完成する計算だ。ギネスブックもののスピードではないか。

しかも、新曲のこの楽章はピアノコンチェルト風で、ピアノソロの部分が重大な部分を占めている。この作曲合宿に招かれたピアニストは、裸のスピーカーに繋がれたKAWAIの電子ピアノでキコの口移しを受け止めたのだが、どこかの国際コンクールで金賞に輝いたかと思われるほどの演奏ぶりで、キコの口移しのメロディーを引き取って、見事な即興性で和音と装飾音を付して膨らましていくのだが、キコはそれに圧倒されることなく、遠慮会釈なく装飾音の細部の展開に至るまで、しつこいほどのダメ出しを繰り返し、ピアニストの才能の独走を矯めて、最後には確実に自分自身の作品にしていくのが印象的だった。本番ではきっとシュタインウエイのグランドピアノが舞台の真ん中に据えられ、ピアニストは従順にキコの音楽を演奏するに違いない。

そして、さらに驚くべきは、この新曲はポリフォニーの合唱付きなのだ。素人の無知を曝け出しているのかもしれないと恐れつつ言うのだが、モーツアルトでもベートーベンでもいい、音楽史に名を残した作曲の巨匠で、合唱付きのピアノコンチェルトを書いた者が一人でもいただろうか。作曲手法の180度の逆転に加えて、ここにもキコの作曲家としての天才的発想の自由さが現れている。

私は、この2日間、時には退屈してぶらぶら写真を撮って歩いたりもしたが、大概はキコと付かず離れずの距離にいた。そして、たまたますぐ傍に座っていたとき、彼が、「ウン、これで第一作目を越えられるかもしれない」と独り言を漏らすのを聞き逃さなかった。

普通、芥川賞でも直木賞でもいいが、受賞デビュー作を超えて、次々とそれ以上の大作を連発する作家はめったにいないものだ。私も「バンカー、そして神父」(ウオールストリーからバチカンへ)という大げさな副題(出版社が勝手に考えた)つきの本を書いたが、この齢でまた纏まった本を書く気になるかどうかは未定だ。しかし、書いたとしても第1作を越えるのは容易ではないだろうと思っている。(でも、越えるかもしれない。構想は温めている。)

とにかく、キコの場合はこれから先どんなすごい曲を書くか実に楽しみに思う。

 

今回の合宿の最後に、「この新曲の映像も音源も初演までは一切公表無用」、との厳しい緘口令が敷かれた。しかし、キコの音楽活動がシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」の大作一曲で終わるものではなく、第2作、第3作へと限りなく膨らんでいくものであることは大方の予想するところだ。それが、どのような手法で生まれていくのかを明らかにすることは、彼の意向に背くものではなかろうと思って、敢えてその秘密のヴェールの裾をそっとつまみ上げてお見せした。

私は、絵画・建築のみならず、クラシック音楽の分野でも、100年後に古典として残るであろう作品を、彼が今まさに生み出しつつあることを確信して疑わない。

わたしは5月5日に福島で、7日に東京のサントリーホールで、キコの処女作のシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」の日本初演に向けて全力疾走するつもりだ。その成功のために皆様の温かいご協力を切にお願いしたいと思います。

キコが練習するところ、必ず専属のカメラマンが呼ばれていて、その一部始終を録画している

だから、彼にはもともと楽譜を書く技術がなくても作曲するのに何の支障もないわけだ。

彼が楽譜なしに演奏したものの採譜は、配下の採譜家が職人芸でやってくれるのだ。

初めに指揮者キコ自身による原初の生演奏ありき!楽譜は最後の副産物!

これがキコのシンフォ二ーの誕生の秘密だった。

どうです、マエストロ小澤。

あなたも一曲、ボストン交響楽団の元音楽監督として、新曲を振り出してみまませんか?

いやー!わたしゃ、楽譜がなければ、さっぱり棒は振れないのだよ。

魔法の棒の先から、いきなり新曲を紡ぎ出せる天才指揮者は、

恐らくキコ一人を置いて、他には誰もいないだろうネ!

マエストロ、どうもコメント有難うございました!

 

 

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★ 神様の素敵なクリスマスプレゼント やっと秘書を見つけました

2015-12-22 22:50:41 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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神様の素敵なクリスマスプレゼント

やっと秘書を見つけました

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我が家の昼食風景。私は自分の席で立ってこの写真を撮っている。和やかな普段どおりの景色だが、今日の私は特別ごきげんだ。なぜって、神様から素敵なプレゼントをもらったからだ。シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」の準備が佳境に入り、チラシの印刷や、招待券の手配や、指定席券の金券管理など、私一人の事務処理能力をはるかに超えて、実はパニック状態だったからだ。「神様、何とかしてくださいよ!私はもう死にそう!!と祈ることしきりだった。そして、私の祈りはこの形で聞き届けられた。

今日初対面の私の秘書はこの人です

宣教家族の11人の子供たちの6番目、ちょうど真ん中の21歳、スペイン人のアンナさん。7歳のときに日本にきたが、とてもきれいな日本語を話す。讃岐弁のような強烈なアクセントはない。もともと新潟は標準語に近い地方なのだろうか。コンサート事務局に電話を掛けた人は、100人が100人とも、話している相手は日本人のお嬢さんであると信じて疑わないはずだ。

食堂の壁にはキコの絵がかかっている。「罪のない人々の苦しみ」に続く第二作目のシンフォニーを作曲中と噂されるキコは、もともとは絵描きが本職だった。

アンナの出現は百人力だ。私はリーマン時代に専属の秘書を高給で抱えていた。ヘッドハントされて英国の老舗銀行のサムエルモンタギューに移籍したときも、自分の秘書を連れていくことが転職の条件だった。それほど息の合った秘書との連携は重要だった。あれから30年近くの時が流れた。また秘書が必要な境遇に身を置くことになるとは夢にも思わなかった。

時あたかもクリスマス前夜。玄関先にキリストの降誕の馬小屋の飾りつけが始った。そして、この小さな共同体にアンナが加わった喜びも手伝って、真昼間からギターとクリスマスソングのメドレーで盛り上がった。

スペイン語で次々とクリスマスソングを繰り出すマヌは、ベトナム政府から国外追放を喰らった後は、ミャンマーやタイで宣教をしているが、元はと言えば、高松の神学校を出た若い神父で、キコのオーケストラのファゴット奏者でもある。サントリーホールや福島の県文化センターを準備のための下見に来て準備に参加してくれた。 

韓国人のマリアステラは、これから日本の宣教の為に働く戦力だが、韓国語のクリスマスソングを歌って花を添えた。

 

アンナは歌わず静かに聞いているが、目を見れば性格の良さと几帳面さがすぐわかる。私は秘書の基本的資質は十分と踏んだ。リーマン時代の経験から言えば、ボスの成績はその秘書に負うところが大だった。だから秘書の給料はボスが決めるのは当たり前だった。私は当時自分の秘書に信じられないような高い給料を払っていた。今、貧乏な私は、神様に「どうかこの世で100倍、天国で永遠の喜びで彼女に報いてください」とあなた任せの無責任体制でタダ働きを強いていくことになる。

日本語を勉強中のルワンダ出身のトマは、スワヒリ語のクリスマスの歌をうたった。彼はもう40才の大台に乗った。元映画・舞台俳優で、横浜にロケに来たこともあったという異色の存在だ。 

 

みんなで玄関の外に道行く人の為にクリスマスの馬小屋を作った。

夜は電飾で飾り、近くの町工場の人々にも主のご降誕の喜びを伝えようというわけだ。

メリークリスマス!

天地万物の創造主なる唯一の神は

お金の神様と死の恐怖の奴隷になっている哀れな人類に、人を愛することを教え、

自分の死によって人類を死の宿命から解き放ち、

喜びに満ちた復活と永遠の命を与えるために、

天上に住む神の栄光を脱ぎ捨てて、

ただの人の子の姿でこの世の歴史に入り

十字架の苦しみに満ちた死を通して、死の呪いから人類を解放し

復活の栄光に輝くために、

嬰児の姿で乙女マリアから生まれました。

ジングルベルの響きに浮かれてクリスマスを祝う人は、実はこの歴史的出来事を祝っているのです!

 

ここをクリック→ https://youtu.be/MhSTuj5aWeM
 

 

 

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★ チケットいよいよ発売 シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」

2015-12-07 09:07:04 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

 

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チケットいよいよ発売へ

 シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」 

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ニューヨークのリンカーンセンター エーブリーフィッシャーホールでの演奏風景

 

「チケットぴあ」の手続きが完了し、いよいよ12月18日からチケットの発売が開始される運びとなりました。

東京のサントリーホールでの公演は2016年5月7日(土)。開演は午後6時半。

S席 7000円、A席 5000円、B席 3000円です。

チケットぴあ、サントリーホールのチケットセンターのほか、セブンイレブン、サークルKでもご購入いただけます。

チケットぴあの P コードは (283-829)

ぴあの東京公演ページは http://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1555760

 

 

 

福島公演は福島県文化センターで2016年5月5日(木)午後6時開演。全席自由席で3000円です

チケットぴあの 福島公演の P コードは (283-828) です。セブンイレブン、サークルK  の他、市内の主だったプレイガイドでも購入できるように手配中です。

ぴあの福島公演ページは: http://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1555759

********* 

別枠「被災者無料ご招待」について

上の要領でチケットをご購入の皆様のご来場をこころからお待ち申し上げます。そして、このコンサートは「3.11の犠牲者を悼み、被災者を励ます」ことを目的としていますので、この趣旨に沿って、両会場とも約半分の座席数を目処に「被災者の皆様」無料でご招待申し上げたいと考えています。

と申しつつ、実は「被災者」の定義に苦しみました。3.11のその日まで平穏に生活していたのに、突然家を失った、あるいは他へ移らざるを得なくなった、肉親・友人を亡くした、田畑の耕作や牧畜・漁業ができなくなった、などなど・・・形は様々でも、東日本大震災によって生活の基盤に、また心に、深い痛手を負われたみなさま全てをご招待の対象にしたいと思っています。

 

コンサート「ホームページ」「お問い合わせ」のタブを開いて、末尾にある投稿欄に「お名前」「メールアドレス」を、「件名」のところには「被災者無料招待券希望」とご記入になり、メッセージ」欄には ①ご希望の公演会場 ご住所 お電話番号 ご希望枚数(お一人様2枚まで)

をお忘れなく併記の上お送りください。コンサート「罪のない人々の苦しみ」「ご招待券」を無料でお届けいたします。

なお、希望者多数の場合は、ご用意できる座席に限りがありますので、先着順で満席になり次第締め切らせていただきます。ご了承の上、早めにお申込みください。

コンサート「ホームページ」の URL : http://goo.gl/oq5tbX 

QRコード

 

 

 

 

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★ HP ホームページを開設しました シンフォニ-「罪のない人々の苦しみ」

2015-11-29 00:00:26 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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「ホームページ」 HP を開設しました

シンフォニ-「罪のない人々の苦しみ」

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HP を開設しました、と言ってもガラパゴス島住民の私にHPビルダーのスキルがあったわけではありません。親友の出版社社長 K.Y. 氏のご紹介を得て、片上さんという優秀なデザイナーの手を借りました。

まずは出来栄えを見てください。そして、お気に召したら至る所に リンク を張って下さい。

ためらいもあり、迷いもありして、その都度、片上氏をふり回しました。忍耐強くつき合って下さって感謝です。まだまだ進化の余地はありますが、まず粗けずりのままで発表します。

指揮者トーマス・ハヌス

 

シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」のホームページ 

公式webサイト : http://www.the-suffering-of-the-innocents.com 

短縮url : http://goo.gl/oq5tbX

QRコード:

 

どうぞご覧ください!

 

 

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★ 韓国、まさかの撤退、その後遺症は? キコのシンフォニー極東ツアー

2015-11-08 21:40:40 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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韓国、まさかの撤退、その後遺症は?

キコのシンフォニー極東ツアー

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5月初旬、イスラエルのガリレア湖ほとりでキコのシンフォ二ー「罪のない人々の苦しみ」の演奏会場に私はいた。韓国ソウルの枢機卿も招かれていた。食事の席や休憩時間に急速に親しくなって、ごく自然にて、来年5月7日のサントリーホールで演奏されるシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」にご招待申し上げた。枢機卿は鷹揚に「時間が合えば喜んで」と快諾された。

ところが、枢機卿の付き人の中に、「そんな話は初耳だ。日本まで来るのに韓国を素通りするのは納得が行かない。是非ソウルでも」と猛烈な誘致の働きかけが始った。しかも、その中心人物は韓国人ではなく、韓国人以上に韓国贔屓のイタリア人女性だった。日本は2012年から慎重に準備を進めていて、今年の5月には基本的な準備活動がすでに最終段階に入っていた。それが彼女の動きに翻弄され、5か月間日本の準備が完全にストップした。あげくの果てに日本の日程の最後の二日がカットされ、5月9日に予定されていた福島公演を東京の前の5日に移さざるを得なくなり、7日の東京サントリーホールの公演の前に予定されていたリハーサルは、ソウル公演の前に韓国で行われることになった。

それが、あろうことか、10月27日になって、突然、韓国は撤退したというニュースが舞い込んだ。今さらそんなことを言われても、変更やキャンセルを重ねたあとで、もはや当初スケジュールに戻れるものではない。リハーサルはたっぷりソウル公演の前に済ませて、ソウルの後すぐに福島で、という約束で全てを組み変えたのに、突然ソウルが消えたら、リハーサルはどうなる?急遽それも日本でしなければならないということか。それもゴールデンウイークの真っ盛りに?受け入れるホテルも練習場もこの期に及んでおいそれと取れたものではない。

そんなわけで、韓国撤退を知らされて以来、休む間もなく八方走り回り、やっとの思いで宿もホールもモザイク模様のつぎはぎ予約で繋げることが出来たが、結果は大幅なコストアップにつながった。この差額は一体どこに請求すればいいのだろう。

振り返れば、日本での公演の中止と、その間隙を縫っての韓国公演の決定が知らされた時、私は指示通り粛々と予約の全てをキャンセルしながら、心の中は意外と平静だったのを思い出す。そのことを私は、7月15日にアップしたブログ《キコからの電話「シンフォニーは中止」》の中で次のように書いている。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と説いたイエスは、人生の最後に十字架の上で壮絶な死を遂げて自らの言葉を実践して見せた。そして、その結果三日目にどんでん返しの復活の栄光に輝いた。・・・・・・・・ 私はあっさりと撤退を告げたのだが、心は自分でも信じられないほど平安だった。神がおられるのなら、またイエスが本当に復活したのなら、この選択は必ず相応しい実をむすぶはずではないか。ソウルのコンサートを祝福し、その成功のために祈ろう。韓国、こころからおめでとう!

その韓国が突如撤退を告げた。表向きには、日本と一緒にやるのではなく、さ来年の2017年に単独でシンフォニーを誘致する、とあくまで強気の発言をしている。しかし、多少ともキコのことを知っている私は、果たして彼がそんな先のことを確約し、その言葉を守るだろうか、と不思議な思いがしている。今はっきりしていることは、《日本のツアーは3週間」目に復活した!》ということだけだ。

公演まで残された時間は正味5か月あるかないかだ。果たして準備は間に合うのだろうか。お祈りする以外に打つ手はない。

皆さん、お誘い合わせのうえ、どうか大勢でお越しください。

 

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★ 〔速報〕 キコのシンフォニー「復活」!

2015-09-03 18:22:34 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

 

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〔速報〕 キコのシンフォニー「復活」!!

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シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」 

 

私は二つ前のブログに、「《キコからの電話》シンフォニーは中止という記事を書いた。

サントリーホールを予約して準備に入ったコンサートが、中止になった前例が皆無だったとは思わない。しかし、そのほとんど全てが、コンサートの主役である指揮者か演奏家の健康上の理由によるものであったろう。仮に他に事情があったにしても、健康上の理由を表に出して直前に撤退するのが誰も傷つけない大人の演出というものだ。

それが、事もあろうに道半ばにして、主催者側の内部事情で一方的に中止というのは、みっともなくて絵にならない。一体どんなずさんな企画で始まったのか、とあきれられるのが落ちだろう。表面的には東京が中止なって、代わりにソウルでコンサートが開かれるようにも見えた。第三者から見れば理解に苦しむ迷走ぶりだが、私はコメントした。

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と説いたイエスは、人生の最後に十字架の上で壮絶な死を遂げて自らの言葉を実践して見せた。そして、その結果三日目にどんでん返しの復活の栄光に輝いた。・・・・・・・・ 私はあっさりと撤退を告げたのだが、心は自分でも信じられないほど平安だった。神がおられるのなら、またイエスが本当に復活したのなら、この選択は必ず相応しい実をむすぶはずではないか。ソウルのコンサートを祝福し、その成功のために祈ろう。韓国、こころからおめでとう!

私は、早速、サントリーホール、東京と福島のホテル、リハーサル会場、バス会社、その他の予約をすべてキャンセルした。一部には違約金や迷惑料まで発生した。だが、個人としては、本番まで緊張して走り回る必要がなくなり、気分はサバサバ、ホッとして開放感さえ味わっていた。

ところが、中止の電話から3週間後の8月3日、再びキコから電話があった。今度は何だ? と、緊張した。

「先の《中止》は取り消し。予定通り来年5月7日にサントリーホールでコンサートをやる。準備しろ!」

「呆気にとられた」という日本語は、このような場面の為にあることを思い知った。なんでそんなにコロコロ変わるの? もし、そんな可能性があったのなら、どうしてよく見極めもせずに早々と中止を申し入れてきたのか?

しかし、キコにはキコの事情があった。今年5月5日の「ラグ・ボメール」という殉教者の祭りに合わせて、世界中のユダヤ教のラビ(教師)たちを集めてドームスガリレアで開いた集いが、キコの予想をはるかに上回る大成功をおさめたことが、そもそも番狂わせの発端だった。期せずして、来年も同様の「キリスト教とユダヤ教の対話」の集いを続けよう、という機運が双方から盛り上がったのだ。

来年もユダヤ教の同じ祭りに合わせて集いを開くとすれば、また5月5日を含む数日ということになるが、それは先行する5月7日のサントリーホールとモロにぶつかって両立しない。一方は 3.11東日本大震災5周年の「追悼・支援のチャリティーコンサート」という「ローカルイベント」だが、他方は2000年の長きにわたって互いに反目し対立してきたユダヤ教とキリスト教の和解の鍵を握る 「世界史的な重大イベント」 だ。

キコには東京でのシンフォニー上演に特別な思い入れがあったが、より高い次元から見ればどちらが優先するかは火を見るよりも明らかだった。たまたま、東京キャンセルの間隙を縫って韓国公演が滑り込めたのは、いわばただの偶発的幸運に過ぎなかった。

混乱というか、悲劇と言うべきか、それはユダヤ教のお祭りに太陰暦で移動するものが多いことから起こった。運悪くユダヤ教の祭り「ラグ・ボメール」がその一つだった。今年は5月5日だったその祭りが、2016年は5月25日に祝われることが判明したのは、不幸にも東京にキャンセルの指示を出した後だった。25日なら7日のサントリーホールとはもともと競合しなかったのだ。

しかし、一旦キャンセルしたものを元に戻すのは、不可能に挑戦するに等しい。こちらの信用はすでに地に落ちている。キャンセル後に他の企画がその日に予約を入れていたら万事休すだ。案の定、リハーサル会場の三日のうち一日が早くもよそに取られていた。それらを調整するのは実に神経のすり減る複雑な作業になりえた。全てが無事復元できたのは奇跡としか言いようがない。

しかし、まだ何が起こるかわからないぞ、という一抹の不安が、この1か月の間、このことをブログに書くのを控えさせた。念には念を入れたほうがいい。キコは、詳細は9月初めのイタリアでの集いで詰めよう、と言った。

さて、一夜明けて今朝、世界中103か所の「レデンプトーリスマーテル神学院」の院長たちの集いで4か月ぶりにキコと顔を合せた。彼は私を見つけて歩み寄ってきて、私の頬髭を優しくなぜながら耳元でささやいた。「東京へ行こう!」彼は私の忍んだ理不尽な苦労の全てを十分に察していたのだ。

この瞬間、心の中にスーッと安堵感が広がった。今度はもう間違いない。と同時に、これは偉いことになったぞ。5月初めイスラエルでの「ラグ・ボメール」の集い以来、まる4か月の時間が空転し、その間に進めるはずだった準備作業は全部積み残されたままだ。残された時間は7か月。コンサートの宣伝。招待客への案内、チケットを捌いて会場をいっぱいにする段取り、200人の演奏家の飛行機の手配。食事。国内の移動。練習場の設営。記者会見。本番の詰め・・・。数え上げれば気が遠くなりそうだ。7日のサントリーホールの他、9日の福島公演もある。二正面作戦だ。

ど素人の私一人では逆立ちしても対応しきれない。是非、大勢の善意の人たちの知恵と力を借りなければ、成功はとてもおぼつかない。

皆さん、どうか助けてください!

私は先の「中止」を告げるブログの中で

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」

神がおられるのなら、またイエスが本当に復活したのなら、この選択は必ず相応しい実をむすぶはずではないか。

と書いた。それがこんな形で現実になるとは、さすがの私も予想していなかった。

 

* * * * *

 

3.11から5年の節目に

「犠牲者の冥福を祈り、被災者を支援する」チャリティーコンサート

〔本邦初演〕

キコ・アルグエイヨ 作曲

   シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」全5楽章

トーマス・ハヌス 指揮

キコ・シンフォニーオーケストラ / キコ・シンフォニー合唱団

 

 

2012年5月8日ニューヨークフィルの本拠地、リンカーンセンターのエイブリーフィッシャーホールでの演奏風景

  

東京公演:2016年5月7日(土)6:00 p.m.開演

《サントリーホール》

  制作:(株)メイ・コーポレーション (代表取締役:三枝 成彰)

〒106-0032 東京都港区六本木5-16-5 イタリリアル六本木908 (担当:倉田 瑞穂)

TEL: 03-3584-1951 / FAX: 03-3584-1952

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福島公演:2016年5月5日(木)6:00 p.m.開演

《福島県文化センター》

シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」公演実行委員会

実行委員会事務局:〒132-0024東京都江戸川区一之江2-21-6  電話:03-6873-4967

 実行委員:(中島良能、山内継祐、畠隆章 他若干名)

実行委員長:谷口幸紀   携帯:080-1330-1212 

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★ キコからの電話 「シンフォニーは中止」

2015-07-15 09:28:45 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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キコからの電話 シンフォニーは中止

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2015年の梅雨の頃、深夜、午前2時 (マドリッドは夕方の7時?)、糖尿病教育入院で病棟に休んでいた私にキコから電話があった。

話し合った内容は、私が同意した結論から言うと、サントリーホールでの2016年5月7日のシンフォニー「罪なき人々の苦しみ」のコンサートは中止。従って9日の福島でのチャリティーコンサートも中止。その裏では、5月27日にソウルのカテドラル(司教座聖堂)で、29日にはソウルのオペラハウスで行うと言うものだった。

思い返せば、平山司教さまの推薦もあって、2012年のアメリカ東部のツアー以来キコは常に私をシンフォニーのツアーに同行させた。それは、東京でのコンサートのマネージメントを私に任せるための準備だった。私にとっては責任のある、しかし、心楽しい旅で、一生の財産になる恵まれた経験となった。

2016年5月の東京公演は二人の間では早くからの了解事項で、2014年11月にサントリーホールが取れたときも、キコは 「5月7日はポンペイのマドンナの祝日の前夜で縁起がいいから」 と、大いに喜んでいた。それなのに、練習会場も取れ、宿舎の目処も立ち、招待者のリストづくりに取り掛かろうとした矢先の、まさかのどんでん返し劇だった。 

一体どうしてこんなことになったのだろう。最初の兆しは2か月前、イスラエルのドームスガリレアにキコが世界中のユダヤ教のラビ(教師)を招いてシンフォニーを聴かせたときにさかのぼる。私も招かれていたことはブログに詳しく書いた。( シリーズ《世界史の奇跡?=ユダヤ教とキリスト教の和解(その 1ー5)》参照)

ソウルの枢機卿も新求道共同体の韓国の責任者に伴われて来ていた。すっかり親しくなって、私は当然のごとく枢機卿を東京のコンサートに招待し、彼は快諾した。しかし、その時、韓国の「道」の責任者の心の中では、全く別な思いが目覚めたことを私は見逃がさなかった。その証拠に、私に向かって直ちに日本の計画の凍結を迫ってきた。殆ど準備が終わろうとしているプロジェクトに、それはできない相談だったし、度を超した干渉に思えた。だが、キコがシンフォニーを日本でやって韓国ではやらないということが、どうしても承服できなかったのだろうか、その日を境に、ソウルでの公演を実現するために全エネルギーを集中して動きはじめた。

始めは、福島の直後にソウルで、という穏当な話で、それには私も大いに賛成した。しかし、それは枢機卿の日程に合わなかった。それなら東京の直前に、という話に変わった。それは、日本のスケジュールに少なからず影響のある迷惑な話だったが、それでも私は最大限譲歩した。ところがその案も枢機卿のスケジュールと調和しなかった。

事ここに及んで、先行してすでにほぼ出来上がっている日本の計画を破壊することになるのを承知の上で、全く両立不可能な独自案をぶつけてきた。

日本的な感性で言えば、連携が自分たちの都合でできないことが判明した時点で、先行している計画を護るために、競合を避けて他の時期を目標に独自の案を練るというのが常識だが、その常識が通用しない。結果的に日本が先行することになること自体がどうしても受け入れられないという情念に、一体どう向き合えばいいのだろう。

聖書には悪に逆らうな。右の頬を打たれたら左の頬も出せ、とある。キコも同じことを説く。正論をかざして相手を論難するのは昔の私の姿だ。今は奪うものに追い銭を渡そうとさえ思う。イエスの弟子同志が教会の中で争い闘ったら、キリスト教は外の世界に向かって平和を説くことができなくなるではないか。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)と説いたイエスは、人生の最後に十字架の上で壮絶な死を遂げて自らの言葉を実践して見せたが、その結果三日目にどんでん返しの復活の栄光に輝いた。

だから、無理が通れば道理が引っ込む、の言葉通り、私はあっさりと撤退を告げたのだが、心は自分でも信じられないほど平安だった。神がおられるのなら、またイエスが本当に復活したのなら、この選択は必ず相応しい実をむすぶはずではないか。ソウルのコンサートを祝福し、その成功のために祈ろう。韓国、こころからおめでとう!

韓国のカトリック教会は、キコのシンフォニーを誘致するために、200人の演奏家の宿泊費、食費、会場費など、一切の現地費用を引き受けることを切り札として申し出た。仮に物価を日本並と考えれば、その額は2000万円ぐらいのものではないか。これにはキコの心も動いたに違いない。

高松に神学校を建てたときは、1億の寄付を難なく集めた私だったが、今は老いぼれて、キコのシンフォニーのためとは言え、2000万円の寄付を求めて動き回る体力に自信がない。

だが、私の本当のアキレス腱はお金ではなかった。それは、韓国の教会の歓迎ムードとは裏腹に、日本のカトリック教会の後ろ盾が全く得られていない悲しい現実であった。高松の深堀司教が引退するや、私が資金を集め苦労して完成した神学校はあっさり閉鎖され、幽霊屋敷と化した。その神学校は、教皇ベネディクト16世の慈父の愛で辛くも救われて、一時的にローマに亡命してはいるものの、今もって日本への帰還の目処は立っていない。

それとは対照的に、新任の大司教は、日本では閉鎖された「レデンプトーリスマーテル」神学校の姉妹校をソウルにいち早く誘致した。それを受けて、フランシスコ教皇は彼を枢機卿に抜擢した。彼は来年5月、ソウル教区の司祭団の黙想会(研修会)を、キコが建てたイスラエルのドームスガリレアで催すという。

  

(ここにあったパラグラフは平山司教様の指示によって追加削除されました。15日20時00分)

 

「3.11」 の5周年に際して、その犠牲者を追悼し、被災者を支援するチャリティーコンサート 『罪のない人々の苦しみ』 は、フィナーレにサントリーホールを埋めた聴衆とオーケストラとコーラスが一体となって復興ソング 「花は咲く」 の大合唱をする夢と共に、一瞬にして消えた。

いずれにしても、今回のような結果に立ち至ったことは、全て私個人の罪と不徳の致すところであり、せっかく多大な支援を惜しまれなかった大勢の協力者の皆様には、不如意な結果に終わったことを深くお詫びお申し上げなければならない。

しかし、もし将来、仕切り直しの準備作業に入る日が来るとしたら、その時はまた、これまで以上のご支援とご協力を賜りますよう、あらかじめ心からお願い申し上げます。 

2015年7月13日

シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」公演実行委員会

委員長 谷口幸紀

 

追伸: 「キコのシンフォニーをサントリーホールでやります!」 と公言し、インターネットでも発信を続けてきたものが、突然 「止めました」 のひと言だけ残して沈黙したのでは、社会的説明責任を果たしたことにならないと思い、敢えて起こった事実をありのままに書きました。善良な信者の皆様がた、また、カトリック教会に好意を抱いて下さている方々に、教会の内情の一部をさらしました。教会も所詮は人間の世界なのです。どうか躓かないでください。

尚、このブログの元の原稿はこれよりも長いものでした。しかし、平山司教様に検閲を求めたら、私が力を込めて書いた最も大切な部分をバッサリ削られてしまいました。見解の相違はあっても、ここは従順が優先される場面です。それでも残りをブログにして出さないよりはましだろうと思って、この辺で妥協することにしました。文字にならなかった部分は、時が来たらーあるいは信頼できる人には今すぐにでもー思いのたけを個人的に語ることでよしとしようと心に決めています。 

最後に、誤解の無いように申し添えますが、私が書いたのはあくまで実際に起こった事実です。事実を隠ぺいし、ただきれいごとを並べたのでは、説明責任を果たしたことにならないから、ゆがめることも、一層のこと全部削ることも許されません。しかし、だからと言って、これをもって私が愛する兄弟である韓国の「道」の責任者を非難するものでも裁くものでもないことは、平山司教様も十分わかっていただけると確信します。裁くのは神だけですから。ただ、今回のようなことが起こらざるを得ない歴史の今なお癒えない傷を、私はひたすら悲しみのうちに見つめるものであります。

以上、報告終わり。質問、コメントを歓迎します。 

*****

尚、このブログには後日談があります。

2015年9月18日のブログには

〔速報〕キコのシンフォニーは「復活」!!

という記事があるので併せ読んでいただくとわかるのですが、一旦は中止になるかと思われたコンサートは、3週間後には再度復活して、同じ来年5月に当初計画に沿って行われることになったのでした。現在、この騒ぎで失われた時間を取り戻すべく、鋭意準備に励んでいますので、乞う、ご期待!

まことにお騒がせしました。 

    

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★ シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」の作曲者キコとは何者か

2015-04-09 14:08:42 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」の作曲者キコとは何者か

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 前回のブログ(4月5日アップ)と今回のとを合わせると、私がこの企画の説明のために用意したパンフレットの内容と一致する。

 

3月21日マドリッドのリハーサルを鋭い目で見つめるキコ

 本名フランシスコ・ホセ・ゴメス=アルグエイヨ・ヴィルツ (Francisco José Gomez-Argüello Wirtz) は、1939年1月9日にスペインのレオン市に生まれる。マドリッドの聖フェルナンドアカデミーで美術を学び、絵画と素描の教授資格を取得した。1959年に20歳の若さで絵画の国家特別賞を受賞し、スペインの画壇にデビューする。

 キコのその後の生涯の軌跡について述べる前に、先ず彼の業績を要約すると、概略次のようなことが言える。

 多数の絵画作品の他、ヨーロッパ各地の教会に宗教壁画を描き続けている。特筆すべきは、2013年に中国政府に招聘されて、上海の聖フランシスコ・ザビエル司教座聖堂の内陣に中国政府の資金で大きな壁画を描き、いまそこに大勢の中国人が彼の絵を見に訪れていること。

 彼はまた、世界各地の教会と神学校の建築を手掛け、宗教建築の新しい様式創出に意欲を燃やしている。ユダヤ教の国イスラエルのガリレア湖岸の丘に、キリスト教施設としては建国後初めて巨大なコンヴェンション施設「ドームス・ガリレア」を建設し、2000年の聖年に聖教皇ヨハネ・パウロ2世によって部分的落成式が執り行われたが、完成後は年間数万人のユダヤ人が訪れる宗教交流の場となっている。

 音楽の分野では、彼自身ギタリスト・歌手であるが、彼が作曲した180曲以上の宗教曲は広く世界中で歌われている。そして、彼の音楽活動の頂点には、今回日本で初演さえるシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」がある。このシンフォニーはイスラエル、バチカンをはじめ、2012年にはニューヨーク、ボストン、シカゴなどアメリカ3大交響楽団の本拠地のコンサートホールで好評を博し、2013年にはポーランドのアウシュヴィッツ強制収容所正門前広場で1万2000人の聴衆を前に野外コンサートを開き、ルブリンの他、ブダペストのオペラハウスでも演奏されている。

 2015年3月には新しい指揮者にチェコのトーマス・ハヌスを加え、マドリッドのスタジアムで8000人のコンサートが開かれ、5月にはイスラエルのキコが設計したドームス・ガリレアで世界中からユダヤ教のラビ(教師)を招待して演奏する(そこには東京のユダヤ教会堂のラビも参加する)。

 来年は「3.11」の5周年目に当たり、5月7日のサントリーホールと、5月9日には福島でも、「追悼と復興支援のチャリティーコンサート」を開催する予定。

 ここでキコの人物像に戻るが、彼は青年時代無神論者であった。深刻な実存的危機の後、回心の経験を経て、自己をイエス・キリストに奉げる。

 1969年、彼は文化省からリヨン(フランス)で催された宗教芸術の世界展のスペイン代表に指名され、同じ年、キコはオランダで自分の作品展を開催した。

 こうして画家としての輝かしいキャリアーをスタートさせた彼ではあったが、地上の最も打ち捨てられた人々の苦しみの中にキリストの現存を確信すると、思い切って絵筆を折り、1964年にマドリッド郊外のスラム街の最も貧しい人たちの間に身を沈める。

 その後、キコはカルメン・エルナンデスと言う女性に出会い、彼らが住んだ極貧の人たちの環境の中で、時代の要請に叶った信仰生活の方法論を見出し、小さなキリスト教共同体の形成に道を開いた。

 こうして、最初の共同体が貧しい人たちの間で生まれたが、十字架に架けられたキリストの愛が見える形を取ったこの小さな共同体は、マドリッドの大司教の庇護のもとで成長し、やがてローマと他の国々に移植されていった。「洗礼の恵みの豊かさ」の再発見に始まる成熟した信仰への「道程」は、今や全世界に展開している。キコ・アルグエイヨ、カルメン・エルナンデスとマリオ・ペッツィ神父の3人は、5つの大陸の100か国以上で活動している「新しい求道者の道」の責任者チームを構成している。

 キコは画家として、建築家として、作曲家としての他、今ま さに宗教家としての円熟期を迎えようとしている。著書に「ケリグマ」=福音の告知=がある(邦訳あり)。

 

指揮者トーマス・ハヌスの横顔

 

マドリッドのスタジアムでリハーサルを指揮するハヌス

  ユダヤ人の母から1970年に生まれたトーマス・ハヌスはチェコ共和国で最も重要で最も刺激的な指揮者の一人。ブロンの「音楽と演劇アカデミー」でジリ・ベローラヴェク (Jiri Belohlavek) に師事し、1999年のケトヴィチェの国際指揮者コンクールで入賞してデビューした。

 トーマスはバイエルン国立歌劇場で2009年に「イエヌファ」を指揮し、2010年にはマルチン・クジェイの監督する「ルサルカ」の新作に招かれ、以来、「ルサルカ」と「イェヌハ」の再演のため毎シーズン同劇場で指揮することになった。また、2012/2013年のシーズンには新作の「ヘンゼルとグレーテル」を指揮したほか、デンマーク王立劇場でドヴォルザークの「ルサルカ」、マドリッドの王立劇場でロッシーニの「セビリアの理髪師」、ドレスデンのセンペルオペラでプロコフィエフの「ピーターと狼」、などを指揮している。さらに、バーゼル劇場、ベルリン・ドイツオペラ、オペラ・ド・リヨンでもデビューを果たした。

 シンフォニーの指揮者としては、ブレーメンフィルハーモニー、ロシアの国立フィルハーモニックオーケストラなどでも活躍しているほか、プラハの「春の音楽祭」、プラハラジオシンフォニー、シュトゥットガルト歌劇場オーケストラ、マドリッドシンフォニーオーケストラ、BBCシンフォニーオーケストラ、ニューヨークモーツァルトフェスティヴァルなどでの出演がある。

 日本との関係では、指揮者としてデビューして以来、すでに数回にわたり来日し、各地で演奏している。2016年には2月28日から3月11日まで、新国立劇場で同劇場のオーケストラと合唱団によるヤナチェックの新曲「ジュネファ」を指揮することがすでに決まっている。そのあと、一旦日本を離れるが、5月1日から再度来日して、キコのシンフォニーのリハーサルと本番に備える。 

 

オーケストラと合唱団

 今回、トーマス・ハヌスと共に来日するオーケストラと合唱団は、キコの思想に共鳴したイタリア人とスペイン人のプロフェッショナルな音楽家たちによって編成されたもので、普段からキコの薫陶を受けている彼らの信仰生活から生まれる精神性とハーモニーによって、このシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」が要求するスピリチュアルな深みを、見事に描き出している。

 これは、単なる洗練された演奏技能だけでは決して表現し切れない曲の魂に関わる一面であり、キコが世界中どこであれ、常に自前の演奏家集団を連れて歩くのはそのためであると考えられている。

 

 

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★ 「犠牲者の冥福を祈り、被災者を支援するチャリティーコンサート」ー3.11 から5年の節目に

2015-04-05 17:42:22 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

 

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3.11 から5年の節目に

「犠牲者の冥福を祈り、被災者を支援するチャリティーコンサート」

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〔本邦初演〕

キコ・アルグエイヨ作曲

シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」全5楽章

トーマス・ハヌス指揮

キコ・シンフォニーオーケストラ / キコ・シンフォニー合唱団

  

(2012年、ニューヨークフィルの本拠地、リンカーンセンター・エイブリーフィッシャーホールでの演奏風景)

 

東京公演:2016年5月7日(土)6:00 p.m.開演

《サントリーホール》

 

   制作:(株)メイ・コーポレーション (代表取締役:三枝 成彰)

〒106-0032 東京都港区六本木5-16-5 インペリアル六本木908 (担当:倉田 瑞穂)

TEL:03-3584-1951 / FAX:03-3584-1952

 

 

「罪のない人々の苦しみ」について

シンフォニーの主題「罪のない人々の苦しみ」という言葉にユダヤ人は敏感に反応する。それはユダヤ民族の苦難に満ちた3000年以上の歴史と、特に、第二次世界大戦中の「ホロコースト」(ナチスドイツによるユダヤ民族絶滅)の犠牲者の苦しみに思いが直結するからだ。

日本なら、長崎・広島の被爆者の苦しみが連想されるはずのところだが、出来事の記憶を生々しく保とうとする意思はユダヤ人ほど強く感じられない。生存する被爆者が高齢化し数も少なくなった今日、原爆を落とした国を決して赦さず忘れまい、とする思いはむしろ希薄なように思われる。

しかし、3.11の地震・津波・原発事故の犠牲者と被災者の苦しみは違う。それは今日の日本の現在進行形の「罪のない人々の苦しみ」であり、その傷口は今もけっして癒えてはいない。

ホロコーストも、広島・長崎も人間の罪と敵意の結果であったのに対して、3.11 は一見するところ不可避の自然災害の結果である点で、同列には語れないと人は言うかもしれない。しかし、福島の原発事故の今後何世代に及ぶとも知れない未曾有の災厄は、人間のあくなき欲望と奢り高ぶりの結果だったという意味で、やはり人災という他はないだろう。

人災であれ天災であれ、そこに多くの「罪のない人々の苦しみ」があるのは事実だ。なぜ罪のない人々が苦しまなければならないのか。その苦しみに意味があるのか。その苦しみから何らかの善が生まれ得るのだろうか・・・。この人類普遍の苦しい問いに対して答えを見出そうとするのが、キコのシンフォニーの挑戦だ。その意味で、このシンフォニーは単なる新しい音楽的試みにとどまらず、深い哲学的なメッセージを秘めたものであると言えるだろう。

最近聖人に列せられた教皇ヨハネ・パウロ2世は、最期の著書「記憶とアイデンティティー」(2005年)の最期のページに「苦しみは愛の炎で悪を焼き尽くし、苦しみは罪からもたくさんの善の花を咲かせることができる」と書いている。この短い言葉に凝縮された深い真理を正しく理解するのは容易ではないかもしれない。

 

キコのシンフォニーは、「罪のない人々に襲いかかる苦しみ」が、人を絶望と死に誘うものではなく、巨大な悪に打ち勝ち、人類の罪から善を引き出すものであること、死を克服し、復活と永生の希望に道を開く積極的な意味を秘めていることを、音楽を通して表現しようとするものである。

この音楽は、苦しみ -特に「罪のない人々の被る苦しみ」- の持つ神秘的、肯定的、贖罪的な意味を発見するヒントを、聴く人に与えることができるにちがいない。

  

なお、今回のチャリティーコンサート》の会場では、フィナーレに3.11 の復興支援ソング

「花は咲く」をステージと会場一体となって大合唱する予定。

(つづく)

                                          

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★ マドリッド=トーマス・ハヌスとの出会い

2015-03-25 16:04:40 | ★ シンフォニー 《日本ツアー》

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マドリッド = トーマス・ハヌスとの出会い

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キコは私をマドリッドに呼んだ。日本ツアーの骨格について話し合うためだ。

朝食のためマドリッドのホテルのロビーに降りると、どこかで見たような顔とすれ違った。ひょっとして写真だけで知っているあの人?と思って「失礼ですが、トーマス・ハヌスさんではありませんか?」と声をかけたのが最初の出会いだった。

眼鏡をとってカメラを意識してポーズをする彼の写真はキザな奴という感じがしたが、実物ははるかに温かみがあった

「そうですが・・・?」という返事を待つのももどかしく、手を差し伸べて握手を求め、「ジョン谷口神父です。東京であなたが指揮するキコのシンフォニー《罪のない人々の苦しみ》のマネジメントをします。お会いできてよかった!」

偶然、同じ階の近くに部屋を与えられ、リハーサルと本番のあいだ、ずっと一緒だったので、すっかり親しくなり、友情のようなものが芽生えた。彼は、妻と7人の子供と一緒だった。

ハヌス一家のフルメンバー

まめまめしく子供たちの世話をする時のトーマスには子煩悩の言葉がピッタリだった

 

彼はバスの移動の間に身の上話をしてくれた。

母親は敬虔なユダヤ教徒。ユダヤ教徒として育てた一人息子のトーマスがカトリックに改宗したことは、彼女にとって大変なショックだった。1700年以上にわたるキリスト教徒によるユダヤ人迫害(アンチセミティズム)はユダヤ教徒とキリスト教徒の間に越えがたい深い不幸な溝を刻み、ユダヤ人にとってキリスト教に改宗することは民族同朋への赦しがたい裏切り行為を意味していた。

彼の母と、母の兄、妹はナチスによるチェコの有名なテレジン強制収容所に捕らえられ、アウシュヴィッツ送りを待っていた。

 

 テレジン収容所の入り口のスローガン「働けば自由になれる」何という欺瞞だろう。だが、この収容所は殺人工場への中間施設で、子供たちには自主的な学校があり、オーケストラも合唱団もあって、まだ人間の尊厳が最低限確保されていたと言えるのかもしれない。下は子供たちの描いた絵。

 

 

1930年生まれのユダヤ人の女がすべてアウシュヴィッツに送られることになった時、トーマスの祖母は娘の出生年を故意か誤りか、1年ずらして届け出ていたために、テレジンに残されて一命を取りとめた。母の兄と妹はアウシュヴィッツ強制収容所送りを免れなかったが、兄は強制労働への行進中、疲労で昏倒し立てなくなった。隣の男もほとんど同時に倒れて動かなくなった。そんな場合、監視のSSは拳銃を取り出し、その場で射殺して行進を続けるのだが、一人は即死、兄は弾がそれて死を免れたのにSSは彼の死亡を確認しないまま行進を続けた。死体のそばにじっと倒れたまま動かなかった兄は、足音が遠ざかったのを確かめてから近隣の村に逃げ込み、解放の日まで身を隠して助かった。一方、母の妹は踊り子だった。一人のナチスのSSの妻がたまたま大の踊り好きで、彼女に目を止め、踊って楽しませる奴隷として彼女を囲い、ガス室行きから除外した。こうして母とその兄妹の3人はアウシュヴィッツ強制収容所でのガス死から辛くも免れることが出来た。母が殺されていたら、私も、私の7人の子供たちも、この世に生まれてくることはなかった、と彼はしみじみと言った。「アウシュヴィッツの《罪のない人々の苦しみ》はトーマスにとって、今もって他人事ではないのだ。

さて、音楽の勉強で頭角を現した彼は、ある日、心の中に聖職(神父)への召命を感じた。しかし、決定的一歩を踏み出すことためらっていた。キリスト教に改宗しただけで母親に大きなショックを与えた。一人っ子の彼が、母親を捨てて聖職への道に走ったらどれほどの打撃を与えることになるだろうかを思うだけで足がすくんだ。音楽への思いも断ちがたかった。それなのに、聖職への召命感も強かった。

神のみ旨が何れにあるかを識別するために、彼は一年間音楽の勉強を中断し、ポーランドの黒のマドンナの聖地=チェストコーバ=で祈りと奉仕の生活に没入した。彼自身、改宗後もキリスト教徒の根深い反ユダヤ主義とまだ十分和解しかねていた。彼はそこで神に印を求めた。やがて、キコの音楽の中にユダヤ教とキリスト教の和解と一致への希望を見出し、納得した。そして、音楽の道に進むことを自由に選び、心晴れて学校に戻った。音楽大学の同僚は、出戻りの彼を冷やかに迎えたが、彼はくじけず好成績で卒業した。

 

一通りの話が終わると、私も曲折の多かった自分の人生のあらましを話し、互いの数奇な運命を分かち合い、肩を抱き合った。

ホテルでの短い共棲の中で、トーマスの優しい父親としてのプライバシーを垣間見ることが出来たのはよかった。

指揮者としては、一切妥協しない烈しいリハーサル風景に、また完成度の高い本番に、私はキコの作曲したシンフォニー「罪のない人々の苦しみ」が全く新しい命を吹き込まれたのを感じた。

 

 

 

彼は私に来年の5月7日のサントリーホールでは必ず棒を振ると約束してくれた。

彼は指揮者としてデビューして以来、実はすでに数回にわたり日本で演奏している。来年も2月28日から3月11日まで、新国立劇場で同劇場のオーケストラと合唱団によるヤナチェックの新曲「ジュネファ」を指揮することがすでに決まっている。そのあと、一旦日本を離れるが、5月1日から再度来日して、キコのシンフォニーのリハーサルと本番に備える。

今回のマドリッドの本番はじつに大がかりなものだった。1万2000人収容のスタジアムの舞台の死角になる席を除いて、残りの約8割がふさがったところから割り出して、7500~8000人の入りと見て取れた。

スタジアムの傾斜に合わせて仮設席スタンドがせり出し、フィールドには椅子が並べられた

舞台に無数に立てられたマイクのミキサーはフィールドの最奥にあった

頭上には巨大スピーカーが二対(4個)吊り下げられスタンドの奥まで音を届ける

スタンドは舞台裏を除く3方がぎっしり最上段まで人で埋まった

今回の編成はオーケストラとコーラス合わせて150人ほどの小型だったが・・・ 

マドリッド教区の新しい大司教を迎えた、シンフォニー「罪のない人々の苦しみ」の演奏の夕べであった。キコのオーケストラとコーラスからトーマスが紡ぎだす音楽は、聴く人の心をしっかりと捉えた。東京公演が本当に楽しみになってきた。

(つづく)

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