神が宿るところ

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高見山古墳 (辻畑古墳)

2010-09-17 21:14:53 | 古墳
高見山古墳(たかみさんこふん)。旧称:辻畑古墳(つじばたけこふん)。
場所:沼津市東熊堂24(「熊野神社」の住所)。国道1号線「江原公園」交差点を北に曲がって、すぐ。駐車場なし。
珍しい前方後方墳(駿河国内で発見されたのは3例目)で、南北約62m、東西35m(ただし、西側が道路に削り取られているため推定)、北側の後方部の高さ4・5m。後方部の墳頂の1m下に木棺跡があり、水銀朱のほか、鉄の鏃、銅鏡、勾玉などの副葬品、(祭祀のため)人為的に割られた高坏土器も出土した。
前方後方墳は、前方後円墳より古い形式とされるが、「高見山古墳」は、土器の形式などから3世紀前半頃の築造と考えられるという。これは、駿河国どころか、東日本でも最古級の前方後方墳となる。もちろん、被葬者は不明だが、これほど古い時期に大掛かりな古墳を築造できる首長がいたということになる。
しかし、この古墳が発掘されたのは、都市計画道路「沼津南一色線」の工事のためであり、いずれ消滅してしまう・・・?


「大和國古墳墓取調室」さんのHPから(辻畑古墳):http://obito1.web.fc2.com/tuzibatake09.html

「割狐塚稲荷神社」勝又清宮司のHPから(高尾山穂見神社):http://www.inarijinja.com/kenmu/takaosan/index.htm


写真1:「熊野神社」境内入口。「熊野神社」については、2千年前に勧請されたと伝わるほかは、よくわからない。祭神は伊弉那岐尊・伊弉那美尊らしい。2千年前、はともかくとして、鎮座地名が「熊堂(くまんどう)」というのだから、相当の由緒があるのだろう。「熊野神社」は、右手の立派な建物(東熊堂自治会館)の奥にある。


写真2:研石。2千年前、「熊野神社」を勧請した地元の村人が、農作物を荒らす猪を退治するため、この石で鏃を研いだ。その鏃には絶大な効果があったので、この研石を神宝として祀ってきたという。


写真3:遷座した「高尾山穂見神社」。弘化3年(1846年)に山梨県の「高尾山穂見神社」から分祠、明治21年(1888年)に「熊野神社」境内の高台に移したという。道路工事のため、現在地に遷座した。「高尾山穂見神社」は甲斐国巨麻郡の式内社の有力な論社。祭神は保食神(江戸時代には稲荷社)。


写真4:「高見山古墳」。小高いところに「高尾山穂見神社」が鎮座していた。発掘によって、古墳のくびれが明確にされている。(正直、古墳のことはよくわからず、神社や石のほうに興味があるので、古墳の写真はあまり撮っていなかった。)
コメント (1)
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