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世の中一寸先は闇
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= さようなら日本 =
(その-2)
先のブログの副題に「さようなら日本」と書いたら、「もう日本には帰ってこないのか」とか、「さては日本の教会籍を捨てるつもりになったか」など、気の早い憶測や心配の反応が相次ぎ、かえってびっくりしましたが、別にそんなに深刻な意味で書いたものではありません。5か月余りと異例に長かった今回の日本での生活に、ただ名残を惜しむ気持ちを込めたかったに過ぎません。
関空に二日の足止めを食らった後、やっと無事に機中の人となり、成層圏の水平飛行に移って、ワインとおつまみが届いたころには、窓の外の中空に13夜の月が明るく照っていました。その写真と、今回の休暇中の忘れがたい思い出の写真を2‐3 枚貼り付けながら、「世の中、一寸先は闇」という言葉をもう少し味わってみたいと思います。
機内から見る13夜の月
上の写真から30分後、太陽の光の余韻がすっかり消えた成層圏の夜空の月は、空気が澄んで希薄なためか、この写真よりさらに黒々とした宇宙の闇に銀盤のように冴えわたっていました。まして、真空の中を駆け巡る宇宙飛行士の見る空は、凄いまでに漆黒であるに違いありません。
この秋、私がまだ野尻湖の山荘にいたころ、11月の満月の夜は曇りで、十七夜になってやっと雲が切れました。それで、何かに誘われるように、湖畔に出て月の出を待ち、そのまま夜更けまで月の写真を撮り続けました。月明りのまばらな星空と、雲と、月を映す湖面とで、光と蔭の絶妙な対話があったせいか、その夜は不思議と孤独を感じませんでした。月の写真を配しながら、光と闇の考察を今しばらく続けたいと思います。
斑尾山の稜線の落葉した木々の向こうからぬっと顔を出した17夜の月
「一瞬先は闇」と言いましたが、本物の闇には確かに恐ろしいものがあります。
「闇」と言えば、私は、香川の三本松教会の田舎司祭をやっていた頃、カトリック教会の典礼にある復活祭の徹夜祭の「光の祭儀」を忠実に完璧に演出しようと、自分で設計して建てた窓の多い聖堂を完全な暗室にするために細心の注意を払ったことを思い出します。
暗幕と黒い厚手のフエルト紙で、あらゆる光を遮断しました。廊下の明かりも消し、聖堂内外の非常口の緑の誘導灯も消し、窓はもとより、ドアの上下の隙間も塞ぎ、日暮れの街になお残るかすかな光まで完全に遮断しました。灯りを順次消して、最後の一灯が消えた瞬間、聖堂の中はピンホールほどの光の漏れもない真っ暗闇になりました。万歳!大成功!
30センチと離れていない人の存在感が忽然と消えました。人の心臓の音までは聞こえないものです。一瞬にして完全な孤独に包まれる点では、聖堂にいつもの人数の会衆が入っても状況はまったく変わりませんでした。
大汗かいて準備を手伝わされた信者さんの中には、「ほんの数分間の儀式のために、こんな大そうな手間暇とお金をかけて、一体何になるんです?よその神父さんはこんな物好きなことをしませんよ。ただ電気を消すだけではだめですか?」と不平を言うものもいましたが、私は聞こえないふりを装ってかわしました。
復活の徹夜祭に、うちの信者さんたちには日常生活では決して経験することのない「本物の闇」の凄さ、恐ろしさを是非体験してもらいたかったのです。
私たちが、洗礼の恵みを受けて、キリストの光に心を照らされる前は、みんな罪と欲望と孤独の絶望的な闇の中を這いずりまわっていたのだ、ということを、現実の暗闇の体験を通して思い出してほしかったのです。
会衆が本物の闇の「凄さ」をたっぷり身に染みて味わった頃合いを見計らって、司祭である私は、火を点した復活の蝋燭を掲げてその闇に入ります。太い一本の蝋燭の明かりが闇を切り裂くと、その光は聖堂の隅々にまで届き、遠くの人の顔までもぼんやりと見えてきます。
「ルーメン・クリスティー♪!」(キリストの光♪!)と私が歌うと、会衆は「デオ・グラチアース♪!」(神に感謝♪!)と答えます。
それから、近くの者が復活の蝋燭から小さな蝋燭に火を点し、その火を周りの人の蝋燭に順繰りに分けていくと、聖堂の中はみるみる光の海になり、各自の蝋燭はその人の顔とまわりを明るく照らし出していきます。
教会の一年の典礼の暦の中で、私の最も好きな美しい儀式です。
キリスト教の福音宣教とは、復活の蝋燭のように、闇に支配されたこの世俗社会に入って、キリストの光を人々の心に点し、広めていくことではないかと思う次第です。
雲を照らす月
今はキリストの降誕を待つ「待降節」。そんな時に復活祭の話は季節はずれと思われるかもしれません。しかし、「闇と光」のテーマは、両方に共通します。
キリストが生まれた日、その季節、についての確かな証言は、聖書にもどこにもありません。
クリスマスが12月の25日と決まったのは、インド、イランを経てローマに入った太陽神のミトラス教の、冬至の祭りの風習に合わせたもののようです。闇の支配が強くなって日中が次第に短くなる状態から、再び日が長くなる変わり目、つまり、光が闇に勝つことを祝う祭りを、世の光であるキリストの降誕の祭りに置き換えたのでしょう。
まじめな宗教がどれも全くお呼びでなくなった 「一寸先は闇」 のこの世、世俗化が行き着くところまで行った病める現代社会に、どうしたらキリストの光を人々の心にアピールする新鮮なプレゼンテーションの仕方で伝えることができるかと、ローマの空のもとで思いめぐらす日々がまた始まりました。
(つづく)