伊河麻神社(いかまじんじゃ)。祭神:品陀別命(応神天皇)。
場所:静岡市駿河区稲川1丁目10-15。JR「静岡」駅の南、約600m。県道354号線(静岡環状線)「伊河麻神社西」交差点の北の角。駐車場あり。
創建時期は不明。天武天皇4年(675年)に応神天皇を祀ったともされるが、社伝によれば、現在の鎮座地は奥宮で、現在地の南、約800mのところ(中田小学校付近)に里宮があったという。そして、現在地の南東、約2kmのところに「登呂遺跡」があり、当神社はその鎮守ではないか、ともいう。これは「式内社調査報告(第9巻)」(昭和63年1月)に記載されているものだが、その後、里宮跡とされる中田小学校の南側に「ケイセイ遺跡」が発掘され、これが「有度郡家」である可能性が高くなった。そして、もう1つ、古代東海道(駅路)が当神社のすぐ背後を通過していたことを考えると、「有度君」を首長とする地方豪族の氏神だったかもしれない。そして、その場合、「廬原君」と同じく、元の地方豪族は吉備氏族に制圧され、氏神もヤマト政権の神に変えられてしまったのではなかろうか。
そもそも「伊河麻」というのは明らかに当て字で(「井鎌」、「伊賀麻」などとも表記された。)、「イカマ」の意味は不明であり、社記などでも、「厳しい(いかめしい)」=おごそかで重々しい、という意味ではないか、と示唆されている程度である。また、伊豆国式内社に「伊加麻志神社」(祭神:事代主命)があり、何らかの関連があると思われるが、詳細は不明。なお、志賀剛著「神名の語源辞典」(平成元年12月)によれば、「見晴らしの聞く場所」を意味するアイヌ語「インカラウシュ」からイカラシ(五十嵐)、イカナシ、イカマシ、イコマ、イクマなどの言葉が生まれたという。伊豆国式内社「伊加麻志神社」は高台に鎮座しているようなので、志賀氏の説の通りかもしれないが・・・。
いずれにせよ、「登呂遺跡」との関連はともかく、当神社の起源は相当古く、祭神も元は品陀別命(応神天皇)ではなかった可能性も高いと思われる。
玄松子さんのHPから(伊河麻神社):http://www.genbu.net/data/suruga/ikama_title.htm
写真1:「伊河麻神社」正面鳥居
写真2:社殿正面
写真3:社殿前の大きな楠
場所:静岡市駿河区稲川1丁目10-15。JR「静岡」駅の南、約600m。県道354号線(静岡環状線)「伊河麻神社西」交差点の北の角。駐車場あり。
創建時期は不明。天武天皇4年(675年)に応神天皇を祀ったともされるが、社伝によれば、現在の鎮座地は奥宮で、現在地の南、約800mのところ(中田小学校付近)に里宮があったという。そして、現在地の南東、約2kmのところに「登呂遺跡」があり、当神社はその鎮守ではないか、ともいう。これは「式内社調査報告(第9巻)」(昭和63年1月)に記載されているものだが、その後、里宮跡とされる中田小学校の南側に「ケイセイ遺跡」が発掘され、これが「有度郡家」である可能性が高くなった。そして、もう1つ、古代東海道(駅路)が当神社のすぐ背後を通過していたことを考えると、「有度君」を首長とする地方豪族の氏神だったかもしれない。そして、その場合、「廬原君」と同じく、元の地方豪族は吉備氏族に制圧され、氏神もヤマト政権の神に変えられてしまったのではなかろうか。
そもそも「伊河麻」というのは明らかに当て字で(「井鎌」、「伊賀麻」などとも表記された。)、「イカマ」の意味は不明であり、社記などでも、「厳しい(いかめしい)」=おごそかで重々しい、という意味ではないか、と示唆されている程度である。また、伊豆国式内社に「伊加麻志神社」(祭神:事代主命)があり、何らかの関連があると思われるが、詳細は不明。なお、志賀剛著「神名の語源辞典」(平成元年12月)によれば、「見晴らしの聞く場所」を意味するアイヌ語「インカラウシュ」からイカラシ(五十嵐)、イカナシ、イカマシ、イコマ、イクマなどの言葉が生まれたという。伊豆国式内社「伊加麻志神社」は高台に鎮座しているようなので、志賀氏の説の通りかもしれないが・・・。
いずれにせよ、「登呂遺跡」との関連はともかく、当神社の起源は相当古く、祭神も元は品陀別命(応神天皇)ではなかった可能性も高いと思われる。
玄松子さんのHPから(伊河麻神社):http://www.genbu.net/data/suruga/ikama_title.htm
写真1:「伊河麻神社」正面鳥居
写真2:社殿正面
写真3:社殿前の大きな楠