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ホイヴェルス神父、第41回追悼ミサの顛末
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私が「悲しいお知らせ」などというブログを書いたもので、その後、事態を深刻に受け止めた人達からの心配の問い合わせや、さまざまな意見が寄せられてきましたが、他にもブログに書きたいことがあったりして、そのままになっていました。
ところが、「結局あの追悼ミサは行われたのか?」という質問を複数受けて、やはり私には経過と結果の報告をする義務があると気付いて、ここに書く次第です。
結論から言うと、ホイヴェルス神父様の第41回目の追悼ミサは無事行われました。
しかし、そこに至る過程はスリルとサスペンスに満ちていました。追悼ミサの日の直前に予約していた聖イグナチオ教会のチャペルと集会室の使用許可が突然取り消され、代わりの会場探しと会場変更の連絡などで大混乱になりました。
代わりの場所を求めて、向かいの双葉女学校にチャペルの使用を打診したところ、幸い貸していただけることになって、ホッと胸をなでおろしました。しかし、翌日正式の申し込み手続きに足を運んだら、昨日は一旦許可したが、やはり貸せないことになった、という話に、がっくり肩を落としました。
仕方なくその足で隣の主婦会館に行ったら、「何人ぐらいの集まりですか」と尋ねられました。まだ出席申し込みの葉書が集まり始めたばかりで、手元に20枚余りがあったので、多分30人から40人だと思うというと、教室型に並べて45人までは入れる部屋が空いている、ということで、すぐ飛びつきました。
ところが、翌日から3枚、2枚、4枚、3枚、1枚・・・と、毎日のように出席の葉書が舞い込み、あっという間に部屋の限界の45人を突破しました。そして、出席の申し込みが60名を超えた段階で、私は主婦会館も使えないと諦め、絶望して計画中止を考え始めていた矢先、2度あることは3度あるとはよく言ったもので、まるで首つり人の足を引っ張るような残酷さで、主婦会館から電話が入り、「まことに申し訳ないが、お貸しするはずだった部屋が使えなくなりました」と言われたときには、「言われなくてもわかってる!どうせ入りきれないのだから!」と怒鳴り返す気力もなく、頭の中は真っ白。もう踏んだり蹴ったりの最悪のどん底でした。
イグナチオ教会も、双葉女学校も、主婦会館も、どれもそろって、いったんはOKが出た後で駄目になる。これは一体どんな悪魔のいたずらか?神様、あなたはホイヴェルス神父様の追悼ミサをもうお望みではないのですか、と恨めしく、天を仰いでしばし茫然としていました。しかし、電話の向こうでまだ何かしきりに話しているではありませんか。気を取り直して、耳を傾けてみると、「隣の部屋の借主がカラオケをやることが分かった。これでは予定の部屋をお貸しできなくなりました。誠に申し訳ないが、代わりの部屋を用意しますので、どうかそちらに移っていただけないだろうか」と、あくまでも恐縮して低姿勢で頼んでいる。しかも「ご希望よりも広い部屋になって申し訳ないが、こちらの都合ですから部屋代は最初の部屋と同じで結構ですから・・・」という話だった。
実は、この段階で出席申し込みの葉書は72枚。もとの部屋はとても無理だったのに、新しい部屋は80名でも入れる広さというから驚きです。まさに逆転ホームランの大奇跡を見る思いでした。
我に返った私は、「神様、あなたさんざん心配させておいて、最後まで粋な計らいを隠しておられましたね!全く人が悪い!」と目いっぱい文句を言って悪態をつきました。
【教訓】神様は今回もまた私の信仰を試された。神様は、「み旨に適うよいことが人間の思いで潰されることを決してお許しにならない」、と信じるように私に諭されたのでした。
以上、ごく表面的な事柄のスリリングな展開を辿りました。話は一旦ここで切って、次回に、追悼ミサや交流の中身、そして今後の展望と課題について書きたいと思っています。