神が宿るところ

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小梳神社(駿河国式内社・その12)

2010-11-12 23:08:02 | 神社
小梳神社(おぐしじんじゃ)。祭神:建速須佐之男命・奇稲田姫命。
場所:静岡市葵区紺屋町7-13。JR「静岡」駅の北西、約200m。ファッションビル「静岡パルコ」の向かい側。駐車場なし。
創建時期は不明。社伝等によれば、「小梳」(「おぐし」又は「おけづり」)は地名で、最初の鎮座地。現在の「玉桂山華陽院(府中寺)」(静岡市葵区鷹匠2丁目)付近にあり、古代東海道の「横田」駅家の守護神として創建された。中世、今川氏が駿府城(今川館)に入ると、城の守護神として城内に移された(旧「青葉小学校」の校庭のところ)。江戸時代、駿河大納言といわれた徳川忠長(第3代将軍徳川家光の弟)が御殿を建てるため、「新谷町」(しんがいちょう=現在「ペガサート」ビルがある辺り。同ビルの前に石の町名碑がある。なお、「新谷」は当神社の社家が新谷氏であったことによる。)に移した。このとき、御殿が一夜のうちに破壊されるという怪異があった。このため、玄関には式台を張らず、陳謝の意を示したところ、怪異はなくなったという。しかし、その後の徳川忠長の悲運な最後は、当神社の遷座の祟りといわれた。そして、新谷町への遷座から更に約40年経った延宝3年(1675年)に、加番屋敷跡の現在地に鎮座することになった。
さて、当神社は、中世以降「少将井宮」又は「少将井社」と呼ばれるようになった。「少将井」というのは、「八坂神社」(京都市東山区)が「祇園社」とか「祇園感神院」と呼ばれていた頃、西の座に祀られた頗梨采女(牛頭天王の后)の神輿の御旅所となったところで、その井戸に祀られた神を「少将井殿」と呼んだ。牛頭天王が素戔嗚尊と習合したことから、頗梨采女も奇稲田姫と習合して、奇稲田姫=少将井殿とされるようになった。要するに、当神社を「少将井社」と称したということは、当神社の最も重要な祭神は奇稲田姫と考えられていたということになる。
ところで、「小梳」という地名は、かつて安倍川が賤機山の南端から東に流れ、何本もの枝川があったことを示すものといわれている。「梳」(くし=櫛)の歯を枝川に見立てたということである。「小梳」が後に「東川辺」と呼ばれるようになったとされるのも、これを推認させる。
当神社は、この枝川のそばに、安倍川の治水を願って祀られたものと思われる。古代から、櫛は呪具であって、例えば伊弉諾神が黄泉の国から逃げる際、追ってきた黄泉醜女に櫛を投げつけて難を逃れている。また、酒呑童子のように、大人なのに髪をザンバラにしている姿を鬼としてイメージし、「童子」と表現している。だから、髪を梳る(くしけづる=櫛でとかす)ことは、乱れを正すことを象徴的に意味したものと考えられる。
したがって、創建時の祭神は必ずしも奇稲田姫命であったとは限らない。「クシ」の音から、後に連想されたものではないか、とも思われる。


玄松子さんのHPから(小梳神社):http://www.genbu.net/data/suruga/ogusi_title.htm


写真1:「小梳神社」正面(南側)の鳥居。ビルに囲まれた中にある。


写真2:社殿。鉄筋コンクリート造で、薄いオレンジ色に塗られている。


写真3:境内の「少将井」
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