神が宿るところ

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医王山 高雲院 神宮寺

2012-03-24 23:53:31 | 寺院
医王山 高雲院 神宮寺(いおうざん こううんいん じんぐうじ)。
場所:千葉県船橋市三山5-37-1。前項の「二宮神社」(千葉県船橋市)の道路を隔てた東隣。駐車場有り。
下総国式内社「寒川神社」(の後裔)とされる「二宮神社」には、江戸時代には別当寺であった、その名も「神宮寺」という寺院が現存している。正式には「医王山 高雲院 神宮寺」といい、真言宗豊山派の寺院で、本尊は阿弥陀如来。と、書いたところで、少し仏教に詳しい人だと違和感を感じるのではないか。「医王山」という山号の寺院は少なくないが、それは、「大医王仏」という別名を持つ薬師如来を本尊とする寺院がその山号にしたケースが多かったことによる。真言宗の寺院の本尊は大日如来の場合が圧倒的に多く、真言宗では顕教系とされる薬師如来を本尊とする場合は比較的少ない。しかし、その寺院自体の創建が古く、後に真言宗に属するようになったようなケース、例えば、京都の「神護寺」(開基:和気清麻呂)などのほか、現存する国分寺(真言宗が多い。)の殆どが薬師如来を本尊としている。ところが、当寺の場合、山門の隣に「薬師堂」(写真2)はあるが、本堂(写真3)に安置されているのは阿弥陀如来であるという。阿弥陀如来は西方の極楽浄土の教主で、浄土宗・浄土真宗で本尊とされることが多い。胎蔵界曼荼羅の中心に位置する五仏のうち、西方の無量寿如来=阿弥陀如来とされるので、真言宗の寺院の本尊であってもおかしくはないというけれども、実際には滅多にない例だと思う。
ということで、どうして当寺がこうなったのかに興味が起こるが、事情は不明。あとは想像(根拠薄弱なので妄想レベル?)になるが、古代、下総国式内社「寒川神社」を祀った人々は、近くに仏教施設も建立したのではないか。その本尊は当時流行の薬師如来で、真言宗の寺院となっても、変わらなかった。中世、神仏混淆色が強くなると、疫病避けのために、「二宮神社(寒川神社)」ではスサノオ=牛頭天王(=薬師如来)が勧請された。その後、浄土思想が流行すると、当寺も阿弥陀仏を本尊とするようになった(一時的に、住職が浄土思想を受け入れたか、浄土系に改宗したかも。)。こうして、明治になって神仏分離が行われたときも、「二宮神社」は建速須佐之男命を主祭神とすることにしたのではないだろうか。


「習志野 郷土史めぐり」さんのHPから(神宮寺)


写真1:「医王山 神宮寺」入口


写真2:薬師堂


写真3:本堂
コメント
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