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ちょっと爽やかなお話し!
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いまローマのグレゴリアーナ大学は前期の試験中。
神学生達は勉強で頭がパンパンになっているが、養成者の神父たちは気楽なもんだ。
朝食のテーブルに残った年寄りの神父と二人でおしゃべりをした。
彼は小話を一つしてくれた。
何年か前、ユダヤ教の最高指導者のラビが教皇ヨハネ・パウロ2世をバチカンに公式訪問した。
2000年ぶりの歴史的な出来事だった。
ラビは教皇に会って言った。
第二次世界大戦中のことです。
ポーランドではナチスによるユダヤ人狩りが激しさを増していました。
逃げ場を失った若い夫婦が、男の赤ちゃんを抱いて、カトリック信者の家の戸口を叩きました。
出てきた主婦に子供を押しつけて言いました。この子はユダヤ人の子です。
このままいたら、一緒に殺されます。どうかお願いですからこの子を預かって下さい。
そして、物心が付いたら、どうかこの子をユダヤ人社会に返して、ユダヤ教徒として育てて下さい。
そのすぐ後、二人は捕らえられ、アウシュヴィッツのガス室に送られて死んだ。
子供は無事成長して10歳になった。
預かった夫婦は悩んだ。情愛が移って手放したくない。
洗礼を授け、カトリック信者として、わが子として育てたい。
でも、本当の親との約束がある。どうしたものか。
思い悩んで、近くの教会の神父さんに相談した。
すると、その神父はきっぱりと言った。
その子をイスラエルに送りなさい。
そして、ユダヤ教徒として育てられるように計らいなさい。
ラビは続けて言った。
その時の男の子は私です。
そして、あの時の神父、それは貴方でした。
クラカウの教会のうしろのうすぐらいベンチ。神父だった頃のヨハネ・パウロ2世
が何時も跪いてい祈っていた場所に真鍮のプレートが。
誰置くか、そこには薔薇の生花が絶えないという。
今、ユダヤ教とカトリックの関係は、かつてないほど友好的だ!
これはただの偶然ではない。
神様の一人芝居でもない。
二人の母と、一人の若い神父の、それぞれの自由意思の絡み合いの中から生まれた、世にもまれな創造的ドラマです。