「あの人がいなくなると困ってねぇ。」
物事が立ち回らなくなってしまう。偶然今いるあの人も、相当な出来物だったので今まで支障が出無かったんだよ。
住職夫婦はこれからの事が不安になり深々と溜息を吐きました。
今の人でも元の人でも、私達にすれば何方でもいいから、あの人が居なくなりさえしなければそれでいいんだけどね、
若し何方も居ない世の中になってしまったら、家やこの在所は右も左も、にっちもさっちも身動きが取れなくなってしまうだろう。
それが怖いよね、うん、そうそうと、住職夫婦はお互いに相槌を打つのでした。
そういう肝心要の人がこんな身の上に置かれるなんて、神様仏様、世の中はどうなっているのかしら、
若奥様も本当に不思議な事だと仰天してしまうのでした。
そこへ、ごめんくださいと当の話のご本人がやって来ました。
彼はさっき本堂で困り果てていた蛍さんを見ていましたから、ここへ呼ばれた理由が大体分かっていました。
溜息を吐きながら、判決を受ける前の死刑囚のような気分でいました。
若奥様が玄関に行くと、そこには何時になく風采の上がらないような顔をした光君の祖父が立っていました。
「まぁまぁ、ようこそお越しいただきまして、ささどうぞお上がりやす。」
にこやかに彼のその顔色を窺がいながら、若奥様はどうやらこの人は此処へ呼ばれた理由が分かっているようだと気付きました。
そう言えば、朝方墓所の方で草むしりがしてあったわと、この人がした事なのだ、
それでは早朝にこの人は寺へ来ておられて、あの子に会ったんだわ。この様子ではあの子に見覚えがあるのね、と判じます。
それでも、若奥様はこの男性に特に何か言う事もせず、素知らぬ顔で奥の座敷へと案内しました。
来られましたよと座敷に入ると、住職さんには『もうあの子には会って、やはり知っておられるようですよ』とこっそり耳打ちします。
「やあやあ、ようこそお越しいただきまして。」
住職さんも内心の驚きを隠して、何食わぬ顔で彼の御足労を労います。そしてまあお茶でもと愛想よく茶など勧めて、
「何といってよい物か。」
と、実はと、蛍さんがここに現れた経緯を話し始めました。
「それで、そのお子さんとあなたが同じ世界の人間ではないかと思いましてね、
あなたにそのお子さんに会っていただきたいと思ったのです。」
住職さんがそう言うと、それまでうな垂れて彼の話を聞いていた男性は、
ああやっぱりと予想が当たった事にホーっと溜息を吐くと、さも観念したように、
「知っている子なんです、あの子は。」
と、一言いうのでした。おおお、と、寺の座敷の一同は皆一様に驚愕します。