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ウランバートル(モンゴル)発=アジアの宣教師の集い
《厳しい宣教事情》(そのー1)
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ウランバートルの「ジンギスカン」国際空港の正面の夜景。大きさは日本のローカル空港並み
市内の大通りの緑地帯にラクダのキャラバンの彫刻群像が
モンゴルの戦争記念の丘へ
日本軍との戦争のモザイク壁画。丘の頂をぐるりと囲む壁画には、対中、対ドイツ、対ソ連の場面が
モニュメントの一郭で鷹匠ならぬ鷲(わし)匠が。黒い革の目隠しの下に鋭いくちばしが 日本の空を舞うトンビに比べると、その大きさは2倍かそれ以上。日本の空にトンビが舞うように、モンゴルの空には鷲(わし)が悠々と舞う。
モンゴルの人口300万人。そのうち半数の150万人がウランバートルに集中。
冬はマイナス40度にも達する 集中暖房と火力発電の工場か
建築中のビルの間の空き地にはゲル(テント家屋)が点在している
注意してみると原始宗教のシャーマニズムの石塚があちこちに
背の高い二人はマレーシアの宣教師 黒シャツは同僚のルイス神父
チベット仏教寺院の前で
大きな仏陀の立像
読経する僧侶たち
仏像の前のお賽銭
仏陀の涅槃像の前で油を入れたガラスコップに火をともす婦人たち
ウランバートルの郊外 車で約1時間の黙想の家で司教の到着を待つ
司教を待つひと時 黙想の家の食堂の壁には興味深い額が掛かっていた
よく見るとモンゴル人に日常生活の場面が50-60景もユーモラスに描かれている まさに生活曼荼羅だ
丘の上でシャーマニズムのお供えと奏楽の儀式の場面
羽飾りの帽子をかぶったシャーマンが太鼓を打ち鳴らしながら踊っている アメリカインディアン アラスカのエスキモーなどと共通のルーツかもしれない
ラクダの背に家財を摘んで移動する遊牧民のキャラバン
目的地に着くと白く丸いテントの家ゲルを建てる遊牧民
馬のお尻に焼きごてで印をつける遊牧民の一家
野馬追い
おや、穴を掘って板を二枚渡して囲いの中でトイレをする人 つい一昔前日本の田舎にも同じ光景が
馬の交尾を見て思わず顔を覆う若い娘 怖い顔でその髪を引っ張るおばさん
ゲルの解体現場 どさくさに紛れてテント布の下で男女が重なってキスをしている?
出産の瞬間 介助する二人の女と産婆さん
駱駝と馬がみているのに・・・おおらかなものだ
そうかと思ったら 羊の乳しぼり風景 こんな調子で50シーン余りが一枚に書き込まれて、カトリックの黙想の家の食堂の壁を楽しく飾っている
司教様が到着。彼はモンゴルにおける宗教事情を話してくれた。
モンゴル政府は数年前にバチカンとの外交関係を望んだ。しかし、モンゴル政府は宗教に関して寛容ではないと司教は言う。フィリッピン国籍の司教は3か月ごとにビザを更新しなければならない。宣教のために司祭を入れることは認められるが、一人の外国人宣教師は5人のモンゴル人に対して雇用を創出しなければならない。仮に、一人当たり300ドルの給料を支払うとして、一人の宣教師が入ると5人を養うために15-16万円を用意しなければならない。10人の宣教師を迎えるために毎月150万円、年間1500万円を教会は用意しなければならないのだ。司教にとって、小さなモンゴルの教会にとって、大きな財政的負担になっている。
原始的なシャーマニズムや伝統的なチベット仏教は一部に根強く残っているが、多くの人は共産主義的無神論教育の洗礼を受けている。
人口の半分の多くが遊牧民で、余りにも希薄に散在しているので宣教師との安定的な接触は望めない。etc.
アジアン宣教。難しいのはモンゴルだけではない。いずれの国にも、それぞれの困難があることが分かった。それについても語られなければならない。
(つづく)