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〔完全版〕教皇フランシスコのインタビュー(その-2)
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1月21日に「教皇フランシスコとは何者か?」と言う題でブログを書いたら、かなり好評でたくさんのアクセスがあったのですが、すかさず「残念賞!貴男のブログは二番煎じでした」 と言わんばかりに、3-4人の方から「中央公論」の1月号に同じような内容が出ている、とのご教示が相次ぎました。
当方の事情としては、去年の割合に早い時点で訳し終えていたものの、依頼主の版権交渉が宙に浮いたために、見切り発車で試しにブログに載せてみたまでの事で、「中公」の事はローマに居てもちろん知りませんでした。
そこへ追いかけるように、親切な方から同記事をスキャンしたものがメールに添付されて来たので、早速比べてみた所、あちらは全体の3分の1ほど、それも雑誌の読者を意識してか、一般向けの部分しか載せておらず、キリスト教と教皇フランシスコの人となりに興味のある人にとって面白そうな肝心の部分の多くが全く反映されていないことが分かりました。
それで、そのことをブログに書いたら、「ではぜひ全文掲載を」と言う要望が多く寄せられたこともあって、原文通りの順序による完全紹介に踏み切ることにしました。
なお、翻訳のベースは、この際 “La Civiltà Cattolica” の雑誌ではなくバチカンの公式サイトで自由に見られるイタリア語版(一語一句まで同じ)をダウンロードしたものに依拠しました。
さて、最初の小見出しは:
「ホルヘ・マリオ・ベルゴリオとは何者か?」
でしたが、それは見出しだけ「教皇フランシスコとは何者か?」という言葉に捻って既にブログに紹介しましたので繰り返さず、早速その続きから入ります。
なぜイエズス会員になったのか?
このような形での受諾(訳注:教皇職の受諾)は、教皇フランシスコにとっては一つの身分証明書のようなものだと私は理解した。そこにはそれ以上何も付け加えることはなかった。そこで、あらかじめ第一番目の質問として選んでおいたことに移った。「教皇様、イエズス会に入ることを選ばせた動機になったものは何だったのですか?イエズス会の何に惹かれたのですか?」
「私はなにか普通以上のものを望んだのです。だけどそれが何であるかわかりませんでした。神学校に入りました。ドミニコ会員たちのことが気に入ったし、ドミニコ会員の友達もできました。しかしその後、神学校がイエズス会に委託されたので、その結果よく知るようになったイエズス会を選びました。イエズス会について3つの点に心を打たれました。宣教精神と共同体と規律でした。奇妙なことに、私は生来規律のキの字にも全く縁遠い存在でした。けれども、時間を秩序付けて用いる彼らの規律は私をとても惹きつけました。」
「さらに、私にとって本当に根本的だったのは共同体性でした。私は常に共同体を探し求めていました。私は自分を一人で居られる司祭だとはみなしていません。私は共同体を必要としています。そのことは私がこのサンタマルタの建物に居る事実からも理解できます。私が選ばれた時、私はくじ引きで207号室に住んでいました。私たちが今居るこの部屋は客室用の部屋でした。私はここの201号室に住むことを選びました。なぜなら、教皇のアパートに入った時、私は自分のうちにはっきりとした《ノー》を感じたからです。《使徒的宮殿》の教皇のアパートは豪奢なものではなかった。古典的で趣味が良い広いものではあったが贅沢なものではなかった。しかし、詮ずるところ、漏斗(じょうご)をひっくり返したようなものでした。中は大きく広々としているが、入り口は本当に狭かった。まるで一人だけスポイトで吸い入れられるようなもので、人と一緒でなければ生きられない私には、とにかくノーでした。私は自分の生活を他の人と一緒にすることを必要としていたのです。」
教皇が宣教と共同体について話しているあいだ、私の頭には「宣教のための共同体」について語っているイエズス会の文献のすべてが浮かんできたが、それらは彼の言葉の中に再発見されたのだった。
一人のイエズス会員にとって教皇であるということは何を意味するか?
私はこの線に沿って話を進めたいと思い、彼がローマの司教に選ばれた最初のイエズス会員だという事実を出発点として、教皇に一つの質問をした。「イグナチオの霊性に照らして、あなたが行うように呼ばれている普遍教会への奉仕をどう理解しておられますか?教皇に選ばれるということは、一人のイエズス会員にとって何を意味しますか?ご自分の職務を生きる上でイグナチオの霊性のどんな点がより助けになりますか?」
それは「識別」だ、と教皇フランシスコは答えた。「識別は聖イグナチオが内面的に最も深く探究したことの一つだ。彼にとって主をより良く知り、主により近い位置で従うための戦いの道具の一つだ。私の心を常に最も強く打ったのはイグナチオのビジョンを描写する《最大》という言葉だ。“Non coerceri a maximo, sed contineri a minimo divinum est.” (最大を要求するのではなく最少で満足するのが神のやり方だ)と言う言葉だ。統治するに際して、目上の立場にあって、この言葉について熟慮した。より広い裁量の余地の中で狭量にふるまうのではなく、より厳しい状況の中でも余裕を持って振舞うこと。大きいことと小さいことに関するこの能力は、我々が置かれている立場から常に地平線を見渡すことのできる度量の大きさを意味する。それは、毎日の小さなことを神と他の人々に開かれた広い心で行うこと。小さなことを神の国という大きな視野の中で評価すること。」
「この《最大》は、神の事柄を《神の視点から》感じ取る識別の正しい立場を身につけるための判断基準を与えてくれるものである。聖イグナチオにとって、これらの大きな原則は、場所と時と人の状況に受肉しなければならないものだ。ヨハネス23世は、この《最大》を繰り返し言うとき、ご自分なりのやり方で統治の地位に身を置いた際に、omnia videre, multa dissimulare, pauca corrigere,(すべてを見て、多くの事に目をつぶり、僅かなことだけ矯正する)と述べているが、それは、全て(omnia)を見る、それも《最大限に》見るが、僅か(pauca)なことについて《最小限度に》行動する、という意味でそう言ったのだ。大きな企画を持つことが出来るが、それを実現するのはわずかな極く小さなことを行うことを通してだ。あるいは、聖パウロがコリントの信徒への第1の手紙に言っているように、弱い手段を用いながら、強い手段を用いるよりもより効果的な結果を生むことが出来る、と言ってもいい。」
「この識別には時間が必要だ。例えば、多くの人は諸々の変化と改革は短期間に達成できると考えるが、私は本当の効果的な変化の基礎を置くためには常に時間が必要だと信じる。これは識別するために必要な時間だ。時には、識別の結果として、当初は後ですればよいと思われていたことを、すぐにやるべきだという結論になることもある。それは、この数カ月の間に私にも起こった。識別と言うものは、常に主のみ前で、印を見ながら、起こってくる出来事に聞きながら、人々の、特に貧しい人々の声に耳を傾けながら、実現していくものだ。つつましい車を用いるなどの生活の規範に結ばれたことなどに関する私の選択も、事柄や、関係する人や、時の印の読み取りなどからの要請に答える霊的な識別と結ばれている。主における識別が私の統治形態を導く。」
「だから、その反対に即興的になされた決定には信を置かない。もし何か決定をしなければならない場合は、いつも最初の決定、つまりこうしようと最初に頭に浮かんできたことは信用しない。たいていの場合、それは間違っている。待って、内面的に評価するために必要な時間をかけなければならない。識別の知恵は、生活に必然的に付きまとう曖昧さから解き放ち、大きくて強く見えるものと常に結びつくとは限らない適切な手段を見つけさせてくれる。」
(つづく)