:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 《一部追加》 「キコ」 の世界青年大会

2016-10-16 06:39:26 | ★ WYD(世界青年大会...

~~~~~~~~~~~~~~~

《一部追加》

「キコ」 の世界青年大会 2016

~~~~~~~~~~~~~~~

ワールド・ユース・デイ(WYD)には恒例の「おまけ」の催しがある。

今回も教皇ミサが明けて月曜日、世界から集まった新求道共同体の若者たちは、キコが主催する身内の集いに結集した。

私は1991年にポーランドのブラックマドンナの聖地で催された第3回WYDの160万人集会以来、今回のポーランドのクラカウでの第23回まで、度々参加してきたが、キコはいつも教皇ミサの翌日に巡礼に参加した世界中の新求道共同体の若者と明日の宣教の担い手になる司祭、修道女の志願者を募る集いを開くことにしている。

教皇の300万人ミサ(私は先のブログで200万人と書いたが、あれは私の聞き違いで、ウイキペディアによると300万人とあったので、すでに訂正した)のうち約20万人が新求道共同体の若者たちだったと聞いている。

目的地まであと1キロほどの所でバスは止まった。 

 

バスを降りて会場に近づくとまず目に止まったのは、警察の機動隊車両の多さだった。「キコ」の青年集会にそれほどの警備が必要なのだろうか?

しかしよく見ると、警官の制服は暴徒鎮圧の時の乱闘服ではなく通常勤務のもので、リラックスして友好的だった。

 次に目を引いたのが万里の長城のように会場を取り巻く簡易トイレの列だった。なるほど、若者20万人の需要にこたえるにはこれだけ必要なのだ。1991年、ポーランドのチェストコーバでの青年大会は160万人の青年が集まったが、共産主義から解放されたばかりの東欧ははまだ貧しく、これだけの数のトイレを取り揃えることができなかった。そのため、若者が毛布で囲いを作り、その中で若い女性が用を足すというような光景が随所で見られた。

さらに進むと会場が見えてきた。トイレの壁で囲まれた広場の内部は既に満杯状態で、どうやら割り込む余地はなさそうだった。我々の後にもまだ続々人が到着するのに、みんなトイレの長城の外側の芝生で我慢するしかないのか。 

中央の舞台が視野に入ってきた。鉄パイプ組の柱に支えられた天蓋は巨大の一言に尽きる。しかも舞台は天蓋の下をはるかにはみ出して、上に3000-4000人が乗れる広さがある。なんでそんなバカでかいものが必要かは、この後をお読みになればわかるだろう。

仕方なくそトイレの長城の外側の草原で我慢することにしたが、背丈より高いトイレの壁が視界がさえぎって内部の広場の動静は何も見えなくなる。どうやら、会場を準備した側が参加者の数を少なく読み違えたらしい。

どこの国も自分たちのアイデンティティーを示す旗を持ってきている。

 長城には外部との出入りのためにギャップが設けられている。舞台とギャップを結ぶ直線状の細い帯からは、辛うじて舞台が遠望できる。参加者はおのずからその細い回廊上に集中することになる。空から見れば帝国海軍の旭日旗のように丸から光の帯が八方に伸びているように見えるだろう。

日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院(在ローマ)の神学生の一部と副院長のA.L.神父。彼が私のパソコンの置き引き事件の現場目撃証人だ。

ベトナム人もイタリア人も日本人も中国人もみんな一つの家族に溶け合った巡礼だった。右後ろの竿の上には日の丸とベトナムの国旗が一緒にはためいている。

舞台に近寄るためにトイレの長城の内側に立ち入った。全体のスケールが広大なので広さが実感できないが、舞台の上に立っている黒い人間の背丈を見ると、この舞台に4000人が乗れることはおよそ納得がいくというものだ。

舞台の背後にはキコの描いた巨大な壁画の幕が掛けられ、舞台の前縁に置かれた演台からキコが自作の曲に唱和するように若者たちを招き、今の世俗化し無神論化した世界にキリストのメッセージを伝えることがいかに緊急な課題かを熱く語りかける。

正面舞台の上のキコはどこから見ても豆粒にしか見えない。そこで舞台の左右に巨大なスクリーンが設けられている。それで初めて大スピーカら流れてくる声の主を視認できるのだ。

ともに祈って、ともに歌って、キコの話を聞いて会場の熱気が高揚したところで、しばしの沈黙の後、キコは「神様の呼びかけを感じて、生涯を宣教師として奉げたいと思う若者は立って舞台の上まで来なさい!」と呼びかける。すると、会場から幾筋もの川の流れのように、急ぎ足の若者たちが舞台を目指して進んでいく。20万人の若者が見守る中で、さしもの広い舞台もみるみる人で埋まっていった。彼らは壇上に跪き、来賓の大勢の枢機卿、司教たちから按手をうけ、元いた席に戻っていく。同じような呼びかけが女性にもなされた。一生涯を塀に囲まれた禁域の中で過ごし、世界の福音宣教を祈りと労働で支える厳しい修道生活に若い身を捧げるという、重大な選択に感極まって、滂沱の涙を拭おうともせずに震えながら進んでいく乙女たちの川の流れを見るのはいつも感動的だ。速報ベースでは、約3000人の若者と、約4000人の女性たちが立ったと発表された。

(追加部分)そう、そのほかに2000家族が宣教家族として立ったことも付け加えなければならない。平均子供5人の7人家族ならこれだけで一気に1万4000人が立ったことになる。この狂気の沙汰の宣教熱はどこから来るのだろうか。それは、自分が罪を赦されて死の淵から救われ、永遠の命を戴いたという生きた信仰体験、回心の恵みに応える喜びと熱意のなせる業意外の何物でもない。こんな信仰がカトリック教会の中に生き残っていたなんて、今のご時世にちょっとありえないような話ではないですか?

彼らが、今年新たに開校が決まった8つの神学校を含む世界113のレデンプトーリス・マーテル(贖い主の御母)神学院を満たし、世界中の数百の後継者不足で閉鎖・消滅に追い込まれかけていた女子修道会に活力を与えている。そして、プロテスタントの牧師さん一家のように、カトリックの子だくさんの宣教家族が、宣教の第一線に立つ。

8年前に閉鎖を免れて教皇ベネディクト16世によってローマに移植された世界第7番目の由緒ある元高松の神学校も、「日本のためのレデンプトーリス・マーテル新学院」として今も健在で、この秋から新たに4人の神学生を迎え、来年5月には3人の司祭が新たに叙階される予定になっている。

その夕方、よくありがちな手違いで出発が大幅に遅れ、もう宿に泊まる時間が無くなり、夜通し走り続けるバスの車中泊でワルシャワの空港に向かった。

空港の朝、ベトナム組、イタリア組、そして日本へ帰る兄弟が次々と発っていった。テレジアとはそれ以来会っていない。

私は一番遅くミュンヘン行のポーランド航空の機内に入った。ミュンヘンでは旧知のマリアンネ神学博士嬢が私を出迎えてくれる約束になっていた。(話はここから話は5つ前のブログ「貴方は天使を見たか?」に戻る。)

(なーんだ!カメラを盗まれたと言っていたのに、ちゃんと写真があるではないか、ですって?これらは気を取り直して、携帯電話のカメラを使って撮った写真でした。iフォンをガラ携並みにしか使えていなかった76歳の目から鱗でした。)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする