巨鼇山 清見興国禅寺(こごうさん せいけんこうこくぜんじ)。
場所:静岡市清水区興津清見寺町418-1。国道1号線「清見寺」交差点の西、約200m。駐車場あり。
寺伝によれば、浄御原天皇(天武天皇)の創建。大和国・竜田山、丹後国・大坂山の関の設置(天武天皇8年(679年))と同時に、駿河国廬原郡に清見関が設置され、その守護のための仏堂として創建されたという。室町時代の連歌師・宗祇の「名所方角抄」にも、天武天皇代に創建されたとの寺伝が記録されている。こうしたことから、今も、大方丈(客殿)の正面、須弥壇の観音像の傍らに「天武天皇尊儀」(尊儀は貴人の位牌のこと。)が安置されているという。
しかし、律令制の崩壊に従い、「清見関」の衰退に伴って当寺も荒廃していった。ようやく、弘長元年(1261年)、聖一国師の法嗣関聖明元によって臨済宗寺院として再興されることになった。そして、足利尊氏は、康永年間(1342~1345年)に七堂伽藍を造営して寺名を「巨鼇山 清見興国禅寺」と改めた。山号は「清見寺山」を大きな亀の姿に見立てたものだが、鎌倉の「建長寺」は正式には「巨福山 建長興国禅寺」というので、これに因んだものともされる。その後、足利第2代将軍義詮は当寺を「十刹」に列し、第3代義満は至徳3年(1386年)に「十刹」を全国と関東に分けて、当寺を全国十刹の第7位に列した。こうして五山派の官寺となったため、住持の任免が幕府によって行われ、京都・鎌倉から高僧が輪番で来ていたという。今川氏も、足利氏の一門であることから、当寺を篤く保護したが、戦国時代には要害の地であったため戦乱に巻き込まれ、再び荒廃した。
今川義元の軍師でもあった太原崇孚(雪斎)禅師が復興に努め、臨済宗妙心寺派の寺院としての「清見寺」第1世とされている。太原禅師は、駿府・「臨済寺」(静岡市葵区大岩町)の住持も務め、このとき竹千代と名乗っていた幼少時の徳川家康公に学問の手ほどきをしたともいわれている。そのせいか、江戸時代になると、徳川幕府の庇護を受けるようになった。仏殿の本尊・釈迦牟尼仏と大方丈の大玄関は、家康公の三女静照院からの寄進であるという。なお、かつては多数の塔中があったといわれるが、今では本坊(「求玉院」)のみとなっている。
参考文献:市毛弘子著「巨鼇山清見興国禅寺の歴史」(昭和49年7月)
巨鼇山 清見興国禅寺のHP
写真1:「清見寺」総門。扁額の「東海名区」は朝鮮通信使によるもので、「日本の名所」という意味。
写真2:総門の後ろにJR東海道本線が通り、境内を横切る形になっている。
写真3:仏殿。本尊は釈迦如来。
写真4:大方丈
場所:静岡市清水区興津清見寺町418-1。国道1号線「清見寺」交差点の西、約200m。駐車場あり。
寺伝によれば、浄御原天皇(天武天皇)の創建。大和国・竜田山、丹後国・大坂山の関の設置(天武天皇8年(679年))と同時に、駿河国廬原郡に清見関が設置され、その守護のための仏堂として創建されたという。室町時代の連歌師・宗祇の「名所方角抄」にも、天武天皇代に創建されたとの寺伝が記録されている。こうしたことから、今も、大方丈(客殿)の正面、須弥壇の観音像の傍らに「天武天皇尊儀」(尊儀は貴人の位牌のこと。)が安置されているという。
しかし、律令制の崩壊に従い、「清見関」の衰退に伴って当寺も荒廃していった。ようやく、弘長元年(1261年)、聖一国師の法嗣関聖明元によって臨済宗寺院として再興されることになった。そして、足利尊氏は、康永年間(1342~1345年)に七堂伽藍を造営して寺名を「巨鼇山 清見興国禅寺」と改めた。山号は「清見寺山」を大きな亀の姿に見立てたものだが、鎌倉の「建長寺」は正式には「巨福山 建長興国禅寺」というので、これに因んだものともされる。その後、足利第2代将軍義詮は当寺を「十刹」に列し、第3代義満は至徳3年(1386年)に「十刹」を全国と関東に分けて、当寺を全国十刹の第7位に列した。こうして五山派の官寺となったため、住持の任免が幕府によって行われ、京都・鎌倉から高僧が輪番で来ていたという。今川氏も、足利氏の一門であることから、当寺を篤く保護したが、戦国時代には要害の地であったため戦乱に巻き込まれ、再び荒廃した。
今川義元の軍師でもあった太原崇孚(雪斎)禅師が復興に努め、臨済宗妙心寺派の寺院としての「清見寺」第1世とされている。太原禅師は、駿府・「臨済寺」(静岡市葵区大岩町)の住持も務め、このとき竹千代と名乗っていた幼少時の徳川家康公に学問の手ほどきをしたともいわれている。そのせいか、江戸時代になると、徳川幕府の庇護を受けるようになった。仏殿の本尊・釈迦牟尼仏と大方丈の大玄関は、家康公の三女静照院からの寄進であるという。なお、かつては多数の塔中があったといわれるが、今では本坊(「求玉院」)のみとなっている。
参考文献:市毛弘子著「巨鼇山清見興国禅寺の歴史」(昭和49年7月)
巨鼇山 清見興国禅寺のHP
写真1:「清見寺」総門。扁額の「東海名区」は朝鮮通信使によるもので、「日本の名所」という意味。
写真2:総門の後ろにJR東海道本線が通り、境内を横切る形になっている。
写真3:仏殿。本尊は釈迦如来。
写真4:大方丈