~~~~~~~~~~~~~~~
教皇フランシスコの宣教家族派遣式
~~~~~~~~~~~~~~~
2014年2月1日(土)10時30分から、バチカンのパウロ6世ホールで、1万人の新求道共同体のメンバーを招いて、教皇フランシスコは宣教家族の派遣式を行うことになっていた。我々の神学校からは、ほぼ全員が参加した。
教皇ヨハネパウロ2世が共同体の最初の家族を宣教に派遣された時以来、派遣される宣教家族には教皇様自身から銀の十字架が渡され、「この十字架を荷って宣教地に赴きなさい」と言って派遣されることが習わしになっている。
教皇が銀の十字架を渡すところ
午前10時半を待たずにパウロ6世ホールは満席となった。外には入りきれなかった大勢の仲間があふれたが、どうしようもない。
ホールの正面の壇の右手には赤いキャップの11人の枢機卿と紫のキャップの53人の司教達が控えていた。
この数は、教皇ヨハネパウロ2世やベネディクト16世のどの宣教家族派遣式の時よりも多いと思われる。
手前左は日本人でただ一人参加した平山司教。
教皇のお出ましは12時きっかりと告げられていた。それまでの1時間半、キコが中心になってリードし、派遣式の次第を説明したり、式の間に歌われるべき歌の練習をしたり、この式の歴史的意義を説いたり、注意事項を確認したりするうちに、雰囲気はいやが上にも盛り上がっていった。
舞台の左、司教・枢機卿の一団の更に左端にキコのオーケストラの縮小メンバーが控えている。彼らの中からは「オイ、ジョン(私の事)。日本公演はいつになる?」などの雑談が飛んでくる。
正面ステージの左右の大型ディスプレーには外の聖ペトロ広場の様子や、会場の中の家族ずれの様子などが映し出されている。
12時数分前になった。数台のテレビカメラが一斉に緩やかに後ろにせり上がっている会場の中央通路の一番奥の扉にレンズを向けた。それを合図にそれまで、ざわざわと雑談で賑わっていた人々が一斉に真ん中の通路に寄り始めた。教皇に触ろう、握手をしよう。祝福をしてもらおうと言うわけだ。柵まで寄れない人たちは、かまわず靴のまま椅子の上に立ち並んだ。私は背が低いので、初めから諦めて床に立って人のお尻や足を眺めることになった。何も見えないまま、3分が経った。今や遅しと会衆は熱していって、ビーバー・パーパー(教皇万歳!)とか、調子をつけたフランチェスコ!フランチェスコ!の大コールが盛り上がった。キコが教皇歓迎の歌を先導して、一万人の大合唱になった。5分が経過した。そのまま10分が経過した。まだみんなは中央通路の柵を押し倒さんばかり。椅子の上に立った若いお父さんが小さい子供を肩車したまま後ろの扉を凝視している。
そこへ、背後からキコの声が聞こえてきた。教皇様は少し遅れられる模様だから、みんな席に戻って座るように。この時間を使って、列席の司教様方を紹介しよう。あとで時間が無いかもしれないから。と言うことになった。世界中から司教様方が集まっていた。
たいていは、宣教家族の派遣を教皇様に依頼した教区の司教方だ。
予定を30分以上オーバーして、12時半を回ったところで、突然会場の正面に向かって左前方の群衆から歓声が上がり、たちまち会場が総立ちになった。事前の打ち合わせにはなかった番狂わせなのだろう。後ろの扉ばかりをマークしていたどのテレビカメラも不意を突かれて教皇の入場の瞬間を捉えきれなかったのではないか。教皇は向かって左手の袖から全く唐突に入場してきた。
キコは話を中断した。
私はまたしても椅子の上に立つ男女のお尻と足しか見えない谷間に沈んだ。カメラも全く役に立たない。会場はタダ騒然としている。
一番見晴らしが効いたのは恐らくこの女の子のような肩車族だっただろう。
ビーバー・パーパーのコールや、フランチェスコ、フランチェスコの連呼が終り、一同が席に着き、私語が収まって、やっと私の前にこのような景色が展開した。柱を一本も使わない特殊な巨大ホールだ(イタリア人の設計による)。正面の大きなオブジェは復活のキリストをイメージしている。私はこれで前から7分の1ぐらいの位置にいる。
キリストは裸で、髪を横に流し踊るような手つきをしている。私は個人的にはあまり好きになれないのだが・・・
キコの感謝と歓迎の挨拶。新求道期間の道の歩み方の説明。今日の派遣式の参加者の紹介。等に耳を傾ける教皇の顔には、トレードマークのフランシスコ・スマイルが絶えることはなかった。
やがて、教皇は手渡された原稿に従って、短い今日の挨拶を読み上げた。前半3分の1ほどは、教皇フランシスコの人柄と調和した心のこもる挨拶だったように思う。後半は、写真を撮るのに気が散っていた私はあまり気に留めなかったが、あとで聞いた話では、新求道共同体が定着し発展し、存在感を増している地域に対する、2-3の助言、注意事項に終始したのだそうだ。私は、それを式後バチカンのインターネット公式サイトからダウンロードして印刷してじっくり読んだ。
先ず、以下に教皇フランシスコの謁見の様子を伝えるバチカン機関紙オーッセルバトーレ・ロマーノのバチカン放送版から訳して載せよう。
今朝、2月1日の土曜日、パウロ6世ホールで、教皇様の周りでは本当にその名にピッタリの「家族の祭典」が展開した。その主役が何百人もの子供たちだったことは全く議論の余地がなかった。この170組の家族にとって今日の教皇様との出会いはとても特別な意味合いを持っていた。なぜなら彼らは教皇様自身から《ミッシオ・アド・ジェンテス》(異邦人への宣教)の任務を託されたからだ。この派遣命令の授与こそ、何千人もの新求道期間の道のメンバーに対する謁見の中心的瞬間だった。
(中略)
教皇フランシスコは、新しい宣教者たちを派遣するに際して、世界のあらゆる場所に、とくに「最も非キリスト教化した場所に」、福音をもたらすように励ますことを忘れなかった。
このあとに、今日の謁見のハイライト、「ミッシオ・アド・ジェンテス」(異邦人への宣教団)の派遣式が続く。一つの団は4家族(それも8人、10人、13人の子沢山の若い家族も少なくない)と、一人の司祭と、3-4人の独身女性の協力者と、司祭を補佐する若い青年信徒からなっている。子供を入れると一つの団で40人から50人になることもある。
今回特筆すべきは、アジアへの派遣が多かったことだ。中国に4チーム。ベトナムに3チーム(だったかな?)。インドにも2チーム?そして蒙古のウランバートルにも1チーム。等々。ヨーロッパにはベネディクト16世の時代にすでにかなりの数が入っているが、今回もなお多数の補強がなされた。
日本にはまだ「ミッシオ・アド・ジェンテス」(異邦人への宣教団)の形はとっていないが、すでに歴代の教皇から派遣されて25家族(だと思う)が入っており、今回も名を挙げて紹介される時間はなかったが、大勢にまじって1家族が派遣された。
クライマックスの派遣式の様子は写真アルバムの形で、今回の謁見の歴史的な意味についての考察と合わせて次回のブログに譲るが、すでに私のブログにはこの派遣式について匿名のコメントが前のブログのコメント欄に入っていたので、それを改めてこの本文のの中で紹介して一区切りとしたいと思う。
2月1日の謁見 (MG)2014-02-02 12:38:57
谷口神父様
YouTubeで見せていただきました。
アジアへ相当数の派遣があるようですね。
もちろん、日本にも??(笑)
それにしても、Radio Vaticanaを見ると、
何語版をみてもトップ記事で伝えているのに、
今のところ、日本語版だけ扱いがないのが不思議です。
(中国語版でさえあります!)
意図があってのものか、
単に翻訳が間に合わなかっただけかはわかりませんが、
これでは、ますます世界の動きから遅れてしまいますね。
大丈夫でしょうか?
当日の詳しいようす、
お伝えいただけること楽しみにしています。