:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 〔完全版〕教皇のインタビュー(その-9) (最終回の一つ前)

2014-04-10 17:00:30 | ★ 教皇フランシスコ

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〔完全版〕教皇のインタビュー(その-9)

(最終回の一つ前)

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現場と研究室

 そう言うわけで、イエズス会員にとって創造性は重要なことです。教皇フランシスコはCivilta Cattolica チビルタ・カットリカ(カトリックの文明)誌 の司祭たちとその協力者たちを謁見した際、イエズス会員の文化的な働きにとって大切な他の三つの資質について詳しく語った。去る6月14日の記憶に戻ろう。あの日、私たちのグループ全体との対話に先立って行われた打ち合わせの中で、教皇は私に「対話」と、「識別」と、「現場主義」の三本柱についてあらかじめ話した。そして、教皇パウロ6世がある有名な演説の中でイエズス会員について述べた箇所、すなわち、「最も困難で先鋭化した問題の分野にあっても、イデオロギーが衝突する場所においても、社会の掃き溜めのようなところでも、教会の中のあらゆる場所で、火がついた人間の緊急事態と福音の普遍的のメッセージとの間の対決がかつて存在し今もある場所にイエズス会員はいたし、今もいる。」を引用しながら、特に最後の点、つまり、現場主義のことを強調した。

 教皇フランシスコにいくらかの説明を求めた。「わたしたちに《現場を都合よく手なずけてしまう誘惑》に陥らないように、現場の方に出向くべきであって、現場を家に持ち帰って化粧を施して飼い慣らしてしまわないよう気を付けるように」と言われました。それは何のことを指して言われたのでしょうか?正確には何を言おうと意図されたのでしょうか?このインタビューはイエズス会が編集している幾つかの雑誌のグループの間で合意されたものです。彼らに対してどのような勧告をなさりたいのでしょうか?彼らの優先課題はどのようなものでなければならないのでしょうか?」

 「チビルタ・カットリカに向けた鍵になる3つの言葉は、多分それぞれの性格と目的によって強調点は異なってくるとしても、イエズス会のすべての雑誌に当てはめられることが出来るだろう。私が現場にこだわるのは、人がその中で働きそれについて考察する状況の中に溶け込む文化を形成することがその人にとって必要であることを、特別な形で指摘したいからだ。そこには、研究室の中に生きる危険性の罠が常に待ち受けている。我々の信仰は研究室の信仰ではなく、歩みの中の信仰、歴史的な信仰である。神はご自分を抽象的な真理の要約としてではなく、歴史として啓示された。私が研究室を恐れるのは、研究室の中では問題を取り上げ、自分の家に持ち帰って、その問題を現実の状況から切り離して飼い慣らし、ペンキで塗りこめるからだ。何も現場を家に持ち帰る必要はなく、現場にとどまって生きて大胆にふるまうべきなのだ。」

 教皇にご自分の個人的体験に基づいた例を何か語ってもらえないかと聞いた。

「社会的な問題について語るとき、一つのやり方はvilla miseria(麻薬患者収容施設)の建物の中で集まりを開いて麻薬の問題を研究することで、もう一つのやり方は麻薬が常用されている現場に入って、そこに住み込んで問題を内側から理解し研究することだ。ここにアルーペ神父のCentros de Investigación y Acción Social(研究と社会活動センター)宛の貧困に関する天才的な手紙がある。その中で彼は、もし貧しい人たちが生活しているその現場に直接入って体験しないならば、貧困について語ることは出来ない、と明白に述べている。しかし、この《現場に入る》と言う言葉には危険も含まれている。なぜなら、ある種の修道者らの場合、それが一種のファッションのように受け取られ、識別の欠如のために大失敗に終わったからだ。しかし、実に大切なことではある。」

 「現場は実にたくさんある。病院で生活している修道女たちのことを考えてみよう。彼女たちは現場を生きている。私はこのような彼女たちの一人のお蔭でいま生きている。私が肺を患って病院にいたとき、医者は私にある量のペニシリンとストレクトマイシン処方した。対処した修道女は一日中患者と接しているので勘が働き、何をすればいいか知っていたので、その薬の量を3倍にした。医者は実に有能ではあったが、自分の研究室に住み、修道女は現場に住み、一日中現場と対話していた。現場を飼い慣らすとは、研究室に閉じこもり、現場から距離を置いた場所から物を言うことを意味する。そこにも有益なことは多々あるとはいえ、私たちの考察は常に現場の経験から出発しなければならない。」



 

人は自分自身をどのように理解するか

 そこで、このことは人間論的な挑戦の重要な文化的現場に対しても当てはまるか、またどのように当てはまるかについて教皇に訊ねた。教会が伝統的に言及する人間論と、教会がそれについて用いてきた用語は、社会的な賢明さと経験の結果として堅固な基準の上に据えられている。しかしながら、教会が向き合っている人間はもはやその基準を理解していないか、又はそれを十分なものとは考えていないようである。私は、人が自分を過去とは違ったやり方と違った範疇で解釈し始めている事実について論じはじめた。これはまた、社会における大きな変革と、自己自身に対するより広範囲な研究の原因でもある・・・。

 ここで教皇は、立ちあがって自分の事務机の上から聖務日課書を取りに行った。それは、もうすっかり使い古したラテン語の聖務日課書だった。そして、年間第27週の第6週日、つまり金曜日の読書課のところを開いた。彼はレリンスの聖ヴィンチェンツォの第一集(Commonitórium Primum)から取られた一節を読んで聞かせた。ita étiam christiánae religiónis dogma sequátur has decet proféctum leges, ut annis scilicet consolidétur, dilatétur temper, sublimétur aetáte (キリスト教の教義もこの法則に従わなければならない。時代とともに統合されながら、時間とともに発展しながら、年代とともに深みを増しながら進化するのである)。

 そして教皇はこう続けた。「レリンスの聖ヴィンチェンツォは人間の生物学的な成長と、ある時代から別の時代へ時間の経過とともに信仰の遺産が成長し、より統合されながら受け渡されていくこととを対比した。この通り、人間に対する理解は時間とともに変化するし、また人間の意識も深まる。奴隷制度が許容され、死刑が何の問題もなく許容されていた時代の事を考えてみよう。このように、真理の理解においても成長がある。釈義学者や神学者は教会が自分の判断を成熟させるのを助ける。他の学問も、その進化も、この理解の成長によって教会を助ける。教会の二義的な規範や規則の中には、かつては有意義であったが、今日では価値や意義を失ったものもある。教会の教義をニュアンスの余地のない固守すべき碑文のようにとらえるビジョンは誤っている。」

 「いずれにしても、あらゆる時代に人は自分自身をより良く理解し、より良く説明しようと努力してきた。そして、人は時間とともに自己理解のあり方を変えてきた。サモトラケのニケー(訳注:ギリシャ彫刻の勝利の女神)を刻んで自分を表現したのも人であれば、カラバッジョが表現したのはまた別の人間像であり、シャガールのも別、またダリのものもさらに別のものである。真理の表現の仕方もまた多様で有り得るし、それはむしろ福音のメッセージの普遍的な意味内容を伝えるために必要なことである。」

 「人間は自分自身を探求するものであり、この探求の中にあって誤りを犯しうることも明らかである。教会は、例えばトミズムの時代のような天才的な時代を生きたこともあった。しかし、思想の退廃(デカダンス)の時代も経験した。例えば、私たちは天才的なトミズムとデカダンスのトミズムを混同してはならない。残念なことに、私は堕落したトミズムの教科書で哲学を勉強した。だから、人間について思考するに際しては、教会は非凡さをこそ目指すべきであってデカダンスを指向すべきだはない。」

 「思想の或る表現が無効なのはどんなときか?それは、思想が人間的な視点を失ったとき、或いは人間的であることをすら恐れたとき、または自分を欺くに任せる時である。それは欺かれた思想であって、それはシレーネ(人魚姫)の歌声の前のユリシーズの姿として、あるいはサテュロスの半人半獣の森の神や酒神バッカスの巫女たちの乱痴気騒ぎに取り巻かれたタンホイザーや、ワーグナーの楽劇の第二幕の中のクリングソルの王宮におけるパルシファルのようなものとして描かれることが出来よう。教会の思想は非凡さを取り戻し、その固有の教えを発展させ深化させるために、人が今日どのように自己を理解しているかを常により良く知らなければならない。」

 

 長かった教皇フランシスコのインタビュー記事も次回が最終回になる。しかもその量は今までの一回分の平均の半分ほどになるだろう。今まで忍耐して読んで下さった方には感謝する。また、面白くもないのに、一回おきにこれが現れる煩わしさにもかかわらず、見限らずにフォローし続けて下さった方にも感謝したい。

(つづく)

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★ 〔完全版〕 教皇のインタビュー(その-8)

2014-04-02 16:10:59 | ★ 教皇フランシスコ

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〔完全版〕教皇のインタビュー(その-8)

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我々は楽観主義者でなければならないか?

 教皇のこれらの言葉は、今までの彼の幾つかの省察を思い起こさせる。その中で、ベルゴリオ枢機卿だった頃の彼は、神は既にすべての人の間生気に満ちて現存し、一人ひとりと結びついて巷に住んでいる、と書いている。私の考えでは、それは聖イグナチオが霊操の中で書いたこと、すなわち、神は我々の世界の中で《働き、行動している》と言うことを、別の表現で言っているのだと思った。そこで、教皇に《私たちは楽観主義者でなければならないか?何が今日の世界における希望の印か?危機の中にある世界にあって楽観主義者であるためにはどうすればいいか?》と聞いた。

 「わたしは《楽観主義》と言う言葉は好きではない。なぜなら、それは心理学的な態度を言い表わすからだ。私はその代わりに前にも引用したヘブライ人への手紙 の第11章に書かれている 《希望》 と言う言葉を使う方を好む。教父たちは、大いなる困難の中を通りながら、歩み続けた。私たちがローマ人への手紙 の中に読むように、希望は決して裏切られることがない。それに対して、プッチーニのツーランドットの一番目の謎の事を考えて御覧」と教皇は私に求めた。

 とっさに私は、希望を答えとした王女様の謎についての詩句を、少しばかり暗唱していることを思い出した:暗やみに包まれた夜に虹色の亡霊が舞い / 無数の黒い人影の上に / 翼を広げて昇ると / すべての人たちはそれを希求し / すべての人はそれに哀願する / だか亡霊はあけぼのと共に消え失せる / 心の中に再び生まれるために / それは夜毎に甦り / そして日毎に滅びゆく! この詩の言葉は希望の願いを表しているが、ここでは虹色の亡霊として、あけぼのと共に消え失せるものとして描かれている。

 教皇は言葉を続けて、「だけど、キリスト教的な希望は亡霊ではなく、欺くことはない。それは神に対する徳目だから、神の贈り物であって、ただの人間的な楽観主義に矮小化することは出来ない。神は希望を裏切ることはない。ご自分自身を否定することは出来ないからだ。神は約束のすべてなのだ。

 

芸術と創造性

 私は教皇が希望の神秘について話すためにツーランドットの引用をしたことに感動した。そして、教皇フランシスコの芸術と文学に関する造詣についてもっと知りたいと思った。彼が2006年に、偉大な芸術家は人生の悲劇的で痛ましい現実を美しく表現することが出来る、と言ったのを思い出す。そこで、どのような芸術家と作家がお好きですか?それらに共通する何かがおありならば・・・とお聞きした。

 「わたしは互いに相異なる作家をとても愛好している。ドストエフスキーとヘルダーリンをとても愛好している。ヘルダーリンにつては、彼のおばあさんの誕生日に捧げられた、大変美しく、私に霊的に多くの善をもたらした、あの抒情詩のことを思い出したい。その詩の最後は 幼子のときに約束したことを人が保ち続けますように と言う言葉で結ばれている。感動したのは、私が私のローザおばあさんを大変愛していたので、ヘルダーリンが誰をもよそ者とは見做さないこの世の友イエスを生んだマリアと自分のおばあさんを並べて考えていたことにもよる。私は いいなずけ (Promessi Sposi) の本を三度読んだが、それを再読するために今また机の上においている。マンゾーニは私に多くの事を語った。私のおばあさんは私が幼い子供だったとき、この本の最初を暗記するように教えた。《途切れることなく連なる二つの山なみにはさまれて南に向かうあのコモ湖の枝分かれ・・・》。ジェラール・マンレイ・ホプキンスもとても気に入っている。」

 「絵画ではカラバッジョに感嘆する。彼の油絵は私に語りかける。しかし、またシャガールの白い十字架 のある絵も・・・。」

 「音楽ではもちろんモーツァルトが好きだ。ハ長調のミサ曲のあの Et incarnatus est (エト・インカルナートゥス・エスト=そして、受肉された)は無類のもの、神にまで引き上げるものだ!クララ・ハスキルの弾くモーツァルトが好きだ。モーツァルトは私を満たしてくれる。それを考えることは出来ない。それは感じなければならない。ベートーベンを聴くのも好きだが、それはプロメテウス的-反逆的-な意味においてだ。私にとって、よりプロメテウス的な解釈者はフルトヴェングラーだ。そして、バッハの受難曲。私のとても好きなバッハの一節は、マタイ受難曲のペトロの涙のErbarme Dich(主よあわれみ給え)だ。最高だ。次いで、同じように親密と言うわけではないが、違うレベルで、ワーグナーを愛する。聴くのは好きだが、いつもと言うわけではない。フルトヴェングラーが50年にスカラ座で指揮した指輪の四部作(ニーベルングの指輪)が比較的優れている。クナッパーツブッシュが62年に指揮したパルシファルもまたいい。」

 「映画についても話さなければならないだろう。フェリーニ監督のLa strada(道)は多分私が最も愛した映画ではないか。暗に聖フランシスコに関連付けられたこの映画には私と重なるものがある。女優アンナ・マグナニと俳優アルド・ファブリツィの出た映画を、私は10才から12才の間に全部見たと確信する。私が大好きなもう一つの映画はRoma città aperta(開かれた都市ローマ)だ。私の映画文化は先ず第一に私を度々映画に連れて行ってくれた両親に負うところが大きい。」

 「とにかく、一般論として私は悲劇的な芸術家、特により古典的なのが好きだ。セルバンテスがドンキホーテの物語を讃えるために学士カラスコの口に載せた《幼子たちが手にとり、若者たちがそれを読み、大人たちはそれを理解し、年寄りたちがそれを称賛する》という美しい定義がある。私にとって、古典に対する良い定義で有り得る。」

 私は彼のこれらの言及にすっかり心を奪われ、かれの芸術的嗜好の門を通って彼の内面に分け入りたいという望みを抱いている自分がいることに気付いた。それは恐らく長い道のりになることだろう。そこにはイタリアのネオレアリズムからIl pranzo di babette(バベットの午餐)の映画までも含まれるだろう。私の頭には、彼が別の機会に言及した他のマイナーな、またあまり知られていない、あるいはローカルなものも含む著者や作品が浮かんできた。ホセ・エルナンデスJosé Hernández(訳注:アルゼンチンの詩人)のマルチン・フィエロMartín Fierro(訳注:長編叙事詩)から、ニーノ・コスタNino Costaの詩やルイジ・オルセニゴの大脱走 に至るまで。しかし、またヨゼフ・マレーグやホセ・マリア・ぺマンまで。また、ダンテやボルゲスBorges(訳注:アルゼンチンの作家、詩人)は言うに及ばず、Adán Buenosayres(アダン・ブエノス・アイレス=アルゼンチン文学の最高傑作)や El Banquete de Severo Arcángelo(厳しい大天使の晩餐)や Megafón o la guerra(メガホンか戦争か)の著者であるレオポルド・マレシャルまでも。

 特に、まさにボルゲスに至るまで、と言うのも、28歳でサンタフェの無原罪の御宿りカレッジの文学教授をしていたベルゴリオは、個人的に彼を知っていたからだ。ベルゴリオは高等学校の最後の2学年の教鞭を執り、生徒たちに創造的文学を教えた。私は当時の彼と同じ年頃のとき、ローマのマッシモ学院でBomba Carta(紙爆弾)を設立して彼と同じような経験をしていたのでそのことについて話した。そして最後に教皇に彼自身の経験を話してくれるように求めた。

 「それは少しばかりリスクを伴う試みだった-と教皇は答えた-。生徒たちがエル・シッド(El Cid)(訳注:11世紀スペインの国民的英雄ロドリゴ・ディアスのこと)を勉強するように仕向けなければならなかった。しかし子供たちはそれが好きではなかった。彼らはガルシア・ロルカを読みたいと言った。それで、私はエル・シッドを家で勉強したことにして、授業中は彼らのより気に入った著者たちの作品を取り扱うことにした。明らかに若者たちは現代のものではロルカのLa casada infiel(不貞な妻) や、古典ではフェルナンド・ロハスのLa Celestina(ラ・セレスティーナ)のような、より《辛口の》文学作品を好んだ。しかし、最初は彼らの関心を引いたものから読みながら、次第に彼らは文学や詩全般に対する味を覚えて、他の作家の作品へと移っていった。これは私にとって大きな体験だった。私は結局プログラムを達成したが、それは破壊的な手法、つまり、あらかじめ決められたやり方に従わないで、作家たちを読み進むうちに自然に生まれた秩序に従ってであった。このようなやり方が私には合っていた。私は硬直的なプログラムを作ることは好きではなかった。大体どの辺にたどり着くかを知っているだけで十分だった。そして、次に彼らに書かせることにした。最後に、私の生徒たちの書いた二つの物語りをボルゲスに読ませることに決めた。私は彼の秘書を知っていた、と言うのも彼女は私のピアノの先生だったからだ。それらはボルゲスにとても気に入った。そして、かれは一冊の文集に序文を書くことを提案した。」

 「教皇聖下、では一人の人の人生にとって創造性は重要なことだということでしょうか?」と訊ねた。彼は笑って私に答えた。「一人のイエズス会員にとっては極めて重要なことだ!イエズス会員は創造的でなければならない。」

バラ.jpg

(つづく)

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★ 〔完全版〕教皇のインタビュー (その-7)

2014-03-23 17:41:12 | ★ 教皇フランシスコ

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〔完全版〕教皇のインタビュー(その-7)

第2バチカン公会議 ・ 全ての事の中に神を探し、見つけること ・ 確かさと誤り

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私のブログの常連読者の多くにとってあまり関心のない教皇のインタビューを長々と続けることは、賢明ではないことを知らないわけではない。しかし、乗りかけた舟で今さら降りるわけにいかない。退屈された方は一回おきに書く別の話題だけをフォローしていただいてもいい。インタビューは今回で約4分の3をカバーしました。あと少しの辛抱です。どうかお見限りなく。




第二バチカン公会議

 「第二バチカン公会議は何を実現したのか?一体何が起きたのか?」私は、教皇のいままでの主張からして、巧みに関連付けられた長い一連の回答を期待しながらこの質問をした。ところが、印象としては、教皇は公会議を長々と話すに値しないほど明白なこと、単純にその重要性を再確認するだけで足りる議論の余地のない事柄、と考えているようだった。

 「第二バチカン公会議、それは現代の文化に照らして福音を読み直すことだった。公会議はただ単純に同じ福音から新たな刷新を生み出す運動にすぎなかった。しかしその成果は膨大だった。それは典礼の事を思い出すだけでも十分だろう。典礼改革は、具体的な歴史的状況から出発して福音を読み直す民への奉仕の仕事だった。そこには解釈上のラインの連続性と不連続性の問題があったが、にもかかわらず一つの事、つまり今日の時代に即した公会議に固有の福音の読み方の展開は、絶対に逆戻り出来ないものであることだけは明白だ。そのほかにも、Vetsus Ordo(公会議前の古い様式)による典礼の扱いなど個別の問題がある。教皇ベネディクトの選択は、この様式に固執する独特の感性を持った一部の人々に対する配慮としては賢明であったと私は思う。しかし、Vetsus Ordoをイデオロギー化し、それを(公会議を空洞化させるための)手段として利用しようとする動きには、憂慮すべきものがあると考えている。」

 

全ての事の中に神を探し、見つけること

 今日の挑戦に関する教皇フランシスコの話には大変並外れたものがある。数年前、現実を見るためには信仰の視点が必要で、それがなければ、現実をばらばらな断片としてしか見ないことになる。これはLumen fidei(信仰の光)の回勅のテーマの一つでもあった。私はリオ・デ・ジャネイロの世界青年大会の期間中に教皇フランシスコがした話の幾つかの箇所を頭に置いていた。それを引用しよう。「今日神がご自分を現されたとすれば、それは本当だ。」「神はあらゆる部分におられる。」これらの言葉には「全ての事の中に神を探し、見つけなさい」というイグナチオ的表現をこだまさせるものがある。そこで教皇に「教皇様、すべての事の中に神を探し、見つけるためにはどうすればいいのですか?」と訊ねた。

 「私がリオで言ったことは時間的な価値を持っている。実は、神を過去の中に、または将来起こり得ることの中に探し求めようとする誘惑がある。確かに神は彼が残した痕跡の中にいるから、過去の中にいるともいえる。また、約束として未来の中にもいる。しかし、《具体的な》神、とでも言うか、を見出すことができるのは今日の中だけだ。だから、泣き言を言っても神を見つけるためには全く何の役に立たない。この《野蛮な》世界は一体どうなってしまうのだろうかという今日の嘆きは、ともすれば教会の中にただの保守的な防衛的秩序への願望を生み出すだけに終わる。しかしそうであってはならない。私たちは今日神と出会わなければならないのだ。」

 「神は歴史的な啓示の中に、時間の中にご自分を現される。時間が流れを開始し、空間がそれを結晶させる。神は時間の中に、流れていく経過の中に見出される。時間、それも長く経過する時間、の前には、力の空間を特別視する必要はない。我々は空間を占めることにではなく、新しいプロセスを開始することに取り組まなければならない。神はご自分を時間の中に現し、歴史の経過の中に現存される。これは新しいダイナミズムを生む活動に特権を与えるものである。それはまた、我々に忍耐と待つことをも求める。」

 「全ての事象の中で神と出会うということは、経験的なeureka(発見)とは違う。私たちが神と出会いたいと願うとき、心のどこかで、経験的な方法ですぐに確かめたいと望んでいるかもしてない。しかし、そのような形で神に出会うことは出来ない。神はエリアのときに起きたように、かすかなそよ風の中で出会うものである。神に気付くのは、聖イグナチオが呼ぶところの《霊的な感性》によってである。イグナチオは神と出会うために純粋な経験科学的アプローチの彼方にある霊的な感受性を開くことを求めている。また、観想的な態度が必要だが、それは、事柄と状況に対して共感と愛情のこもったよい歩みを行うために、耳を傾けようとする姿勢だ。この良い歩みの印は、深い平和と、霊的な慰めと、神への愛と、事柄と状況の全てを神の中に見ようとする姿勢だ。」

 

確かさと誤り

 「もし、すべての事の中で神と出会うことが《経験的な理解》によるものではないとすれば、-と私は教皇に言った-したがって、もしそれが歴史を読み取る歩みの中で行われるものであるとすれば、誤りを犯すこともまた可能になるのではないだろうか・・・・」

 「そうだ、全ての事の中に神を探し見つけることの中には、常に不確実さの余地が残る。またそうでなければならない。もしある人が完全な確実さで神と出会ったと言い、不確かさの余地は全くないと言うとすれば、何かがおかしい。それは私にとって大切な鍵だ。もしある人がすべての疑問に対して答えを持っていると言うならば、それこそ神が彼と共にいないことの証拠だ。それは彼が偽預言者であって、彼は宗教を自分自身のために利用しているしるしだ。モーゼのような偉大な神の民の指導者は、常に疑いのために余地を残した。私たちの確実さにではなく、主のために場所を残しておかなければならないし、謙遜であることが必要だ。霊的な慰めに対して開かれたすべての本物の識別の中には、必ず不確かさがつきまとう。」

 「つまり、すべての事柄の中に神を探し見つけることに伴う危険性は、明白に述べすぎることと、《神はここにある》と人間的確実さと尊大さで言いたいという願望の中に潜んでいる。それでは私たちの物差しで測ることのできる、あるちっぽけな神を見つけることしかできない。あのアウグスチヌス的な態度、すなわち、神を見つけるために探し、神を絶えず探しつづけるために見つけることこそが正しい態度だ。聖書を読み解くときのように、何度も手探りで探すことだ。私たちの模範となるのは、信仰の偉大な教父たちのこの経験だ。ヘブライ人への手紙の11章をもう一度読み返す要がある。アブラハムは信仰ゆえに、どこへ行くのかも知らずに出発した。私たちの信仰の先祖たちは皆、約束された土地を見て死んだが、それはまだ遥か遠くに見ながらのことだった・・・。我々の命は、すべてが書き記された完成した小冊子としてではなく、それは行くべき、歩むべき、行うべき、探すべき、見るべきものとして与えられているのだ・・・。私たちは、出会いを探し求め、神が出会わせ探させるに任せる冒険へと踏み入らなければならない。」

 「それは、神が先にあり、神が常に先におられ、神が 第一者 だからだ。アントニオ、神はお前のシチリアでいつも一番先に咲くアーモンドの花にちょっと似たところがある。そのことを私たちは預言者の書の中に読む。だから、神とは、歩みながら、歩みの中で出会うものだ。その点で、人はそれを相対主義と呼ぶことができるかもしれない。だが、それは相対主義だろうか?もし悪意に解釈して、ある種の曖昧な汎神論だと言うならば、その通りかもしれない。しかし、聖書的な意味で理解すれば、そうではない。聖書的には神は常にひとつの驚きであるから、あなたは神がどこでどのように見つかるかを決して知ることはないし、神との出会いの時と場所を決めるのもあなたではない。だから出会いは識別される必要がある。その理由で識別は基本的である。」

 「もし或るキリスト者が復古主義者の律法主義者で、どうしてもすべてを明らかに確実にしたいと望むとすれば、その人は何も見出だすことは出来ない。伝統と過去の記憶は、神のために新しい場所を開く勇気を持つように私たちを助けなければならない。こんにち、常に規律に沿った解決を探し、教義上の《確実さ》に誇大に傾き、失われた過去の回復を頑迷に求める者は、静止的で退行的なビジョンの持ち主だ。そのような形においては、信仰はたくさんのイデオロギーの一つに成り下がってしまう。私は一つの教義的な確信を持っている。それは、神は各々の人格の命のなかに宿られ、神は各人の生活の中におられるということだ。たとえある人の生活がひどい失敗であり、悪徳や麻薬や他のいかなることによって破滅しているとしても、神は彼の命の中にいる。各々の人間の命の中に神を見出されるし、そこにこそ神を探さなければならない。たとえある人の生活が茨と雑草に覆われた土地であったとしても、そこには常に良い種が育つ空間があるものだ。神に信頼しなければならない。」


(つづく)

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★ 教皇フランシスコの新枢機卿-③ ソウル大司教ヨム・スジョン枢機卿

2014-03-20 09:49:45 | ★ 教皇フランシスコ

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教皇フランシスコの新枢機卿-③

ソウル大司教アンドリュー・ヨム・スジョン枢機卿の神学校訪問

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アンドリュー・ヨム・スジョン枢機卿はこの日の前日、正式に枢機卿に就任したばかり、

我々の神学校「レデンプトーリスマーテル」を見学する事が、枢機卿としての彼の最初の仕事だったのではないか


ほゞ定刻に枢機卿の車列が我々の神学校の門から入ってきた

一台目のワゴン車は報道陣他か?二台目が新枢機卿と二人の若い補佐司教?三台目は教区事務局長らの司祭団だった。

 

真ん中がヨム・スジョン枢機卿。 左手前後ろ向きが出迎えに出た平山司教。 

 

玄関のかもいの上の神学校の表札に見入って読む枢機卿

 

そこには「新しい福音宣教のための司祭養成教区立神学校」

レデンプトーリスマーテル

1988年創立

と刻まれていた

 

   

大司教区お抱えのテレビカメラマンだろうか、それとも外部のテレビ局だろうか、カメラのマークからは判断できなかった

 

私は、彼が大司教に就任直後、キコの招待を受けてイスラエルのドームスガリレアに 来た時にはじめて会ったが

短期間に見違えるほど貫録を増したように見受けられる枢機卿の落ち着いた表情

 

神学校の聖堂でエゼキエル神父から説明を受ける枢機卿とスタッフの補佐司教、司祭たち

 

み言葉の聖堂(神学生が聖書の勉強をする場所)の説明を聴く枢機卿。通訳は我々の韓国人神学生

 

み言葉の聖堂のの正面には廟があって、

ユダヤ教の会堂ならトラー(モーゼ5書)の巻物が納められるはずの場所に、

上には銀細工の装飾がほどこされた新旧約聖書

下にはミサの時に聖別されたパン(キリストのからだ)が納められた聖櫃がある

 

神学校の中を一巡して見学を終え、再び応接間に戻ったソウルの新枢機卿

質問は神学校の精神、目的、規模などの他、神学生の知的・霊的養成の仕方、運営状況、

生活の日課、教会法上の位置づけ、等々、多岐細目に亘った。

 

ヨム・スジョン枢機卿と平山司教は和やかに別れの挨拶を交わしていた

 

隣国同士でありながら、韓国の教会と日本のカトリック教会は明らかに真反対の方向に進んでいるという印象を受けた

 

 

今日ほど日本の社会が直接的な福音宣教を必要とする切迫した状態に置かれたことはかつてなかった。

心に深い傷を残しながら密かに行われるおびただしい数の堕胎の当事者の若い未婚の女性とベテラン妻たちの苦悩、

リストラされ正規雇用の階層から転落して這い上がれない契約社員労働者の絶望、

自殺以外に選択肢はないと思いつめた多重債務者たち・・・、数え上げれば問題だらけだが、

彼らに寄り添い、包みこみ、生活的にも支え、生きる希望を取り戻させることの出来るような、

癌の宣告を受けた人に、死を越えて復活の喜びと永遠の命の確信を与えられるような、そんな

生きたキリスト教信仰を実践し回心の業に励む共同体を、極限まで世俗化した今日の日本の社会は緊急に必要としている。

私たちはそれに十分に応えているか?

日本の教会では、何かが変わらなければならない。

(おわり)

 

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★ 〔完全版〕 教皇のインタビュー(その-6)

2014-03-13 09:38:47 | ★ 教皇フランシスコ

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〔完全版〕教皇のインタビュー(その-6)

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182年ぶりの修道者の教皇・・・

 教皇フランシスコは182年前の1831年に選ばれたカマルドレ会士のグレゴリオ16世以来初めての修道会出身の教皇だ。それで「今日では教会における修道者と修道女の特別な地位とはいかなるものか」と質問した。

 「修道者たちは預言者だ。彼らはイエスの生き方を御父への従順と、清貧と、共同生活と貞潔によって模倣し、イエスに従うことを選んだ人たちだ。その意味において、修道誓願が物笑いの種に終わることがあってはならない。さもなければ、例えば共同体生活は地獄となり、貞潔はただの老いぼれた独身男の生活に堕してしまう。また貞潔の誓願は多産性(豊穣さ)の誓願でなければならない。教会においては、修道者はイエスがこの地上でどのように生きたかを証しし、自分の完全さを通して神の国がどのようなものであるべきかを告げ知らせる預言者となるように特別に召されている。修道者は決して予言することを放棄してはならない。だからといって、預言的機能と位階的構造とは同一ではないとしても、教会の位階的な側と対立することを意味するものではない。私は常に積極的な提案について話しているのであり、決してそれは臆病なものであってはならない。隠遁者聖アントニオ以来の数多くの隠修士たち、修道士、修道女たちが行った業績の事を考えてみよう。預言者であるということは、時には「ルイド する」(訳注:ruido=スペイン語で「騒音を立てる」)ことを意味することがあり得るのだが、それを何と表言したらいいか・・・。つまり、預言は騒音を立てる、物議を醸す、人によっては《大騒ぎを起こす》と言うかもしれないが、そういうものだ。しかし、そのカリスマは現実にはパン種であろうとすることであり、預言は福音の精神を告げ知らせることにほかならない。」

 

ローマの省庁、司教会議、エキュメニズム(訳注:キリスト教一致運動)

 位階制度について言及することを念頭に置きながら、ここで「ローマの省庁についてどうお考えですか」と教皇に質問した。

 「ローマの省庁は教皇と司教達に奉仕するものだ。彼らは個々の教会と司教会議を助けなければならない。つまりそれは支援機関だ。それなのに、正しく理解されなかった場合には、いくつかのケースのようにただの検閲組織になり下がる危険がある。正統性が欠けているのでは、と言う告発がローマまで届くのを見るのは印象的だ。それらのケースは、必要に応じてローマから有効な支援が届くことが有り得るとしても、本来その地域の司教会議で検討されるべきものだと信じる。実際、それらのケースはそれぞれの地域においてより良く処理されうるはずのものだ。ローマの省庁は仲裁者であって、実務者でも問題の処理役でもない。」

 昨年の6月29日、34人の首都大司教のパリウム(訳注:大司教の肩衣)の祝福と授与式に際して、教皇が《司教会議性のあるべき道》は《首位権者(教皇)の奉仕と調和のとれた成長》へ一致して教会を導く道だ、と主張したことを思い出す。それで、私は《ペトロの首位権と司教会議性とをどのように調和的に折り合わせるか、いかなる道が教会一致の展望の中で実行可能か》について質問した。

 「人々も、司教も、教皇も一緒に歩まねばならない。教会会議性は様々なレベルで生きられなければならない。多分司教協議会のありかたを変更するべき時期に来ているのかもしれない。なぜなら私には今の形のものは発展性に乏しいように思われるからだ。そのことはまた、特に正教会の兄弟たちとの関係で、エキュメニカルな価値を持つことが出来るかもしれない。司教団の性格と司教協議会の伝統について多くの事を彼らから学ぶことが出来る。東西の教会が分裂する以前の最初の数世紀の間教会がどのように統治されてきたかを顧みて共同で熟考する努力は、今の時代に実りをもたらすだろう。エキュメニカルな関係性において、この事は自分たちをより良く知るためだけではなく、私たちのためにもなる恵みとして、他の教会の中に聖霊が種まかれたものを認めるためにも重要だ。私は既に2007年の合同委員会で始められ、ラヴェンナの文書の調印にまで至った、ペトロの首位権を如何に行使すべきかの問題に関する考察を続けていきたいと思う。この道は継続されなければならない。」

 私は教皇が教会の一致の未来をどう見ているかを理解しようと思った。私に答えて「違いの中で一緒に歩まなければならない。私たちを一致させるためには他の道はない。これがイエスの道だ。」と彼は言った。

 そして教会の中における女性の役割についてはどうか?教皇は様々な機会に、このテーマについて何度も言及した。あるインタビューのなかで彼は、教会の中における女性の存在はあまり頻繁に取り上げられてこなかったが、それは男性主義の誘惑が共同体の中において女性に帰属する役割を目立つようにするために十分な余地を残さなかったからだ、と言った。リオ・デ・ジャネイロからの帰りの旅の中で、教皇はこの問題をまた取り上げ、女性に関してはまだ深い神学的考察はなされていないと断言した。そこで私は「教会の中における女性の役割はどんなものでなければならないか?それを今日もっと見えるようにするにはどうすればいいか?」と質問した。

 「教会の中により鮮明な女性の存在の場所を広げる必要がある。女性は実際に男性とは異なった構造を持っているのだから、《スカートをはいた男性優位主義》的な解決を私は恐れる。それなのに、女性の役割について聞かれる話は、しばしばまさに男性優位主義のイデオロギーからインスピレーションを得たものであることが多い。女性たちは取り組まれなければならない深い問題を提起している。教会は女性たちと彼女たちの役割なしには教会であることは出来ないのだ。教会にとって女性は不可欠な存在だ。マリアは女性であって、司教達よりも重要な存在だ。私がこれを言うのは役割と尊厳を混同すべきではないからだ。だから教会における女性像に対する理解をより良く深める必要がある。深い女性の神学を生み出すためにもっと力を入れて働かねばならない。この過程を成し遂げることを通してのみ、教会内部における女性の役割についてより良く考察することが出来るだろう。重要な決定がなされる場所では女性の資質が必要だ。教会の様々な分野において権威が行使されるまさにその場面においても、女性のための特有の場所について考察されること、これこそまさに現代の挑戦だ。」

 

(つづく)

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★ 中央公論 には出たけれど敢えて 〔完全版〕 教皇のインタビュー(その-5)

2014-03-07 10:52:47 | ★ 教皇フランシスコ

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〔完全版〕 教皇のインタビュー(その-5)

= 中央公論には出たけれど敢えて

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インタビューの原文によれば、前回の(その-4)の続きは「中央公論」の今年の1月号に載った

「教会は野戦病院であれ」

の部分になります。このブログの読者の中には、すでに「中公」で読まれた方もおられるでしょうが、よろしかったら読み比べてみてください。そうすれば、あちらでは訳されなかった箇所もあることに気付かれるでしょう。私は各フレーズの分割に至るまで、イタリア語の原文になるべく忠実であるように心掛けました。



教会とは? 野戦病院・・・

 

 教皇ベネディクト16世は、自分の教皇職からの退位を発表するに際して、今日の世界のことを、急速に変化しつつあり、信仰の命にとって重要な大きな問題で揺り動かされていて、身体的精神的強健さを必要としている主体であると描写した。そこで、先ほど來言われてきた事にも照らして、教皇に聞いた。「この歴史的な瞬間に、教会が最も必要としているものは何か?改革は必要か?向こう数年間に教会の上に何を望まれるか?どのような教会を《夢見ておられるか》?」

 教皇フランシスコは私の質問の裏に隠された意味を受け止めて、自分の前任者に対する大きな愛情と並外れた尊敬を示しながら、「教皇ベネディクトは聖性と偉大さと謙遜さの業を行った。神の人だった」と話し始めた。

 「私は-と彼は言葉を続けた-教会がいま最も必要としているのは、傷を癒し信者の心を温める能力、寄り添うこと、親近感、であることは明白だ。私は教会を戦闘後の野戦病院のようなものとして見ている。深い傷を負っている人に向って、コレステロールのことや血糖値が高いかなどと聞くのは無意味だ!まず傷の手当てをしなければならない。その後でなら、他の事すべてについて話すこともできるだろうが、傷の手当、傷の手当が先決だ・・・。まず肝心なことから始めなければならない。」

 教会は時としてちっぽけなこと、小さな規則に閉じこもることがあった。それに対して、最も大切なことは《イエス・キリストはあなたを救った!》という第一声の告知だ。そして、教会の奉仕者は何よりもまず憐れみの奉仕者でなければならない。例えば、聴罪司祭たちは常に厳格すぎるか緩みすぎるかのどちらかの危険にさらされている。そのどちらのタイプも、相手の人格に対して責任を取っていないから、憐れみ深いとは言えない。厳格主義者は掟まかせにして責任を回避し、緩やかな方は単に《それは罪ではない》とかそれに似たことを言って責任を回避するからだ。人々は寄り添われ、傷は治されなければならない。」

 「わたしたちは神の民をどのように取り扱っているのだろうか?私は教会が母であり牧者であることを夢見る。教会の奉仕者たちは憐れみ深く、人々に対して責任ある態度を取り、善きサマリア人のように隣人を洗い、清め、慰め、寄り添わなければならない。これこそ純粋な福音だ。神は罪よりも大きい。組織的、構造的改革は二の次、つまり後からついてくるべきものだ。第一の改革は態度の変革でなければならない。福音の奉仕者は人々の心を温め、彼らの心の闇夜の中を共に歩みながら対話することが出来、自分自身を見失うことなく彼らの夜の中、闇の中へ降りていくことが出来るものでなければならない。神の民は国家の官吏のような聖職者ではなく、牧者を求めている。特に司教は民の中の誰一人として後に取り残されることがないように忍耐強く神の歩調を守り、新しい道を見つける直観力を持って群れに寄り添うことが出来る者でなければならない。」

 「戸を開いて来る人を待ち受け迎え入れるだけの教会であることをやめて、自分自身から出て、教会に来ない人、去っていった人、無関心な人の方に向かっていくことが出来るようにする新しい道を模索する教会であるように努めよう。時には、もし良く理解され詳細に吟味されていたなら、連れ戻されることが出来たはずの理由で教会を離れて行った人もいることだろうから。しかしそうするためには大胆さと勇気が必要だ。」

 教皇が言わんとするところは理解したうえで、教会の指導からは逸脱しているとか、いずれにせよ、あれやこれやの口を開いた生傷を抱えたまま複雑な事情の中に生きているキリスト教信者たちがいる現実に言及した。私は離婚して再婚したもの、同性愛のカップル、その他の難しい状況の事を思った。このようなケースの場合、宣教的な司牧はどう対処すればいいのか?どういう方策を講じればいいか?教皇は、私が何を言おうとしているか分かった、という合図をして答えた。

 「神の国の良い知らせを説き聞かせながら、我々の説教を通しても、またあらゆるタイプの病気と傷を癒しながら、すべての通りで福音を告げ知らせなければならない。私はブエノスアイレスで同性愛の人からの手紙を受け取ったが、彼らは、教会が常に自分たちを断罪していると感じるので、自分たちは《社会的に傷付けられている》と私に言った。しかし、教会はそうすることを望んではいない。リオ・デ・ジャネイロからの帰りの機内で、もしもある同性愛の人が、善意の人で神を探し求めている人であるならば、私はその人を決して裁くものではない、と言った。私はCatechismo(カトリック要理)が言っていることを言ったにすぎない。宗教は人々に奉仕する際に固有の意見を表明する権利を持っているが、神は私たちを自由なものとして創造されたので、個人的な生活に対する霊的な干渉はなされてはならない。或る時、或る人が、同性愛を承認するか、と挑発的なやり方で私に訊ねた。それで私はもう一つの別の質問でそれ応じた。《同性愛の人を見る時、神は愛をこめてその存在を認めるだろうか、それとも断罪して彼を排斥するだろうか?言ってもらいたい》と。常に人格の事に配慮する必要がある。ここで私たちは人間の神秘に入る。人生において神は人々に寄り添われているが、私たちも彼らのおかれている状況に応じて彼らに寄り添わなければならない。憐れみをもって寄り添わなければならない。そうすれば、聖霊は司祭に霊感を与え、より適切な言葉を語らせてくださるだろう。」

 「これがまた赦しの秘跡の偉大さでもある。ケース・バイ・ケースで評価すること、神とその恵みを探し求める一人の人に対して、どうするのがより良いことであるかを識別することが出来ること。告解部屋は拷問部屋ではなく、我々に出来るより良いことをするよう主が我々を促す憐れみの場である。また、過去に結婚に失敗し、その過程で堕胎を行った経験のある女性の状態の事も思う。その後この女性は再婚し、今は5人の子供と平穏な生活を送っている。堕胎は彼女の大きな重荷となり、心から後悔した。キリスト者として前向きに生き続けたいと願っている。その場合、聴罪司祭はどうするべきか?」

 「わたしたちは堕胎や、同性結婚や、避妊手段の使用に関連する問題だけに固執することは出来ない。それは不可能だ。私はこれらの事について多くは語ってこなかったが、そのことで私は責められている。しかし、もしそれについて話すなら、具体的な文脈の中で語らねばならない。教会の見解、その関連のこと、それらは知られているとおりで、私は教会の子だが、それについてここで長々と話す必要はないだろう。」

 「教義に関しても、また道徳に関しても、教会の教えは全てが同じ重みのものであるわけではない。宣教的な司牧というものは、伝達さられるべき沢山の教義を、ばらばらな形で執拗に押し付けることに縛られてはいけない。宣教的なタイプの伝達は、エンマウスの弟子たちの場合のように、より感動的で魅力的な、心を燃え立たせる、本質的で必要なものに集中するべきである。従って、新しいバランスを見つけ出さなければならない。さもなければ教会の倫理的構築物は紙の城のように潰れ、福音の新鮮さと香りを失う危険に陥ることになる。福音的な提言はより単純で、深く、光を放つものでなければならない。そして、このような提言から道徳的帰結が導きだされるのである。」

 「わたしはこの事を私たちの説教とその内容についても当てはめながら言っている。すばらしい説教、真実の説教と言うものは、第一番目の告知、つまり救いの告知から始まらなければならない。この告知以上に堅固で、深く、確実なものは何もない。その次に教理の指導がなされなければならない。最後に道徳的な帰結を引き出すことも出来る。しかし、神の救済的愛の告知は道徳的宗教的義務の話より常に優先されるべきものである。今日では往々にしてその逆の順番が支配的なように見受けられる。説教は牧者の彼の民とのあいだの近さと力量を量る試金石である。なぜなら、説教をするものは生きていて熱く燃えている神の願いがどこにあるかを探すために自分の共同体の心を理解していなければならないからである。だから福音的メッセージは、たとえ重要であったとしても、それだけではイエスの教えの本質を現わすことが出来ない幾つかの側面に矮小化されることは出来ない。」


(つづく)


 

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★ 教皇フランシスコの新枢機卿-②

2014-03-05 16:04:06 | ★ 教皇フランシスコ

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教皇フランシスコの新枢機卿-②

-教理省長官ミュラー枢機卿の誕生-

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 今回のブログのタイトルは 「教皇フランシスコの新枢機卿-②」 だが、では はいつ書かれたのだろう? 私は当初このテーマが尾を引くとは思わず、この1月16日に 《〔速報〕教皇フランシスコ新枢機卿の名前を発表》 と言うブログを書いた。私はそれを後付けで としたいと思う。そして、新枢機卿について今後さらに特筆すべき話題を見つけたら、それを 以降に書こうと思う。

 前教皇ベネディクト16世は、2012年6月2日にドイツのレーゲンスブルク教区のゲルハルト・ルートヴィッヒ・ミュラー司教教理省長官に任命し、同時に大司教とした。 

 ミュラー大司教は、「解放の神学」の唱導者の1人であるグスタボ・グチエレス神父と親しく、『貧者の側に=解放の神学、教会の神学』 を共著したことで知られているという。

 教皇フランシスコはそのミュラー教理省長官を2014年2月20日に枢機卿に任命し、さらに、ミュラー新枢機卿の近著 『教会の使命,貧しい人のために』 という本に教皇自ら序文を寄せた。

 私のブログの読者に、わざわざこの教皇フランシスコの序文を訳して送って下さった人がいた。読んでみて、現教皇の考え方がよく表れていると感じたので、教皇のインタビュー記事の間に挟んで紹介することにした。

 教皇がどのような人を教会のトップに重用し、その人にどのような言葉を贈られるかは、神様が今日の教会をどのような方向に導こうとしておられるかを知る上で有効だと思う。訳者は匿名を望まれたので、その意向を尊重することにした。




ゲルハルト・ルートヴィッヒ・ミュラー枢機卿著

『教会の使命,貧しい人のために』

-豊かさは他者を助けるなら善である-

〔教皇フランシスコによる序文〕


 言葉だけであっても、「貧しさ」に立ち向かうということに、戸惑いを感じない人はいないでしょう。貧しさといっても、肉体的貧しさ,経済的貧しさ、心の貧しさ、社会的貧しさ、モラルの貧しさと様々ですが、資本主義社会においては、貧しさとはすなわ、経済的貧しさのことであって、貧しいことが良くないことと考えられています。実際、資本主義国家は豊かな経済力の上に成り立っており、お金によって獲得した力は、他のあらゆる物をも凌駕しているようにさえ見えます。そのようなわけで、経済力が低いということによって、政治、社会、果ては人間のレベルでさえも低いとみなされてしまうのです。お金を持たない人たちは、蚊帳の外に置かれていると言ってもよいでしょう。このため、経済的な貧しさを、人々はとても恐れています。こうなってしまうのは仕方のないことかもしれません。なぜなら、お金を手にすることで、世俗的な自由度が増すからです。その自由の中で人は行動し、世の中を操作し、未来を創造することができるのです。お金は、それ自体よいものであって、自由に使え、私たちの可能性を広げてくれます。それにもかかわらず、お金は、時として人間の足を引っ張るものとなってしまいます。お金と経済力は、時として人間から人間性を失わせ、自己中心主義、利己主義をもたらす要因となってしまうのです。

 イエスは、福音書の中で、アラム語語源の「マンモーナ」という言葉を使っていますが(マタイ6,24 ルカ16,13参照)、これは、本来隠された富を意味するものです。経済力が富を生んでも、それが隠され、みんなのために使われなければ、正しいやり方ではありません。それどころか、本来経済力が持っている意義さえ失うことになります。そのようなことを、私たちに悟らせてくれています。また、パウロがフィリピの信徒への手紙の中で用いたギリシア語「アルパグモス」には(フィリピ2,6参照)、捨てられないもの、あるいは強奪されたものの意味があります。確かに私たちは、富を、大小にかかわらずごく親しい間柄の連帯社会の中だけにとどめ使ってしまいがちであり、一度受け取ったものを返すことはしたがらないものです。あらゆるものを超越した神の希望の中に生きる人間であるにもかかわらず、無償で与えるという喜び、善を施す喜び、その単純で美なる善を忘れてしまったかに思えます。(ルカ6,33以下参照)

 しかし、教会要理にもあるように、すべての人と結びつくという連帯社会の本来の意味を教えられていれば、富を独り占めすべきできないということが分かります。このような連帯社会の中で歩むことをすれば、他人に与えることを拒否し、自分の中に引き留めておいても、富は、遅かれ早かれ、自分から離れていってしまうことを知るようになるでしょう。いみじくも、イエスは福音書で、自分のためだけに積んだ富が錆や虫によって荒らされてしまうたとえを用いて、このことを教えてくれています。(マタイ6,19-20 ルカ12,33参照)一方、積んだ富も、自分のためだけに使われるのでないならば、その価値をずっと増し、思いもよらない所産をもたらすこともあります。実際、利益と連帯社会とを根源的に結びつけている何かがあるようです。それは富を獲得することと分け与えることが、折り重なり合いながら回っているようなものであり、そこでは罪さえも砕かれ、ばらばらに散っていくように思えます。私たちキリスト者には、この利益と連帯社会の本質的かつ理想的な一致を見いだし、その中に生きることが求められています。そして、現代社会の中で、すべての人にこの真実を伝え知らせていかなければなりません。それが社会の中に受け入れられることによって、経済的な貧しさによる苦しみも減少していくはずです。

 しかしながら、私たちは、経済的な貧しさ以外にも、貧しさが存在することを忘れてはいけません。イエスは、私たちの命は「財産によって」どうすることもできないことを教えてくれています。(ルカ12,15参照)元来、人間は貧しく助けが必要な存在です。生まれたとき私たちは、生きていくためにまずは親の世話を必要とします。私たちは、いかなる時代においても、人生のあらゆる段階において、他者からの支援を必要としない完全な自立を果たすことはできません。決して単独では超えることができない、人的あるいは物的な壁というものが存在するのです。神によって「創造された」私たちは、自らの力だけで何者かになれるわけでもなく、必要とするものを得ることもできません。これらのことを誠実に受け止めることこそが、生きるために必要欠かさざる徳であり、それによって私たちは謙虚になれ、勇気をもって連帯社会を実現することができるのです。

 いずれにせよ、私たちは、人や物に頼らなければ生きていけない存在です。まったく頼らなければ生きていけない人もいますが、そうでない人もいます。そうでない人は、自らがその源泉となって、他者を顧みることのできる社会、すべての人がそれぞれ価値ある者として尊重される社会を築いていかなければなりません。どのようにすれば実際にこのような責任ある社会を築くことができるのか、富が個人や公に帰属していることを考えれば、その方法を見出すことは容易ではありません。何より、新しい物の見方や考え方が必要です。互いが互いを思いやり気づかうという方向へ、考え方を変えなければいけません。人間は、誰でもみな同じように生まれてきますが、同じように生まれながらにして他者と互いに繋がっています。生まれながらにして「兄弟」であって、だからこそ、公の富が、言葉だけのものにならないような社会の実現が可能なのです。

 こうような考えのもと社会が築かれるならば、生まれながらの貧しさというものは、もはや私たちが生きていく上での障害ではありません。むしろ貧しさはすべての源であって、貧しさが人を豊かにするのです。与えられた富が、恵みとなってまた人々に還元されていくのです。貧しさこそはまさに希望の光とでもいうべきものであって、福音書でも、貧しさについて顧みることが説かれています。貧しさを希望の光とすれば、イエスがなぜ山上の垂訓で「貧しい人々は、幸いである」(ルカ6,20)と語ったかが理解できるでしょう。

 私たちは、知力をふりしぼり、弱者への無関心を排除して、互いに必要なものを与え合っていかなければなりません。個人では、どんなに力があったとしても、越えられない壁があるからです。このことを、しっかりと自覚していきましょう。他ならぬ神ご自身がイエスを通してへりくだったように(フィリピ2,8参照)、私たちの貧しさの前に身をかがめ、私たちを支え、私たちの力をもってしてはとうてい得ることのできない富を与えてくれるのです。

 そのようなわけで、イエスが「心の貧しい人々」(マタイ5,3)を幸とするのは、彼らが本当に必要なものを知っており、自分の貧しさを認め、神を信じ、その身を神に委ねることを厭わない人々であるからです(マタイ6,26参照)。私たちは、神から富を与えてもらうことができます。この富には、他のいかなる支配も及びません。なぜなら、死の支配に打ち勝つことで私たちに示してくれたように、神はどんな支配をも超越する存在だからです。主は、豊かだったのに自ら貧しくなりましたが(2コリ8,9参照)、それは自分を低くすることによって私たちを豊かにするためです。主は私たちを愛し、弱ささえも認めてくれます。主の目には、私たちはすべて同様に、はかり知れない価値を持った存在と映るのです。「それどころか、あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。」(ルカ12,7)

バラ.jpg

実に明快な文章だ。難解なところは全くない。

教皇フランシスコは従来の教皇が手を染めてこなかった新しい改革に挑もうとしているのが分かる。

それは、貧しさの神秘、その価値の再発見だ。

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★ 教皇様の晩餐会-④

2014-03-04 22:02:33 | ★ 教皇フランシスコ

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教皇様の晩餐会-④

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ローマの神学生たちと年に一度出会う機会を初めて設けたのは教皇ヨハネパウロ2世だったと記憶する。

当時は晩餐会ではなく、ある午後、教皇の宮殿の広間に呼び集められ、お話を聴き、

その後、一人ずつ近づいて挨拶する事が許される形だった。

私は至近距離から教皇ヨハネパウロ2世を自分のカメラで激写して今も野尻湖の山荘に額に入れて飾っている。

晩餐会の習慣を定着させたのは教皇ベネディクト16世だった。

そのかわり、神学生が一人ずつ挨拶する機会は無くなった。彼は不特定多数と至近距離に入るのを極端に恐れた。

教皇フランシスコの初めての晩餐会は、事前の情報ではさらに趣向が変わった。

ラテラノ教会に付属するコレジオロマーノの広い中庭を取り囲む回廊に神学生がぐるりと一列に並び、

教皇様自身がそれぞれの神学校の院長と共に回廊を回り、

院長は一人一人を教皇に紹介し、教皇は神学生にに声をかけることになった。

そのかわり、晩餐には限られた数の神学生だけが同じ部屋で食事をする事がゆるされ、

残りの神学生は隣接の部屋で同じメニューの食事をいただくことになった。

前日の昼食のあと、わがレデンプトーリスマーテル神学院でも、教皇と同じ部屋で食卓に着く幸運な神学生と、

別室で食事をするものと、食堂で給仕をするものと台所で皿洗いをするものと、

4段階の運命に振り分ける籤引きが行われ、幸運なものと不運なものの歓声と落胆のため息が交錯した。

 

 

我々、いわゆる養成者の司祭たちも、別室で教皇に個人的に挨拶をし、その短い時間に

バチカンの機関紙オッセルバトーレローマのプロのカメラマン3人ほどが、

一人当たり5-6枚ずつの写真を撮ってくれることになっていて、

後で自由に買い求めることができる。

今年はもしかしたら回廊に一列に並ぶ神学生たちも同じ扱いになることが期待できる。

教皇ヨハネパウロ2世以上のサービス精神のお蔭で、誰もが教皇とのツーショットを手に出来るというわけだ。

 

      

 

晩餐会の前日、招待状が配られた。左の黄色いのが晩餐会の会場に入れるチケット。

右の赤いのが、教皇に別室で接見できる養成者のための招待状だ。

 

さて、いよいよ当日。

セキュリティーはベネディクト16世のときのように厳重ではないようだが、

それでも前から2列目に陣取った私の斜め前の男が私服のシークレットサービスであることは、

がっちりした体格と精悍な顔と鋭い目つき、それに襟から耳に延びるイヤホーンの線でそれとわかる。

 

 

テレビカメラも3台配置され、世界に同時放映されることになっている。

 

 

主を待つ聖堂の玉座(実際は教皇はもっと前の別の椅子に座るのだが・・・)。

晩の祈りが終り、ロザリオの祈りも終わり、教皇を迎える機運は最高潮。今や遅しと聖堂の中は静まり返った。

次の瞬間、姿が見えるや否や、どよめきとビーバーパーパの歓声が湧き上がるのである。

待つことしばし、ちょっと変則的かな?まず教皇代理のバリーニ枢機卿が一人静々と入堂した。

つい数日前に我らのレデンプトーリスマーテル神学院を訪れ、ミサを司式し夕食では盛り上がったお馴染みの顔だ。

 

 

一同が見守る中、彼は教皇のために用意されたスタンドマイクの前に立つと、一呼吸おいて口を開いた。

今日、教皇様は健康上の理由でここにはお見えになりません。

晩餐は予定通りに執り行われます。

言葉少なく必要な事だけ告げると、彼は祭壇左の席に着いた。

 

 

意外な展開とあまりりの失望と落胆に、声を発する者は一人としていなかった。

 

 

やや長い沈黙の祈りと讃美歌の後、聖体顕示台による祝福があって、予定の食事の場所に移る。

 

 

正面の絵のこの聖堂の保護の聖人は「信頼の聖母」Madonna della fiducia だ。

 

 

廊下には歴代の教皇の大理石の胸像が

 

 

食堂のメインテーブル。

キリストの代理人の教皇フランシスコが座るはずの席には、

代理人の代理人バリーニ枢機卿が先ほどの告知の時より目立ってリラックスした表情で、マイクの調子をテストしている。

 

 

私の席には去年と同様 「タニグッチ」 と読めるスペルの間違った名札が置かれていた。

 

 

一皿目のパスタはうっかり写真を撮るのを忘れて食べてしまった。メニューの6文字の内4つが字引きになく訳せない。

この写真のメインディッシュは黒鯛のフィレと車エビと海の幸とジャガイモの何とか風とあった。 

 

 

デザートのケーキと赤いシャンペン。



私の隣の席にはいつも日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院の院長平山司教様が。

 

 

ケーキの後はミックスフルーツだ。

 

 

頃合いを見計らって入り口のドアが開くと、われらレデンプトーリスマーテル神学院ではお馴染みの

楽師たちが入ってきた。先頭のアルド神学生はキコのオーケストラのトランペット奏者のひとり。

 

 

シークレットサービスはいない。中継のテレビカメラもない。まして教皇はいない。

緊張を強いるよそいきの要素は何もないのだ。

急遽主役の座に就いたヴァリーニ枢機卿はもう最高にご機嫌。

なぜなら、先日我らの神学校に来た時、彼はこの余興が痛くお気に召して、

それを教皇フランシスコの前でサプライズとして披露しようというのは、他ならぬ彼のアイディアだったからだ。

  

 

3曲ほどが披露されたが、教皇フランシスコのために急遽練習したアルゼンチンタンゴはついに演奏されなかった。

そこには彼らの失望がにじみ出ていた。

 

 

スペイン民謡やイタリアのカンツォーネで場はいやが上にも盛り上がってきた。神学生たちも唱和する。

 

 

お馴染み、スペインのマリア様の民謡になると、一同は白いナフキンヲ頭上でクルクルと回して応える。

 

 

メインテーブルの真ん中に座っていたヴァリーニ枢機卿。キリストの代理人の代理は

本当に今日はご機嫌だ。今日は彼がこの座のトップなのだ。

教皇フランシスコが居たらそのすぐ横で口数少なく緊張して慇懃に控えていなければならないが、

今日は彼が主役で座を仕切っている。

  

 

晩餐会は軽い興奮の中で恙なくお開きとなった。

教皇フランシスコとのツーショットを手にしそびれた失望も今は意識の底に置き忘れられたか、

しかし、私にはこの回廊の壁に一列に並んだ神学生たちに一人一人声をかけ握手していく教皇フランシスコの姿が

見えるような気がした。


付記:

 私のテーブルは教皇フランシスコ着くはずだったメーンテーブルを囲む4つのテーブルの一つで、私の前には2人の神父が座った。その一人が言った。今日の教皇の昼食の席で、インフルエンザに罹っている教皇は少し調子が悪そうだった。場合によっては晩のスケジュールの食事には欠席することも有り得るとのことだった。しかし、神学生たちとのチャペルでの話と、養成者の接見と、中庭を囲む回廊で予定された一人一人の神学生との交歓だけは必ず実行するということが決まっていたそうだ。

 スケジュール全体のキャンセルは、ぎりぎり直前の決断で、全ての人を驚かせた。熱が急に上がり、ドクターストップが入ったのだろう。1週間後には四旬節のハードスケジュールが待っている。そうなったら、少々の風邪や熱でも休んではいられない。ここは身内の行事を取りやめて休息を取るという当然の判断ではなかったか。

 しかし、北朝鮮のような独裁国家や旧ソ連のような共産国では、元首が公式行事に姿を現さないことがあろうものなら、たちまち様々な憶測を呼ぶものだ。教皇フランシスコはその独特のスタイルと大胆な改革路線で日々益々多くの敵を作り出している。かつて改革者、教皇ヨハネパウロ1世は毒で暗殺されたという噂が絶えない。教皇ヨハネパウロ2世はプロの殺し屋の銃弾を受けて100パーセント確実に死ぬはずだったのに、マリア様の奇跡で一命を取り留めた。

 教皇フランシスコが法王の宮殿に住まずサンタマルタのアパートに住んでいるのは、世界の貧困問題の解決に向けて一人一人が「もう少し簡素になる」ことの必要性を訴えて模範を垂れるためと同時に、「人々と触れ合っていること」に重要性を見いだしていると言い、自身の性格として「孤立した生活向きではない」と説明している。故郷アルゼンチンのブエノスアイレス大司教であった時も、大司教用の館には住まず、アパートで自炊していたことが知られている。

 しかし、私はそれだけではないような気がする。つまり、人々の目から隔絶され、一人か二人の身辺奉仕の人間以外近づくことの出来ない密室に閉じ込められるより、人々の目が近くにあるサンタマルタの方が、暗殺に関しては却って安全だかではないだろうか。アラファト議長を始め元ロシアの 情報部員ルビネンコの不審死事件などで使われた放射性ポロニュウム単位質量当りウランの100億倍放射能の強さを持つ。ウイキペディアなんて言う恐ろしい物質もあるご時世だ。密室では何が起こる全くかわからない。

 大概の政敵や好ましくない人物は、降格や左遷やスキャンダルのでっち上げで排除することも出来る。しかし、10億の国民を抱く大国の元首にも匹敵する教皇ともなれば、排除するには暗殺以外に手はないのだ。その意味で現代も中世もローマ時代も全く変わりはない。ベネディクト16世も、自分の意志で生前退位し、完全な沈黙に入って初めて、身の危険を感じることなく安らかに眠れているのではないだろうか。

 それにしても、前教皇の過剰なセキュリティーに比べて、教皇フランシスコの一見するところの無防備さは何だろう。まるで、殺してください、私は殉教者になりたい、と言っているみたいではないか。神様どうかこの教皇をお守りください、と祈りたくなる。

付記の付記 このブログ「教皇の晩餐会」に という番号をつけた。それは、2011.03.05; 2012.02.17;   2013.02.08 と過去に3回に渡って毎年同じ行事が行われ、それぞれに特徴のある出来事があったからだ。よろしかったら、合わせて見比べていただきたい。 

(おしまい) 

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★ 〔完全版〕 教皇のインタビュー(その-4)

2014-02-26 18:59:25 | ★ 教皇フランシスコ

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〔完全版〕 教皇のインタビュー(その-4)

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 一回分の量をすこし少なめにしました。

これぐらいでいかがですか?


教会と共に感じる

 教会のテーマの一環として聖イグナチオが自分の霊操の中で書いている《教会と共に感じる》ということは、教皇フランシスコにとって何を正確に意味しているか理解しようと試みた。教皇はためらいもなく一つのイメージからその答えを始めた。

 「私の気に入った教会のイメージは神に忠実な聖なる民である。これは私が度々用いる定義であり、Lumen gentium(教会憲章)12番の定義でもある。一つの民に帰属するということには神学的に強い価値がある。救いの歴史の中で神は一つの民を救われた。一つの民への帰属なしに完全なアイデンティティーはない。孤立した個人として救われるものは誰一人おらず、神は共同体の中で生じる複雑な人間関係の絡み合いを考慮しながら私たちを引き寄せる。神はこの民の躍動性の中に入られるのだ。」

 「主体はあくまでも民だ。そして教会とは喜びと苦悩をもって歴史の中を歩んでいる神の民だ。だから、私にとってSentire cum Ecclesia(教会と共に感じる)とはこの民の中にいることだ。そして信者と共にいるということは、信じることにおいて誤謬に陥らないということで、infallibilitas in credendo(信じることにおける不謬性)は、歩んでいる民全体の信仰の超自然的な感性を通して明らかになる。つまり、これが聖イグナチオも言うところの《教会と共に感じる》の今日的な意味だと私は理解する。人々と司教と教皇の対話がこの道の上にあり、またそれが誠実なものであるなら、その時その対話は聖霊によって助けられている。だから、感じるというのは神学者たちだけを指しているのではない。」

 「それはマリアについても同じで、彼女が誰であるかを知りたければ神学者に聞きけばいいが、彼女がどのように愛しているかを知りたければ民に聞かねばならない。彼女の場合、Magnificat(聖母マリアの頌歌)にある通り、マリアはイエスを民の心で愛した。従って、《教会と共に感じる》の理解は、単に位階制度がどう感じるかだけの問題ではないことは、考える必要もないことだ。」

 そして教皇は、ちょっと間を置いた後、誤解を避けるために乾いた明確さでいった。「そして、私が公会議の光に照らして言おうとしているこのすべての信者のinfallibilitas(不可謬性)は、明らかに民衆主義の一種として考えるべきものではないと言う点に良く注意する必要がある。そうではなくて、それは聖イグナチオが言うところの《聖なる母である位階制的教会》、神の民としての教会、牧者と民を一つに合わせたもの、の経験である。」

 「私は神の民のなかに聖性を、民の日常的な聖性を見る。そこには、マレーグがそれについて語っているように、みんながそれに参加できるような、一種の《中級的な聖性》がある。」

 教皇は彼のお気に入りのフランスの作家、1876年生まれ出1940年没のヨーゼフ・マレーグについて話している。特にその未完の三部作Pierres noires(黒い石たち)について。Les Classes moyennes du Salut(救いの中流階層)。或るフランスの批評家たちは彼の事を《カトリックのプルースト》と定義する。

 「わたしは忍耐強い神の民の中に聖性を見る-と教皇は続ける-:子供を育てる女のなかに、家にパンを持ち帰るために働く男の中に、病人たち、たくさんの傷を負いながらも主に仕えてきたために微笑みを忘れない年老いた司祭たち、たくさん働いて隠された聖性を生きている修道女たちの中に。これが私にとってみんなの聖性だ。私がしばしば忍耐と結びつける聖性:ただのhypomoné(我慢)としての忍耐ではなく、生活の中の出来事と状況の重荷を担っていくこと、また毎日毎日前に進んで行く粘り強さ。これが聖イグナチオも語っているIglesia militante(戦っている教会)の聖性だ。これが私の両親:私の父、私の母、私をいっぱい可愛がってくれたローザお婆ちゃん、の聖性だった。聖務日祷書にローザお婆さんの遺訓を挟んでいて、私は度々それを読むが、私にとってそれは一種の祈りのようなものだ。彼女は倫理的にもたくさん苦しんだが、いつも勇気を持って前に進んで行った聖女だった。」

 私たちが《共に感じ》なければならないこの教会は、みんなのための教会で、選ばれた人たちの小さなグループだけしか入れないような狭いチャペルではない。普遍教会のふところを私たちの凡庸さを護るための巣に矮小化してはならない。そして、教会は母なのだから-と続ける-、教会は多産なものであり、またそうでなければならない。見るがいい、教会の神父や、修道士や修道女のダメな振舞いが目に止まると、真っ先に考えに浮かぶのが、《なんだ、この男やもめ》とか《この行かず後家》とか言う言葉だ。彼らは父親でも母親でもない。命を与えることの出来ない無能者たちだ。それに対して、例えば、パタゴニアに行ったサレジオ会の宣教師たちの生涯を読むと、命の物語り、子沢山の話を読む思いがする。」

 「最近の別の例を見よう。私が私に手紙をよこした一人の青年にかけた電話のことについて新聞がたくさんの記事を載せたのを見た。私が彼に電話をかけたのは、その手紙の内容が実に美しく素朴だったからだ。私にとってそれは実り豊かさの行為だった。私には彼が成長しつつある一人の若者であることが分かったが、彼は一人の父親を知り、彼に自分の人生についてなにかを語った。父親として《それは私にとってどうでもいいことだ》とは言えない。このような多産さは私に多くの良い結果をもたらした。」


 

若い教会と古い教会

 教会のテーマに留まりながら、教皇に最近の世界青年大会に関連して質問をした。「この大きな催しは、若者たちの上に、従ってまた、《霊的な肺》であるより最近に設立された教会の上にもスポットライトを当てることになった。あなたにとって、これらの教会から普遍教会にもたらされると思われる希望とはどのようなものですか?」

 「若い教会は、より古い教会によって展開されてきたものとは違う形で、信仰と文化と生成する命の新しい総合体を発展させる。私にとっては、より古い時代に設立された教会とより新しく設立される教会の関係は、一つの社会における若者と老人の関係に似ている。一方は力によって、他方は知恵によって未来を築きあげていくのだ。常に危険がつきまとうのは明らかだ。若い教会には自己充足的であろうとする危険性があるし、より古い教会はより若い教会に彼らの文化的モデルを押し付けようとする危険性がある。しかし、未来は共に築いていくべきものだ。」



(つづく)

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★ 〔完全版〕 教皇のインタビュー(その-3)

2014-02-19 17:40:33 | ★ 教皇フランシスコ

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〔完全版〕 教皇のインタビュー(その-3)

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教皇のインタビューはあまり間延びさせないで早目に完結したいのだが、

そればっかりでは飽きる読者もおられることだろう。

それで、妥協の産物として、ほゞ一回おきぐらいに何くれと軽い話題を見付けながら、

ゆるゆると進むことにしよう。

さて、前回の続きは:

 

イエズス会

 だから識別は教皇の霊性の一つの柱だ。そのことの中に彼のイエズス会員としてのアイデンティティーが独特な形で示されている。そこで今日の教会にイエズス会はどのような役割を果たすことが出来るか、その独自性はなにか、また起こり得る危険性は何か、について教皇に訊ねた。

 「イエズス会は緊張の中にある団体、常に徹底的に緊張状態にある団体だ。イエズス会員は非中心的だ。イエズス会もそれ自体として同じように非中心的だ。中心はキリストとその教会だ。つまり、もしイエズス会がキリストと教会を中心に持つとすれば、周辺に生きるための自己のバランスの拠り所として二つの基準点を持つことになる。それに対して、もし自分自身を見つめすぎて、自分を十分にしっかりし非常によく《武装された》構造として中心に据えるなら、自分を確かで充足したものと思い込む危険に陥る。エズス会は常に自分の前に常により大いなる神(Deus semper maior)、常により大いなる神の栄光の探求、我らの主キリストのまことの花嫁である教会(Chiesa Vera Sposa di Cristo nostro Signore)を持つべきであり、我々がたとえ粘土の壺、不相応なものであるにしても、我々を征服するもの、我々の全人格とすべての労苦を捧げるべきものである王たるキリスト、を持たねばならない。この緊張は絶えず我々を自分の外に引き出す。更に、まさにより良く宣教に打って出るために非求心的なイエズス会を真に強める手段としては、父性性と兄弟性とともに《良心の究明》がある。」

 ここで教皇は、イエズス会の会憲の特別な点、即ちイエズス会員は《自分の良心を明かさなければならない》こと、即ち、長上が誰かを宣教に派遣するに際してより自覚的で慎重であることが出来るために、生きられた内面の状態を明かすことに言及する。

 「しかし、イエズス会について話すのは難しい-と教皇フランシスコは続ける。あまりはっきり言葉にすると、誤解を招く危険が生じる。イエズス会については、ただ物語り風にだけ言うことが出来る。議論の余地が生じる哲学的神学的解明においてではなく、物語りの中でのみ識別が出来る。イエズス会のスタイルは、過程においてはもちろんに議論も想定するが、議論ではなく識別のスタイルである。神秘的なオーラは決してその輪郭を確定することはないし、その思いを完結することもない。イエズス会員は思いを完結することのない人、思いが開かれた人でなければならない。イエズス会には、より閉鎖的で厳しく、より教条的-禁欲的な考え方の時代があった。こうした精神的歪みが会憲の要約 (Epitome Instituti) を生んだのだった。」

 ここで教皇は、会憲の代用品として見做されるようになった20世紀に作られてイエズス会の中で用いられた一種の実戦的要約について言及している。イエズス会におけるイエズス会員の養成はある時期この文書によってなされ、人によっては、基礎的なテキストであるべき会憲を一度も読んだことがないほどであった。教皇にとっては、イエズス会のこの時期には規則が精神を押し潰し、カリスマを過度に強調し主張する誘惑が勝利を収めたと考えられた。

 そして続けた。「そうではない、イエズス会員は、キリストを中心に据えて、常に継続的に、行かねばならぬ地平を見つめながら考えるものだ。これがその本当の力だ。これがイエズス会を、探求的、創造的、かつ寛容であるように仕向けてきた。さて、今日はかつてなかったほどに活動において観想的でなければならない。《神の民》として、また《聖なる母である位階的教会》と言う意味で理解された教会全体との深い親密さを生きなければならない。このことは特に、無理解の中を生き、或いは誤解や中傷の対象となるときに、多くの謙遜さと、犠牲と、勇気とを要求するものではあるが、それはより実り豊かな態度である。それは中国の典礼やマラバル典礼を巡っての、またパラグアイにおける活動縮小のときに起きた過去の緊張について考えてみるとわかる。」

 「私自身が、最近になってからもイエズス会が生き抜いた無理解と諸問題の証人である。これらの事の中には教皇に対する従順の《第4誓願》を全イエズス会員に拡大する問題を取り扱った際の困難な時期があった。アルーペ神父の時代に私に安心を与えてくれたものは彼が祈りの人、多くの時間を祈りのうちに過ごした人だったと言う事実であった。私は彼が日本人のするように床に座って祈っていた時のことを思い出す。それによって彼は正しい態度を保ち正しい決定を下した。」


 

モデル:ピエトロ・ファーブル《改革された司祭》

 ここで私は、イエズス会の最初から今日までで、かれの心を特別に捉えた人物がイエズス会員の中にいたかと質問した。このようにして、もし教皇にそういう人が居たら、だれがどういう理由でそうであるかを訊ねた。教皇は私にイグナチオ、フランシスコ・ザベリオと名を挙げはじめたが、そのあとイエズス会員なら知っているが一般的には確かにあまり知られていない一人の人物、サヴォイ人の福者ピエトロ・ファーブル(1506-1546)の上で止まった。聖イグナチオの最初の頃の仲間のうちの一人、というより、二人がソルボンヌ大学で学生であった時、彼と最初に部屋を共にした仲間だった。同じ部屋の3人目がフランシスコ・ザベリオだった。ピオ9世は1872年9月5日に彼を福者として宣言し、その後も列聖調査が進行中である。

 教皇は自分が管区長だった時にミゲル・A・フィオリートとハイメ・H・アマデオの二人のイエズス会員の専門家に監修を委ねた彼の回顧録(Memoriale)の事を引き合いに出した。教皇に特に気に入った版はミシェル・ド・セルトーが監修したものだ。そこで、何故他ならぬファーブルが彼の心を打ち、彼の人物像のどのような特徴が彼に印象を与えたのかと聞いた。

 「全ての人との対話、一番遠い人や敵対者とのも含めて。単純な信心、多分ある種の純真さ、すぐに役立とうとする心、注意深い内面的識別、偉大な力強い決断力の人でありながら、同時にとても甘美な、甘美な・・・。」

 教皇フランシスコが彼のお気に入りのイエズス会員の個人的な特徴のリストを挙げている間に、私はこの人物像が彼にとってまことに生き方のモデルとなっていることを理解した。ミシェル・ド・セルトーはファーブルを簡単に《改革された司祭》と定義したが、彼にとって内面的経験と、教義的な表現と、構造的改革は密接不可分なものであった。だから、教皇フランシスコはまさにこのような種類の改革から霊感を得ているのだということが理解できるように思えた。続いて、教皇は 創立者 の真の素顔の省察へと話を進めた。

 「イグナチオは神秘家であって苦行者ではない。霊操が沈黙の中で行われるという理由だけでイグナチオ的だと言われるのを聞くとき、非常に腹が立つ。実際には霊操は沈黙なしに営まれる日常生活の流れの中でも完全にイグナチオ的で有り得るのだ。この禁欲主義と沈黙と贖罪を強調する風潮は、イエズス会の中で特にスペイン地方で流布してはいるが、それは歪められたものである。それに対して、私はルイス・ラレマントやジャン-ヨゼフ・スーリンらの神秘主義的な流れに近い。そしてファーブルも神秘主義者だった。」


 

統治の経験

 まずイエズス会の長上として、次いで管区長として得たどのようなタイプの統治の経験がベルゴリオ神父の受けた養成を成熟させるのに役立ったか?イエズス会の統治スタイルとは長上の側の決定を意味するが、それはまた彼の《顧問たち》の意見を諮問することをも意味する。それで教皇にはこのように訊ねた。「ご自分の過去の統治の経験は現在の普遍教会の統治活動に役立つと思われますか?」教皇フランシスコはしばらく考える間をおいて、まじめに、しかも非常に平静に答えた。

 「イエズス会における長上としての私の経験はと言えば、本当のところを言うと、私はいつもこのように、つまり、必要な諮問を行いながら、というわけではなかった。そして、それは良いことではなかった。私のイエズス会員としての統治は初めのうちは多くの欠陥があった。それはイエズス会にとって難しい時期のことだった。イエズス会の一世代全体の消滅の時期だった。その時期私はまだとても若い管区長だった。36歳で、狂気の沙汰だった。難しい状態に立ち向かわねばならなかったが、私は荒々しい態度で個人主義的な決定を下した。そうではあったが、一つの事を付け加えなければならない。或ることをある人に託すときには、私はその人に完全に信頼した。私がその状態から立ち直るために、本当に大きな誤りも犯さなければならなかった。しかし、それにも関わらず、最終的には人々は独裁主義に疲れてしまった。私の独裁的で即断的なやり方は私に深刻な問題を引き起こし、超保守主義者として非難されることとなった。私はコルドバにいたときに大きな内面的な危機を体験した。そうだ、私は福者イメルダのように確かだったわけではないが、私は決して右翼ではなかった。私が決定をときに私流に独裁的であったことが問題を引き起したのだ。」

 私はこれらの事を人生経験として、またどんなことが危険かを理解するために話している。時間と共に私は多くの事を学んだ。主は私の欠点と罪を通して統治に関して学習することをお許しになった。こうしてブエノスアイレスの大司教になった時から、15日毎に6人の補佐司教と会合を持ち、一年に何度か司祭評議会との集まりを持った。質疑を行い、討議のために余地を開いた。このことは私がより良い決定をするのを助けた。今は何人かの人が私に「相談し過ぎないで、決めて下さい」と言うのを聞いた。しかし、相談することは大変重要なことだと信じる。例えば、枢機卿会議や司教会議は真の能動的な諮問を行う重要な場所である。しかし、その形はなるべく硬直的でないことが必要だ。私は形式的でなく実質的な諮問を望む。この8人の部外者(Outsider)のグループからなる枢機卿の諮問会議の設置は、私一人の決定ではなく、教皇選挙に先立つ全体集会で表明されていた通り、枢機卿たちの意志の結果であった。私はそれが形式的なものではなく実質的な会議であることを望む

(つづく)

 

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