今週、ネットに懐かしい外国人選手の訃報が記載されていました。
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通算382本塁打のフランク・ハワードさんが87歳で死去 74年に太平洋(現西武)に所属も1試合で退団 byスポニチアネックス
大リーグでレンジャーズの前身のワシントン・セネタースなどで活躍し、本塁打王に2度輝いたフランク・ハワードさんが亡くなったと30日、AP通信などが報じた。87歳だった。ハワードさんはドジャース時代の60年に新人王。セネターズ時代の68、70年にともに44本塁打で本塁打王のタイトルを獲得した。通算382本塁打を誇り、74年に鳴り物入りで太平洋(現西武)に入団。しかし膝の故障で1試合のみの出場に終わり、3打席で無安打のまま退団した。引退後はパドレス、メッツで監督を務めた。
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小学生の頃、福岡に住んでいた私は太平洋クラブライオンズのファンでした。なかなかチーム成績が上がらない中で、1974年シーズンの目玉として来日したのが、フランク・ハワード選手でした。元大リーグ選手でホームラン王2回。当時の日本人選手は、平均身長170cmくらいでしたから、身長2m超のハワード選手が「巨人」に見えました。オープン戦でホームランを打って期待していましたが、開幕戦で強烈な内野ゴロを打って1塁に走り込んだ時に、膝を故障して交代。そのまま1試合に出ただけで帰国してしまいました。当時、見た事が無いような打球スピードの内野ゴロで、観衆がウォーッと声を上げたのを覚えています。鳴り物入りで入団したのに、あっけなく退団してしまい、私の中には「フランク・ハワード=強烈な内野ゴロの期待ハズレ選手」として記憶に残りました。
今回、彼の訃報とネットで関連する記事を読んで、大リーグのホームラン王でありながら、驕ることなく日本の野球に順応しようと努力していた真面目で心優しい選手だったということが判りました。元々膝が悪くて歩くのもきつかったのに、開幕戦でファンの期待に応えようと無理した結果、故障してしまったということで、今までそういう裏事情を知らなくて、50年も前の話なのに何だか申し訳ない気持ちになりました。
平和台球場で、彼の豪快なホームランを見てみたかった。彼の冥福を祈りたいと思います。
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通算382本塁打のフランク・ハワードさんが87歳で死去 74年に太平洋(現西武)に所属も1試合で退団 byスポニチアネックス
大リーグでレンジャーズの前身のワシントン・セネタースなどで活躍し、本塁打王に2度輝いたフランク・ハワードさんが亡くなったと30日、AP通信などが報じた。87歳だった。ハワードさんはドジャース時代の60年に新人王。セネターズ時代の68、70年にともに44本塁打で本塁打王のタイトルを獲得した。通算382本塁打を誇り、74年に鳴り物入りで太平洋(現西武)に入団。しかし膝の故障で1試合のみの出場に終わり、3打席で無安打のまま退団した。引退後はパドレス、メッツで監督を務めた。
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小学生の頃、福岡に住んでいた私は太平洋クラブライオンズのファンでした。なかなかチーム成績が上がらない中で、1974年シーズンの目玉として来日したのが、フランク・ハワード選手でした。元大リーグ選手でホームラン王2回。当時の日本人選手は、平均身長170cmくらいでしたから、身長2m超のハワード選手が「巨人」に見えました。オープン戦でホームランを打って期待していましたが、開幕戦で強烈な内野ゴロを打って1塁に走り込んだ時に、膝を故障して交代。そのまま1試合に出ただけで帰国してしまいました。当時、見た事が無いような打球スピードの内野ゴロで、観衆がウォーッと声を上げたのを覚えています。鳴り物入りで入団したのに、あっけなく退団してしまい、私の中には「フランク・ハワード=強烈な内野ゴロの期待ハズレ選手」として記憶に残りました。
今回、彼の訃報とネットで関連する記事を読んで、大リーグのホームラン王でありながら、驕ることなく日本の野球に順応しようと努力していた真面目で心優しい選手だったということが判りました。元々膝が悪くて歩くのもきつかったのに、開幕戦でファンの期待に応えようと無理した結果、故障してしまったということで、今までそういう裏事情を知らなくて、50年も前の話なのに何だか申し訳ない気持ちになりました。
平和台球場で、彼の豪快なホームランを見てみたかった。彼の冥福を祈りたいと思います。