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戦争前夜 の幕開け
2015年9月19日午前2時18分
「安保法案」参議院通過
70年目に日本の 戦後は終わった
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17日午後、六本木の三枝先生の音楽事務所で来年5月のキコのシンフォニーの打ち合わせがあった。土砂降りの秋雨の中だった。そこを出ると足は自然に国会議事堂に向かった。丸ノ内線の国会議事堂前で降りたが、地上に出るまで何人もの警官に誘導されて、なかなか行きたい方向に行かせてもらえない。地上は機動隊の装甲バスがぎっしりと並んでいて、横断歩道も閉鎖されて渡れないところが多かった。だが、雨にも拘わらず、国会周辺は大勢の市民で囲まれていた。しばらく我慢したが、今日中には決着がつかないと見て、遅い夕食までに江戸川区の家に帰った。
18日は、朝のミサが終わるとすぐに家を出た。今日は遅くなるぞと覚悟を決めて、小雨の中を出かけた。国会に着くと警察ばかり目立って、思ったより閑散として居た。拍子抜けして、まさか私の移動中に強行採決が行われてことが既に終わったわけではあるまいな、と四国の友人に確認の電話を入れたら、本格審議は午後からと分かった。
間もなく、続々と人が集まり始めた。シュプレヒコール、国会内から出てくる野党議員さんの演説、支援団体の演説、シュプレヒコール、演説・・・。60年、70年の安保闘争の時より、シュプレヒコールのリズムと乗りが格段にいい。新しいヒップホップの音楽の影響だろうか。手作りのプラカードもしゃれたものが少なくない。生まれて間もない乳児を抱えた若い母親。小さな子供連れ、車椅子、だが、若者に負けじと戦中生まれも大勢詰めかけている。この日私はカメラを持参していた。写真アルバムが現場の状況を伝えてくれるだろう。そして、このブログの締めの言葉は、写真の後に短くまとめよう。
色んな宗教の人が来ていた。知っているカトリックの女性にも一人会った。
国会議事堂正面は左右に、正面は国会裏と、そして他の集会も、互いにばらばらに分断され、面が確保できる広場、公園は封鎖され、群衆は否応なしに歩道に細長く線状に押し込められた形になっている。それを警官と警察車両が抑え込むという仕組みだ。
この若いお母さんの胸には、生後2-3か月の赤ちゃんが。隣は夫か。
この二人の若いお母さんも1歳に満たない子供を抱いて参加。他に未就学児の手を引く母親たちもいた。
国会の周りの並木は、イチョウ並木だ。秋の印、銀杏の実が落ちて独特の香りを放っている。よく見ると「革マル」のビラだ。
外国人の顔も少なくない。 関心は高いようだ。
手作りのムシロ旗
国会の議場から抜け出してきて報告する人。
長い戦いはこれからが本番だ
祖父の思い。アベさんをヒットラーに例える漫画はいっぱいあふれていたが、全部紹介していたら飽きが来る
コレご本人の描いた絵だろうか
前後ろにプラカードを下げたこの若いサンドイッチウーマンも、きっとお母さんだろう
暮れなずむころには雨も止んでいた。議事堂には照明が。
もう日が暮れて、夜も更けた。国会の照明も消えた。だがあの中では問責決議案、不信任案の応酬が延々と続く。シュプレヒコールとデモ隊と警官のにらみ合いはいつまで続くのか。
おや、懐かしい全学連が50年ぶりに姿を現した。数は決して多くない。ヘルメットもゲバ棒も手ぬぐいの覆面もないが、シュプレヒコールの仕方やアジ演説の口調に面影があって懐かしい。傍には昔「鬼の8機」と恐れられた第8機動隊の指揮車がいた。昔は8の数字のそばにスズメバチの毒々しい絵があったが、今はスマートにそれを消している。しかし、いったん「8機」の機動隊員が暴力装置として実力でデモ隊に襲いかかってきたら、全く情け容赦も手加減もないことを私は知っている。
この夜、私は霞が関ビルの近くのセブンイレブンの弁当とアサヒの缶ビールで夜食を摂った。昼に何を食べたか思い出さないところを見ると、食べるのを忘れていたのかもしれない。深夜を越えた。2時18分、野党の抵抗の手段も尽きて、法案は参議院を通過した。空しい気持ちで3時過ぎに眠りについた。
ああ、これで70年間の日本の戦後は終わった。PKO部隊では大変な数の自殺者が出たと政府は発表しているが、表向きには銃弾や地雷で死んだ「戦死者」はゼロということになっている。だがこの表面的な平和は終わろうとしている。しばらくはデモもシュプレヒコールもない平穏な国会周辺に戻るだろう。しかし、この法案を受けてPKOの部隊での任務内容は変化するだろう。自殺者ではなく、最初の戦死者が報告され、日本の善良で温和だった青年が、阿修羅と化し、殺人鬼と化し、派遣先で民間人の子女を殺すようになる日が必ず来る。その時、再び国会の周りを大勢の市民が取り囲む日が、数年後に来るだろう。それまで、平穏がどれだけ続くだろうか。今回の国会周辺の騒動はその前触れにすぎないだろうと思う。日本の兵士が海外で人を殺せば、海外からテロリストが日本にやってくるだろう。渋谷のスクランブル交差点で、地下鉄の車内、で爆弾が炸裂して罪のない市民が死傷する。原発の防備にテロ対策は十分か。海辺の過疎地に置かれた原発を福島のように放射能をばらまくメルトダウンに追いこむには、よく訓練された5人のコマンドで十分だと専門家は言う。海外派兵に道を開けば、翌日国内が戦場になるのに、日本はより安全になる、なんて嘘に決まっているではないか。
それにしても、新聞はこの日のデモ参加者を約4万にと発表している。どういう計算だろう。新聞社のヘリから写真を撮り、群衆の面を碁盤の目状に区切って、その一つを拡大して頭を数え、その数に碁盤の目の数を掛けたのだろうか。一日ずっといて思ったが、早く来て早く帰った人、遅く来て長く留まった人、群衆は絶えず入れ替わり流れている。その延べ総数は4万人ではなく10万人を下らなかったのではないだろうか。100万人が国会を取り巻いたら政治の流れは変わるかも知れないな、と思った。