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ふと思うこと。煉獄(れんごく)って本当にあるの?
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その答えは「ある!」です。
確かに、「カトリック教会のカテキズム」という日本語版で 839 ページに及ぶ書物の中に記載がありま。
「カテキズム」は「教理問答集」とか「教理教育の手引き」とか言われるカトリックの信仰内容を分かりやすく解き明かした本と言えばいいでしょうか。(うまい訳が見つかりません。)
その「カトリック教会のカテキズム」の中の309ページに、たった1ページだけ、さりげなく「最終の清め・煉獄」という項目があります。
その内容を分かりやすく言えば、誰かが死んだとき、まっすぐに天国に入れてやれるほどの聖人ではないが、さりとて、根っからの極悪人でもなかったから、地獄に追いやるには忍びない。だから、なんとか天国に入れる程度まで清くなるように、しばらく煉獄で火にあぶられて浄化の苦しみを受けなさい、ということでしょうか。
教会がそう教えろというのであれば、痛くもない腹を探られて異端神父と言われるのも不本意だから、人にはそう教えますが、なんともお尻の下がムズムズして、すわり心地が良くありません。
聖書をひっくり返してみたり、神学者たちの膨大な論文を精査するために時間を費やしたりするつもりは更々ありませんが、ごく常識的に、生活感覚として、私の困惑している状態を率直に吐露したいと思います。
今年のはじめ頃から、大分の平山司教様の容態があまりよくないという話は耳にしていましたが、3月のはじめに、いよいよその容態が悪化して、主治医の見立てではあと1週間しか持たない、というニュースが飛び込んできました。
すわ、一大事! 平山司教様と言えば、高松からローマに避難疎開していた「日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院」の院長様で、私はその秘書として10年余りローマで寝食を共にしてお仕えした上司ですから、お亡くなりになる前に是非いちどお見舞いをしたいと思いました。ところが、神父業の悲しさ、雑事に追われてやっと大分にたどり着いたときには、医者の宣告した1週間をわずかに過ぎていました。
せめてお通夜に間に合えばという切ない思いで司教様のお家にたどり着いたら、幸いにもまだ生きておられました。
枕もとに名乗り出たら、意識もはっきりしておられ、手を握る私に、目を開いて「一緒に過ごしたローマはよかったね。毎晩枢機卿様にご挨拶してから床について、いい夢を見ましたね」、と優しく述懐されました。
これは、私と司教様だけにわかる説明を要する隠語を含むお話です。
解読すると、晩の祈りの後、神学校の食堂で大勢の神学生とともに夕食を いただくと、司教様と私は同じ3階の部屋にいったんそれぞれ退きます。小一時間ほど頃合いを見計らって、私は司教様のお部屋に行き、戸棚からブランデーとグラス二つとチョコレートの小箱をテーブルに並べて、その日最後の儀式をいたします。
そのブランデーは「カルディナール・メンドーサ」という銘柄で、カルディナールはカトリック用語で教皇に次ぐ位の枢機卿の意味なので、ブランデーを寝る前の二人で味わう儀式を、「メンドーサ枢機卿様にご挨拶申し上げる」という話になるのです。
実に喉越しのいい高級ブランデーで、それにひとかけらのチョコレーと実によく合うのです。
瀕死で明日にもご臨終かと言われた司教様との今生の別れの話としては、実に粋な会話だと思いました。
そして、私の耳元に「もう数日前から私は天国の門の前に佇んでいるのに、なかなか門は開かない」とつぶやき、さらに声を潜めて「あのね、今の時間はまさに煉獄だよ!」とささやかれたのです。
私は何とも心温まる思いとともに、後ろ髪をひかれる心地して大分を後にしましたが、その後、老司教様がお亡くなりになったという知らせはいまだに届いていません。3月末が99歳のお誕生日でしたから、あれから4カ月、この勢いでは100歳のお誕生日まで生きられるのでは、という声さえ聞こえます。
他人の世話になるのが人一倍お嫌いで、秘書の私にさえ過剰なお世話を拒まれたほどの司教様ですから、生きるために日々何から何まで人の介護に頼らなければならない生活は、どれほどお辛いことか私にはよくわかります。聖なるご生涯を送られた司教様が、こんなに長い「煉獄」の試練を耐え忍ばなければならないとは、まことに不思議なことだと思いました。
私は、司教様のお姿を見て、カトリック教会が教える煉獄とは、死んでからのあの世のことではなく、生きているうちに済ます清めの業のことか、と悟りました。それならば納得です。「カトリック教会のカテキズム」はその短い記述の中で、「教会の伝承では、聖書の若干の個所にもとづいた、清めの日というものを取り上げています」と述べて、(註)のところで1コリント3・15と1ペトロ1・7を挙げていますが、それらの聖書の個所を読んでみても、私には無理なこじつけのようにしか思えませんでした。
日本人は死んだら斎場で煙と水蒸気とわずかな灰になって、肉体は滅び、五感は完全に封じられます。私は神父という職業柄、多くの人の死とお骨拾いに立ち会いましたが、私はいつも深く思います。
この人もまた、肉体を失い、新・旧約聖書の随所に見受けられる言葉のように、「先祖とともに深い眠りについた」のです。肉体が滅び、五感が封じられた瞬間から、時の流れも宇宙の進化も何も感じることなく深く眠り続けます。次に体を返していただいて五感が目覚め復活するときまで、本人の自覚としては一瞬の出来事であるに違いないと思っています。死から世の終わりの復活の日まで、何万年か、何百万年か、何億年か時間が経過しようとも、個々人の死から復活までは一瞬の出来事なのです。
私は83年の人生において、3度全身麻酔を経験しましたが、麻酔医師と看護師の会話が遠のいて聞こえなくなった瞬間と「お目覚めですか?」とい別の看護師さんの声を聴く瞬間の二つの瞬間は、同じコインの裏表のような一瞬のできごとでした。その間に2時間が経過していたか、難しい手術で6時間が経っていたのか、一体私は体に何をされたのか、全く認識していませんでした。
同じように、死んで肉体が滅んで五感が完全に閉じられてから、肉体を取り戻して復活するまでの間も、人の魂は全身麻酔よりも深い眠りの中にいて、死から復活までは、本人の自覚としてはまさに一瞬のこと、死んだ次の瞬間に復活してイエス・キリストの御顔を仰ぐことになるだろうと私は信じています。
死んだらすぐ深い眠りに入って、時の流れも外界の喧騒も全く知覚することなく、まるで死の次の瞬間のように復活するという話と、死んだらゆっくり煉獄の火に焼かれて清められるという話と、私の小さな頭の中ではどうしても調和しないのです。
カトリック教会の最高学府と言われるローマの教皇庁立グレゴリアーナ大学で、神学修士と教授資格までいただいた私は、上の疑問に答えを与える講義を聞いて納得することはついにありませんでした。
私は死んだら肉体を失い五感は閉じられ、例えて言えば、深い、深い眠りに入り、気の遠くなるような宇宙の進化の歴史的時間の流れも、世界の変化の様子も全く知覚することなく世の終わりに復活するが、自分の主観的意識の流れにおいては、死の次の瞬間に復活して主の御顔を仰ぐことが出来るという想念は、私に深い慰めと希望と喜びを与えてくれるのです。
その時間の経過を伴わない二つの瞬間の間に、どのようにして煉獄の火の清めを体験することができるのか。肉体を失い五感が閉じられて深い眠りに入っている自分が、いかにして煉獄の業火を体験できるのか、私には全く分からないのです。
教会が信じろというなら私は信じます。しかし、私の貧しい頭は納得のいく理解に達し得ていなことを信者さんに説明するのは難儀なはなしです。どなたか、賢い方が、この問題を解き明かしてくださることを期待します。
最後に一つのエピソードを加えて終わります。
私がまだ大学生だった頃、神戸の六甲の家から歩いて5-6分のところに「小百合幼稚園」というのがありました。その幼稚園の経営者はカトリックの「煉獄援助姉妹会」という女子修道会でした。その修道会が、ある日突然会の名称を改めて、「援助姉妹会」となったのです。
会の使命の最も主要の部分は、煉獄で清めの火に焼かれて苦しんでいる膨大な数の魂たちを助けることに特化した会でした。それがどうして大事な会の精神の要である「煉獄」の二文字をを会の名前から外してしまったのでしょうか。
それは、時あたかも、第2バチカン公会議が教会の大改革に取り掛かっていた頃で、その女子修道会は公会議の神学的議論の経過を敏感に受け止めていて、中世では盛んに論じられてきた「煉獄」の存在そのものの意味があいまいになってきて、教会としてはあまり触れたくないテーマになってきたことを、敏感に感じ取ってのことだったに違いありません。
はっきり言ってしまえば、これからの世の中で、またカトリック教会の今後を見通して、「煉獄で苦しんでいる魂を援助するために祈り、働く」という目的を掲げて修道会を維持できる時代ではなくなったから、別の存在理由を見出してそれにシフトしていかなければ会の将来はない、と直感しての会の名称変更だったのではないかと思います。
わたし自身の中にも、煉獄の存在をわかりやすく定義しなおす神学的理論武装をしてもらうか、あるいは、いっそうのこと、勇気をもって、中世にはそういう教えを説いてきたが、今の時代には即さない信心で、もともとキリスト教の信仰内容に深く根差した教義ではなかった、とあっさり認めた方がすっきりするのではないでしょうか。
平山司教様がそっと私の耳元にささやかれたように、この世に生きているうちに忍耐し耐え偲ばなければならない苦しみのことを「煉獄」という言葉で表現することもできる、という程度にとどめておいた方がいいのではないでしょうか。